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hasunoha 問答検索結果 : 「夢」

検索結果: 4332件

いじめに遭った私の方が辞めることに…

パート先で、いじめにあっていました。 相手は同じパートさんで、2年前同じ時期に入った人(一人)です。 店長にも相談したら、 「君が何かしたわけじゃない。俺が何とかするから仕事を頑張って欲しい」 と言われて、それを信じてました。 ですが、エスカレートするばかり。 仕方なく、パート先(大手チェーン店)の本社相談窓口に行きました。 店長にヒヤリングをした結果、 いままで何の対応もしていなかったそうです。 その後、本社の人と店長が話し合い。 シフト予定の分の時給は払うし、 (物を投げつけられるようなこともあって) このままじゃケガをするかもしれないし、辞めたらどうかと言われました。 心身ともに疲れ果てていた私は、それを受け入れました。 後悔はしていません。 次はきっと、もっといい条件で働ける!とか、 空いてる時間で今まで出来なかったことをしよう!とか 新しいこと覚えるの面倒だけど、新しい場所や人に出会える!とも思えます。 でも。 管理者は何もせず、加害者がパート先に残り、 被害者である私が辞めなければならなかったこと。 この結果が理不尽で、悲しく、苦しいです。 次の仕事が決まらず、このまま首をくくることになったら… なんて不安にも襲われてしまいます。 何かお言葉をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 178
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どうすれば学校に行けるのかわかりません

学校が嫌いで嫌いでとても行きたくありません。 元々小学4年生の後半くらいから学校への苦手意識が出てきてそれからずっと不登校で今更っていう恐怖心もあるんだと思います 行かなくちゃいけないとわかっていてもやっぱり学校には行きたくなくて、 正直行きたくない理由はないんです、親からはどうせめんどくさいからだろ?と言われてきたんですが、激しい嫌悪感と恐怖心があって 親や学校から「何故行けないんだ、何がダメなんだ、何が嫌なんだ」と聞かれる度ストレスを感じるようになり、 なんで行けないんだろう、理由がないってダメなことなのかな、もしかしたら自分がどこかで甘えているだけかもしれない、ととことんネガティブになっていってしまい 最終的には鬱になりかけるまでになってしまって、日常の些細なことでどうしようもないくらいに死にたくなったり、ふとした瞬間に自分はこれからどう生きていくんだろう、学校も行けずに生きていくことなんてできるのだろうか?こんな自分は生きていてはダメではないのだろうかと考えるようになりました 親からの「こんな子に育てたつもりは無い」や祖父からの「なんで弟はあんなに出来ていて愛想もいいのにお前はダメなんだ?」という言葉を聞くと怖くて怖くて いつか自分は親にも見放されて独りぼっちになってしまうのではないだろうか、親の思い通りに育たなかった自分は死ぬしかないのかもしれない、親不孝だ、死にたい、と何度も思うようになり遂に自傷行為に走りました 誰にも相談も出来ず、元々人に自分の話をするのがとても苦手で、親が連れていってくれた病院のカウンセラーさんや学校のカウンセラーさんにも本当のことは言えずにヘラヘラ笑っていたら結局独りになってしまい 友達にもネット上でもこの気持ちを話せずにいつもいつもただひとりで泣いて、親の前では何も無いように笑って振舞ってそれが本当に苦しくなってここならどうにかしてくれるかもしれない、と思いました 親にも友達にも相談が出来なくて、 というか誰も信用出来なくなってしまっていっつも疑心暗鬼で生きていて、 親が怖くて、人が怖くて 学校に行って親に見捨てられないようにしたいのにやっぱり行けないんです、怖いんです、震えてしまうから怖いんですなのに私の心の問題のせいでうじうじ閉じこもっていて、どうやったら私は学校に行けるようになるのでしょうか

有り難し有り難し 127
回答数回答 7

仏教徒に対する疑問パート5

お坊様これは対機説法の修行だと思って怒らずに聞いてくださいね 因果の法則についてですが 前回の質問の答え見て思ったんですよ 蕎麦のレシピなんか見ないで(原因)蕎麦を食え(結果) ごんぎつねは悪戯の過去を見ないで(原因)今反省して修行しろ(結果) 理屈で考えるから真理がわからない(原因)実際に修行して真理をわかれ(結果) 過去や未来や死後なんかより今という悟りの境地 これって因を無視した果の法則ですよね 前回言った、人間も娑婆の世界も全てのものは最初何に作られたのか? きっと煩悩の塊の無明でそれは 何かに作られそしてそれも何かに作られそれも何かに作られ 永遠と原因と結果が連なって最終的に本物の原因は見つからず結果だけが見つかる 因を無視した果の法則 悟りも煩悩の塊の無明も因を無視した果の法則なら 悟りも煩悩も同じフィールドにいるんじゃないですか? というかこの世界そのものを先に作った煩悩の塊の無明のほうが先に 因を無視した果の法則としてあったわけですから悟りすらこれの産物じゃないですか? だとしたらやっぱり悟りも煩悩と同じフィールドにいるんじゃないですか? 悟り開いたら煩悩はなくなるらしいんですが お釈迦様が悟り開いて涅槃の境地行ったのに梵天に頼まれて 輪廻から解脱しないでまた娑婆の世界へ戻るって話って 煩悩である梵天と悟りであるお釈迦様が同じフィールドにいるような気がします お釈迦様は本当に煩悩がなくて悟ってる根拠はなんですか?

有り難し有り難し 81
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阿弥陀如来様は実在しないのですか?

私は阿弥陀如来様が大好きです。 毎日救っていただくことへの感謝として念仏を唱えています。ハスノハでもたくさんの問答を見るのが楽しみです。 ところが、先日、ハスノハで真宗のお坊様が「極楽浄土があると信じていない」人への解答で、「阿弥陀如来様や浄土というのは働きのことで、実際亡くなった人が浄土という場所で生まれ変わるということではないのだろう。だから浄土とはこの世での働きのことで、死後の世界としてあるわけではないと思う」「仏様というおとぎ話を使って今生での安寧を得るのだ。だから阿弥陀如来様が実在するか否かはどうでもよい」「自分も科学的に極楽浄土の世界は懐疑的」 という旨のことを仰っているのを拝見しました。一人ではなく何人かのお坊様がそういったことを仰っているのを見ました。 誤解していただきたくないのですが私はハスノハのお坊様方のことを尊敬しております。ですが少なからずショックでした。私は今生で死んだら、阿弥陀さまに迎えに来ていただいて極楽浄土に生まれ、そこで仏となる修行をできることを嬉しく思っていたからです。 また、何があっても阿弥陀如来さまがいつも一緒にいてくださることが喜びであり、心の支えです。 法話を聞いたりしていると、「阿弥陀如来様という素晴らしい仏様がいらっしゃる(=阿弥陀如来は実在する)」「死んだら極楽浄土にいき仏になる(=極楽浄土は実在する)」とお経も親鸞様もハッキリ仰っているように思います。 阿弥陀如来様や極楽浄土の存在を確信するのが、浄土真宗ではないのですか? 私が、元はキリスト教を学んでいたこともあって、阿弥陀如来様や極楽浄土への解釈が違うのではないかと不安です。 (極楽浄土と天国は、極楽浄土は阿弥陀如来様の国(他の仏様もそれぞれ浄土をもっていらっしゃる)。という違いだと理解しています) 私はこれからも阿弥陀様といつも一緒だと思っていても良いですか?

有り難し有り難し 194
回答数回答 7