鎌倉の報国寺住職であられた菅原義道氏(故人)の本を数冊読みました。禅宗の僧侶だったことですので、以下老師と呼ばせて頂きます。老師は著名な僧侶だったらしいので、現在の僧侶のなかにも老師の著書を読まれたり、直接謦咳に接された方もおられるでしょう。 菅原老師のご著書を読んで感慨を深くしたことは、(少なくとも)菅原老師の寺院は「駆け込み寺」としての機能を持っていたことです。ご著書の中にこんな部分がありました。「自分の寺の境内で女子高生らしき若い女性を見つけた。深く悩んでいるように見えた。お寺に救いを求めて訪れたのだろうと思い、『さあ、さあ、そんなところに立っていても寒いから、中に入ってお茶でも飲まないか?』と言って寺の中に入れ、彼女の話を聞き始めた。」 今、こういうことをして下さる菅原老師のようなお坊さんて居るんですかね?少なくとも私は今まで一度も経験はありません。寺を一人で訪れたことは数十回もありますが。。 率直で恐縮ですが、今の仏教は「葬式仏教」と言われて久しい。人が死んで葬式を行い、それでお金を稼いでいるという意味ですよね?(はっきり言えば) なんでこんなことを聞くのかと言えば、私一年ほど前に近隣の浄土真宗の寺院の住職にお会いしたかった。仏教を学ぶ手ほどきも受けたかった。でも、メールを送っても電話をしても何の連絡もなかった。「お忙しいでしょうから、お手すきの時にお電話でもメールでも返信をお願いしたい」と伝えたのにも拘らずです。その浄土真宗寺院には、もう連絡する気も訪問する気もなくなりました。 今のお寺には菅原義道老師のお寺のような「駆け込み寺」的な要素はもう期待できませんか? 住職に面会を求めて何かの悩みを相談できるような雰囲気はもうありませんか? このhasunohaに登録されている僧侶の皆さんであれば、菅原義道老師のような方がおられるかもしれないと思ったのですが、いかがでしょうか? それとも今の仏教はもはや「葬式仏教」に堕してしまったんですか? 少々辛口になってしまいましたが、忌憚のない意見・質問を述べさせて頂きました。ただ、”私のように考えている日本人は決して少なくない”ということを忘れないでください。
最近気がついてびっくりした事があります 私のお家は曹洞宗で 毎朝うちのばあちゃんは お仏壇に手を合わせ般若心経を唱えてます。 ふと、お世話になってるお寺って どこなのかと思いばあちゃんに聞き そこのお寺を調べたところ 檀家になっているお寺さんが 違う宗派の浄土真宗でした 法要の時もお経が違うだろうに これって良いのか…?と思ってしまいました。 問題無いのですか?
はじめまして。 早速ですが聞いていただきたいことがございます。 昨日、義祖父のお墓参りに行きました。 主人の気持ちの問題などの事情があり、結婚してから約4年ほど立ってからのお参りでした。あまり慣れていないお墓参りで、なるべく粗相のないように気をつけていたのですが、三点ほど気になる行動をしてしまいました。 一つめは、本堂のお参りをするという作法を知らずに、お墓参りをしてしまったこと。 二つめは、仏花を買い忘れてしまったこと。お墓に着いてすぐに気がつき、主人にお花を買いに行こうと言ったのですが、お墓から車で10~15分程かかるため今回はお花なしでお参りしようという主人の意見に負けてしまいました。 三つめは、これが特に気になるのですが、お墓の掃除をする際に主人がお隣の墓石の台座部分を踏んでしまったことです。隣のお墓とはほぼ隙間がなく、主人は悪気はなくやってしまったようなのです。 気がついたときに慌てて主人に指摘し、足を乗せてしまったところを布巾で払い(石がごつごつしていて布巾で拭くと繊維が引っ掛かってしまうため)、使いきれなかったお線香を一束お供えしお詫びしました。しかし、隣のお墓にしてしまった非礼の正しいお詫びの仕方がわからず、これで良かったのかと不安と申し訳なさでいっぱいです。 親類に相談すれば主人の立場が悪くなってしまうため、恥を承知でこちらに相談いたしました。 長い文章で申し訳ありません。 ご教示頂けましたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
11/4に、鎌倉の円覚寺様にお参りをし、その際に限定公開の舎利殿を拝観し、合わせて限定の御朱印もいただきました。 その場では気づかなかったのですが、帰ってから改めて御朱印を見てみると日付が十一月二日となっていました。 他にも同日円覚寺様にて何種類かの御朱印を受けておりますが、他のものはきちんと十一月四日となっています。 私は、どんな御朱印であろうと(たとえば字の上手い下手など)、これも御縁と思い気にしないですし、逆にこんなこともあるんだと、レアだと思ってたりするのですが、十一月四日に挟まれた十一月二日の御朱印。 これはお寺様にお知らせした方がいいのでしょうか? (日付が間違ってるのだから詫びの品を寄越せなどというものではありません) このような場合、お寺様的にはどのように対応されるのかお聞きしたいです。
普勧坐禅儀にある「坐処には厚く坐物を敷き、上に蒲団を用う」という文について質問です。 「坐禅の際には座布団などを敷き、その上に蒲団を置く」ということですが、 実際に座布団などを敷いて坐禅をしている曹洞宗のお坊さんをほとんど見かけたことがありません。 大本山である永平寺でも座布団などは使用しないようですが、 なぜ普勧坐禅儀の通り忠実に行じないのでしょうか。
こんにちは、はじめて質問します。 謝罪の気持ちを仏様に聞いてもらいたいのですが、こういった動機でお寺を訪ねていいものなのか疑問に思い、質問させて頂きました。 私は数年前、とある男性と交際しておりました。が、1年と持たず別れてしまいました。 別れ話は彼から、突然で一方的なものでした。好きだったこともあって、恥ずかしいことにヒステリーを起こしてしまいました。 今は吹っ切るために自分なりにたくさん努力してきたおかげか、だいぶ冷静になり、当時のことを俯瞰して振り返ることができるようになりました。 すると、別れ際だけでなく交際中も、彼に対して本当に失礼な言動が多々あり、相手を傷つけてしまっていたことに気付きました。 反省と後悔、謝罪の気持ちに苛まれ、「ごめんなさい」の気持ちが消えず、涙を流す夜もあります。 しかし、彼とのことを断ち切るために連絡は削除したため、連絡することはできません。 共通の知り合いもいないため、直接謝罪することは叶いません。 ただ謝罪の念で辛いので、それならば仏様に聞いてもらうのはどうだろう?という考えに至りました。 彼を傷つけてしまったこと、ヒステリーを起こして迷惑をかけたことを謝罪し、今後は同じことをしないよう自分を律するために手を合わせたい…… こういう思いがあるのですが、こんな動機でお寺を訪ねてもよいものなのでしょうか? 仏様に対しての無礼にはならないでしょうか? 訪ねる際は、お賽銭をして、長めに手を合わせるくらいにしようかと思っていますが、十分でしょうか? ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
明日長男の三回忌です お茶菓子は何がうれしいですか?
こんにちは。お忙しい中、私の質問を見て頂きありがとうございます。 おかしな話かもしれないので投稿を悩んだのですが、類似状況が何度か起こっている為、気になってしまい質問させて頂きました。 前々から「●月●日はお参り(寺社仏閣や先祖のお墓参り)に伺おう」と日にちを決め、準備を順調に進めていました。 ところが、前日 あるいは当日になって、以下のような事が突然起こり、お参りに伺えなくなるという事が何度も起こっています。 ※肉体面での体調不良→起き上がれない・動けない程の頭痛や腹痛など。或いは歩行が辛く感じるような外傷的な痛みなど(真っ直ぐ立てない、或いは長時間電車に揺られるのが困難な膝や腰、脚の痛みなど) ※精神面での体調不良→(現在重度のうつ病を患っており、治療と社会復帰に向けたリハビリに取り組み中の状態ですが)お参り前日や当日にショッキングな出来事に遭遇し、精神的にパニックを起こし、その後 全く動けなくなるという事があります。 医師から処方された薬を飲んで動こうとしても、ショックの度合いが強すぎる時は心も体もついていかない事が多く、結局「寝たきりで過ごす」事が多々あります(時間をかけてクールダウンすると治る、というか症状が収まるのですが、当初予定していたお参り当日に伺う事はできなくなります…) 以前、知人にこの話をした時に『そんなのはお前が弱いのが悪いんだよ。肉体的にも精神的にも強くなるしかないじゃん』と言われたことがあり、自分でも『やっぱり、私の弱さが全て悪いんだろうか…』とも思いました。 ただ、一方で…『もしかしたら、こんな状態の私がお参りに伺う事を神仏やご先祖様が嫌がっているのではないか…?』という気もしてしまうのです。 もしかしたら、私が未熟すぎるから、何か許しがたい非があるから、肉体的または精神的に問題があるから、『今のあなたの状態では来てはいけません。出直して来なさい』と示されているのではないか…?と。 そこでお坊様に質問をさせて頂きたいのですが『神仏やご先祖様から、参拝をお断りされる事』はあるのでしょうか?それとも、このような事は考えすぎなのでしょうか? 支離滅裂な文書で恐れ入りますが、お知恵を拝借頂けますと幸いです。お忙しい中恐れ入りますが、どうぞ宜しくお願いいたします。
神社・神宮とお参りする場所に関して質問がございます。 「ここへお参りしたら悪い事が起きた、自分と神社等の相性がある。」等を聞いた事がありますが、相性が合うか合わないかは、どう分かるのでしょうか? また相性が合わなくて悪い事が起こると言われているのは本当なのでしょうか? 例えば縁結び等が目的でお参りしたのに最悪の結果になった、等も聞いた事がありますが…
思うところがあり、初めて座禅会に参加しました。 初歩的な質問ですがお答えをお願いします。 ・禅寺では全員素足になるルールがあるのはどうしてですか? ストッキング履きでしたが取って素足になって下さいと言われました。素足だと夏は汗や匂いで不潔だったり、冬は直接冷たい床に触れると足先から冷えそうだと思いました。 ・座禅で喝を入れてもらいたいと思ってましたが・・ 私の中ではお坊さんが後ろからビシッと一発だけ肩を打つイメージでしたが、行った座禅会では希望者が自分から両手を合掌して自己申告してから前屈みになった背中を何度も打ってました。隣で自ら手を合わせて希望した男の人の背中でバンバーンと大きい音がしてるのを見ていざとなって躊躇ってしまいました。 あれって女性だとある程度は手加減していただける物でしょうか。 自分に喝を入れてもらいたくて座禅に来てるのに何を言っているのか本末転倒ですが現場では聞きにくいので質問させてもらってます。お答えをお願いします。
先日はお世話になりました。 遠方の神社に子宝守りを頂戴し、その月に妊娠がわかりましたがエコーで確認できる前に初期流産となりました。 会えない寂しさはありましたが、夫婦ともに今いる息子の存在が奇跡であること、お互いの優しさを再確認し結婚して良かったねまた会えるといいねと家族の絆を深めることが出来ました。お腹に来てくれたことに感謝しています。 お伺いしたいことですが、2つあります。 ①頂いたお守りは1年間有効と言われましたがお返ししたほうがいいですか? ②確認出来る前なので水子供養となると大袈裟かと思いしていないのですが、しないとお空に帰れないでしょうか?その際はどちらの神社へ行くべきでしょうか。 よろしくお願いします。
浄土宗のお坊さんに質問です。 お寺での日常勤行は朝・昼・晩の三回か、朝・晩の二回どちらなのですか? また、よろしければお寺の日常勤行差定を教えて頂きたいです。
前回相談させていただいた亡くなった昔の恋人のお墓に行ってきました。 その時にお寺の住職さんとお話しさせていただき彼の追善供養を行っていただく事になりました。 恥ずかしながら法要について全くわからない事ばかりなので教えてください 彼のいるお寺は浄土宗です 追善供養の法要はどのような流れですか? 法要の前にお墓をお掃除した方がいいですか? 塔婆は私の名前で立てられるのですか? 彼のご家族に連絡はされてしまうのですか? 当日の服装は礼服で参ります。 持参するものは御布施、お供物(果物)、お線香、お花でよろしいでしょうか?他にも何か持参すべき物はありますか? そのお花は仏花一対ですか? 一対ならば仏花にこだわらず彼が喜びそうな華やかなものでも構いませんか? 法要の時に泣いてしまっても失礼にはなりませんか? そして私の気持ちは彼のもとへ届くのでしょうか、、、 どうぞよろしくお願いいたします。
こんばんはというか、おはようございますというか、変な時間に突然起きてしまってすみません。 事情があって少し切羽詰まってしまい、今埼玉県内のお寺さんを探しているのですが、インターネットで調べると膨大な数の寺院が載ったリストが出てきます。 今回は、内密にお話したい事があるので相談を受け付けてくださるお寺さんを探しています。リストを眺めながら勘で狙いを定めて電話すればいいのかもしれませんが、そういう時ホームページを持っているような大きそうな所のほうがいいよとか、でも商売っ気がある所はやめたほうがいいよとか(失礼).....お坊様の目から見た本音で、良いお寺さんの探し方がありましたら教えていただけると幸いです。
いつもありがとうございます。 また質問させてください。 外ではニコニコしていて陽気で人当たりが良く気前も良い義父なのですが、家の玄関を開けた途端に豹変し、家族に対していつもイライラし、支配したがり、言うことを聞かないと怒鳴り、暴言、見下し、金づる、口を開けばモラハラととれる言葉ばかりを発し、孫に対して差別したり気に入らない孫には煩いと怒鳴り思い通りにならないとバカ野郎と怒鳴って脅して叩いたりしてきます。 そんな義父ですが、お寺のボランティアを熱心にしています。 外では本性を隠しているので住職にもバレていないみたいでとても信頼され気に入られており、住職主催のイベントを毎回お手伝いしています。 義母は良い戒名を頂くためにボランティアをしているんだと言っていました。 私は義父の本性を毎日見ているので、いくらお寺で徳を積んでも、今まで家族にしてきた悪行は帳消しになるわけがないと思っているのですが、仏教的には帳消しになるのですか? 人の心を好き放題傷付けても、ボランティアさえすれば全部チャラなのですか? お寺でボランティアをしたら良い戒名を頂けるのですか?値引きして頂けるのですか? 良い戒名は我が家ではとても手が届くお値段ではないので、義父亡き後私達に支払いを求められても払えませんし、あんなひどい人間に良い戒名などとんでもない!と思ってしまいます。 ボランティアの前に、家族を大切にすることの方が大切なのではないかと思うのですが、違いますか?
お寺で失礼な振る舞いをしてしまい、どなたにどうお詫びしてよいか分からず投稿させていただきました。 本日、ご先祖様の供養のため回向を申し込みました。(夫婦ともに上京した身でお墓参りにめったに行けないので、両家の父方母方すべての供養を毎年お願いしております)大きなお寺で合同の法要なのですが、そこに1歳になったばかりの次女も連れていってしまったのです。 落ち着いて考えれば、歩きはじめの赤ちゃんで歩いたり声を出してしまう可能性があり、場にまったくふさわしくないのですが、長女が大人しいタイプで今まで問題がなかったため、深く考えず同席させてしまいました。 この時点で失礼なのですが、次女が歩きはじめてしまい、慌てて座らせるとイヤ!と声を出してしまいました。 気が動転してその場を離れたのですが、靴を席に置いていたためお堂から出られず、ひとまず誰もいない端に行きました。次女が畳にうつぶせになってしまいましたが、座らせたり抱っこすると声をあげそうで、そのままにしてしまい、横で手を合わせておりました。 見かねた若いお坊さんがいらして、とても丁寧な優しい口調で、お堂に寝転ばせるのは…とご注意くださりました。 おっしゃるとおりで、顔から火が出そうなほど恥ずかしく申し訳なく、ご先祖さまも供養になるどころか呆れていらっしゃるだろうと思うと情けなく、お詫びして靴だけとりに戻り、次女と外に出ました(主人と長女は最後までおりました) その間、自分の考えの至らなさ、母としての未熟さが頭をめぐり、こんなことなら来ない方がよほどご先祖さまも安心なさっただろうと後悔し、お恥ずかしいのですが涙が止まらなくなってしまいました。 人前で泣くことなど普段はもちろんありませんので、そんな自分にさらに慌ててしまい、長女と会うまでにはなんとか泣き止んだのですが、通常の参拝も心が乱れてきちんとできないまま帰ってきてしまいました。 長々と申し訳ございません。 このように、仏様やご先祖さまはもちろん、お寺の皆さまやご同席の方にもご迷惑をおかけしてしまった場合、どうすれば少しでも償えるのでしょうか。 早く切り替えて、笑顔の母親に戻ることが大事だと思うのですが、今までの人生における数々の失敗まで思い出されてどんどん気が滅入ってしまっております。 どんなお叱りでも結構ですので、どうかご助言をいただけないでしょうか。
摩利支天様を信仰しております。 毎日「摩利支天経」「摩利支天陀羅尼経」を上げたいのですが、「摩利支天業務」の経本は2種類しかなく、ひとつはフリガナ無し、ひとつはフリガナはあるのですが、現代読み?ではなく昔の読み方のフリで、読み・切り方・イントネーションがいまひとつわかりません。 「摩利支天陀羅尼経」に関しては、経本も見つかりません。 有名なお経であれば、YouTube等に音声動画があるのですが、、、 どうすれば良いものかと、、、
納僧です。 普段、通夜・葬儀や回忌や棚経ばかりで、殿鐘を打つ機会が滅多にない中、今度大きな法要があり、おそらく殿鐘の配役が当たることと思います。 そこで、お恥ずかしい話ですが、殿鐘の打ち方について、下記の通りで合っているか確認して頂ければ有難く思います。 当日は慣らしをする時間も無さそうなので、今のうちに間違いなくしておければと思っております。 殿鐘三会 (一会目) 中 小 大 中 小 大 中 中 中 中…(点上) 中 小 大 (手磬交打)(点上) 中 小 大 (二会目) 中 小 大 中 中 中 中…(点上) 中 (手磬交打) 中 (三会目) 中 中 中 中…(点上) (手磬)小 大 いかがでしょうか。
お久しぶりの相談になります。おかげさまでハスノハを利用し始めた頃と比べて僕の心はものすごく良くなりました。いつもお世話になっています。ありがとうございます。 お寺・神社の行事"大祓"についての質問があるのですが、これは年2回の行事の日に行けば無料でできるのでしょうか? 和尚さん神主さんが祈祷している時に一緒に大祓に参加してみたいなと少し考えています。
以前寺院を参拝した後に、良いことがあったので御礼をしに再び参拝しに行ったんですが、その際に帽子を被ったまま参拝してしまいました。 境内を出た直後に気付き、どうしても気になってしまったので「精進します」という気持ちを持って、帽子を取ってもう一度参拝しました。 自分の中で節目の時期だったこともあり、これを機に神社仏閣巡りを始めてみたいなという気持ちもあって、初めて御朱印を貰うなど、気がはやってしまっていたので恥ずかしいです。 少し心がモヤっとしたままなので、質問しました。このまま自分の中で教訓としてよいものでしょうか。