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hasunoha 問答検索結果 : 「 生きる 」

検索結果: 32117件
2023/06/03

ペットに病院代を最小限しか出せない

インコを飼い我が子として出来る限りの事はしてきたつもりでいました。 毎日食べた餌の量と体重を測り、決めた時間に放鳥し温度管理も気にして規則正しい我が子中心の生活してきました。 私は完治しない持病と精神疾患があり我が子を家族にする前は無気力で家事は母 昼夜逆転してて不規則で何の為に生きてると思ってた。 迎えてから私の生活は変わり朝起きて我が子の世話、家事、夜寝る規則正しい生活になり我が子に感謝で大好きな愛しい子です。 毎日寝かせる前「今日一日ありがとう。我が子になってくれありがとう。大好き。今日一日イイ子だったね。明日元気良く一緒に遊ぼうね」と言ってました。 4月に体調を崩し呼吸器疾患ともう一つ病気を患いました。 飼ってから今まで2~3ヵ月に1度は病院に連れて行き健康診断と爪切りしてもらってました。 自分なりに最低限はやったつもりですが4月から病院代、追加の保温用品色々物を買い暖房温度を高くしたり お金が結構かかってこれ以上病院代にお金は最低限しか回せない状態になってます。 貯金は少額ありますが母の年金も少なく私も医師に就労不可と言われ将来私の年金額は5~7万で 今の貯金は65歳以降か母に万が一が起きた時使いたいと。 飼う時病気になった場合お金がかかる事も視野に入れて飼うべきでした。 お金があれば病院で良い治療を受けれるかもしれないのに。 月1でお薬は貰いに行くつもりですがそれ以外は家で見守るしかないと思ったり 我が子は体調悪くなってから敏感になって少しの事でも怖がり飛んで体力消耗してしまうので 病院に連れてく事も体負担になりそうで可哀そうと思ったりしてます。 体調悪くなってから病院に行って2回我が子はパニックになってます。 病院にその都度連れてって今の貯金で治療させれば長生き出来る?と思ったり お金と我が子の体負担を考えて薬のみで家で介護するがいいのか どうしていいか分からなくなってます。 まだ3歳苦しまない治療が出来るならしてあげたい気持ちは山々ですが人間の生活もあり もっと知識付けてから飼うべきだったと自分が嫌になり。 息をハアハアしながら頑張って生きようとしてますが苦しいのが可哀想で辛いです。 どうするのがいいでしょうか?もう自分が嫌で我が子に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 看病中辛くて涙が出てしまう時がありますが我が子には涙は見せない方がいいですよね?

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自殺をしてはいけない理由

新しい年が始まりました。hasunohaに、おられるお寺様方にも。今年もたくさんの幸せがありますように。 よろしくお願いします。 私の友人は、とても精神状態が悪く、死にたい。頻繁に口にします。 死んではならない理由。 どうして死んではならないのかを、上手く説明する事ができませんでした。 私も一番うつ病が酷かった時は、同じように毎日死ぬ事ばかりを考えてきました。 今でも咄嗟に消えてしまいたい。と思う事が、あるのも正直、事実ではあります。 でも、自分を作り上げている、数えられない程の細胞の一つ一つ。日々全身を巡る血も。 地球に、人の小さなはじまりが発生した時から、今日の自分が、お腹に宿り、細胞分裂、生まれて、大人になった、今まで。 人になるものの発生からスタートして、今の自分まで、たくさんの、生死生死を繰り返し、自分まで繋がった。物凄く怖い程に深く壮大な歴史。意識はしないけれど、本当ならば、物凄い事なんですよね。 自分の体をつくる全ての細胞の一つ一つに、数えられない位前から繋がってきたご先祖様たちの、数えられない人数の血が、自分にも入ってるんだと思うように最近なりました。 自分一人の体で生きている気はするけれど、全ての細胞一つ一つにに、全てのご先祖様が宿っていると思えています。 友人にもそのように伝えました。 お寺様方は、自殺がダメな理由、死んではならない理由。 どう考えますか?どう思われますか? 苦しむ友人に、どうしたら、伝えられるでしょうか? そして、時々、間違ってしまいそうになる私に。 命をどう伝えてくださいますか?

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皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
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死のうとしたら大嫌いな蜘蛛に助けられた

閲覧ありがとうございます。 神様や仏様、亡くなった祖父母が姿を変えね、または他の存在を利用して、私の命を助けてくれたと思って良いのでしょうか? 先日仕事で悩み、突発的に死にたくなって10階建ての建物の階段登っていました。 そうしたら半分くらい登り終えたところで、階段に大きな蜘蛛の巣が張っていて、小さな蜘蛛がいました。 私はもともと蜘蛛恐怖症なので蜘蛛を見て怖くなり、気がついたら蜘蛛から逃げるために1階まで階段を駆け下りていました。 そして1階まで階段を降りた後、ふと気持ちが冷めて、死ぬことをやめ帰宅しました。 今になって冷静に考えれば自分でも死ぬ覚悟があるならば蜘蛛などどうでも良いし、そもそも1階まで駆け下りて逃げる必要も無いと思うのですが、その時は必死でそのように思いませんでした。 蜘蛛の糸と言う話がありますが、私の場合は蜘蛛が大嫌いで今まで蜘蛛に対して酷いこと(見たら怖くて殺してしまうなど)しかしていないのに、大嫌いな蜘蛛に命を助けられました。 今では、神様や仏様、亡くなった祖父母が、蜘蛛という存在として、または利用して、私の命を救ってくれたのかなと思って、頑張って生きようと思っています。 分かりにくい文章ですみません。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 37
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