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検索結果: 168件

飼い犬を死なせてしまいました

はじめまして。 1年以上前の、春の話ですが、飼い犬を死なせてしまいました。 赤ちゃんの時からずっと一緒で、どこへでも連れて行っていました。 あの日、犬と一緒に一泊旅行で山へ出かけました。 すごく寒い日で、車中泊だったのですが、暖房をつけても寒く、なかなか寝られず、、 翌朝、明朝から私だけ軽い登山へ出かけました。 犬は車内でお留守番してもらっていました。 登山に予想以上に時間がかかり、すごく日が昇ってきました。 犬が心配になり、急いで下山しましたが、熱中症で亡くなっていました。 寒い日だったので熱中症のことは全く頭にありませんでした。 私の知識不足です。 犬は、リードを咥えて亡くなっていました。 車内が熱くなっていて、出して欲しかったんでしょう。犬は汗がかけないので、舌を出してはぁはぁして体温調節をします。その息が水滴になって、身体はびっしょりになっていました。 どれだけ苦しんだか分かる亡骸でした。 その光景がいまでも頭から離れません。 私の知識不足で死なせてしまったこと。 まだ6歳でした。 生きていればあと15年は生きられたと思います。 その日から、罪の意識で苦しんでいます。 仕事は辞め、いまもまだちゃんとは働けていません。 あの子の笑顔を思い出すと涙が出てくる。 あの子の苦しんだ亡骸を思い出すと、死にたくなります。 いまは同じ犬種の保護犬をもらい、一緒に暮らしています。いまの子を愛することで、贖罪になればと思っていますが、いまの子に愛情をかけても、なぜ前の子にはそこまでしてやれなかったのか、と後悔ばかりです。 また会いたい。会って、抱きしめて、私の過ちを謝りたい。 亡くなった日、まだそのときは何も知らない遠くに住む家族の夢に、犬が出てきたそうです。 ですが、私の夢には一度も出てきません。なぜでしょうか? いまだに骨壷を部屋に置いています。その子が、離れたくないと言ってるような気がして、、 どうしたら、前向きに生きていけるでしょうか。

有り難し有り難し 125
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虐待

私の父は社会的地位のある人です。 しかし、私は幼い頃から厳し過ぎるしつけをされ、今思うと、虐待ではないかと思います。 幼い頃は、言葉遣いを誤ったり、口を滑らしたりという事は誰にでもあると思うのですが、他人にしつけが悪いと思われたくなかったのか、父は人前でよく怒鳴りました。家に帰ると、お前のせいで恥をかいた、と言って殴られました。 また、あくびやクシャミ、物に躓いたり、子供なら笑ってしまう何でもない事でも、笑うと、 『何がおかしいのか?』と言って殴られました。 冗談を言っても通じず、殴られました。殴られるとき、避けたり頭や顔を手で覆うと、卑怯だといって余計に何十発も殴られました。小学生の頃、一度走って逃げましたが、捕まって首を締められました。母が叫んだので、助かりました。 大人になってから知ったのですが、父は子供の頃チックがあり、からかわれていたそうで、笑われる事に敏感になっていたようです。 今になって思えば、父も若かったし、自分の怒りをコントロール出来なかったのかも知れません。また、子供のしつけ方が分からなかったのかもしれません。 父に殴られている間、母はいつも見て見ぬふりでしたか、大人になってから、あの頃は自分が殴られたら嫌だから助けられなかったと言って謝ってくれました。 私は今ほとんど笑わず、笑うことが罪の様に感じる性格になってしまっていて、人の冗談も、笑っても大丈夫か考えてからでないと笑えません。 テレビのバラエティ番組を見ても、人の欠点や失敗を笑いにしていることが多いので、見ていて怖くなります。 学生の頃から、面白くない、なんか真面目すぎる、とか言われ、心から友達と呼べる人は誰もいません。笑ってあげた方がいい軽い失敗なども、よく考えてからでないと、怖くて笑えないのです。 社会人になってからは実家にはあまり帰っていません。両親に会いたいとは思わないのです。 父は社会に貢献する仕事をしてきて、今でも世間からは立派な人だと思われています。いくら父が立派な仕事をしても、本当はそんな立派な人間ではないと私だけが思っています。 父に虐待されていた事を誰かに打ち明けたいのですが、そんなに親しい人もいないので、お坊さまに知っていただきたくて、書かせていただきました。 心の中の苦しさを軽くする方法かありましたらアドバイスをお願い致します。

有り難し有り難し 93
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愛犬を失った悲しみと後悔がとまりません。

数日前、私の一番の宝物だった愛犬(プードル)が亡くなってしまいました。まだ5歳でした。 死因は、父の運転する車にひかれてしまったことです。決してわざとではなく、単純な確認ミスでした。 そして母はその一部始終を見てしまいました。プードルちゃんの小さい体が車の下敷きになる直前の表情からその体が下敷きになって、やがて冷たくなっていくまで、ずっと。 私はその時現場におらず、一報を聞いて急いで帰宅し、遺体を見て触れ、その事実を知りました。 私を虚無感と深い悲しみが襲いましたが、その事実を知り、両親の苦しみを思うと気持ちはさらに混乱しました。 私は少し憤っているのかもしれませんし、自分がその現場にいれば違っていたかもという後悔もあります。 しかし自分より苦しみが深いであろう両親には絶対に気持ちは言えませんし、両親の苦しみがあまりにも深いため、自分が満足に心ゆくまで悲しむことが出来ずにいるような気もするのです。 両親は自分たちが殺してしまったのだとずっと苦しんでおり、その苦しみは計り知れません。 大きな後悔と深い悲しみと少しの憤り、これらを私はどうしたら良いのでしょうか。 そして、なにをしてあげたら亡き愛犬の魂は楽に、幸せになるのでしょうか。 皆さま、教えてください。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 92
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以前結婚の件でご相談した者です

以前、彼の家から結婚を反対されている事でご相談させて頂きました。 いろいろアドバイスを頂き、ありがとうございました。 彼が頑張ってくれましたが、ご両親の理解を得ることが出来ませんでした。 彼のお父様は落ち着いて相談を聞いてくれたそうですが、お母様の家柄で人間性を判断する価値観と感情を高ぶらせやすいメンタルを刺激しない様、諦める様頼まれたそうです。お父様自身も私との結婚には年齢差で反対であるにも関わらず、彼の話を真面目に聞いて下さったとのこと、それには感謝の気持ちでいます。 私は、「二人には何の問題も無いが、彼の実家の問題になっているなぁ」と感じており、彼もそう思っていた様です。私としては、彼一人にお膳立てしてもらうつもりはなく、お会い出来るまで門前払いでもご実家にお伺いを続ける気持ちでおりました。しかし、お母様が疎外感を感じて大騒ぎした挙句、鬱にでもなられたら大変だとお父様が考えているとのこと。 現代の価値観では、考えられない話だと彼は思う様ですが、兄弟がいないので、お母様を放置するわけにもいかないという思いがあり、親が幸せそうにしているなら自分はまぁまぁ幸せかもしれないとの考えでした。親が死んだ時に残るものが、自分の本意でないものであっても、それはそれで仕方が無い、こういう家で育ったからと。 私も、彼の実家を混乱に陥れることはしたくないので、心臓をもぎ取られる思いですが、受け入れる様努力が必要と思いました。 彼とは、長年の交際の中で恋愛感情以上に、お互い尊敬しあう気持ちがあります。今後は、独占欲を超えて相手の幸せを祈り、それを喜べる様、彼に対する気持ちを成長させて良い友人でいようと思います。折角の大切なご縁だったので、切ってしまうには勿体無いとお互いに思っています。 それで、お父様に対しご心配をおかけしたお詫びと、彼からの相談を聞いて頂いていた感謝を伝えたく、お手紙を書きたいと思っています。お会いする機会に恵まれなかったので、せめてお手紙で最初で最後のご挨拶をと思うのですが、いかが思われますでしょうか?この私自身の言葉を伝えたいというのは、少しでも自分を知って欲しいという、醜い欲なのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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葬式をあげてほしくない

死後の事についてご相談があります。 私は宗教という考え方やそれに基づいた慣習、イベント自体は好きですが、私自身が何かの宗教に属することは避けたいと思っています。 私の知る上では各々の宗教の考え方と私自身の観念が合うことが少ないからです。 ただし、宗教のパロディである空飛ぶスパゲッティ・モンスター教には共感いたしておりますので、自称するときはパスタファリアンを名乗っています。 そこで、私が死んだ後、葬式をあげてほしくないと思っています。 特に仏教式の葬式です。 なぜなら、戒名をいただいた時点で、仏教徒になってしまい、仏教という枠に囚われてしまうからです。 悟りも輪廻も御免被りたいです。 衛生的な観点からは火葬自体はしても構わないのですが、法律が許しませんが、できればその後はゴミ箱にでも捨ててもらって処分してもらいたいと思っています。 家族にそのことを話すと、死んだら終わりだから死後の事など心配するなと言われるのですが、そうではなく、私がそのくくりにとらわれてしまうことを決定づけられることが不服なのです。 死後の世界云々は信じておりませんが、生きているうちはそのことが囚われであり、心配であります。 ただ、信じずとも無いことの証明は極めて難しい以上、ある可能性は0ではないというのが論理であり、公理です。 (論理、公理とは数学上の意味です。) ですから、その0ではない可能性で、仏教の枠に入ることで、悟れなければ輪廻を繰り返してしまうという観念に囚われてしまっているのです。 ただし、重ねて申し上げますが、悟り自体は御免被ります。 渇愛は人間の人間たる、また、人間の動物たる所以と思います。 私は人間らしさを捨てたくはありません。 仏教に従事していらっしゃるお坊さま方には相容れない考え方かも知れませんが、これが私の中の公理です。 さて、これは私の考え方を変える努力をして見たほうが良いのでしょうか? それとも、家族を説得するようにしてみたほうが良いのでしょうか? 相談する相手を間違っているような気もしますが、意見を伺えるかもしれない機会を捨てることはないと思い、ご相談差し上げます。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 411
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