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hasunoha 問答検索結果 : 「お経について」
検索結果: 3058件

神棚と仏壇の中の整理整頓、清掃

お世話になります。 神棚・仏壇内の整理整頓、清掃につきましての相談をさせていただきます。 我が家には亡き祖父がこしらえた立派な神棚があるのですが、その神棚の中に様々なものが入っており、掃除をするのに難儀する状況です。 これらを掃除がしやすくなるよう、神棚及び仏壇に必要なものだけ残し、それ以外を片付けて(捨てて)しまおうかと考えているのですが大丈夫でしょうか。 神棚に置いてある具体的な物は、 ・横1mほどあるメインのお社(中はお札) ・祖父お手製の簡易的なお社 (中は縁起物や石、数珠等が大量) ・曾祖父母の遺品 など、半数が遺品で溢れております。 祖父は信心深かったので、中にある物は心の拠り所として大事にしていたであろうことは分かるのですが… 神棚自体高さがあることや、それぞれの置物がかなり重いことから、それらを上げ下げするにも椅子に乗っての作業となり、体力的にもかなり辛いです。 また、掃除は私以外の家人は「下手に動かしたら障りがあるのでは」と神棚や仏壇にノータッチ。 私が掃除に着手する前は20年近く放置状態でした。仏壇もほぼ同じ状況です。 更に仏壇の隣に、家を建てた際の祝い品である、とんでもなく重たい臼が埃の層をかぶって放置されています。 これもとても管理ができないため、お疲れさまの意味を込めてお役目終了とさせていただきたいのですが、両親としては、これを捨てたら家に何か障りがあるのではとやはり心配なようです。 個人的には、これらを埃まみれで数十年単位で放置していることこそ、神仏に対して申し訳ないことではないかと感じています。 なので管理のできないものは、役目を果たしてくれたことへの感謝を込めて掃除をしたのち手を合わせて捨て、お社等は管理しやすい大きさ・重さのものを新調して普段から掃除が行き届くようにしたいと考えております。 長くなりなりましたが、まとめますと、冒頭に書いた相談となります。 片付けたいのですが、神仏関連の縁起物や遺品であることが気にかかり、あと一歩が踏み出せません。 背中を押していただけたらと存じます。

有り難し有り難し 12
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ご縁とは?苦しみから解放されたいです。

はじめまして。 亡くなった夫に対して、何が一番の供養になるのか、ずっと考えております。 夫は病気による突然死でした。夫と私の結婚に親族は反対していた事、私と親族は交流が希薄だった事、そのような経緯があり、親族は私に不信感を抱いているようです。納骨や法要の参加も遠慮くださいと言われております。 心を痛めておられる、夫の肉親であるご親族のお気持ちを大切にしたいです。たくさんの思い出があるはずです。 しかし、自分の心に手を当てて聞くと、実は私は法要に参加した場合の親族と顔を合わせた時の気まずさから逃れたい、、結局は自分を守りたいだけでは?という声が聞こえます。 法要への参加を諦めた私に対して、薄情な人間だと、親族はさらに不信感を募らせるかも知れません。その一方で、排除したい人物である私が、同じ空間にいることは、やはり心が騒つくのではと感じます。 このご縁をどのように受け止めればよいでしょうか? 義母は優しく接してくださいます。きっと本心を抑えて、私を気遣ってくださっているのだと思います。 今、裸の私は、大切な人を亡くした衝撃と悲しさで涙が止まりません。一方で社会性という仮面を身に付けた私は、分析的で計算高く、素直な心を見失なっているかもしれません。自分が嫌になります。 今は、ただ悲しみに浸り、泣きたい。もう一度会いたい、恋しい、それだけです。 ご飯を食べたり、買い物をしたり、迫りくる日常に平然と対応している自分が憎く苦しいです。 心の持ち方を教えて頂けますと、 幸いでございます。 どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 8
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悲しみから抜け出せない

20日の日にとても大好きな父が亡くなりました。 自分は母を4年前に病気で亡くしてます。 その病気の介護のときからの15年間父親と生活していました。 母の死後、父と2人で田んぼをやってコレからはもっと2人で田んぼ大きくして行こうとしていました。ところが去年の4月頃に父に前立腺癌が見つかり、父は入退院を繰り返す様になりました。 それまでは父と2人で楽しく作業していた事が自分1人になり苦痛の作業になり、自分でもどんどん自分がすさんんで行くのがわかりました。 そして12月になり病院から「これ以上治療は出来ないので、緩和治療になります」と言われました。頭が真っ白になりました。そして泣いて泣いて泣きました。 家に戻る事も無く年を越し、1月10日に転院しました。そして改めて父を見て見るとがっしりとしていた身体はヒョロヒョロで、色は白く、お腹の両脇からは尿を出すための管が出ている、そんな身体になりながらも自分が行くと「ちゃんとご飯食べてるか?」「無理はするなよ」と私の事を気遣ってくれます、私は家に帰ると毎日泣きました。1月19日、父は大分弱って起き上がる事はなく、だか問いかけると目を開け「うん」「ちがう」などの返答をしていました、そして夕方に父に「どうする?今日俺、病院に泊まる?」と聞くと、とても嬉しそうに「うん、うん、」と答えてくれました。次の日の朝、「おはよう」と問いかけると目を閉じたまま、何の反応もありませんでした、先生が来て「今日は危ないかもしれないです」と言われました、それからは、父の耳元で「俺は親父が大好きだよ」「親父俺を1人にしないでくれよ」「反応してくれないとわかんないよ」「ほら一緒に田んぼいくべ」など色々言ってました、そしてお昼になり、父の呼吸は止まりました…67歳でした。 それから私は喪主として御葬式を務めあげました。 そして今は大きな家に自分1人となってしまい、家の中、納屋の中、田んぼ、すべてにおいて私が大好きだった、元気だった頃の父の姿が重なって見え、涙が止まらなくなってしまいます。本当に大好きなのです。 また一緒田んぼをやりたい、会いたい、他愛無いことで喧嘩したい、会いたい、話したいです。 ツライ、ツライ、ツライです

有り難し有り難し 37
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