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検索結果: 426件

大好きだったおじいちゃんの死を受け入れる

初めて相談させて頂きます。29歳女性あかりです。 わたしが生まれた時から家族のように可愛がり育ててくれた近所のおじいちゃんが、余命1か月の宣告を受けました。 病名を聞いた時から、もう長くないことを知っていましたが、段々弱っていくおじいちゃんを見ると胸が張り裂ける思いです。 わたしの一番の願いは、おじいちゃんが少しでも痛み苦しみ少なく楽に、残された時間を過ごしてほしい。と思うのですが、 おじいちゃんとの思い出がたくさんありすぎて、こんなに身近な人を失う経験が初めてで、悲しいとか辛いとかよく分からない、どうしようもない気持ちで押し潰されそうです。 おじいちゃんが幸せだったと思える人生だったかな?亡くなる前におじいちゃん自身の人生を満足して旅立てるかな?とか、ここ最近ずっと考えてしまいます。 今はもう直接聞くことができませんが、おじいちゃんが満足できた自分の人生を歩んでこれたなら、私のこの悲しみも少しは和らぐのですが。。 痛みを伴い苦しい病気の中でも、安楽な気持ちで最期を迎えることができますか? そして、残される側の気持ちを実感していますが、どんなふうにこの悲しみを乗り越えていけば良いのかを悩み相談させていただきました。

有り難し有り難し 8
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娘の自死、乗り越える力がありません

半月前に、娘を自死で亡くしました。昨年、夫からの暴言、暴力に耐えかねて家を子ども2人と出て、住居が分からないように暮らしている最中の出来事でした。暴力を一番受けていた娘は、不登校になり、引きこもりがちになりました。しかし、9月からは学校に少しずつ行き始め、楽しい、友達ができたと嬉しそうにしていたのです。それなのに、体調不良で学校に行けなかった日に、私が仕事から帰ると、娘は帰らぬ人になっていました。芸能人の自死のニュースを見た形跡もありました。朝、もっと声をかけて励まして出かければ良かったのに、疲れがピークだった私は、不機嫌な感じで接していました。また、学校に行けない日は、ゲーム機や大好きな漫画や工作の材料などは、取り上げていたので、今考えると精神の安定のために与えておけば良かったと後悔でいっぱいです。 小さい頃のような輝く笑顔を、最近では全く見なくなっていたことに、後で気づきました。沢山話しかけてきた時は、抱っこしてギュッとすることもありましたが、体調不良で生返事をしてしまうこともあり、もっと真剣に聞いてあげれば良かったと思います。ヘルペスも酷くて、病院にもかかっていましたが、鬱があったのなら、治療してあげれば良かった…。後悔だらけで、自分が生きている意味が分からなくなります。虚無感におそわれ、何もかも嫌になります。こんな私が生きる意味って何なのかと思います。息子がいるので、何とか頑張っていますが、これから何を考えて生きていったらいいのか、分からなくなります。教えて頂けたらと思います。

有り難し有り難し 32
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父の死について後悔ばかりです

父が亡くなりました。 父は、うつ病の症状だったと思われ、病院に行くように行っても頑なに行かず、救急車も乗車拒否し、私から見れば、数年をかけて緩やかな自殺をしているようでした。 父は自分の症状に気づいていながら放置し、母や娘が何を言っても無駄なようでした。 はじめ、1ヶ月父のことを介護し、そのあと症状が悪化し、脳が正常に働かず、私のことが分からなくなったりアルツハイマーのような症状がでました。 その後、奇跡的に復活し、父曰く、私が夢の中に出てきたようで、それで復活したと言うのです。 その時は本当に嬉しく、感謝し、これでまた父は元気になってくれるものだと信じていました。 しかし、お酒とたばこをやめず、症状がまた悪化してしまいました。 また介護生活が始まったのですが、私はショックで、父には健康に長生きしてほしかったこともあり、かなり酷い言葉をたくさん言ってしまいました。 最後、父の耳がものすごく遠くなった日があり、その時に私は、これは末期症状だと思いました。 そう思いながら、自力で起き上がれない父に、起こしてと言われ、起こしてあげることができず、最後、「もう無理」と言って父を放置してしまいました。 その後、母が家に帰宅し、父を起こしたあと、父は意識不明の状態になりました。 救急車を呼び、心肺停止状態が続き、1度脳死の状態になったあと、息を引き取りました。 父に対しては、後悔があまりにも沢山残っていますが、やはり最後にかけた言葉が酷い言葉なことを悔やみきれません。 父は世界で1番私の事を愛してくれていました。 私は父の性格をなんとなく理解していて、父はずっとずっと悲しみの中にいたのだと思います。 父が亡くなり、楽になったのならよかったなと思う反面、やはり最後が酷い言葉で終わったことを悔やんでも悔やみきれません。 父にもっと色々なことをしてあげればよかったと、酷く、酷く後悔しています。 家で転けた状態の父を放置したこともありました。 父にひたすら健康に生きて欲しかったのですが、そのために私がもっと動くべきだったと思います。 このままでは、悲しみと後悔にひっぱられて父に会いにしまいそうです。 でも母のことを考えるとやはりひっぱられないようにしたいです。 私はこの後悔とどう向き合って生きていくべきでしょうか。

有り難し有り難し 8
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父の死 後悔ばかりです

先日父が70歳で急死しました。 亡くなってから1ヶ月ほど経ちましたが毎日苦しいです。 私の判断ミスで亡くなったんじゃないかと後悔しています。(時間の都合であまり評判の良くない病院に連れて行ってしまいました) また、生前も、私は自分の事で精一杯で父の事を気にかけてあげなかったと今になって後悔しています。 父の借金を知りながら助けなかった事が後悔ですごく苦しいです。 借金はパチンコで出来たものだと思いますが、事情があって5年程前に私だけが知ってしまいました。 その後兄に相談したものの自分は直接父に言われていないからと特に動いてはくれませんでした。 母には言えませんでした。昔から父にはお金で苦労させられたようなので、言ったらショックで家庭崩壊していまうんじゃないかと思いました。 私はお金がなく助けませんでした。 でも、お金がない理由が、仕事と病気(強迫性障害)のストレスで外食費や服飾費等に給料を全部使っていたからです。 リボ払いもしていました。 さらに、車の購入費や車検費用が払えず、母に援助してもらっていました。 父は持病があり通院していましたが、最近症状が酷くなっていたようなので、もしかしたらもっと違う治療がしたかったかもしれませんが、私が母に金銭的に迷惑をかけていたばかりに、母に言えなかったのではないかと思います。 借金の負い目があるからなおさら言えなかったのではないかと。 今になって色々分かったから言える事かもしれませんが、高齢だと新たに借りる事は出来ないんだから、私が何とか工面して今ある借金は精算してあげて、借金というストレスをなくしてあげれば良かった。 今思うと、はっきりと助けてとは言われてないですがSOSがあったような気もします。 亡くなる何ヵ月か前に、1万円貸してと言われて貸し後日返ってきたり、俺に投資しないかと言われたり、その時にもっときちんと話をすれば良かった。 でも、亡くなるまで私は自分の事で精一杯で気づけませんでした。 浅はかでした。 母にすべてを話し謝りました。 お前は悪くないと言ってくれましたが、本心では違うんじゃないかと思ってしまいます。 美味しい物を食べても、好きだった服や雑貨を見ても、これらを欲求のまま買ったばかりに父や母に辛い思いをさせてしまったと思うと何も楽しめなくなりました。 私はどうしたらいいでしょうか?

有り難し有り難し 29
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2022/12/06

家族の死に耐えられません

今朝未明、母が亡くなりました。 もともと弱点のある体質の人ではありましたが、 身体をいたわりながらも私と二人で何度も旅行しており、一緒にいろんなお寺、お宮にお参りしたり、美味しいもの、楽しい事をたくさんしました。 私が実家を離れて一人暮らしをしていましたが、毎週欠かさず電話もして、一度電話すれば何時間も話し続ける仲のいい親子でした。 その母が、去年突然脳梗塞を患い緊急入院、ずっとコロナ禍でお見舞いもいけず、母も身体が思うように動かせなくなったため電話もままならず、それでも来年には退院できるかも?と言う話を聞いた後に亡くなりました。 冷静で博識で頭の良い母でしたが寂しがり屋で、家族に会えない、外出もできない入院生活はどんなに辛かったかと想像するだけで胸が苦しいです。 お揃いで買ったぬいぐるみを差し入れたり、病院のスタッフさんの手厚いサポートで通話したりして、ひょっとして調子戻り始めた?と思った矢先に…でした。 私にとってはこの世で唯一私を愛してくれる人が母で、また私がこの世で唯一愛する人も母でした。恋人など他に愛する人はいません。 私自身、結婚どころか愛する人ができる可能性もなく、 またロスジェネですが底辺世代なりに、なんとか世の中にしがみついてかじりついて生きてきましたが年金を含め自分の将来に希望を持っていません。 そこにきて唯一の愛も失ってしまって、これからどう生きたらいいのか見当もつかなくなりました。 私の残りの寿命を母にあげられたらよかったのに。 なんで生きてても何の希望もない私が生きて、優しい母が亡くならなくてはいけないのか、苦しくて悲しくて、どうしようもないです。

有り難し有り難し 21
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大切な愛犬の死

2年前3頭飼っていた犬の1頭(次男坊)を突然亡くなり、昨年も1頭(長男)を病気で亡くなりました。 長男の子は看取る事が出来たのですが、次男坊は看取る事が出来ず、朝も普通に食事を摂っていたので病院で亡くなっている姿を見た時も今も受け入れらていません。 亡くなる数日前から変な咳をしていた事に気付いていながら、病院にすぐに連れて行けなかった事、亡くなる前日に病院に行ったにも関わらず、検査を先延ばししてしまった事が悔やまれてなりません。亡くなるまで苦しかったに違いありません。 私は専業主婦で貯金もありません。夫には犬の病院代をお願いすると嫌味を言われるか一万円だけ渡されるかのどちらかで、咳に気づいた時も言えませんでした。 やっとの思いで言った時も一万円渡されただけで、亡くなる前の日に検査もしてあげられませんでした。 私の連れ子なので、お金を出すのを嫌がられても仕方がないのかもしれません。私が貯金もないのもいけなかったのだと思っています。 でも未だに自分への怒りと夫への怒りと次男坊への「ごめんね」しかなく、もしかしたら助けてあげられたのではないかという気持ちが2年経っても消えません。 私が殺してしまったのと同じなのですが、次男坊はちゃんと虹の橋の袂に迷う事なく行けたのでしょうか?どうして助けてくれなかったの?と思っているでしょうか? 看取ってくれたのは病院の先生だけだったので、怖かったり寂しかったりしなかったでしょうか。 私があの世に行く時、また再会出来ますか?

有り難し有り難し 102
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2022/02/07

父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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人生最愛の彼の自死

タイトルの通り、4年半お付き合いし、お互いに運命の相手と信じていた同い歳の彼が先日自死致しました。 運命など簡単に信じるような歳でもありませんが、出会い、このとてつもなく大きな力で引き寄せられる感覚や様々な出来事、そして相手を想う果てしなく大きな気持ちも、全て今まで経験してきたこととは比べ物にならず、人生で1番大切にしておりましたし、して頂きました。 彼はとても複雑な家庭に生まれ育ち、信じていた人達からの度重なる裏切りや、相手の不貞による離婚や病気など、辛いことの多い人生を送っていた人でした。 周りに弱音は吐かず、全て自分で背負い込み、自分の中で解決・消化してからやっと、笑い話に変えて人に話すような強い人でした。いつも明るく笑顔で、常に人の為に生きている、そんな彼でした。 自死の原因は、恐らく親や兄弟が原因かと思います。彼からそれらの悩みがあると伝えられたのは10月の後半、亡くなる2週間ほど前でした。 かなり深刻そうなのは彼の口ぶりや、日に日に思い詰めていく様子などから感じてはおりましたが、「家族のことなので、あまり詳しくは話したくない」という彼の意向により、何があったのかまでは分かりません。 「死のうかと思っている」「生きてはいたい」こんなことを言っていました。 お互いに仕事もあり、また彼は休みの度に実家へ顔を出すようになり、最後に会ったのは10月の半ばでした。 最後になるとは知らず連絡を取った日、全くそんな素振りは見せず、いつも通りおやすみと言い合い、翌日から連絡が取れなくなりました。 連絡が取れない間、私は定期的に連絡を入れておりましたが、10日ほど経った頃、彼と同じ職場の知人から亡くなったことを聞きました。 私と最後に連絡を取った翌日でした。 遺書は携帯の中に残っていた様で家族しか見れず、通夜も葬儀も家族のみで行われた様で、参加すら出来ませんでした。 彼の部屋へ行ってみましたが、既に部屋は空っぽで、思い出も物も、お揃いの食器も、全て無くなっておりました。 それから私の心は死んだも同然で、信じることも出来ず、ただ泣き叫び、助けられなかった自分を責め、何故何も言わずに逝ってしまったのかと相手を責めます。 会いたい、触れたい、声が聞きたい。 一生一緒に居るはずだった人。私の全てでした。どうやって彼の居ない世界を生きていけば良いか分からず、苦しいです。

有り難し有り難し 8
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父の死のあとに生まれた命

私には二人息子がいます。 次男を出産する1ヶ月前に、父が突然心筋梗塞で亡くなりました。 私の出産は母子ともに命の危険があり、自宅で絶対安静にしていなければなりませんでした。そのため、1歳半の息子を私の父と母にお世話してもらっていました。 母は私の家に住み込みで、父は実家から私の家に朝来て夜帰る生活でした。 夜、実家で一人、父は突然心臓が苦しくなって亡くなりました。 私は自分を責めました。 父のそばに母がいれば、こんなことにはならなかったと。父から母を奪った私が全て悪いのだと。 家族を誰よりも大切にしていた父にとって、私とお腹の子の事が心配でしかたなかったに違いありません。 元々心臓が弱かったのに、孫の世話もさせてしまって、病院に行きたくても行けなかったのでしょう。 後悔してもしきれなく、父しか頼りがなかった母を一人にしてしまったことにも罪悪感が消えません。 次男は無事に産まれてくれました。もうすぐ一年が経とうとしています。 母親失格なのはわかっていますが、私がこの子を身篭らなければ今も父は居てくれたのではと思ってしまいます。 一年経っても、私が父を殺したという思いと、この子を産まなければ父はまだ側にいてくれたのではという思いで夜も涙が溢れ、眠れない日々が続いています。 大好きな父を失い、大好きなはずの次男を素直に受け入れられない私は行き場がない思いでぐちゃぐちゃになっています。 どうか、どなたか、お話を聞いてくださったら嬉しいです。

有り難し有り難し 14
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自らの不注意での愛犬の死。

その子を初めて見たのは保健所のホームページです。目鼻口が何処にあるのか分からない程に毛は伸びて、白色なのに全体は真っ黒に汚れて、糞尿まみれで毛が絡まり歩けない状態。いわゆるネグレストで捨てられた子です。こんな酷い状態で捨てられて、後は殺処分。あまりにかわいそうに思い保護した子でした。 保護した当時、その子は血便をしていてとても弱々しかったのを覚えています。旦那がその子を初めて見た時に、明日にでも死ぬのではないか?と言った程でした。 私はすぐに動物病院に連れて行き健康診断、血液検査をしてもらい、幸いな事に病気は何もありませんでした。しかし、その子の後片脚には障害があり奇形でした。本来なら土を踏む脚が曲がって天の方向(上)を向いているのです。 今まで糞尿まみれで歩いていないネグレストだったので、最初はきれいに歩くことも出来ない状態でした。でも、その子は必死でよろけながら3本脚で歩こうとしました。4本脚で歩けるようにしてあげたいと思い、私は片道2時間の隣の県の動物病院まで通い手術をする事にしました。先生には手術しても歩けるようになるか分からないと言われました。手術後はリハビリをして、その子と一緒に頑張りました。その甲斐あり、見事4本脚で歩けるようになりました。 トリミングにも行って、普通のワンちゃんと変わらない生活。今まで辛い思いをして来た子、贅沢は出来ないけれど、普通の生活をさせてあげたいと思っていました。 その子も、当初の暗い表情はなく笑って過ごしていました。私と一緒で嬉しそうでした。 先月11月に糖尿病になりました。今すぐにインスリン注射と言われたけど、1週間食事療法で様子を見ることにしました。合併症で白内障になリ失明するかもしれないとも言われ、失明だけは避けたいと思い、少し散歩量を増やして、一緒に頑張りました。1週間後には数値も体重も減りインスリン注射は必死無くなりました。 嬉しかったです。まだまだ一緒に頑張って行こうと思っていました。 そんな矢先、私の不注意でその子の命を亡くしてしまいました。 我が家に来てわずか11ヶ月。 手術、リハビリ、去勢手術、歯石除去、糖尿病、全て頑張って乗り越えた子。病気や老衰ならまだ心の整理も付きますが、寿命ではなく、不注意とはいえ私がその子を殺したのです。苦しかっただろうな…後悔と哀しみが一杯で苦しいです。

有り難し有り難し 13
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自分を許せないです

 はじめまして。仏縁に恵まれ、皆様と想いを共有できることを嬉しく思います。私の家族に対する感情、そして私自身の仏道について質問させていただきます。  私は家族が大好きです。しかし、去年に母が難病を患い、医師から治療不可能だと告げられました。  母はその激痛で毎日苦しんでいます。激痛が原因で鬱病も併発し、「殺して欲しい、安楽死させてほしい、生きていても意味がない、楽にして欲しい、」と涙を流しながら私に訴えてきます。このことはまだ高校生の弟に言っておらず、私と父の胸の中だけにしまってあります。  その時は、かつて私がしてもらったように、「大丈夫、」と言って抱きしめています。でも それすらかえって負い目を抱えさせてしまっています。  私はかつて母に周囲からは虐待を疑われるほどの「しつけ」を受けていました。そのことを何度も何度も謝ってきます。亡くなった愛犬の仏壇で泣き出すこともあります。また、言っていないことを言ったと主張したり、自分がしたことをすぐ忘れることが増えました。  父は時にお門違いな怒りを私にぶつけてきます。理不尽な理由で、なんらかのトラブルを問答無用で私を悪者にする癖があります。健常者だった母と喧嘩した時、ほぼ理由も聞かず私を折檻しました。ほとんど何も知らない状態で です。  弟は細かい実情を何も知らずに高校生だった頃の私よりもはるかに高額な金額を湯水の如く使っています。  そしてあるときに気がつきました。私は、家族をどこか煩わしく感じてしまっている時があると。  病弱だった自分に優しくしてくれた家族を思い出すと、そんな最低なことを考えてしまう自分が許せず、やるせない気持ちになります。  また、私自身が欲望に溺れてしまい、五戒を守れないことが多いことです。仏道を知ってから、私なりに欲に溺れず、五戒の習得に励んだつもりです。しかし、少し油断すると様々なところでそれらを犯してしまいます。ネットで海賊版の動画などを見る・ふしだらなことを考えてしまう・意図せずとも嘘をついてしまう・付き合いでつい飲酒してしまう、などです。  仏道を知ったこと、そして家族の現状から、自分がいかに脆弱でちっぽけな存在であるか痛感しました。このような場所でしか思いを吐露できず、藁にもすがる思いです、  家族や周囲の人を幸せにする存在になるために、これからどのように生きれば良いでしょうか。

有り難し有り難し 6
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