私は偏見だらけなのでしょうか。
私は常々「人の価値はできるできないではない」などと思っていました。しかし今日の夢で、本当にそうなのか、そう思うように(自己満足のために)心がけていただけではないのかと思うようになりました。
以下夢の内容です。夢を見た直後にメモを取ったものなので、粗暴な書き方になりますがお許しください。
原因不明で、今まで通り歩いたり、話したり、見たりできなくなるような夢を見た。
いくら現実で綺麗事を抜かそうと、本当に死にたくなるほど嫌だったし、親に ちょっと病院行こうと言われた時は受け入れられなかった。そんなことない、僕は普通だ、問題ないと。親には気強く振舞っていたものの。でもやっぱり今まで通りにできていないことは気づいていたので、病院へ行く。もし治らなかったらどうしようと漏らすと、母は「何をしてでも、どんなことをしてでも治すように手配するから心配するせんでええ」と言った。可能かどうかは関わらず、現実でも母はこのように言ってくれるだろう。僕に対する親の愛というものは、かけがえのないものだ。
病院での診察のシーンはなかったが、場面は飛び、意を決して大切な友人達と会ったところ、受け入れてもらえた。そこで目が覚めたが、もちろんああちゃんと歩ける、話せる、見ることができるということでも嬉しかった。しかしながら、受け入れてもらえたという事実も嬉しかった。僕がもしこうなった時、丸々受け入れてくれる人が、果たして何人ほどいるのだろうか。果たして僕は大切な人がこうなった時、丸々受け入れられるのだろうか。
そして何より、これを書き残そうとした時、はじめに書こうとした 普通でなくなったという言葉はやっぱり僕の中の偏見なのだろうか。
以上になります。普通 という言葉には悩みが多く、普通という言葉で人は傷つくのではないかと近頃思っていましたが、やはりわたしにもそういった決めつけの普通はあったようです。
私は偏見まみれなのでしょうか。
有り難し 7
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