こんにちは。 今年、「私はこのために生まれてきた」と思えるような大きな仕事を、文句のつけようがないほど良い形で果たすことができました。自己満足だけでなく、社会にも大いに役立つ仕事です。この社会に生を受けた責任も、果たし終えたといえると思います。 だから30代半ばにして、私にとってはこの先は「余生」という感覚で、もういつ死んでもいいと思うようになりました。 生きていることが、絶対的に幸せだとは私は思いません。生きていれば、「知らなければ幸せだったこと」を知ってしまい、絶望に苦しまなければならないこともあります。生きるためにはお金が必要ですが、そのためにあくせく働いて「何のために生きているのかわからない」と思ってしまうのでは、目的と手段が入れ替わっているようにも思えます。 それに、今の私は人生の目的を最良の形で果たし終え、幸せの絶頂にいます。もし今、人生の最後の時が来たら「私の人生は最高だった!」と笑って死ぬことができるでしょう。それはある意味、理想の死の形ではないかとも思います。 親はいますが、伴侶や子どもはいませんので、「この子の行く末を見守るまでは死ねない!」というモチベーションもありません。フリーランサーなので、組織に対する責任もないです。親や友人は私にもしものことがあれば嘆き悲しむでしょうが、志半ばではなく充分に人生を謳歌し、社会にも確かな礎を遺して生き切った私を、誇りに思ってくれるのではないかとも思います。 でも、そんな縁起でもないことを考えてはいけない…という風潮もありますし、「長生きしたいと思わない」なんて生物としておかしいのではないか、そんな考えを口に出すことは人としてタブーなのではないか…と我ながら思ってしまうこともあります。 一方で、死生観は人それぞれ、一般論に振り回されても意味がないのではないか…と思う自分もいます。「逆縁なんて親不孝」「生きたくても生きられない人もいるのに」なんて定型文もありますが、そんなのはケースバイケースだと思います。 もちろん、私は「自殺したい」と考えているわけではありません。ただ漠然と「今お迎えが来てもいいな、そうなっても全然『死にたくない』とは思わないな」…などと思っているぐらいです。 私の考えは誤っているのでしょうか。誤っているとしたら、なぜなのでしょうか。 こんな私に、有り難いご教示をいただけたら幸いです。
母の病気についていつも心配して頂き、励ましのお言葉を頂きとにかく報告したい!思ってまた来ました。 今日 最終的に骨、脳、リンパ、内臓どこにも転移は無い。との見解でした。 結局8年間それはあったのに..と、感動もしたけど驚きもしました。 治療法は手術。2週間程の入院で退院できるとの事でいつがいいかな?と聞かれたので早めに..言うと手術は17日となり、経過が良ければ今月中には退院です。 転院はしません。私は転院させたくてもう一つの病院の相談センターで話しをしたり、母も連れて話しをさせたりもしましたが、頑なに今まで通ってた病院を変えたくないと言う母の気持ちを尊重しました。当然 妥協は嫌だったので、私なりに色々と調べながら この病院でいいのか?と確認の意味もありキツい事を医師に言った事もあり.. すると帰り際に母が医師に「すみませんでした..」なんて言ってる始末..「こちらが謝る必要は無い!」なんて言って帰った.事も.. 途中、医師に気を使い私をなだめる母を横目に 私は何をしている?と何が正解か分からず(今もですが)迷い立ち止まってしまい 8年間検査無かったのは何で?3年前の2cmの時になぜ検査が無かった?と後ろ向きで怒りでいっぱいな時もありました。 でもまた今日みたいに立ち上がり喜べる日が来たり..一ヶ月のうちに感情の全部を体験した様な気になってます。 でも、辛い中でも感謝や安堵な気持ちになった時があったのも事実。 病院でいつも立ち止まって話しを聞いてくれた看護師さんに今日の結果を教えたいと思って行くと さっきお母さんも来てくれて結果も嬉しいし言いに来てくれた気持ちが嬉しくて私泣いちゃったと言って私と会うなり良かったねぇってハグしてきてくれました。そんな看護師さんっているんだぁーって今度はその看護師さんにもらい泣き。 また、知った事もありました。 高齢者社会で医師の診断を何の疑問を持たずにただ聞いている関係に不安を覚えました。 高齢者はお医者様にあれこれ聞けません。聞けない気持ちもあるし知識もありません。 高齢者だけでなく自分も知識が無いって事は無力だなぁ..と痛感した毎日でもありました。 この経験が何かの役にたてばいいのですが..笑 と、相談でもなく ごめんなさい。 まだまだハスノハは心の拠り所です! 今日も有り難しでいっぱいです! また来ます!笑
ちょうど父が不慮の事故により他界して一年がたちました。 父は友人達に誘われ楽しそうに出かけました。 しかし父だけが痛々しい姿で帰って来ました。 あの日から私は必死で父を見送り、母を守る為に動きました。 結婚し同居している為、母を一人っきりにはさせないですみました。 沢山の方々がこの一年父を偲んで私達家族を心配してくださり足を運んでくださいました。 感謝しても感謝しきれないほどです。 しかし父が死んだのは私のせいなのです。 父とは良く喧嘩しました。 父は血圧が高めだったので塩分控えめでご飯を作ってもすぐ醤油をかけたりします。 私の息子達に甘やかしたりしたり‥ 今思えば些細な事の喧嘩ばかり‥ 亡くなる少し前、もう理由は何だったかすら思い出せないですが私が父に一方的に激怒。その時私は心の中で「早くくたばれ!」って心の中で思ったのです。 私がそんな事思ったせいで‥ 私は酷い人間です。 私のせいで父の生涯をこんな形で奪ってしまった。 私のせいで母をこんなに苦しい思いをさせてしまった。 私のせいで家族みんなを苦しませた。 私のせいで父と一緒に山へ行った友人を苦しませてしまった。 私がそんな事を思ってしまった事を誰にも言えません。 一周忌を無事に終えお墓も建ててあげる事ができました。 母が私に「あなたが居てくれて本当に良かった」と言ってくれました。 しかし私にはそれを素直に喜べないのです。 父にも「ごめんなさい」ばかりです。 父にもう一度逢って謝りたい。 父が大好きな事を逢って伝えたい。 父に逢いたいです。 ごめんなさい
初めまして。 お忙しいところ申し訳ございません。 つらくて、どうしようもなくて、ただ吐き出させていただきたくて、書き込ませていただきました。 以前から、ずっとご相談させていただきたいことがいくつかあり、登録させていただいておりましたが、 今はただ、自殺したい自分を懸命に止めるために書いています。 独り言になってしまい、相談内容にならず申し訳ありません。 他人様から見れば、本当にくだらないことです。 私は死んだ方がいい存在です。また、私が死ねば喜ぶ人がたくさんいます。 死んでしまえばいいのですが、(私事ですが)昨年若くして病気で亡くした愛猫が、存命中に3度も、必死になって泣き縋って私の自殺を止めてくれましたので、自殺もできません… 自殺は自分で自分を「殺す」ことだから。また、私の命を助けてくれた亡き愛猫のためにも、自殺してはいけない… 今は落ち込みすぎていて、気力が出ないこと、気持ちが混乱しすぎて、順を追って、きちんとお話しできそうもないこと(暴風雨の中にいるような気持ちです)、また怒りや混乱を我慢しすぎて血圧が急に上がってしまったようで、眩暈など体調がおかしくなってしまったため、具体的な内容を書けず、また「質問」にもなっておらず、大変申し訳ございません…
初めての育児に目まぐるしく過ごしていましたが、突然姉を亡くしました。 姉は不妊治療をしており、表向きは明るく振る舞い、私の妊娠出産も祝福してくれましたが、互いに気を遣い直接会うことは避けていました。 そんな中、姉は脳卒中で倒れ、脳死判定を受け、そのまま逝ってしまいました。 1度だけ見舞いに行けましたが、もうその頃には終わりを待つのみ……という状態で 赤子を抱えた自分は何も出来ませんでした。 喪があけた今も、姉を思い出しては苦しくなり、かけられなかった言葉が溢れて止まりません。 それでも赤子は日々成長し、私を良くも悪くも振り回してくれています。 なんだかんだと、私は赤子のお陰で救われていて、幸せなのだと思います。 ですが、幸せであればある程、姉もこうして自分の子を授かりたかっただろう…… 夜泣きや癇癪を起こされても、姉だって辛くても味わいたかっただろう……と思ってしまいます。 幸せであればある程、心苦しいです。 優しく、闊達で、親孝行で、信心深く、面倒見のいい姉でした。 私よりよほど、母親に向いていたと思います。 なんで姉がいないのかわからない、そんな虚無感が度々襲いかかります。 一生、この気持ちを昇華する事は出来ない気がします。 姉に対する負い目のようなもので、幸せになる事に申し訳なさが拭いされません。 それがまた、赤子に対して申し訳なくて、親として情けないです。 姉の死は、どうしようもなかったものだ、とわかってはいるのですが、 どうすればありのまま受け入れられますか? この、罪悪感のような気持ちは、どうしたら鎮まりますか? ご鞭撻頂けると、ありがたいです。
何と感謝したらいいか分からないです 言葉になりません。何といえばいいのか! たった今、坐禅会から帰ってきて一分程度です 山は山でなく川は川ではない。山は山であり川は川である 言葉遊びの頭遊びも終わってしまったが、終わらない! 5歳の頃から死が恐ろしくて夜中泣いていました それからスピリチュアルやら他宗教やらあれこれ手を出して クリシュナムルティやらラマナ・マハリシ等の教えを学んで 色々ありました 今と同じように歓喜に包まれて、世界と一体に感じるようなことがあった しかし死んだらどうなるのか?輪廻に対する恐怖は残っていました どんなに感謝したらいいのだろう?どうしよう?涙が止まらない 何と素晴らしいだろう!すごい! それから仏教を学び、原始だの上座部やら大乗などのあれこれの知識を蓄えたり、そんなことやそんなことしてました 僕はこれから怯えて怯えなくてもいいんですね 22歳これから、笑って泣いてでも憂いがなく生きていける 仏教に出会って本当に良かった 何と感謝したらよいのか 輪廻があるのかないのかに怯えなくてよくなった! 歓喜の中を生きている どこに終わりだと線を引けるでしょうか?死であって死でなく、 死ぬでしょう!何のことない! 何と感謝したらいいのか?感謝を書き込まずにはいられなかったのです 悩み只々あり! 悩みは悩みでしょう!ありがたいこともありがたいんでしょう! 聖と凡を超えてただあったのだ。頭遊びは終わったが続くでしょう! 大乗万歳!ひゃっほーう! あらゆる規定から外れて規定を生きていくのだろう 秋の虫が鳴いている。秋の虫が鳴いている! 私は私に非ず。私は私。悟っただの境涯がどうだのもういわないでしょう! どのような教えや大魔神が来ても驚いて怖がって秋の虫が鳴くでしょう! 何の問題もただ在るだけ この社会にあって社会から外れ、社会にあって社会に生きていく! なんと感謝したらいいのか もうあらゆるモノを問題にせず問題の中、生きていくでしょう! 音声が響いております。ただ音声なんの不随も出来ないし作為無し! こういった歓喜を取り上げて特別な体験である!と祭り上げることもない 自惚れる私は私でなくて私です。こんばんわ! こうやって歓喜がさもありがたいように、素晴らしいように書いてすいません。特別なことないですがどうしてもお坊さん方に伝えたかった 推敲無し!
看護助手をしております。 主に高齢者のターミナルケアを主にした病院なので、亡くなられる方も多いです。 先日、長くお世話をしていた方が、急変して亡くなられました。 その方が亡くなられてから、自分の身のまわりで不運な事が立て続けに続いています。 同僚が夜勤中に倒れたり、同僚の親御さんが亡くなったり。 また脳出血で倒れて療養中の私の父親も、新たに脳梗塞が見つかりました。 これは亡くなった方の怨念のようなものが影響しているのでしょうか。 毎日自宅で勤務前に坐禅を組み、般若心経を唱えて心を落ち着かせています。
はじめて相談させていただきます。 2児の母親でありながら、過食嘔吐をやめることができませんでした。 14才から25年間、過食嘔吐を繰り返してきました。コンプレックス(痩せたい)や自信のなさから始まり、その後は完全に依存性、でした。 子供もいますので野菜も多目に食事を作り、きちんととり、偉そうに『健康のため』と、子供には食事の大切さも語ったりしていました。 それ以外に吐くためだけに好きなものを好きなだけ食べ吐き出していました。子供の目がない時にです。 食事をとっているのでガリガリではありません。(157cm/48kg)ただ上半身は骨の浮き出た、下半身はぶよぶよの気持ちの悪い不健康な痩せ方です。 楽に吐ける体になり苦痛なく吐けていたので過食嘔吐が体に害があるとは考えられなくなっていました。 8月の下旬から少しずつ体調に異常が現れはじめました。最初の異常はのど~食道の異物感でした。それでも過食嘔吐を完全にはやめられず、しばらく様子を見ていました。 怖くなり、いよいよ初めて通院してから内視鏡の予約日までに、背中の痛みや食道の染みる痛みなど、『食道がんでは…』という症状が次々と現れ、恐怖と不安と、25年間胃酸を食道へ逆流させ続けた自分に絶望する日々が続いています。 不眠、下痢、食欲不振、微熱など自律神経失調症の症状も出ています。 もしかしたらこれもがんの症状なのかもしれません。逆流性食道炎では…とも思いますが25年間の行為が直感的にがんを連想させるのです。 子供を愛していたつもりでした。 未だに私に抱っこを求めてくる今年10才になるになる女の子と 私がちょっと見えなくなると、覚えたての言葉で不安げに私を探す今年3才になる男の子、 ママっ子でかわいい二人の子供です。 母親になっても過食嘔吐がやめられず、 子供から母親を奪ってしまうような行為を続けていた自分の愚かさに、死の恐怖に、もし私を失った時の子供の絶望に…心が潰されそうです。 検査まであと一週間、どのような心構えで過ごせばよいでしょうか。 病院の先生には全てを告白し、早めの検査を希望しましたが予約の都合で断られてしまいました。 母親と主人にも初めて全てを告白しました。今後サポートをしてもらいながら治療していく予定ですがまだ『今後』は描けません。
実家にいけば、いつもいた祖父がいないことが寂しいです。一人になると、今頃祖父はなにをしてるんだろうとか、祖母とは再会できたのかなと考えてしまいます。 何十年先になるか分かりませんが、私が死んだ時あちらの世界で私は祖父と再会できるのでしょうか。
おはようございます。 質問、相談になってないかもしれませんが 落ち着きたいので書かせていただきます。 以前「強くなりたい」と 母の検査結果待ちについて書かせていただきました礼子と申します。 今日、母の検査結果が出ます。 検査してから2週間、 こちらに相談して気持ちを落ち着かせ きっと何でもない!!!思ったり 覚悟してみたり気持ちを上げたり下がったりぐったりです。笑 その途中主人の父(83歳)が調子が悪く 「来年はいないかも..」なんて言われてまた落ち込んでしまったり。 でも!来年、明日、自分だってどうなるか分からない。 今だよな!なんて思えられる様になりました。 母の検査結果も 何でもなければ良かったんだし! 悪かったなら治る事を願うだけ! ハスノハでお言葉を貰い ハスノハで色々な回答を読み ほんの少しだけでも気持ちを保てる様になった気がします。 質問相談になってませんが 言いたーーい!思って書いてしまいました。 ドキドキです! では!行ってきます!
先日、実家の祖父が亡くなりました。 10日前までは元気だったので、まさか死ぬとは思ってもいませんでした。 祖父が亡くなってから、あの時病院の送迎してあげてたらな…とか、こうなるんだったらもっと大切にしてあげたらよかったと後悔ばかりです。 祖父が私のことを気にかけてくれていたことも、亡くなった後に親、親戚に聞きました。 学生の頃も、学校まで送迎してくれたり、辛いときも味方になってくれたり、大学受験に北海道まで飛行機に乗ってついてきたり、運転免許をとった時は運転の練習に付き合ってくれたり。 思い返すと、私にはとても大切な存在で大好きな存在でした。 祖父の最期も見とりましたが、まだどこかに生きてるんじゃないかとか思ってしまう自分がいます。 毎日泣いても祖父の死を受け入れることができません。 どうしたらこの気持ちは癒えるのでしょうか。教えてください。
年の近い兄弟が交通事故に遭いました。 入院していますが、意識はなく回復に向けて治療をするというより、最期までいかに穏やかに過ごせるか、、、という段階にあります。もちろん、奇跡的な回復を祈りつつ、一緒に過ごしています。 事故後からいろんなことを考えました。 現実を受け入れきれていない部分もありますが、 生と死を身近に感じ、大切な人を失うことの悲しみに日々苦しんでいます。 辛い気持ちは誰かに話したほうがいいよ 話すと楽になるよ 話聞くよ と周りの友人たちが言ってくれて 話したくない気持ちもありましたが、 どうにか吐き出そうと話を聞いてもらいました。 ですが、20代前半の私の周りの友人には 受け入れられる内容ではなかったようです。 友人からの言葉に逆に傷ついてしまったり、 友人を嫌いになってしまいそうな自分がいます。 話をしたことを後悔するようになりました。 臨床心理士の方など専門家の方に話をする気にはなれないし、 まだ若い自分の友人たちには尚更もう話せずにいます。 溜め込むことしかできずにいます。 苦しいのに、辛いのに、私のこと本当に想ってくれている友達なんて本当はいないんだ そんな風に考え始めました。 溜め込むことはよくないことだと理解してはいますが、誰にどこまで、どうやって吐き出せばいいんでしょうか。 ここに質問させて頂くことで、少し吐き出すことができます。この場を作って頂きありがとうございます。
夫は闘病10年目です。化学療法を繰り返してもなかなか寛解できません。 今年になってから2度も緊急入院しました。 確実にその日が近づいていることを認めざるをえません。 過去にいろいろな行き違いがあって、夫と別居生活をしていました。 別居7年目に、発病した夫を私のアパートに連れてきて同居し、 都内の病院で治療を受けて10年、今日に至ります。 肉体労働者であった夫は辛抱強く、苦痛を口に出さず、生真面目で禁欲的な人です。 この年になって夫の良さがようやくわかってきて、仲良く暮らしていきたいのに、 残された時間は少なすぎます。 長い間夫を理解してあげられなかったことで、申し訳ない気持ちでいっぱいです。私は悪い妻です。 涙がとまりません。 この先に、とても残酷な運命が待ち受けているというのに、 なぜ人は生きていけるのでしょうか。
私は今大学二年生です。今年度に入り、逆流性食道炎という病気になりました。主な症状は一日数回の軽い吐き気、食欲不振、体のダルさ、微熱等です。 大学に通うため一人暮らしを始めてから初めて体調を崩したため、具合が悪くなっても一人で暮らさなくてはいけないという不安から病気が悪化したこともありました。 一人暮らし以外にも、電車やバス等の公共交通機関に乗ることが怖くなったり、迷惑をかけてしまうのではないかという心配で友人との遊びの約束に緊張したりしてしまいます。 今現在は夏期休暇のため実家で家族と一緒に過ごしているので容態は比較的安定しているのですが、もうすぐ休暇が終わりまた一人暮らしをしなくてはならないのかと思うと不安で仕方がありません。 体重も日に日に減っていき、このままでは大学に通うことすら困難になってしまいそうで怖いです。どうか私に一人暮らし、または病気が怖くなくなるようなアドバイスをいただけないでしょうか?
4回目の質問になります。 原因不明の病で入退院を繰り返していましたが、確定診断がつきました。症例の少ない難病で治る事はないそうです。 頼れる身内はいません。市役所では生活保護を強く勧められました。 働く事も出来ず、生活保護を受け、社会参加も困難。 薬を飲んで、ただ息をしているだけ。 まだ40代です。 先は長いでしょう。 治らないけれど死ぬ事もない。 この生活を続ける事に何の意味があるのでしょう。 食事して寝て過ごす生活。 外出も困難。 生きる意味は何ですか? 「頑張って生きて下さい」と言われますが、生きていて何の意味があるのか分かりません。
色々と書きたいのですが、不特定多数の方の目に触れるので すいません、ご勘弁ください(プロフィールをご覧頂けると幸いです)。 誰だって、何かしら悩みはあるし、物理的に満たされた人でも 人には言えない悩みがあるかもしれません。 私は人生の半分以上生きてきて、現在が、これ程生きてるのが辛いと思った事はありません。 何かの『罰が当たって』るのでは…とさえ思います。 だからと言って自決する勇気もありません。 悲しむ人がいなくても、必要とされてなくても… 寿命が来るその時まで、苦しみながら生きなければならない。 『生きてれば良いことがきっとある』とも思いません。 このネガティブ思考は、病気のせいかもしれません。 こんな私が、何の為に、これから生きて行けば良いでしょうか? 私、生きててイイの?と思ってしまいます。
他の方の回答を読んでも心救われています。 毎日「ありがたし」でいっぱいです。 母(実母74歳)は9年前より 血尿があり検査すると腎臓に腫瘍で腎臓を一つ摘出。 数年後 何年も前から気になっていた胸のしこりを 1cm程の切開で切除。 いずれも取り除いた事でその後の癌治療も無く退院。 また数年..今度は膀胱に腫瘍。 膀胱嫡出の可能性まで言われ覚悟して内視鏡手術を終わるのを待っていたら 「内視鏡にあたっただけでポロッと取れたから大丈夫だよ」と、言う事で膀胱を摘出する事無く済みました。 そして、また数年後の先週の金曜日 いつもの膀胱の定期検診に行くと異常なし。 良かったね!とか話しながら帰ってきたものの 3日後の月曜日に 少し話しがあるからと病院から電話があり 早い方がいいね!と予約を入れその日に病院へ。 すると今度は肺。 肺の一部の影が今回は少ーーし濃くなってる様だから 検査してみようかとの事。 その肺の影は7年前からあるもので 泌尿器科の先生は大丈夫かな?とスルーしたのを 他の先生が微妙な変化を指摘して検査する事になったらしいです。 「見つけてもらってありがとう」と先生に言ってきました。 呼吸器科に行き検査の説明を聞きに行くと とても明るい先生で「濃くはなってるけど7年前からのだから大丈夫だとは思うけどねー」と笑いながら言ってくれたのにはとても救われました。 来月になってたかもしれなかった検査もスムーズに事が運び今週の木曜日になった流れにも感謝しています。 母は「もし悪い結果でももう手術は嫌だなぁ..」「でも、大丈夫って言ってたよね!」と同じ事を繰り返し言ってる毎日です。元気付けようと毎日それに付き合い大丈夫だよ!大丈夫だよ!言ってます。 改めて病の経過を文字にしてみると 母もきっとまたか..って思ってるんだろうなと、 本人がつらく心が折れそうな気持ちも分かります。 結果どころか検査もまだですし 悪い事ばかり考えず良い事を前向きに考えよう! とは思いたいのですが母も私も心配性.... 明るく振る舞ってはいますがツラいです。 胸が痛いです。 母の病に立ち向かう気持ち 私の母を支える気持ち 強く持つにはどうしたらいいのか.... 少しでもお言葉を頂きたいと思いました。 長々と読んで頂きありがとうございました。
お世話になります。 3年前に母を亡くしました。 1月半あまりの入院でした。 同居している姉は、「そろそろ納骨しよう」「母の荷物の整理をしよう」と言いますが、まだ、まったくその気になれません。 遺影を見たとき、服を見たときなど、涙が止まりません。 亡くなる3日前まで絶飲食だったので、「のどが渇いた」「お腹がすいた」などの訴えを、かなえてあげることができなかったことばかりを思い出してしまうのです。もう、肉体的な苦しみからは、解き放たれているとは思いますが… どうすれば、姉のように母の死を受け入れることができるのでしょうか?
先日弟が21歳の若さでなくなりました。 友人と海に遊びに行き、流され行方不明となりました。 幸い1週間後に出てきてくれたので通夜、葬儀をやってあげる事ができましたが、少し落ち着いた今辛くて仕方がありません。 弟は行きたかった企業に内定をもらい、これからって時にこのような事になり本当に可哀想です。 小さい時から喧嘩もせず、わたしを頼ってくれる本当に自慢の弟でした。 流された時に苦しまなかったか、怖くなかったかと考えてしまい毎日苦しくなります。 そして、もう少し会っておけば…しっかり話しておけば…と後悔の念に駆られています。 弟と2人兄弟だった私は、1人になってしまった今両親をしっかり支えなければならない。 私も仕事をしなければならない。 支えてほしい彼氏は弟が行方不明の時も浮気をしている。 と今精神的にとてもキツイです。 どうすれば、楽になりますでしょうか。
原因不明・完治が難しい多くの症状に悩まされ、鬱・パニック状態に陥るようになってしまいました。症状緩和のため、自分なりに努力していますが、時々発作的に死んでしまいたいと思う事があります。 実際に踏み切る勇気もないのですが、死後の世界は悪くないと聞く中、自殺者の魂はこの世での課題を放棄したペナルティが課されるという事も聞きかじりました。 これは自殺者からの真のメッセージなのか、或は自殺防止のための宗教的教えなのかと疑問に感じています。 アドバイスよろしくお願いします。