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検索結果: 168件
2021/07/31

お金の貸し借りについて

私の彼は自営業をしています。 コロナの影響もあり中々思うように利益が出ない日々を送っていました。 そんな中、彼は知り合いより新しいビジネスの誘いを受けました。うまくいけば何百万何千万という利益が見込めるそうです。 当初彼はどの道に進むべきか悩んでいました。私は事業をしたことがなく、又、現在の不安定な状況からも常に利益が出る保証もなく心配だったので、私なりのアドバイスをしました。 彼は考えた結果、この新しいビジネスに賭けたいと気持ちを固めたので、私は不安に思いながらも応援することにしました。 ところが当社の予定から少し外れ、初期費用の資金繰りが追いつかない状況になりました。彼は車などの資産を売却し、どうにか資金の調達をしようと必至でしたが、それでも未だ500万足りないようです。ご両親にも相談したようですが、定年退職していることもありお金に余裕がないとのこと。 そこで彼女である私に、私の名義でお金を借りてほしいとの依頼がありました。 私は幼い頃より祖母からお金の貸し借りは身内でも行ってはダメという教えを受けていました。なのでお金の貸し借りにとても抵抗があります。 このことは以前より彼にも伝えていました。 しかし彼は他にもう頼れるところがない、残りの500万を用意できなければこの事業から降りることになる、前の仕事はもう辞めてしまったから戻れない、と窮地に立たされています。 彼は浪費癖があり、日頃よりお金がない生活を送っています。 助けてあげたいという反面、祖母の教えと、ここで助けても将来的に彼のためにはならないと判断し断りました。 目先の利益だけではなく、将来を見据えてきちんと準備するべきだ、自分で賄えないものは進むべき道・時ではないと思う、と伝えました。 彼からの返答は、 ひとつだけ言えるのは、僕だちは価値観が違うということ。 でした。 私の考えは彼に伝わらず悔しい思いをしたと同時に、彼も彼の考えを受け入れてもらえず悔しいと思っているのかなと思ったとき、私の下した判断に自信が持てなくなりました。 一人で考えていると、私の考えが偏っていたのかと、何が正しいのかわからなくなってきています。 整理するためにも、是非意見を聞かせていただきたいです。

有り難し有り難し 15
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中絶

シングルマザーで子供が2人居ます。 バツイチの彼氏がいるのですが、酔っていた事もあり、普段は避妊対策をきちんとしているのですが、その時は出来ませんでした。 その後に、アフターピルを貰いに行ってきちんと服用していれば防げていたことなのに、大丈夫だろうと思っていた自分をバカだなと感じます。 相手が避妊せずにするのは、それなりの覚悟があってのことで、自分のことを受け入れてくれたのだと思っていた点もあります。 生理が遅れていて、妊娠検査薬で検査をしたところ、陽性の反応がありました。 その事を彼に伝えてみたところ、軽く流されてしまい、わたしとのことを真剣に考えていて避妊しなかったのではなく、自分の快楽を求めての行為だったことに気づきました。 もっと早くにその真実に気づいていれば。と、後悔の念でいっぱいです。 相手には、再婚する気もないようです。シングルマザーで3人の子供を育てるのは、経済的な余裕もなく、下の子の発達障害もあるので、中絶を選択するしかないという状況です。 自分の中に宿った命を絶つということが、こんなにも辛く、苦しい決断だとは思っていませんでした。 親にも言えず、毎日ひとりでこの事を考えていると、眠れません。 初めての中絶ということもあり、手術をしてそのまま自分も死んでしまうのではないか、2人の子供を残してもう戻って来れないのではないか。お腹の子に対しても、どう謝ればいいのか。 この想いを一生背負って生きていく覚悟はしているのですが、今お腹に感じている鼓動を自分の手で摘み取ることへの罪悪感でいっぱいです。 誰にも吐き出すことが出来ず、悩んでいたところ、こちらの存在を知りました。 馬鹿な過ちをしていることは、自分が1番わかっています。 仕事をしている時は湧かないのですが、子供を寝かしつけた後に眠れないほどの不安を感じています。 拙い文書ではありますが、書き記させて頂きました。

有り難し有り難し 24
回答数回答 1

人間関係の築き方がわからなくなってしまいました。

初めまして。長文ですがお許しください。 1年前ぐらいから同居する祖母の認知症が悪化し、介護と家事全般をしなければならなくなりました。 父はほぼ家事などはしません。(3人暮らし) 介護のストレスと、元々折り合いが悪い父へのストレスで一番弱い祖母に当たってしまう時があります。 その度に強い嫌悪感と、もう楽になりたいという気持ちでやりきれなくなります。 どんなに頑張っても、祖母は、結婚して出て行った私の姉や、娘である私の叔母を恋しく思うようで、たまに訪問してくれると子供のように泣いて喜びます。 「よかったね」と思う気持ちと、私は必要ないんだなという気持ちで更に落ち込みます。怖い私より優しい2人の方が好きに決まっているのはわかっているのですが。。。 そしていつからか心を無にしようとしている自分に気がつきました。 日々こなし、同じ毎日を何も考えないように必死に繰り返すだけになってしまいました。 そうなるにつれて、他人への興味もなくなっていくように感じてきました。 人に心を開いたり、人のことをもっと知りたいと言う意欲が無くなっているのを感じます。 元々、幼少時代に母の育児放棄が原因で両親が離婚した事が心に引っかかっていて、母にすら愛されなかった自分が誰かに愛されるわけがないのだと心のどこかで思っているのが原因にもあるように思います。 私は自分の殻にこもり、もうずっと自分の事も人の事も好きになれないのです。 この苦しみはいつ楽になるのでしょうか。生きている理由がわかりません

有り難し有り難し 23
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子供の改名について最後の判断

子供の改名について1年前からずっと悩んでいます。 元々、夫婦共にいいなと思う名前は普通の響きの名前ばかりだったのですが、夫婦共に漢字は少し捻ってもいいと言う感覚だった為、当て字が含まれる名前になってしまいました。 しかし、名付けた後インターネットを見ていると、当て字や読めない名前は就職活動で不利になりやすいと言うことがよく書かれているのを知りました。 私の年代でも当て字の友達はいましたし、それで就職が…など聞いたこともなかった為、名付けの際は考えもしませんでした。 しかし、色んなことを冷静に考えてみると、確かに同じぐらいの能力で同じ読みの名前で、一方は正しい読み方の名前、他方は正しくない読み方の名前、という人の印象を比べると、正しい読み方の名前の方がよい印象を持つのは当然の気がして、我が子は就職活動、そして仕事で名刺を差し出す度にマイナスの印象から始まってしまうかもしれないと思うと、辛くてたまりません。 主人は私が悩み出すまで全く気にしていなかったのですが、私が余りに悩んでいる姿、そして何度も何度も話し合っていく中で、まぁ確かに素直に読める名前の方がいいのかもね…変えようか、という意見に変わりました。 主人は何でも一度決めるとブレないと言いますか、振り返らないような性格なので、自分の中で変えることに納得できたら、もうそれでブレることはありません。子供にも、この方がいいと思ったから変えたと自信を持って言えばいいと言っています。 一方私は、変えたことを知って将来子供が傷つかないか、結婚相手に説明するのに負い目を感じないか、相手のご両親に思慮が浅い親だと不審がられないか、など色々考えてしまい慎重になってしまいます。 やはり、一度ついた名前を変えることは相当の覚悟が必要だと痛感しております。 そして、変えられなければ悩んでも無駄なので、悩みに悩み家裁に改名申請をしてみたところ、プロフィール欄に記入した様に、我が家の事情を考慮してか改名許可がすんなりおりました。 後は私達が役所に届出るかどうかの最終判断をするのみという状態です。 子供の改名、お坊さんから見て、私達のしようとしていることは間違っていると思いますか? それとも、子供の為だと自信を持ってするならば、それもいいと思いますか? 実際の名前を見ていただいて、どうお感じになるか教えていただけると有り難いです。

有り難し有り難し 28
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私は親に対して甘えてるのでしょうか?

私は今の仕事に就く前に専門学校に通っていました。 そこは関西にあり、学費がすごく高い学校でしたが、親は何も言わずに行かせてくれました。 学校を卒業して就職したものの2回転職し、今も同じ業種の職場で仕事をしています。 以前辞めた職場は私に合わなかったのが理由でしたが、私は好きな仕事をするなら真面目に楽しく仕事をしたいので、 周りから「また転職?」と言われようと、自分に合った職場で働く事にしています。 そんな中、前の職場を退職する直前に、ある事情が重なって金銭的な危機が訪れました。 次の就職先を早く決めなければならないと悩んでいる事を母に話したところ 「また就職して、落ち着いてきたら少しずつ学費を返してくれたらいい」と言われました。 専門学校の学費が高いのは知っていましたし、図々しい話ですが、親が負担してくれるものと思っておりました。 しかし、後にその学費を返さなければならない事は聞かされませんでした。 元々私の両親は何事も説明が足らず、私が社会人になって必要になる知識を教えてもらえずに恥をかいた事が何度もあります。 私はお金の貸し借りがあまり好きではありません。 一人暮らしで貯金もなく、ギリギリの生活を送る私にとって 数百万円という学費を何年も少しずつ返さなければならない事が、終わりが見えずに苦痛で仕方がないです。 親がちゃんと説明してくれていれば、専門学校に行かずに就職する方法があったのに、と恨んでしまいます。 私の仕事の職種は全体的に低賃金なので、どうしても少しずつしか返済できませんが、この仕事を辞めるつもりはありません。 もし自分のお店が持てたら、という夢も少なからずあります。 もちろん親には感謝しており、必ず親孝行したいしお金も返したいと思っています。 ただ、ふとした時に 『今死んだら保険金で親に借金が返せるんじゃ…』『この不景気の中、お店出しても潰れるだけだ』 と何もかも投げ出したくなるのです。 ギリギリの生活を送る自分に、たまに餞別だと言ってお金を握らせる親に 『学費返せと言うぐらいなら、こんなにお金くれるなよ』と思ってしまいます。 同時に自分の仕事へのこだわりのせいで、少しのお金も返せないのかと、とても情けなくなります。 楽しいだけで人生は終えられないとは分かっていても、嫌な事が待ち受けていると考えるだけですべてが嫌になるのです。

有り難し有り難し 42
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2021/08/29

父親を嫌っていてもいいでしょうか。

普段は優しい部類の父親ですが、キレると手がつけられなくなります。 またキレるポイントがわかる場合はとても少ないです。私は父親と過ごすことを地雷の埋まった平野を歩くようだと思っています。 私はなんとかその地雷を踏まないように身を低くして少しずつ進むように父親の顔色を伺って生きてきました。それでも幼い頃はまだ父親を尊敬していました。 思春期になると父親の嫌な部分が目立つようになってきました。しかしそれを口に出すことは地雷を踏みに行くことと同じこと。世間一般のように「お父さんと一緒に洗濯物洗わないで!」なんて軽々しく口にはできませんでした。私は思春期でも父親を嫌わないかわいい娘を演じていました。 そのせいか思春期が終わっても父親嫌いは直りませんでした。むしろ悪化しました。父親は言うだけで家では何もせずテレビばかり見るような人で、自分はできない(本人いわくできるけどやらない)ことを棚にあげて母に暴言を吐くような人間です。 母には父嫌いを告白していますが、(怒られたりは)私が悪いのは事実だから、そんなに嫌わないであげて。と言います。 母も私も父の感情に任せて怒られるまま。会社は立場が上で怒る側。仮に会社で何かあってもそのストレスを私達にキレることで解消するだけ。親戚付き合いは薄く友達もいない。 父を正す人は誰もいないのです。 だから横暴になっていくんだと思います。 それでも父がいないと生きていけないのは事実です。今も父のお金で大学へ行っています。そこに感謝をしなければならないと思うからこそ私は父親嫌いを隠してさまざまな理不尽に耐えながら父の都合の良い娘を演じてきました。 しかしついに限界が来てしまいました。 キレている父には触らないことが1番なのですが、母に対するあまりに横暴すぎる発言につい反論してしまいました。 父から出た言葉は、調子に乗るな、甘えやがってでした。 私は少しだけ父に期待していました。私の言葉で冷静になってくれる。自分を改めてくれると。 けれどそんな言葉を吐かれ睨まれ、私の父に対するわずかな尊敬もすべて失くなりました。 一月経った今でも、もうあの人を父と思うのはやめよう、就職してお金を返したら本当に親子の縁を切ってしまおうと思うほどには父が嫌いです。 その反面、本当にそれでいいのか?とも思います。 ご意見よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 48
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業と時代変化について

業 というものについて、疑問があるので質問させていただきたいです。 よく業という言葉が使われる場面は、「あの人はあんな事をしたんだから、自業自得だ」といったものかと思います。 ある事をするとある事が返ってくる、というざっくりとした理解をしているのですが、これが倫理観と絡むと難しいと感じます。 先日、以下のような記事を読みました。 「浮気や不倫は人を傷つけることになる。これは業だから、やがて浮気や不倫をした本人達を苦しめる結果になる」 現代の倫理観に照らせば、確かに浮気や不倫などは傷つく人を生みますし、社会的にも良くないとされています。私個人も不誠実で嫌な行為だ、と感じます。 しかし、例えば妾が社会的に許されていた時代には、今よりはるかに愛人さんや不倫があったと思うのです。それが甲斐性だと思われていたこともあったと聞き、では当時であったなら浮気や不倫は今のような業ではないのだろうかと感じました。或いは、業だらけということになってしまうのではないかと感じました。社会的に苦しい立場の人々を保護した一面もあったのでしょうが、慈悲の心だけという訳でもないケースもあったでしょうし、当時でも悲しむ人もいたのではないかと思ってしまうからです。 業とは、時代の変化に合わせて、(人が傷つくものに合わせて?)変化するものなのでしょうか。 それとも、普遍のポイントとなるものがあるのでしょうか。 業というものについての難しさを理解してみたいと思い、質問させていただきました。 理解が大幅にずれていたらすみません。 回答のご検討をよろしくお願いいたします。

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