hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧

揚げ足をとってくる上司に復讐したい

働いて6年目になります。 私の職場で、一人私だけに私のやったことに対して いちいち揚げ足をとって言ってくる上司がいます。 入社して以来、何が気に食わないのかわかりませんが 私に対してだけ異常なほどです。 例えば、同じミスを別の人がしてもたいした言わないのに 私がすると朝礼で名前こそ言われませんが、例に挙げて話されたりです。 また入社したての頃私がたまたま朝礼で手を後ろに組んでいたら そのことを言われたり、たまたま足を組んで座っていたら注意されたり (正直そんなところを見るのはセクハラかと思いました) なのに、今年入ってきた新人が足を組んで座っていても何も注意したりは しません。 周りには気にするななど言われますが、今まで散々受けてきたことに 私は腹の虫がおさまりません。 その上司は、社長や専務の目上の人に対してはペコペコするような人で 自分の気に入らない人に対しては攻撃するような人です。 その上司がいることで何度も仕事をやめようかと悩んだり 別の上司に相談もしましたが、何も解決されません。 仕事自体は好きで、6年間も頑張って来たのでその上司のせいで 辞めるのも悔しいです。 ひどい話、どうしたらその上司を黙らせれるか、どうしたらされてきた数々 のことを仕返しできるかと考えてしまいます。 そこで、気にせず流すや、他の人に聞いてもらうとかではなく タイトルが私の気持ちそのものなのですが、 その上司に対して、直接または間接的にどのうようにしたら良いでしょうか。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

自分を責続ける日々

自分を責める気持ちで溢れています。 来年成人式を迎える19歳の者です。 私は高校を人間関係が原因で双極性障害を発症し、別の私立高校に編入してなんとか卒業しました。 この病気にかかってからは医者からも休むように言われています。自殺未遂が原因で入院もしたので、家族にも迷惑をかけました。 今は月一度の通院をしながら、パートとして働いてます。 大学に行きたかった。そんな後悔が今でも心を離しません。 高校生活すらまともに送れなかった私は、大学がとても輝いて見えるのです。アホらしいですね。大学は遊ぶために行くわけではないのに。 同級生と連絡をとる中で、自分だけが世界から取り残された気分になって死にたくなります。 これからについてお医者さんや家族と相談するとき、進学について言うと遠回しに難色を示されるのです。勿論未遂の件もありますし、心配なのは重々承知の上です。ですが自分でもこのまま残りの人生を無為に過ごすのかと思うと恐ろしく辛いです。 そうしてる内に1年が過ぎ、2年目になりました。 最近、自分が何の為に生きてるのかすら分からなくなりました。楽しいことも思い出も未来に対する希望も何もありません。もうこのまま朽ちてしまいたい。 自分は甘えてますか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 2

ちやほやされる周りの人

よろしくお願いいたします。 私の職場には派手でパーティ大好きな人しかいませんが、私はその中でかなり異質な存在です。人といると疲れるし、家で自分の空想に浸ったり雨音を静かに聴いているのが何よりもの癒しです。 イケイケで、マシンガントークで、男性を立てるのが好きな女性たちがもてはやされ贔屓にされるのを、毎日真横で見ています。あきらかな扱いの差を受けていると自分が暗く湿った地面の底にいるミミズのような気分になります。 それがつらくて「相手がこっちをどうでもいいと思うなら、こっちも相手をどうでもいいと思うしかない」と考えるようになり、それが態度に出るらしくますます扱いの差は酷くなる一方です。 これまでの経験上、皆と仲良くしようとしても結局差別は受けます。仲良くしようとしなければ、差別は酷くなるだけです。 万人に好かれる人はいないという言葉を何度も聞きますが、あまり心に響きません。なぜなら、どこへ行っても10人いれば8人に好かれる人もいる一方で、私はどこへ行っても10人中3人にしか好かれない人間だからです。 自己肯定、他者肯定、色々な考え方がありますが、結局行き着くところは人から認められたいです。でもどうすれば…。年老いて死ぬまで他者と自分を比べて地中のミミズのような気持ちで過ごさなければならないのでしょうか。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

自傷癖が止められません

初めてご相談をさせて頂きます。よろしくお願いいたします。 掲題にございます通り、10年以上、自傷癖…リストカットや抜毛、自らを殴打、薬を飲み過ぎる(OD)などを止めることができません。 心療内科にも通い続け、また、こうした精神状態を理解してもらうのには長くなりましたが片親(離婚しております)である母の理解も得られていると思います。 友人にも少しずつこういった症状を打ち明けることもできています。 皆、大事な人たちです。 理解ある人に囲まれて、自分でも恵まれた環境だと思います。 しかしなぜでしょうか、時折とても苦しくなってしまうのです。 素晴らしい家族であるし、とても思慮深く優しい友人達がいます。ただ、それが私には眩しすぎて、自分がとても醜く劣って、そばにいて恥ずかしいと思われてしまうのではないかと、強く思って苦しいのです。 そんなことを考えていると、ふと腕や足、腹から血が出ているのです。とても後悔します。でも同時に、ああ、こんな駄目な自分に罰を与えた…だから安心していいんだよ。と言われてる気分にもなるのです。 大事だと思う人たちがいるのに、そういう人たちに心配ばかりさせてしまう自分が情けなくて、余計に悪循環に陥っています。 長くなりましたが、そういった経緯で自傷癖が止められずにいます。弱くてすぐそういった自傷に甘えてしまう自分と向き合うには、どうしたら良いのでしょうか。 お知恵を貸して頂ければ、大変幸いです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 22
回答数回答 3

父に着信拒否されました。

私の父は、家族思いで一生懸命に働いてくれています。 父も私もお酒を飲むので、お家で二人で飲んだり映画の話をしたり家族仲は悪くはないと思います。 本人には伝わってないかもしれませんが、私は家族が大好きです。 父は今年定年を迎え会社を辞めました。 その後別の会社に入り、遠く離れた県の人手が足りないところに何ヵ月か派遣されるような形で働いています。 今までは長期出張もしたことがなかったのに今ではホテル暮らしで2週間に2~3日家に帰ってくる程度で、帰ってきても全くゆっくりありません。 最初の話では暫く働いたら暫くお休みという予定だったようです。 しかし仕事はとても忙しいようでプレッシャーも大きく、長期のお休みを申請したところ後1ヶ月は帰ってこれないらしく落ち込んでいました。 元々少し神経質で考え込む性格のため、最近ますます元気がありません。 精神的にもまいってきている様で、笑いながらですが軽い鬱だと自分で言っていました。 先日父に母が電話を掛けたところ何回掛けても通話中で繋がりませんでした。 そこで私が掛けてみても通話中でした。 ネットで調べたところ、着信拒否された状態と一致しました。 一時間後、折り返し電話がありましたが誰とも電話しておらず携帯の音も鳴らなかったと言っていました。 父はパソコンも機械も得意な方で、間違えて拒否設定をするような事は無いと思います。 母も着信拒否されていることに気付いているかもしれないので、その事について私が話せば疑惑が確定に変わると思い話しません。 家族を着信拒否するとは相当の事だと思います。 父に電話しても折り返しがあるまで心配で、LINEをしても既読が付いて返信があるまで不安で心配で堪らなく、つい泣きそうになってしまいます。 父が自棄をおこしていまわないか、もう二度と会えなくなるのではないかと不安でたまりません。 両親や知っている人に話してしまうとますます現実になりそうでどうしても話したくありません。 ですが、涙が止まらなくなったり考えがまとまりません。 父は私の事が嫌になってしまったのでしょうか?

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

仕事が決まらずに焦ってしまう

心が落ち着かないので相談をさせて下さい。 結婚をしてからの新しい生活に慣れたので、パートかアルバイトを探しています。 前職と同じ販売職でなるべく遅番が無い、日中の時間帯で探しているのですが…… そのせいなのか、なかなか見つからず、焦って落ち着きません。 受けたいと思う求人をやっと見つけハローワークで紹介状をもらおうとすると、ついさっき他の人に採用が決まりましたと言われる事もあり、焦るし落ち込んでしまいます。 旦那さんや母に相談をしたら、ジタバタしても仕方がないから落ち着くようにと言われました。 仕事も縁で決まる時はスパッと決まるからそれまで待つように、とも言われました。 やっぱり、仕事も縁、なのでしょうか? 縁ならばその時が来るまで、就きたい販売職には関係はありませんが、前から興味がある資格を取得するために勉強をしながら待とうと頭では思うのですが…… 気持ちが早く仕事を見つけなきゃ!と焦りジタバタと落ち着かなかったり、なんで全てが上手くいかないのかなと落ち込んで元気が無くなったりします。 仕事と良いご縁で結ばれるように、焦らずに落ち着くためにはどういう心構えでいれば良いでしょうか? 資格を取得する勉強をしながら待つ、という心構えは間違いでしょうか? 焦らずに落ち着いて、落ち込まずに元気に、生活を送りたいです。 アドバイスをよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

健康の大切さが痛いほど感じた夏

7月下旬、勤務先にて急きょ体調不良を起こし救急車搬送され大学病院にて、緊急手術を受診しました。 手術後は暫く集中治療室で24時間体制で医師や看護師の皆さんが体調だけでなく身の回りのお世話にして下さいました。 一般病棟へ移り40度の発熱が数日間続き、それでも医師や看護師の皆さんがお世話をして下さいました。 退院から数日間が経ち単身独り暮らしの為、日常の買い物から生活面に於いて自分一人でしてゆくなかで、殆ど寝たきりで過ごしていた為にリハビリ歩行から始め自らの体力の衰えを感じました。今の私に出来ることを少しずつ始め今では随分と生活出来るまでに回復をすることが出来ました。 そのような最中に西日本で災害を受けながら両親が大変な状況のなかで駆けつけてくれたこと本当に有難いものを感じました。 体調不良から1ヶ月近くが経ち、職場復帰も目前となりましたが如何に健康で過ごせることが有難いものかを痛感をして、外来検診の帰り道に文章を書いていますが言葉に詰まることがあります。 以前、先人は熱さが喉元を過ぎたら忘れると仰っていた言葉がありました。 私は、この夏の経験を忘れることなく何が出来るか解りませんが経験を少しでも仕事に生かしてゆきたいと思い感じております。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1