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検索結果: 1752件
2023/10/30

父の死が受け止めれない

今年の8月30日に父が癌で他界しました。 享年60歳でした。 今年の初めより余命宣告を受けており、亡くなる2ヶ月ほど前から看取りの方針で同居することになりました。 私は看護師をしているのですが、現在育休中で他の家族より長い時間共に過ごし、点滴等の介助、病院の付き添いも行っていました。 入退院を繰り返してきてた父でしたが、 他界する数日前に「しんどいから病院へ行きたい」と口にし、入院となりました。 点滴加療で身体のしんどさは軽減し持ってきた梨まで食べてくれるまで元気になっていました。 早く帰ろうな!また来るわ!と言ったのが 最後2日後に危篤状態になって亡くなりました。 余命宣告を受け医師から何度も話をしてもらい 看護師をしている上で経験上他の人よりわかることも多かったのですが、いざ本当にいなくなってしまうと受け入れれない自分もいます。 その反面淡々と葬式の準備や、死後の身辺整理等を行っている自分もいます。 現在子育て中ということもあり、哀しみに浸るということはなく、父がいなくなっても当たり前の日々を過ごしています。 時間がある時に父との思い出を 思い出そうとすると頭の思考が拒絶して 亡くなる前のことも考えることを自己で阻害してしまいます。 悲しんであげるのを父は望んでいるのではないとは思いますが、淡々と法事をこなし、 日常を過ごすことにすごく嫌気がさしてしまいます。 忘れてはいません、しかし具体的にこう話したりこんな様子だったということを振り返ろうとしても考えられません。 こういう時はどうしたらいいですか。

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なぜ大麻はいけないのか?

大麻について質問です。僕は怠惰な性格で、今まで全て流れに任して生きてきました。たとえどんな大事なことでも、ストレスを感じると先延ばしにし、でも先延ばしにした後のことを考えては、またストレスやプレッシャーを感じ、といつも同じことの繰り返してました。怠惰の他に僕は適当で、趣味に没頭なんてことはなく、一人の時はただぼーっとするのが普通でした。なのでストレス発散という意味がわからず、ただただ嫌なことを忘れようとしてました。 そして最近、大学に入学した後からストレスを感じることが前より多くなってきました。大学での忙しい日々がどんどん重みになっていくにつれて、ストレスも比例して大きくなっていきました。 日々たまるストレスに限界を感じ始めていた頃、友達が僕に大麻を勧めてきました。人に流されやすい僕は、ちょっとだけなら、と大麻を吸い始めました。大麻が違法だと知っていましたが、僕はどんどん大麻の魅力に引き込まれていきました。 あまり楽しいことが人生の中でなかったことと、自分がハイの時はストレスが解消されるのに、僕はすごい喜びを感じていました。しかし僕自身大麻に依存しているという感覚はなく、自分で消費をコントロールできてました。 しかし、大麻を吸い始めたと同時に、大学はどんどん疎かになっていきました。大学をサボり始め、成績がある程度落ちました。それを実感した僕は、危機感を持ち、大麻を吸う頻度を下げていきました。そして学校をサボるのもやめ、成績もある程度回復しましたが、大麻を吸うのは止められませんでした。僕自身大麻に対して危険性が感じられなかったのと、学校と大麻を両立できればそれでいいと思っていたからです。 学校と大麻の両立が上手く行き始めた頃、大麻を吸っているのが親にばれました。親はカンカンに怒って僕の意見を全く聞きません。僕は大麻以外の薬物は取ったことはなく、大麻の安全性を理解して使用していました。 人生で初めて楽しいと思えることを見つけたのに、それを親から完全拒否されることが悔しいです。確かに大麻は多くの国では違法で、そのせいでいろんな偏見があるのは承知なのですが、大麻を合法にしている国や地域がある以上、ある程度の安全性が保障されているのにもかかわらず、それを無視して批判してくる親は正しいのでしょうか?それともやはり違法ならダメなのでしょうか?返答お待ちしております。

有り難し有り難し 83
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夫を突然失いました

約1か月前、ひき逃げに遭い、夫は突然帰らぬ人となりました。「いってきます」「いってらっしゃい」「バイバーイ」これが、主人と私、そして1歳の娘との最後の会話となりました。 夜11時過ぎ、警察の方から「ご主人が道に倒れていて怪我をしており、意識もないので救急車で運ばれました。今から病院に行っていただけますか?」と言われ、私は、飲みすぎて転んじゃったのかな?という程度にしか思っておらず、「ご迷惑をおかけしてすみません。すぐ行きます。」 と答えて、娘を連れて病院に行きました。 すると、何やら慌ただしい雰囲気…聞くと、「事故に遭ったようだ」と。 それからバタバタと手術室に運ばれ、私と娘は待合室で待っていました。 事態の深刻さに気付いたのは、手術室から戻った主人にICUで面会した時。たくさんのチューブで繋がれ、血だらけでした。 そして、主人の意識は二度と戻ることなく、次の日の朝息を引き取りました。まだ30歳でした。 それから、通夜や葬儀など気持ちの整理もつかないまま過ぎて行きました。なぜこんなことになっているのか全く理解できず、心と体がバラバラになっている感覚で、頭がぼーっとしてただただ涙が溢れ、最後まで主人にすがりついて泣きました。 まだよくわかっていない娘は、「おとうさん、ねんね〜」と言いながら無邪気に笑っていました。それを見てまた、涙が止まらなくなりました。 その後、主人をひき逃げした犯人は逮捕されましたが、それで主人が帰ってくるわけではない…心にはポッカリ穴が空いたまま、何もする気になれません。 たくさんの方からお悔やみの言葉をいただき、「娘さんのためにもしっかりね、頑張ってね。」 と言っていただきました。ありがたいです。 でも、「娘がいるからこそ、父親である夫にはいてほしいんです。娘の笑顔が支えにもなるけれど、それを見てさらに苦しくなるんです…」 という気持ちになってしまいます。 これから先、どうやって生きていけばいいのか…娘は心の支えであり、主人が残してくれた宝ですが、それでもやっぱり辛いのです。苦しいのです。消えてなくなりたくなります。自殺しようとは思いませんが、主人のところに行きたいと思ってしまいます。 この苦しみとどう向き合っていけばいいのでしょうか?

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どんなに願ったり努力しても叶わないことがあることの意味

長文失礼いたします。 祖母が8月に亡くなりました。92歳でした。2月に突然脳梗塞を起こして、肺炎を起こして1ヶ月くらい意識不明でした。そこから意識が戻って療養型病院に移って、脳梗塞は順調に回復して退院寸前でした。祖母も自宅に帰るのを楽しみにしていました。その直後もともと持っていた間質性肺炎が医者も驚くほど知らぬ間に悪化していることが分かりしてそれから3週間くらいで亡くなりました。発病してから本当に毎日休みなく家族3人全員が2時間くらい車で30分くらいの病院に顔を出して看病や介護をしました。私は亡くなる当日朝から亡くなる瞬間まで意識ない祖母の手をずっと握っていました。生きている限り希望を捨てはいけないと思っていました。でも、亡くなりました。でも亡くなった瞬間、全て努力なんか全く無意味で死んだら無なんだと確信しました。何をどう努力しても死んだら無なんだと。 唐突に話は変わりますが、漫画で、「ジョジョの奇妙な冒険」という本があります。その中で西部開拓時代のアメリカの話で、上手く言えませんが、ある国に特殊な技術を持っている、医療行為と死刑執行を代々生業している一族の登場人物が出てきます。ある時その登場人物の診療所に、夫のDVで失明した女性が仕事中の怪我で運び込まれます。登場人物は自分の持つ特殊技術で女性の失明を治せると確信したので、治そうと試みますが、ほんの少しの偶然の出来事で彼女の失明を治せず彼女は永遠に光を失います。治せるはずの彼女を治せなかったことにショックを受ける息子に、登場人物の父は、「彼女の失明を特殊技術で治せると父である自分は分かっていた。でも意図的に治さなかった。彼女は盲目が故に生かされている。もし失明を治せば、DVを行った権力者の夫達は、目が見えるようになった彼女の命すらも奪う可能性があるからだ」と言いました。 結局何を言いたいか上手く言えなくて申し訳ありません。ただ、祖母の死の無の感触を思い出すと、なぜかこの漫画のことを思い出します。 どう繋がっているか考えても分かりません。結局言いたいのは、題名の通り、いくら願っても努力しても叶わないことは一体どういう意味を持つかということです。本当はもっと突き詰めて自分なりの意見をじっくり温めてみたいと思っていますが、どんなことでもいいので、何かお言葉を頂けたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。

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弟の死を理解しているけど理解できない

先日、弟が持病の発作で他界しました。まだ20代で、仕事の資格を取るために日々勉強して頑張っていました。 先天性で治ることはないのですが、毎日薬を飲んでいれば何ともない病気にかかっていました。 本人は定期的に通院して薬も飲んでいると言っていましたが、実際は2年程通院せずにごく稀に手持ち薬を飲んでいただけのようです。病気に対する認識が甘かったのだと思います。 他界する2時間前まで父とLINEでやり取りをしていました。数日前から調子が悪かったようですが、発作が起きたのは彼自身が亡くなったことに気付いてないのではないか、と思うくらい突然のことだったと思います。 一人暮らしをしている部屋で、誰にも見守られることなくたった一人でいってしまいました。いってしまった翌日に、違和感を感じた父が家を訪ねました。第一発見者は父でしたが、苦しんだ様子が見られたそうです。 若い男の子の一人暮らしなので、散らかった部屋でいってしまいました。発作のせいもあるのでしょうが、極度の脱水状態だったようです。 弟自身そのことは考えてほしくないかもしれませんが、最期を思うと無念でかわいそうでどうしようもない気持ちになります。 薬さえ飲んでいれば、誰かに寸前にSOSを伝えられていれば…と思うと家族全員でやるせない気持ちになります。 家族全員で暮らしていた日々のことを考えると楽しかったことを思い出します。あんなことで笑ったな、こんなことしたな、何ともない普通の日常が愛しくてたまりません。 そんなことは不可能だとは分かっていますが、故人を蘇らせる方法はないかと毎日調べてはどうすることも出来ないことを思い知りまた辛くなります。 葬儀も済ませ自宅にお骨もあり、こんな風にもう生きていないことは理解しているのにどうしてもあの子がここにいないことが理解できなくなります。 ここにいないのは仕事が忙しいから来られへんねんなー、と思えます。そんな風に思った次の瞬間にもうあかんのか…と思いまた泣き、でも仕事にも行きごはんも食べ、会話をして笑い、でもまた落ち込んで…の繰り返しです。 時間が癒してくれるのかな、とも思います。でも自分自身どうにも気持ちの持って行きどころがなくて堪らなくなります。 こんな取り留めのない質問にならない内容で申し訳ありません。あの子はいまどこで何をしているのでしょう。もう苦しみからは解放されているのですか?

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