今恋愛市場で男に求められるしんどさが辛いです。 割り勘だとケチ扱いされ、女性は自分より上の学歴職歴を求める。もちろんルックスも。 年が上がれば年収や社会的地位を求められ、少しでも家事育児に協力しなければ文句をSNSで撒き散らかされる。 自分は家事手伝い、フリーター、派遣社員でもいいけど、求めるのは上の立場の人間だけ。 男は常に競争に巻き込まれて、終わりのない職争いで戦って... 男なんて捨て駒みたいなものですよね 他に気遣いや配慮をしても少し足りないだけで文句を言われる。どこまでいっても終わりが見えません。これでは奴隷と変わりません。男の気持ちすら察してもらえません。もう男でいることに疲れました。 男の孤独感、男の辛さ、男のしんどさを理解してくれるような、心の内面の器量よしの女は今、本当に少ないです。 自分はソコソコの学歴とルックスを持っていますが、寄ってくるのはレベルの低い性格の良くない女性ばかりでした。 かつて何人とも女性と付き合いましたが、自分が精神的に調子が悪くなったら、いろんな理由をつけて、さっさと切り捨てられました 過去の恩師の自死を付き合う前の子に話すとそれから縁を切られました。 かつての彼女には散々大切にしてきました。相手の心が不安定でも夜中で何度も話を聞いて、支えて、腕切らないようにして、常に話を聞いて...。でも、軽いノリのイケメンの自分の友人と浮気していました。 結局、誠実に、真面目に大切にしても、ただ利用されただけでした。 もう、このベリーハードなレベルの男の人生が嫌になりました。 女の子は誰も支えてはくれませんでした。自分は必死に支えましたが。 男として生まれて、損した気分でしかないです。もう疲れちゃいましたね。 鬱の気もあります もう過去の嫌な気持ちに囚われてばかりで、もう心持ちだけでどうにもならないと思います。 現実問題として、もう男が恋愛でズタボロにされるだけの現状に嫌気がさしてきました。 簡単に浮気され、支えてももらえず。都合が悪くなったら簡単に切り捨てる。 そして、女という性を活かして、自分より上の人間しか望まない女性に対してうんざりしてきました。 こんなことを書いたら怒られるかもしれませんが、こんなグロテスクな光景がかなり多いです。もう嫌になってしまいました。ごめんなさい。疲れました。
先日、年忌法要の為に帰省したのですが、そこで受けた説法が今も引っ掛かっています。 その説法とは『身内葬で済ますのは不幸なこと』『親族の傲慢』といった内容で、 (忘れようとしているのか)細部まで記憶していませんが、とある事情から恥ずかしながら非常に怒りを覚えました。 その事情とは、年忌の前日に別の親族が亡くなり、事情から親族だけの葬儀にしていたからです。 つまり、その説法と亡くなられた親族が被ってしまい、 『なんて身勝手なことを言うのだろうか』という怒りがあったのだと愚考します。 ただ、親族の代表として向かった手前、怒りを堪えたものの、未だにお坊さんが唱えられた話が引っ掛かっています。 身内だけの葬儀は悪いことでしょうか?確かに親族や友人、知人を呼んで大きく葬式を行うのが一般的でしょう。とはいえ、それが絶対かというと腑に落ちません。 また、説法を行ったお坊さんとは今後も顔を合わせることになるでしょう。 その時にどう顔を合わせたものかと思うと、辛いものを感じます。 (今は説法に対する怒りの感情というより、疑問が凝り固まっているような状態です。) 不躾な文ではありますが、ご教示願えればと存じます。 余談ですが、出来れば浄土真宗本願寺派のお坊さんのアドバイスを頂ければ幸いです。 もちろん他宗の方のお話もお聞きしたいです。
生の先に肉体の死があり、その先に輪廻転生があるならば、また生の前に戻り、その先に生がある。 ならば、肉体の死を自然に任せなくとも良いのではないでしょうか。 辛い生を送り続けるより、早く新しい先へ進んだ方が良い。 それが逃げであっても。
日本と海外で、遠距離恋愛をしてきた人と3ヶ月前に別れました。自分は付き合いはじめてからずっとこの人は自分にとって、絶対に一緒には居られない人だと思いつつ、一方で「いい時」はとても幸せでした。自分が望んだ別れ、でも今でもその人の事が忘れられません。 どうしたら前を向いてしっかり歩いていけるでしょうか?
こんにちは。 先日大学を中退しました。 辞めることについて1年間1人で考え続け、結果中退しました。 今思えば早くに親に相談をすれば良かったと思いますし、ひとりよがりになっていて、親に相談するという当たり前のことができませんでした。 中退を考えていた1年間は大学に行くことができず学費を無駄にしてしまいました。また、その1年は趣味に没頭しバイト代も注ぎ込んでしまって貯金もしていませんでした。 今は専門学校へ行こうと考えていますが、頭の中ではもっと早く親に相談しておけば学費も専門学校に回せたし早くに入学ができたのにとかわたしはなんでお金の無駄遣いばかりしたのだなど後悔ばかりです。 親は自分の親(わたしの祖父)から「お前の育て方が悪い」と怒られてしまったと言っていました。 どうしてこんなに出来が悪いのだろうと思います。 周囲の人と比べて劣っている気がしてなりません。 そういった気持ちのせいで自信がなく、世渡りがうまくありません。 あと、大学を辞めた際、親から「馴染めなかったんだね」と図星をつかれ少し腹立たしくなりましたが結局本当にそうで、これからもわたしはどこに行っても馴染めないのではないかと不安で仕方ありません。 話せる人がいないためこのような場があって良かったです。
来年度から社会人になる大学生です。 ありがたいことに内定を頂きましたが、入社予定の会社はいわゆる"ブラック企業"です。 朝は8時から終電まで働かされ、体調を崩して退職する人が後を絶たないそうです。 いまさらもう一度就職活動をしても内定をとれる気がせず、この会社に入社すると決めてはいますが将来が不安です。 死ぬほど働いても何になるのでしょうか。 守るべき家族も持たず、自分の余暇を楽しむことができない人生に意味があるのでしょうか。 かといってフリーターになる度胸もありません。 自分でも何をどうすれば分からない状況です。 住職様、何かお知恵をお借りできませんか?
去年11月に病気で大切な母親が永眠しました。84歳でした。一周忌に墓に納骨をしようと準備していますが、母親の先祖代々のお墓のある寺に問い合わせたら、墓の管理者の許可が必要といわれました。母親は四姉妹の末っ子で長女と母親が先祖代々の名前です。長女と母親は生前あまり仲良くなかったらしいのですが、母親は代々のお墓に入るのを望んでいました。長女には何の遠慮もせんでいいよと常々言ってました。長女親族とはずっと連絡などしてこなかったのですが、墓の管理者となるとやはり長女の子供たちでしょうか。長女も生存してるのか不明です。今名古屋に住んで30年経ち、代々の墓は石川県で遠方で、数年に一度母親共々墓参りしていました。自分は40代独身で父親と姉の3人です。まだまだ一周忌経ってないので日々淋しさと悲しさは溢れた日々です。 代々の墓に普通に入れると思っていたので、今不安と一番最善はどうしたらいいか、そして、自分もおそらくこのまま独身で生きてくと自分が亡くなった後の不安、母親と同じ場所に絶対に入りたいのでどうすればいいか、、是非ともアドバイスいただけけたらと思います。 もし、先祖代々の墓に母親が入れないと母親との約束が果たせない辛さ、悲しさとか強く抱いてるので、不安です。 片足が不自由だった高齢の母親といつも一緒にいれたことが凄く幸せでした。側にいて当たり前と思ってた大切な存在だったので悲しみと淋しさもとてつもないです、、 今はまだ母親の遺影と遺骨をミニ仏壇に添えて日々お参りしています。涙が止まりません。 今後の残った自分、高齢の父親、姉の3人も絶対に母親と一緒に永遠にいたいのでその点も含めてアドバイスよろしくお願いします。。
一休さんはとんちが得意なのですが、お坊さんはみんなとんちが得意なのですか? どうやって磨くのですか?とんちが得意になりたいです。
仏教にとって、急速に進む少子化は悪なのでしょうか? 仏教に「産めよ増やせよ」の概念は基本的になく、悟りによるこの世からの卒業を目指す宗教だと思います。 そもそも社会から隔絶して悟りを目指す 集団が仏教のオリジンでもあり、その後世俗化やらが進んでからも、浄土真宗以外の僧侶は独身が基本という建前(崩壊してますが)もあるはずです。 如来や菩薩がこの世に戻ってくるのも、まだ救うべき衆生(一般ピーポー)が残っているからという理屈ですよね?救出すべき対象がいなくなれば、救急隊員は現場から引き揚げるし、それを心から望んでいるはずだす。 このあたりの矛盾に真摯に答えている回答がネット上に見つかりませんでした。いかに寺の収入を維持するか?しか頭にない方が大半に見えます。 人々のために寺があるのか?寺のために人々が利用されてるのか?どちらなのでしょうか? このままなら確実に日本人口は縮小するし、外国人が増えて仏教自体も駆逐される可能性が高いです。 こうした状況を踏まえ、仏教が本来取るべきスタンスはどんなものか?ぜひお教えください。 個人的には、少子化は必然として放置で良く、国と同じように宗教組織もダウンサイジングすれば良いと思っています。仏教はそれに抵抗すべきではない、という考えです。 ごまかしのない回答には御礼をお支払いします。
妻がいて、数か月後には子供も産まれます。 それなのに、他の女性に恋心を抱いてしまいました。 俗に言う、両想いです。 いけないと頭では理解しているのですが、どうしても気持ちに逆らえません。 どうしたら良いでしょうか??? もちろん妻のことも好きで、産まれてくる子供のことも嬉しく思っています。