hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 死にたい」
検索結果: 9578件
2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2
2024/02/19

私のせいで母が亡くなってしまいました

母とは一卵性母娘と言われるような、いつも一緒の仲良し母娘でした。服やバッグも共有したり、色違いで持ったり、どこへ出掛けるにも二人で一緒でした。 そんな母が昨年9月に大動脈破裂で亡くなりました。 元々大動脈解離はありましたが、前月の検査でも変わりなく、また一年後と言われたばかりでした。 数年前に他の場所の解離性大動脈瘤の手術後、高次脳機能障害が出て物忘れ等あったものの、本人も長生きすると頑張っていましたが、最近尿漏れや便漏れで汚してしまったりすることがごくたまにありました。それ以外にもたいしたことではないのに、昔はしっかり者できれい好きな母だったと思うと、私はイライラした感情をぶつけ、怒鳴ったりきつく当たったりしてしまいました。 いい言葉に買い言葉で、母は私に迷惑を掛けているから殺してくれ、と言うこともありました。本心は私と同じで、二人でずっと一緒に居たいと思っていたのに。 私が酷く母を傷付けたせいで、悲しさ苦しさ辛さのストレスで母が亡くなってしまったのだと思います。 私にとって、母は大好きで一番大切な人、母が居るから頑張れる、母が健康で長生きしてくれることだけが願いだったのに、それが私の一番の幸せだったのに、神棚にも仏壇にも、願うのはそのことばかりだったのに。 母の人生も幸せも、自分の人生も幸せも、私のせいで全て失ってしまった。 今さら悔いても謝っても、もう取り戻せない、大好きな母は戻ってこない。 謝って許してくれたところで、自分だけが楽になるなんてずるい。 母の悲しみや苦しみを思えば、傷付けた私が苦しみながら過ごすことは当然の報いですが、でも生きていくのが辛いです。 父と母からもらった大切な命で、大切な身体なのは重々承知ですが、自分の愚かさに、大好きな母を失った現実に耐えられません。 親友が私を心配し、手を差し伸べてくれて感謝しかありませんが、母を傷付けた駄目な私に優しくしてくれることが苦しいです。 一人っ子独身の私は、父が亡くなってから20年以上母と二人で暮らしてきました。でももうひとり、自分のせいで一人になってしまいました。 友人は、寿命は誰にも決められない、母が亡くなったのは私のせいじゃないと言ってくれますが、私の自己中心的な振舞いのせいだと感じています。 自業自得ですが、もう生きていく気力がありません。

有り難し有り難し 15
回答数回答 1

HSPが希死念慮と付き合う。物事の習慣化

生きてればいいことがあるというが、それを楽しみにもがき苦しむのが限界で消えたいです。 一方で、今まで良くしてくれた両親に申し訳なく死ねません。 希死念慮に近いものが毎日わたしを襲ってきて、何をしても楽しくなく、暇な時間は損害賠償で両親を苦しめることもない死に方を考えることに費やしています。 精神科にも通っていますが自殺未遂がないので、投薬と規則正しい生活をと主治医から言われるのみです。 規則正しい生活と言いますが、生きる希望もないので食事、水を飲むことすら億劫です。 薬を飲んでも希死念慮は消えることなく、強制的に眠ることによって解決を先延ばしにしているだけかもしれないと最近は思います。 希死念慮は本当に死にたい訳じゃなくてこの永遠に続く苦行から逃げ出したいというのが本質だとは思っているので、色々転職しました。 ただ周りの目を気にしすぎる、希死念慮が渦巻くこのマインドのせいか職場ではミスの連続かオドオドで試用期間でクビはザラ、プライベートも何をしていても楽しくない。 マインドが原因なら!とマインドセットのため未来を憂うことなく今だけを感じその中で精一杯頑張れる方法、考え過ぎないようにする方法を探し、散歩、瞑想や日記をつけたことがありますが続きません。 継続できないことに関し自分で自分を客観的に見て、言い訳するなんておこがましいと思い、さらに自己嫌悪に陥ってしまうことに気づき、できなかったという事実のみを見るようにし、できた日はひたすらに褒めることを繰り返していますが、疲れました。 自分が動かないとと何も変わらないと思って必死に自分を鼓舞してきましたが、鼓舞して苦しんでの繰り返しに疲れてしまいました。 死ぬのはとても怖い、両親の悲しむ顔は見たくないけど、その1歩がわたしとってはすごく眩しいです。 唯一の希望の光に見えます。 ①繊細な人、所謂HSPや希死念慮は消えることはなく付き合っていかなければならないものだと個人的には考えておりますが、消えることはあるのでしょうか。お考えや付き合い方についてご意見をお聞かせ頂けませんか。 ②調べ、憂れ、考えることだけしかせず、実行、継続しない、穀潰しで怠け者の私の尻を叩いて頂けませんか。 何故すぐ諦めてしまうのか自分でも分かりません。 ③パーソナルな質問で恐縮ですがお坊さんの生きる活力を教えて下さい。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

治療をする意味

はじめまして。 私は40代独身女性です。 去年乳がんが分かりました。 まだ初期のため手術をすればほぼ完治と言われています。 ですが、子供の頃から早く死にたいと思って生きてきたため手術をして生きる意味が分からず1年経ち徐々にですが進行してきましたが、未だに手術を決断できずにいます。 結婚しておらず子供もいないため、誰かのために生きると言うのもなく、 日本経済を圧迫している社会保険を使ってまで自分が生きたところで何の恩も社会に返せないので、自然の摂理に抗わずこのまま人生を終わりにしたいと思いますが、会社の人や友人には手術を勧められています。 せっかく生まれてきたので1度くらいは生きたいと思ってみたい!もし、そう思う事が出来たら手術をしようと思うのに進行しても一向に自分の気持ちが手術して生きたいと思えずにいます。 今のパートナーはとても優しくて私にはもったいないくらいの出来た人ですが、子供の頃から人に期待をしたり楽しみにしているとダメになることが多く今回病気になった事で、またか…と最後はいつもダメになるんだ…と思ってしまい余計凹みます。 生きたくても生きられない人もいて、手術をすれば治る可能性があるのに贅沢なのは百も承知です。 1度でいいので生きたいと思ってみたい。手術したいと心から思ってみたい。こんな私ですがいい知恵を授けて頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

自殺についての捉え方

初めての質問で、ずっと考えていた、人に話したことの無い私の人生観の相談になります。 表題からまず、誤解せずに頂きたいのは、私は別に苦しいからつまらないから死にたいとは思ってません。 逆に、なぜ皆、自殺=悲劇、悪、禁忌という考えなのか理解出来ません。 私は自分の人生において、ある年齢に達した時に自ら死のうと決めております。 それは人生がつまらないだとか苦しいからだとかという理由ではなく、そこを自分の終着と決めたからです。 やり残したことや後悔などはきっとすると思いますが、それは生きている以上無くならないですし、無くしてはいけないものだとも思っているので、それも受け入れて自分に幕を引きたいと考えているのです。 その行為によって、自分が納得しているか否か関係なく周囲に必ず迷惑がその後にかかるということも承知してます。 それでも、人に気を使って私の自分で決めた終わり方をやめようとは思えません。 それゆえの、表題での根本的問いです。 本人が満足し、納得した自殺をなぜ悪く言うのですか? そもそも死が忌避される理由すらもわかりません。 世界の一つの理に対して人は勝手に忌避を覚えることに疑問です。 絶対に抗えない世界の理に対する意識とは『忌避』ではなく、どう捉え、受け入れるべきかなのではと考えています。 自然死を待つ、というのも考えてはいました。 幼い頃は長寿を望んでいましたが、なぜ長寿を望んでいたのかを考えた時、特に理由もないことに気がつきました。 で、あるならば、私はいつ死ぬべきなのか。 現時点で私は事故で死んでも、後悔、やり残しがありますが、それでも納得して死ねると思っています。 誤解されそうですが、死を美化して捉えているわけではありません。 自分自身で終着を決めることで日々生きているのだという実感を得ることが出来、そして自身で決めた終着にて、私という存在に幕引き、人生が完成を迎えるのだと思っているのです。 だから問いたい。 自殺への忌避と悪、そして逃避という捉え方は違うのではないかと。 仏教において、聞きかじりで申し訳ないですが、仏教は自殺が=で罪ではないということから、このような形で長年の疑問をご相談させて頂いております。 お坊さん方は、みなさん、自殺をどう捉え、そして生きているのでしょうか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 2
2022/09/24

ペットロスです

先日、私のせいで最愛のオカメインコを死なせてしまいました。 具合が悪そうかなと気が付いてたのですが、大丈夫だろうと安易に思ってしまい、そんな子に消化の悪いボレー粉(カルシウム)をあげてしまい病気になり、追い討ちをかけて死に追いやってしまいました… 具合がかなり悪くなった時に動物病院には行ったのですが、午後仕事に行ってしまい、帰ったらかなり苦しそうにしてて、その子を手に抱っこしててあげればよかったのに、診てくれそうな夜間病院に電話をかけまくってる最中に亡くなってました。 見取りも出来なかったです… 病気で子供もいなかったので娘として13年間毎日ずっと一緒にいて、離婚時など、あらゆる苦しみ悲しみを助けてくれました。 全身全霊で私を信頼してくれて、私にべったりで、幸せをたくさんくれた子をこんな形であっけなく失ってしまい、この先どう生きていけばいいか分かりません。 亡くなって2週間過ぎても毎日、 何で仕事してるのか 何でうちに帰るのか 何で私が生きてるのか と思い、普通に生活してると自分が嫌になり自分に吐き気がします。

私にはあの子しかいなかったのに、この先、何を糧に生きていけばいいのでしょうか… よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 18
回答数回答 2