2022/03/09存在そのものを悪と断じずにはいられない
「生きているのではなく、生かされていることに感謝すべき」だとおっしゃるのでしょう。
けれど、どうしても「生きていること、生かされていること」を肯定的に捉えることができません。
「盲亀の浮木」というように、この比較的平和で当たり前のように安全な生活ができる存在として生まれたことそのものがとんでもない奇跡、という理屈も承知しております。
しかし、「だから生まれたことに感謝すべき」と言われても感情が追いつかない上に、「存在するということはとんでもなく危険なことなのに、誰もそこから逃れられない」と、存在そのものをどうしても否定したくなってしまいます。
限られた運の良い生き物しか安全に生きられない。
限られた運の良い人間しか生きることを許されない(そんなことはないとおっしゃるかもしれませんが、自己責任論と優生思想のほうが人間の本音だとどうしても思ってしまいます)。
これまでの人生で幾度となく自殺を考えましたが、死んだところで「存在」からは逃れられないと気付き、「じゃあ生きるって何なんだ! なんでこんな悪趣味なことを強いられるんだ!」と、閉じた恨みの感情ばかりが強くなります。
所詮、うまくいかない自分の有様と社会問題を歪みきった認知で安易に結びつけているだけなのでしょう。
ただ、そこから脱却するための、理論的にも感情的にも強い根拠が見つからず鬱屈としています。
「生き物だから生きるのだ」と言われても、「それは存在の『罪』から目を背けているだけだ」「生きることは悪であるという、自分にとって都合の悪い真実を見て見ぬふりしているだけだ」と思ってしまいます。それとも、私が「生きることは善である」という真実を見て見ぬふりしているのでしょうか。生きることを肯定されてしまっては、私の苦しみに満ちた人生をも肯定しなければならないから、「生きることは悪である」という幻想に逃げているだけだとおっしゃるのでしょうか。
痛みや苦しみを憂うあまり存在さえ否定したくなるのが煩悩だとしても、「存在することをやめたい」「ありとあらゆる感覚器官を捨て去りたい」「物質的制限にまみれたこの次元から脱出したい」と思わない時はありません。
まして、この世界から「生きるに値する根拠」は急速に失われつつあるのではないでしょうか。
死ねないなら生きる苦痛を受け入れなければならず、しかしその覚悟が決まらないのが課題です。
有り難し 15
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