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問答一覧
検索結果: 5047件
2023/06/24

前住について

こんにちは 「問答」に同様な内容があり、相談していいか悩みました。 たまたま恋愛した方がお寺の長男で2年前に帰省し彼が住職となり私が坊守となりました。私は在家で両親は生前は全くお寺との付き合いをしていなかったので私もお寺の知識はありませんでした。 彼の両親は最初は私との結婚に否定的でしたが、息子が後継ぎとなることで止む無く許してくれたようです。(最初は彼は後継ぎを拒んでいました。) 結婚前に坊守の仕事を全く教えてもらわなかったので、仕事内容を覚えるのに必死な毎日でしたが、前住・前坊守の私への当りがきつく毎日辛いです。 一番辛いのは私の亡くなった両親のことを悪く言われることです。両親が亡くなったとき、嫁ぎ先の宗派(浄土真宗)とは違うお寺(浄土宗)でお葬式・法事をしましたがその事についてひどく非難されます。細かいことを申し上げればきりがないのですが 「だからお前の親はろくな死に方をしなかったんじゃ」と言われ とても悲しかったです。そのことを夫に伝えましたが、そんなこと 聞き流しておけばいいと相手にされませんでした。(もともと、夫と義父は仲が悪いです) 他にも私の態度や色々なことについて罵声を浴びせられ我慢しますが、その度に「ろくな死に方をしなかった」の言葉が思い出され涙が止まりません。 この先も罵声は無くならないと思いますが、その際、私の心をどのように整理していけばよろしいでしょうか。

有り難し有り難し 12
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知識欲は煩悩なのでしょうか

私は人文系の学問を勉強している大学生です。私は高校生の時に勉強の面白さに目覚めて以降、現在まで自らの知識欲に任せるままずっと勉強に自分のすべての時間を捧げてきました。とりわけ私が時間を捧げているのは西洋哲学、イスラーム学、近代日本文学そして語学です。  学問というのは恐ろしいもので一つを知ると十の分からないものが現れ、学びたいものは指数関数的に増えていきます。そしてゲームやギャンブルと違って飽きるということも無いのです。私は今まで好きなだけ勉強してよいという学生の特権に任せて非常に幸せな時間を過ごしてきました。しかし、周囲から就職の話がぽつりぽつりと聞こえてくる時期になり、将来を考えるにつけて自分に残された時間のことを考えるようになりました。    まだ数十年の時間が残っているとはいえ就職したら自分の時間はぐっと減るでしょうし、年を取るにつれ記憶力も減衰していってしまうことを考えると残された時間は私が学びたいものを学ぶのはあまりにも短すぎます。自分が「まだ勉強したい」と思い続けながら死んでいくのかと思うとなんとも言えない恐ろしさを感じます。    物欲や色欲といった煩悩なら執着を捨てることもできそうですが、知識欲は同じ「欲」でも他の煩悩とは明らかに違った性質を持っているように感じられます。仏教でも「一切の欲を捨てよ」と説くと同時に、膨大なお経を勉強することはむしろ推奨されるのがその一例かと思います。  しかし、知識欲も人を苦しめるという点では煩悩と同じです。勉強の中で自分の思考の深化と相対化に喜びを感じる時に、これから学びたいことを考えていつも絶望してしまうのです。でもだからといって私には「学ぶことをやめるべきだ」という結論は出せません。「学ぶ」ということは何にもまして崇高で、私にとっては人生の意味そのものです。  私のこの恐怖はどうやって解消すればいいのでしょうか?  仏教を勉強されている皆さんなら欲と学びというジレンマについて考えたことがあるのではないかと思い、このサイトに投稿させていただきました。  長くなってしまいましたが、私からの質問をまとめると以下の2点になります。 ・知識欲は捨て去るべき欲なのか ・知識欲が捨て去るべきでものでないのならば、知識欲からくる苦しみはどうすればなくすことができるのか

有り難し有り難し 45
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家族を愛せません

家族に嫌いな人がいます。 中学生の頃に病気になって、ほとんど学校に行けませんでした。普通の人が普通にできるようなことができずに、その人が期待することにも応えられなくて、失望されてしまいました。 そのときに生まれてきたことを否定するようなことを言われてから、愛せなくなりました。 病気が治り、その人の望んだこととは別の分野で結果を出せてからは優しくなりました。でもそれが掌を返されたように感じてしまい、更に嫌いになってしまいました。 仮に、私になんの才能もなくても、出来損ないでも、ありのままを愛してほしかったと思ってしまいます。 金銭のことで、父にたくさんの負担をかけ、母を泣かせたことも赦せません。いつも気丈な母があんなに号泣していたことが特にショックで、今もたまに思い出して苦しいです。 人には皆、幸福になる権利があると思うのに、その人が今幸せそうにしているところを見ると、どうしても腹が立ってしまいます。 命に関わるような、ひどい暴力を受けた訳でもないのに、金銭のことも解決したのに、今は優しくなったのに、どうしてこんなことでいつまでも憎み続けているのだろうと思います。 優しい人間になりたいのに、その人のことが頭によぎると心の中でとても酷い言葉を使ってしまいます。 どうすればこの苦しみから解放されるでしょうか。どうすればもう一度愛せるでしょうか。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

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