hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

hasunoha 問答検索結果 : 「自分 人生 」

検索結果: 20340件
2023/06/11

やりたい仕事でない仕事に向き合うのが辛い

詳細はプロフィールに記載させていただきましたが、紆余曲折あり、新卒で販売職に就き、その後職を転々として、今月からまた販売職をしています。 しかし、この仕事は、本当に自分がやりたい仕事ではありません。 奨学金を返済したり、日々の生活費を稼いだりするためだけに、この仕事を選びました。 転職の際は希望の業界・職種の試験も受けましたが、不器用で何のスキルもない私が、必要最低限の収入を得るには、この仕事しかなかったのです。 そこで潔く、腹を括ってこの仕事をやっていければ良かったのですが、そうはいきませんでした。 幼い頃から目指していた音楽の世界は、私にとって、そう簡単に諦められるものではなかったのです。音楽は私にとって唯一の生き甲斐で、それがないと死んでしまいたくすらなります。 音楽は生半可な気持ちでは向き合えません。だから、音楽とは関わりのない仕事をする日々がとても辛いです。販売の仕事をして、私は日々、販売員の顔になっていきます。それは同時に、“音楽をする人の顔”ではなくなっていくということです。 進学も就職も、大事な進路選択のタイミングでいつも音楽を選択できなくて、私はもう、音楽に向き合うに相応しい人間ではありません。 今でも音楽の道へ進みたいと思っているけれど、それがかなうことがないと分かったいま、私はすごく死んでしまいたい。 それでも諦めずに音楽の道を目指すという考えもあるにはありますが、私が音楽をしたいと思っている限り、今の仕事に対しては不誠実な向き合い方をすることになります。 私は、家に帰ったら音楽の勉強がしたいし、お金が少しでもあったら音楽の勉強に費やしたい。 でも、その音楽に費やす時間やお金は、本来ならば仕事のために費すべきなのだと思います。それができておらず、会社やお客様に本当に申し訳なく思います。 乱文になってしまい、申し訳ございません。 できる限り端的にまとめますと、音楽に対しても、現在の仕事に対しても不誠実な向き合い方しかできていない自分が嫌で、この自分を背負いながら今後も生きていかないといけないと考えるともう一刻も早く人生を終えたいです。 今の仕事にどのような姿勢で向き合えば良いか、これから先に希望はあるのか、厳しいお言葉でも良いです、この人生に向き合い、背負っていくための力がほしいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 13
回答数回答 1

良い親に恵まれなかった不幸をどう考えるべきか?

ご質問させて頂きます。ハルソラと申します。 私の人生の根幹的な問題として両親との関係が良くなかったことで、だいぶ長い間苦しんでいます。 私の両親は短的に説明しますと、冷淡で子供とコミュニケーションを取ることをほとんどしない親で、特に父親とは私が30代後半の今になってもいままでろくに会話をした事がありません。 そんなただ食べ物と着る物を与えられ、生かされてただけの実感しかない私の心は小さい時から荒んでいたのだと思います。 愛された経験のない私は自分の存在意義も分からず、学生時代は無気力、社会に出てからはそんな自分を変えようと努力し過ぎて鬱病に、本気で自殺を考える事もありましたし、この世こそ地獄そのものだなとずっと思っていました。 しかしそんな私にも転機が訪れ、30代半ば(つまり数年前)にふと四国遍路に行ってみようと思い立ち会社を辞めて、歩きで八十八ヶ所を結願致しました。 自然の雄大さ、人々の出会いと暖かな態度、また歩き旅の不自由さから日常の便利さを改めて見直し、私は感謝と謙虚の念を学びました。 それ以降も各地を巡礼しながら仏道を独学ですが学ぶ事で、地獄の人生を歩んでいた私は僅かですが平穏さと幸せすら感じられるまでになったのです。 それでも両親との関係は変わらず、たまに思い返すと怒り、悲しみ、後悔、虚無感すら感じる時があり、そんな両親との関係性から自分が子供を生み育てたいとも思わない私が未だにいます。 こんな両親との関係性または私の執着(…でしょうか?)を真に乗り越えるにはどう考え、どう行動すれば良いのでしょうか? お坊さまのご意見、ご回答よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 82
回答数回答 2

死の恐怖ばかり考えてしまい精神と心身を病んでしまいました。

はじめまして。 39歳の男です。夫婦二人で子供はおりません。 2ヶ月程前から、自分にも必ずやってくる死についての恐怖からパニックになったりし、いつでもそれが頭から離れなくなってしまい、精神をおかしくしてしまいました。私は小さな頃から死ぬ事に関して人一倍恐怖として感じていたのですが、これまではただ考えないようにできていただけだったと思います。半年程前から母親の認知症介護や、子供が流産したりで授からないなど、いろいろな出来事から、人の生き死にを真剣に考えるようになり、考えないようにしてきた、いずれくるであろう避けられない自分の死の恐怖が夢の中でも襲ってくるようになってしまい、今は精神科に通い薬を処方して頂いておりますが、良くなる気配はありません。今は前のように笑う事もできなくなってしまい、仕事にも支障をきたす状況になってしまい、これからさきの不安などで自分自身どうして良いのかもわからない状態になってしまいました。 いろいろな死生観の本を読んだりしましたが、頭では今をしっかり生きるという必要性を理解できても、心の中の死の恐怖が勝ってしまっている状況です。仏教を勉強してみようかと思っていますが、何か少しでもアドバイスを頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 146
回答数回答 3

災難が続いています。

もともと波乱万丈な人生だと思います。 それでも、強く生きてきていると思います。 真面目にコツコツと一生懸命生きてきました。 今年に入ってから、そういう努力とは無関係に思われる 災難のような不幸が続いています。 今年初めに、別れた旦那から養育費減額の調停を出されました。 理由は彼の収入減ではなく、わたしの収入増です。 息子に満足な生活を。 そう思い、寝る時間も惜しんで働きました。 収入はその結果増えました。 もちろん、笑顔で受け入れました。 わたしの精一杯の復讐でした。 その後は、実家家族との不和。 いろいろ助けてもらって、感謝の気持ちでいっぱいです。 だからこそ、遠くには住んでいますが年に6〜7回帰り おいしいものを食べにつれていき、旅行に連れて行き 娘のわたしだからこそできる親孝行をしてきたつもりです。 ただ、それを快く思わない兄弟から、わたしが 母親に負担をかけている、と言われ、距離を置きました。 仲がよく、密接な関係だったため、お互いに愚痴はあるだろうと 思ってはいましたが。。。 「わたしが連絡すると負担みたいだから 何かあったら連絡してね」そう母には伝えましたが 「わたしからお前に話はない」と言われました。 そこからは、誰にも相談も連絡もせず一人でしんどいこととも 戦っています。頼れる人は誰もいません。 息子は・・・発達障害があり、人の気持ちが読めません。 家族、という概念が薄いです。悪い子ではありませんが。 そして、交通事故。怪我も未だ治らずです。 ほぼ、相手が悪い事故でしたが、相手が悪く 治療費も拒否され、修理費もなかなか出してもらえない状況です。 もちろん、謝罪もなしです。事故は仕方がないと思っています。 車に乗っていれば、自分が加害者になることもあります。 自分が加害者になった時はいつも誠意をもって対応してきました。 どうして、こんなことになるんでしょう。 今年に入ってから、親との断絶もあり 黙って、誰にも相談することなくもくもくと耐えてきました。 きっと、頑張っていれば流れが変わる、と信じて。 それともわたしには見えていないわたしの悪い部分がやっぱり あるんでしょうか。頑張っていることくらいしか取り柄がないです。 なんでもかまいません。 わたしに言葉をください。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2