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「お寺・行事・お参り」を含む問答(Q&A)一覧

神社に参拝しに行きました

昨日、受験に関するお祈りをする為に学業にご利益のある神社に参拝しに行きました。 だるまも買って、矢?も買って、絵馬にも書いて、大体4000円くらい?使ったと思います。 ここまでは良かったのですが、問題は、それから一気に勉強への意欲が失せてしまったことです。元々判定も過去問の点数も良くなかったのが、神社に行ってから本気で「今更どうにもならないから神頼みしかない」と考えるようになってしまい、今年の春休みから今まで朝から夜遅くまで集中して勉強出来ていたのが昨日、今日で勉強を殆どせずにYouTubeを見たり別のことを考えるようになってしまいました。情けない話です。受験の倦怠期というのもあるのかもしれませんが、参拝して安心してしまったのが主な原因だと思います。 高校受験でも参拝しに行きました。 高校受験の頃の自分は怠惰を図にしたような人間で、受験勉強という受験勉強をしておらず、親の目を盗んでゲームばかりしていました。 塾の先生にもここは受からないだろうと言われていたのですが、結果的に偏差値が自分とは10も違う第1志望に受かってしまいました。奇跡としか言いようがありません。親にも未だに勉強をしていなかったことは話していません。 そういった体験もあって、甘えの感情が出てきてしまっています。しかし、神様というのは頑張っている人にのみ願いを叶えて下さるんですよね? 散々サボってしまいましたが、今からでも遅くないでしょうか。神様は私を見放していないでしょうか。部屋に買っただるまを置いているのですがなんだか監視されている気分です。

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寺族の道か、尼僧の道か

今年、寺嫁になった者です。 嫁ぎ先の寺院の現状と将来を考えると、寺族登録より自身が尼僧になった方が、 次期住職になる夫の支えにより役立つような気がしております。 夫の父である住職が兼務住職で忙しそうで、当初、4月の寺族登録を10月に見送られました。 私自身で登録手続きを、と提案もしましたが、手続きは住職で、の一点張りでした。 今夏、以前から夫の家族より受けていたモラハラが酷くなり、さすがに堪えかねて、彼等に意見を申し上げたところ、寺族登録の予定で散々振り回したあげく、 住職から「寺族登録を当面見送り」と脅されました。 しかしながら、私自身も夫の家族に対し、不信感が募っており、こちらから、寺族登録はしていただかなくても結構です、以前から夫には、年内に無理をして登録しなくてもよい、と話していたので、とも添えました。 よって、今年の寺族登録は見送り、現在に至ります。 寺族登録は年齢制限がないと夫から聞いております。 夫が住職になったタイミングでよいのでは、とも夫に話しましたが、夫は寺院内では萎縮しており、義父母は予想以上に夫に対し高圧的です。 夫とは交際から仲良くしていたのですが、今夏の住職からの「寺族登録を当面見送り」の脅し以来、夫婦仲に亀裂が入り、現在、別居中です。 寺院の将来の為にも安易に離婚せず、解決・改善の道を進むには、寺族登録にすがることなく、自身が尼僧となり、自立した姿となり寺院と宗派に貢献する案を考えました。 寺嫁は尼僧の資格取得は可能でしょうか。 曹洞宗の僧侶の方で、何かアドバイス頂けることがございましたら、何卒、よろしくお願いいたします。

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困窮者はお寺を頼れますか

今までの質問や他の方との問答で、個人的な悩みについて色々助けていただきました。ありがとうございます。 社会的に気になることについても、ここでお尋ねできるでしょうか。 貯金のおぼつかない生活をする中で、もし仕事が途切れて家賃も通信費も払えず情報も頼れる先も見つからなくなったような時、役所でも「まだ働ける可能性がある」「血縁者が存命」などで生活保護が受けられず追い払われてしまった時、行き当たったお寺で助けを求めることはできるのだろうかと疑問を持ちました。考えてみれば、ホームレスのような方をお寺で見かけたことはないように思います。 キリスト教の団体では募金や炊き出しをしているのを知っていますが、仏教ではあまり目につきません。 一部、セーフティネットとなるべく取り組んでおられるところもあるようですが、ネットで名前があがるのは一部の意識の高いお寺の個別の取り組みのように見えます。 歳末ですが、越年、越冬が難しいような方にいま頼られたら、お寺の皆さんはどのように対応なさいますか。 個々のお寺でなくても、困窮した人を現実的に助けているような場所、団体を紹介なさったりすることはあるのでしょうか。 せっかく公開の質問ですから、私だけでなく、今ネットは見られるにしてもいつ厳しい状況になるかわからないような人みんなのためと思ってお答えをいただければと思います。 これは厄介な質問と思われるかもしれませんが、よろしくお願いします。

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改教と、これから通うお寺さんについて

こんばんは。 ハスノハに参加した時私は一応クリスチャンだったのですが、あれから色々あって、改教しようと思います。はっきり言ってしまうと、もうだいぶ前からすべての出来事に神の意志が働いて起こるというのが信じられなくなっていました。 最近わけあって近所のお寺さんでお世話になったので、まずはそこへお話を聴きに行こうと思います。ですが、そこは真言宗なので、通うと私は真言宗になってしまうのでしょうか? 以前仏教の本を読んだのがきっかけで、自分がすーっと入っていけそうな宗派のイメージができていて、それが真言宗ではないというだけで、真言宗が嫌というわけではないんです。 ただ、やっぱり最初にお話を聴きに行くお寺さんの宗派が違うといけないでしょうか。 ちなみに、私の家は普段どこか特定のお寺さんでお世話になっているのではなく、例えば父親の法事の際には植物園のようなお墓(父が眠っている所で、そこにお寺さんはない)にお坊様が短時間いらっしゃってお勤めをして帰られるという形です。 前は自分がお寺さんにお話を聴きに行くなんて考えていなかったのに、色々な事があってこんなふうになって、人の心も変わるものなんだなと実感しています。

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今のお寺はもう駆け込み寺ではないのか?

鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。

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