拝読いただきありがとうございます。 お伺いしたいことがあり、質問いたします。 事情があり年に一度しから帰れずお盆に帰省となるのですが今年もお墓参り等を済ませて毎年同様に棚経を待っていたのですが現れず棚経をして頂けませんでした。 実は去年も棚経を忘れかけられ、帰省先の近くの親族が言った事により棚経をして頂けた模様でしたが今年はまったく来ていただけず、モヤッとしており、関西ですので、父親が精霊流しのための旗をどうすべきなのか悩んでいます。(拝みに来られていないため) 人だから仕方がないとはいえですが、だいぶ前より代替わりをしたようでそれもあるのではないかと思っています。 (8/15には地元へ帰宅予定です。) しかしながら棚経をしないでお盆を終えるというのは許されるのでしょうか? 宗派は、曹洞宗です。 教えてください。よろしくお願いいたします。
お坊さん方おはようございます。 もうすぐでお盆なので当日お墓参りに行くのですが、ご先祖様に日頃の感謝とお帰りなさいって心の中で願うとご先祖様は喜んでくれますか?? またお寺のご本尊様も同様ですか? ちなみに宗派は曹洞宗です。 お盆にこれはやった方がいいのとかってあるのでしょうか? 回答よろしくお願いします。
見つけていただいて、ありがとうございます。 写経の願意のところに、縁もゆかりもない方(推し)のご供養を書いてもよいのでしょうか。 私、歴史が好きでして。 歴史上の人物(推し)には、たくさんの学びをいただき、日々生きてます。 もしできることならば、写経という形で感謝が伝えられればな、と思いました。その反面、縁もゆかりもない人が写経でご供養は、あまりにも重すぎないか、タブーにならないかが心配です。 なお、写経が終わったあとは、我が家がお世話になっているお寺さんに納めようかと思います。(そのお寺さん、お願いすると写経を納めてくださる) お世話になっている住職さんに直接誰推しか伝わるのがちょっと恥ずかしいため、こちらで質問させていただきます。 よろしくお願いします。
実家の宗旨が仏教なので、時々、お経を読んでいます。 特に信者ではありませんが、問題ないでしょうか。 アドバイスや注意点などございましたら、お願い致します。 補足が必要な場合はお知らせ下さい。 よろしくお願い致します。
私は現在、40代独身で、地方の田舎寺で住職をしております。 親の跡を継ぎ、20代で仕事をやめ、本山での修行を終え、僧籍を取得後、何もわからない状態でお寺の世界に入りました。 元々父方の祖父母が寺をやってまして、その後は父が継承し一人でやってましたが、その父も途中病気にかかり、頼むからそろそろ継いでほしいと頼まれたのがきっかけでした。 母は檀家の紹介の見合いで寺に嫁いできて、私と姉が産まれ、結婚後は祖父母と同居しながら檀家の対応までやってましたが、慣れない子育て、田舎暮らしや檀家の突然の訪問などが重なりうつ病にかかってしまい、見かねた父が寺からかなり離れた場所に家を建ててそこで暮らしてました。 私も姉もそちらの一般住宅育ちで寺とは全くの無縁な生活をしてました。 そちらで就職してしばらく働いたのち、寺を継ぐことになったため、姉も仕事をやめ、現在一緒に寺を手伝ってもらってます。 実をいうと、私も寺を継いだものの、人付き合いが元々好きではなく、葬式での檀家との付き合いなどが毎回大変で、精神的に参ってます。 私も姉も独身で、今後結婚は難しく、60ぐらいで還俗し、他人への継承を考えてます。 幸いなことに檀家数は400件前後(近所の住職無住寺を複数兼務でやってます)いて、経済面での苦労は全くありません。 実は、ほかに懸念していることがありまして、私がほうるいになっている近所の住職のお寺の跡継ぎがいません。結婚してても子供がいない寺と独身の高齢住職の寺があり、両者檀家数は150件前後なのですが、そのあとを私にやってほしいみたいなことを言われてます。 書類上、私がその寺のほうるいになってるのですが、私自身の寺の檀家の対応だけでもう精一杯で精神的に参っており、これ以上はとてもじゃないができません。 近所の独身の高齢住職がそろそろあぶなく、一番若い私がその寺の檀家の対応をまた兼務で押し付けられるような感じになってしまうのではないかと心配でなりません。 本来ならその住職が跡継ぎをなんとかしておきべきなのですが、もう高齢化で仕事もできなくなりつつあります。 私の寺は、あと10年くらいしたら本山か宗務所に声をかけて次の跡継ぎ候補を探してもらい、60前には住職を辞めて、姉と寺を出ていこうと思ってます。 高齢住職の寺とはもう関わりたくないのですが、どうしたらいいのでしょうか?
初めまして。 私はよくいろんな人に、お墓参りに行かなきゃダメよ。とか、私の人生うまく行ってないのはお墓まいりに行かないから、先祖を大事にしてないから。と言われます。 私は、母と弟、祖父母を亡くしてます。母と弟の命日には必ず行っています。祖父母のお墓は少し遠いので行けていません。【今年は行こうと思ってます】 私はお墓参りが嫌いです。行っても悲しい気持ちになるだけだし、なんの良い報告も無いし、私も死にたいって伝えることしかできないからです。 また、母、弟のお墓には私たちを虐め抜いた父方の祖母もはいっているので、正直この人を思い出したくないです。 母が亡くなって今年で20年になりますが、母も弟も祖父母のことも忘れたことないですし、私も早くそっちに行きたいと思ってます。 それでも、やっぱりお墓参りはたくさんするべきなんでしょうか?人生上手くいかないのは先祖を大事にしてない報いを受けているんでしょうか。
曹洞宗の副住職をしているものです。 在家のお墓の開眼供養はどのようにしておりますか? 特に開眼供養の回向を教えていただきたいです。 御寺院さまのご教示のほどよろしくお願いいたします。
仕事などで上手くいかなくなり、ふりかかってくる悪縁と自分の考え方の固さとの縁を切ってもらいたく近くの縁切り寺に参拝しにいきました。 その時に頭の中で断ち切りたい悪縁を考え続けてはいたのですが、なぜか手を合わせて参拝している時に娘(5歳)の顔を思い浮かんでしまいました。 あまりにも突然思い浮かんだので慌てて娘は関係ないとは念じ、最初のことを思い浮かべながら悪縁を断ち切った後良縁に恵まれますようお願い申し上げました。 思い浮かべた大切な人との縁が切れてしまうのかと帰ってから考えてしまいかなり恐ろしくなってしまいました。 このような場合は心配しすぎないほうがいいのでしょうか?
こんにちは。 いつもお世話になっています。 近いうちに、お寺さんに悩みを聞いていただく事にしました。 ホームページには、個別相談料金が記載してなかったので、お聞きしました。 とりあえず無料です。とお返事いただきました。 相場が分からないので、教えていただけますか。 相談時間は特に設けられていません。 よろしくお願いします。
こんにちは。 先日、霊障の相談に某お寺にお伺いしました。ある人への許せない気持ちがずっとあり、その人の話もしたのですが、ほぼ他の霊障の話や仏教の話をし、帰ったのですが、相談を終えてから、ずっとあった許せない気持ちがなくなり、大変驚いております。 そこのお寺にはたくさんの仏像があり、一体一体紹介していただき、仏像が好きな私はとても感動しました。 質問なのですが、お祓いや護摩焚きはしていないのに、負の気持ちがお寺でお話をするだけで消えることはあるのでしょうか。 とても心が軽くなったので、お聞きしてみました。
こんにちは。 2ヶ月ほど前にお寺さんの施設内駐車場で設備不備により打撲と挫傷の怪我を負いました。 お寺さんからの勧めもあり念の為病院を受診したのですが後々お寺さんの加入されている保険会社から保険が下りないとなったそうで、お寺さんが支払いを立て替えてくれることになりました。 私の加入している保険組合からは第三者から怪我を負わされた場合(施設内の不備も)全額(10割)相手方へ請求となり、そのつもりで話を進めていたのですが(私の負担3割と保険組合の負担7割)私の説明不足だったと思います。 保険組合からの書類にもサインを載頂きましたがその旨をご理解頂けていませんでした。(私の不手際です) 保険組合より請求がきたら私も負担すると伝えましたが今は理解できましたので大丈夫ですよ、と言ってくださっています。 ですが私の説明不足と説明下手によりお寺さんが把握していなかった金額の負担を更にかけることとなってしまったため保険組合からの請求分を半額でも寄付(お布施)というかたちでお渡ししたいと思っています。 お恥ずかしながら今までお布施や寄付をしたことがないため、どのようにお渡しをしたらいいのかご教示いただけないでしょうか? 地元でも近くでもないですが何度か参拝をさせて頂いているお寺さんになるので拗れたくないということもあります。
同じお寺に訪問するたびに御朱印を書いていただけることは知っていますが、明らかに初めて頂いたときの御朱印帳が最後まで埋まっていないと分かるのに、新しい御朱印帳で同じお寺の御朱印を頂くのは失礼にあたりますか? 先に頂いていたお寺さんとは別のお寺さんで御朱印帳の中と表紙を汚されてしまい、再訪時に頂く際に汚してしまったお寺さんの目に留まるのは大変心苦しいものがあるので心機一転したいのですが…。
はじめまして。 6月に母親の十三回忌で命日前にお墓参りに行くのですがその時に知人がお墓で般若心経を唱えると言っているのですが私的には少し悩んでいます。 母のお墓は田んぼの中にあるお墓でお寺の檀家になっている訳ではないのですが納骨の時顕本法華宗のお寺にお願いしました。詳しくは分からないのですが母が亡くなって私が仏壇を引き継いでいるのですがお線香立てに日蓮正宗の鶴のマークがあります。父もすでに他界しており兄に相談したら身内でもお坊さんでもなく覚えたての般若心経を知人が母のお墓で般若心経を唱えるのを良くは思っておりません。元々法事はやっておらずお墓参りだけにしてました。宗派に関係なくお墓で般若心経を唱えても問題ないのでしょうか?
お墓が遠方で実家がもう無い場合、お盆のお墓参り迎え盆と送り盆はどうしたらいいのでしょうか? 宿に二泊泊まりお墓参りをして帰る感じです。宿に迎えて翌日お墓に送るというのは変ですよね? やはりお墓のお引越し等をして自宅近辺でのお墓参りや、墓じまいをして永代供養をした方が故人の供養になるのでしょうか? 曹洞宗になります。
こんばんわ。質問お願いいたします。 うちは、10年以上前に父を亡くし、お墓を建てて納骨はしましたが、魂入れというものをしていません。 数年前に私が他家に嫁ぎ、結婚報告を兼ねて、旦那さんと一緒にお墓参りしました。 その辺りから「どうしてるかな」と、何だか父のことが気になり始め、分骨をすることにしました。 供養方法としては、手元供養をと考えているのですが、その際、遺骨に魂入れをした方がいいでしょうか? それとも、魂入れをしなくても、手を合わせていれば、想いは届くものでしょうか? 教えていただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。
最近、曹洞宗のお寺での坐禅会に月1で参加しています。 初回時、住持さんの説明だけで、すーっと無になれて小鳥のさえずりしか聞こえない状態になった旨を職場や美容院で話したら、「そんなすぐにできることある?」とか「いや、そもそも“無”ってどういう状態?」などと言われたのですが、「何も考えない」「無になる」のは難しいことなのですか? 私は度々私生活の中で「無になる」ことがあるのですが…(ボーっとしているわけではなく、本当に何も考えていない)
こんにちは。 半年前から趣味として座禅を朝晩40分ずつやっています。 最近はお寺さんでも座禅をするのですが、悩みがありご相談させて頂きました。 1.座禅中に時間を気にしてしまう自分がいる事。 半跏趺坐で両足の痺れが出るのが開始後30-35分ほどなのですが、ここ最近は上手く座れてないのか、2個目の質問である足を組み直すのと並行して時間を気にする自分がいます。その時の感情面が、足が限界、まだもうちょっと大丈夫、あと何分やろ?できれば足を組み直さないで一炷終わらせたい、いつになったら慣れるんやろ。 2. 50分間の座禅中に足を組み直さないと両膝、左肩が痛くて仕方ないのですが、我慢してたら慣れるものなのか。共に座禅をしている方達は静かに座れているのに何故自分だけは我慢できないのかと自己嫌悪してしまいます。 3. 趣味として座禅を行っていた時は苦痛だとは思わなかったが、一つの修行だと考え座禅を行うようになってからは苦行、座禅が嫌いとまでは言わないが辛いと思ってしまうようになった。心の持ち様or考え方で変わるのだろうと思うが、何が正しいのか分からない雁字搦めの状態になっています。 座禅というものを真面目に捉えてちゃんとやらないとと思ってるから苦痛と思うのか、もっと気楽に座ればいいのか、考え方やコツなどありましたら教えて頂きたいです。 よろしくお願い致します。
お世話になっております。 突然ですが、明日、臨済宗のお寺に般若心経の写経体験、座禅体験をさせに行かせていただきます。 ただ事前準備にと思い、般若心経の入門書を購入したのですが、これが法相宗の本だったので、自分が持っているこの本と、明日のお寺様の解釈が異なっていたら、時間も限られているので、ちょっといやだなと思っています。 なのでここで、臨済宗、法相宗、あと、私の亡き祖父が住職をしていた曹洞宗等で般若心経の解釈が異なっているかどうかお聞きしたいのですがいかがでしょうか?
いつも回答頂きありがとうございます。日蓮宗の檀家です。 4月28日に菩提寺の立教開宗、御施餓鬼法要に参加する予定です。 菩提寺に御供も持参したいのですが、何がよろしいでしょうか。 お盆の時期には自宅の精霊棚にお米とキュウリを賽の目に切ったものを御供えしましたが、今回は御寺様で、また立教開宗も兼ねているので、と思った次第です。 飲み物や果物、または参列者の方々にも配って頂けるような個装のお菓子などでしょうか。 僧侶皆さまのお立場から、これが良さそう、もしくは適さないものなど、ご意見頂きたくよろしくお願いします。
お寺でろうそくとお線香をよくあげます。風邪が強い時 知らない誰かのろうそくが 消えていることがあります。最近消えているろうそくに自分のろうそくで火をつけるのですが その行為はどうなのでしょか。 というのは、そのお寺は 消えた長いろうそくを マッチを捨てる缶に長いまま 捨てられる…という状況です。 人の思いがこもったろうそくですし…もう少し灯したい…という思いと 人様の物に勝手にふれるのは…という思いで悩んでます。