2022/04/21延命処置をどのように考えますか?
仏教の観点から、人工呼吸器等のいわゆる延命処置を行うことについてどう考えるのかをお聞きしたいです。
私には重度の身体障害を持った20代の姉がいます。自分で体を動かしたり、考えていることを口に出したりすることはできず、ものを認識しているのかどうか、視力がはっきりしているのかどうかも分かりません。食事は胃瘻チューブから液体を注入し、数年前に気管切開をして今は喉の穴から呼吸をしています。その手術により、前までは「あー、」と時々出せていた声も出すことができなくなりました。
その姉が数週間前から調子を崩し、現在ICUで人工呼吸器を付けています。私たち家族には、ついにここまで来てしまった、という感覚があります。当初は人工呼吸器を外して今まで通り在宅で過ごすことができるようになるかもしれないという希望があったのですが、先日お医者さんから「人工呼吸器は外せないかもしれない」と言われてしまいました。
今まで何度も入退院を繰り返し、胃や喉に穴を開ける手術を乗り越える度に、自分で意思表示ができない姉の代わりに、私たち家族が処置を受けることの承諾をしてきました。今回も「挿管をしますか?」とお医者さんから決断を迫られ、苦しそうな姉をどうにかしたいという私たちの気持ちで「YES」と決断しましたが、これで良かったのかどうかは分かりません。電気が無ければ生きていけない体になってしまい、人工呼吸器を止めれば命が危うくなるという状態になってしまったことや、姉がどういう気持ちでいるのかが分からず、沢山の管を繋がれた様子を見ると、本当は本人が望んでいないのではないかと思ったりもして苦しい気持ちになります。「これで良かったんだよ」と肯定して欲しいという自分のエゴから質問をしているのだと思いますが、自分の感情から一歩引いて、仏教の観点から、人工呼吸器などの延命処置を受けることについて、違う見方ができれば…と思い質問させていただきました。
医療の技術が進歩し、本来は亡くなっていたはずの命が引き延ばされていっていますが、「自然の力に抗っている」というマイナスな捉え方をされるのでしょうか?
長文を読んでいただきありがとうございます。
有り難し 47
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