人ではないのですが… 1月18日20時15分に、10年8ヶ月飼っていた愛犬が他界しました。 去年の12月頃から様子がおかしく、私と愛犬しかいない部屋の壁を黙って見つめていたり、夜中にクンクン鳴いたかと思うとおもちゃをくわえ壁を見つめていたりしていました。 そして、今月4日突然愛犬の両目がショボショボし始め病院へ連れて行くと白内障になりかけてると獣医に言われました。 その後、薬で治療していましたが、亡くなった日の明け方にてんかんの発作を起こし病院へ。 点滴などの治療をしましたが、その日の20時15分に、苦しみながら旅立ってしまいました…。 その後、とてつもない脱力感、絶望感と寂しさに襲われています。 私自身も一昨年暮れに大病を患い危なかったところをなんとか名医に助けられました。 しかし、まだ未だに体調は良くなく後遺症と戦っている日々での愛犬との別れてでした。 未だに、首輪につけていた鈴の音がたまに聞こえ、近くにいるのかな?と思う日々です。 親友に、虹の橋の話を聞きなるべく泣かないように、後悔しないようにしているのですが立ち直れません…。 あの子の苦しみながら亡くなった時が未だに頭に残り消えず、新しくペットを迎えるきにもなれず…。 看取れただけでも良かったでしょ? 最後まで一緒に寝られたから良かったでしょ?と家族に言われますが。笑顔で対応する事は出来ません。 私としては、ずっと愛犬のお骨を家に置いて起きたいのですが 駄目なのでしょうか? ワンちゃん用の骨堂に置いた方があの子の為によいのでしょうか? 人や、動物の死は本当に辛いです。
祖父が亡くなってから4ヶ月が経ちましたが、未だに祖父のことを考えるとつらくなります。 実家に行くたびに、そういえばあんなことあったな~とかよくこの椅子に座ってたな~とか思い出します。 祖父が亡くなってから、何回も夢の中にでてきます。元気だった頃の祖父です。 家族の中で祖父が夢に出てきたのは私だけみたいです。どうしてこんなに夢に出てきてくれるのでしょう。私が立ち直れていないからでしょうか。
82歳の認知症の母と、90歳の父とが、兄夫婦と暮らしています。もう、認知は10年ぐらいわずらってます。 しかし、父親が、全ての面倒をみていましたが、昨年膝の悪い母が、骨折をして入院をしました。ほとんどお見舞いにも来ない兄嫁です。 食事なし、生活面もほとんどなにもしないという、過酷な10年間がすぎ、母は、病院にはいり、リンパ腫をもちながらも、いま、一生懸命生きています。父親も、一生懸命母の面倒をみています。私もできるかぎりのことはしています。 兄に、面倒を見てあげるように話しましたが、お前になにがわかるかと!長年の両親とのいざこざを言われ、根にもつ兄を説得しましたが、無駄に終わりました。 兄嫁は、認知症であるからゆえに、母親をきらっているようです。 今、父親には、1日1回の食事毎日?作るか作らないかの状態らしいです。 父は車にも乗ります。何もしてもらえないので、免許証もかえせないみたいです。口では、危ないから、車にのらないように!といわれるけれど、一度、二度ぐらいは、車にのせてはくれるものの、長続きはせず、食事も何もかもが、続かない人のようです。 お風呂も、外で入り、汚い?とか言われたり、夜中しか入れないようにしたりと、冷たい態度が、父親の心を痛めています。 私は、どうしてあげるのが一番よいでしょうか? 母親は、ほとんど、寝たきりですが、わたしと、子供を見るとニッコリしてくれます。 でも、介護度3です。ほとんど、わからないようですが、まだまだ、一生懸命生きています。 私は、何をしてあげたら母は、幸せなんでしょうか? 父親になにをしてあげたら、心が休まるのでしょうか? 耳も遠くなり、聞こえにくい耳で、私と話すのが一生懸命な父に長生きしてよかったといえることは何なのでしょうか? 母親がなくなってしまったら、父はどの様な生活をしていけばいいのでしょうか? 私は、結婚して、今年4月から、2人の男の子供が就職します。しかし、自分の夫は私の親の事は無関心な人で、話になりません。相談もできません。 私にできることがあれば、教えてください。宜しくお願いします。
彼が自死で泣くなって今日でちょうど一ヶ月になります。 この一ヶ月間、寂しさや後悔・罪悪感など色々な思いを抱えながら生きてきました。 自ら死を選択した彼の気持ちや、旅立つ準備をしている間の心境を考えると、今、自分が日常に戻ろうとしている事に罪悪感があります。 でも今朝、うつらうつらとしている時に夢に彼が出てきて笑顔で“ありがとう”と言ってくれました。 自死を選択する事で悩んで生きて行く事よりも彼は楽になったんでしょうか。
これ以上、成果をだせません 限界です
父が昨年12月に83歳で他界しました。 認知症になって3年、亡くなる約1ヵ月前に肺炎になり回復することなく亡くなりました。 私は遠方に嫁いでおりましたので、年に数回帰っては父の様子を見ながら、自分なりに出来ることはしました。また認知症の知識も素人なりに勉強し、どう父と向き合ったらよいかを常に考えていました。 最後の一年くらいは、私のことを娘と理解しているのかもわからない状態でしたが、それでも普通に「お父さん」として接し、父も笑顔を見せてくれていたのでそれでよいと自分に言い聞かせ、父が少しでも現状維持で長生きしてくれることだけを願っていました。 入院する前の父は、症状は進んでいても食べることも歩くこともなんとか出来ましたが、入院してからは階段を転がり落ちるように症状が悪化し、あっという間でした。 入院したと聞いて、居てもたってもいられず、急遽帰省し4日間だけでしたが父の様子を見に行くことができました。亡くなる2週間くらい前でした。その間毎日病院に行っては父に話しかけました。もちろん父の反応は既に薄いものでしたが、目を合わせれば反応はしてくれました。 そして、一度だけ私に一生懸命何かを言おうとしたのです。こちらも一生懸命耳を傾けましたが、結局何を言いたかったのかは分かりませんでした。その時の父の顔が、病状のせいかもしれませんが、今まで見たことないような悲しいそうな泣きそうな顔でこちらを見ていました。 父が亡くなり、子供の頃から今に至るまでのことを思い出し、父には感謝の気持ちしかありません。大好きな父であり、父の子で生まれたことを誇りに思っています。元気な頃はたくさん話してたくさん遊びました。 父の死を少しずつ受け止めていこうとしていますが、どうしても最後の言葉や入院中の辛そうな顔を思い出すと、胸が苦しくなり、そこで立ち止まってしまう感覚になります。 父の最後の言葉をどう受け止めたら良いのでしょうか?
やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、 側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。 だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。 もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。 それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。 私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。 夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。 主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。 1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。 どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。 抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。 周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。
祖母が入院していてもう長くないみたいです。 長くて5年だそうです。 今も危ないと先生は仰ってます。 心臓に水が溜まり今は常に体の中で溺れてる状態で意識も朦朧としてるみたい。 お正月に会ったけどもうそんな長くはないのかな?ってなんとなく思ってました。 でもまだ実感わきません。 自分の身近な人が余命宣告されるとは。 お見舞い行くときちゃんと笑えるかな? 死へ向かうのって怖くないのかな? ひとりで心細くないかな? 寂しくないかな?っていう考えが頭から離れません。 当たり前かもしれないけど大人になってから死を直面するのって凄くしんどくて。 その話も聞いて1日で1kg減ってしまいました。 旦那や赤ちゃんには笑顔でいつも通りな生活をしているつもりでしたがやはり精神的にキツいのかな?と思います。 こういう身近な死はどうやって立ち向かえばいいですか?
仕事もして満たされているはずなのに気がついたら自殺しようとしてた
現在2人目妊娠中で、来月産まれる予定です。 そして先週祖父が亡くなりました。13年前に倒れ、その時に今夜が山だと言われましたがなんとか持ちこたえました。 そして4年ほど前から入退院を繰り返していましたが、日に日に弱くなりつつも元気に過ごしていました。 去年5月に脳梗塞にもなり、秋頃には自宅で倒れたらもう助からないと思ってください!と言われ、みんなある程度の覚悟はしていました。 お正月に会った時もすごく元気でしたし、私が妊娠してから一切赤ちゃんのことに触れてこなかった祖父でしたが、お正月の時は初めて祖父から『次男の子なんだって?』『名前決まったのか?』とたくさん赤ちゃんのことを聞かれました。 しかしその一週間後自宅で倒れ、そのまま息を引き取りました。 今ものすごく後悔と、あと少しでひ孫を見せてあげれたのに…と日に日に悲しさが増してます。もっとたくさん会いに行けばよかった…もっとお正月に話すればよかった…と。 一昨日の夜中、娘が急に起きて窓を指差し『じぃちゃん!じぃちゃんいるー!』と言っていました。きっと様子を見に来たのかなぁーと思います。新居も見せずに終わってしまったので… 祖父のことを考えると苦しくなります。 私もこれから出産が控えていますが、呼吸困難になり緊急受診する程になってしまいました。 先生からは疲れと精神的ダメージで呼吸困難になってると言われました…。 このどうすることもできない気持ちをどうしたらいいのか…と思いご相談させていただきました。よろしくお願いします。
先週、姑が、急に逝ってしまいました。 自分はあまり出来た嫁ではなく、「はいはい」とだるそうに頼まれたことをしていたり、姑の悪口など影で言っていて、今、思うとかわいそうなことをしてしまったと後悔しています。 姑も、まったくの善人というわけではなかったですが、もうちょっと温かい目でお年寄りを見守ってあげれたらと。 クリスマス前に、会ったのですが、仕事で疲れていたのと、わがままに辟易して、冷たい対応をしてしまいました。 自分も仕事や自分の生活でいっぱいいっぱいで、心に余裕のなかったことは確かです。 介護は自分はしていなくて、娘さんが率先してやっていました。それほど介護がいるわけではなく、買い物とか病院の送り迎えとか、ちょっとした家の用事など自分はたまにしていました。スーパーや100均のお菓子じゃなくて、もっと良いお菓子など自腹で買ってあげればよかったです。甘いもの好きな人だったので。 亡くなる前日は自分は姑と会っていませんが、娘さんから聞いたところ、元気で普通の変わりなかったそうです。土曜日にレストランに食事に行こうかとかそんな話をしていたそうです。 次の日、娘さんが家に遊びにいったら、床の上で冷たくなっている姑がいました。 心不全でした。 こんなに簡単に、人って逝ってしまうんだと、ショックを受けています。 一番気の毒なのが、娘さんで、現場を見てしまったショックで寝込んでしまいました。罪滅ぼしですが、娘さんと息子さんにできるだけ、嫁の私が、出来ることならなにかしてあげたいと思っています。 料理作るとか、一緒にいるとか、車の運転や、葬儀や後片付けのお手伝いぐらいしか、自分にはできませんが。おせっかいですか? 姑も気の毒ですが、娘さんが本当に気の毒です。 享年91歳なので、しかたなかったと言えばそうですが、あまりにも急だったので、皆、傷心しきっています。 しょうもない嫁でしたが、私にもなにか出来ることはあるでしょうか。 アドバイスください。
このまましにたい
先日、父が亡くなりました。 半年ほど入院していて、ずっと家に居なかった上に、容態の急変で死に目には会えず、遺体は病院から葬儀社へ直行したため、父の死が実感できません。 火葬の日まで、祭壇を家に置くことを葬儀社から案内されましたが、断りました。家に帰って祭壇を見るたびに、父はもう死にました!と突き付けられるのが、どうしても嫌だったからです。 こう思うこと自体、親不孝なのでしょうか。 数日後に父を火葬します(通夜は行わず、葬儀は火葬後に父の故郷で行います)。お伺いしたいのは、その火葬の日までに、父の死としっかり向き合い、覚悟を決めて火葬に臨むべきなのでしょうか。 今、心をどこにどう置いていいのか、とても迷っています。 父の遺体と2度ほど対面しましたが、穏やかな顔してるね~と私は笑うばかりで、まだ一度も泣いていません。 遺体を前にしても、変な違和感と、どこか他人事のような感覚…というよりは他人事にしたい感覚というか、死と向き合うことから逃げているのかもしれません。 こうして文章を打っていると涙が込み上げてきますが、それでもまだ死と向き合えずにいます。 今、私は心をどう置くべきなのでしょうか。
5年余りの闘病の末 62歳で主人が亡くなりました たくさんの病気を抱えながらの治療に 病院ドクター スタッフのみんさんには 細かい配慮も頂き 誠実に治療 対応して頂きました 病院で最期を迎えましたが 大量の吐血という その最期の姿が 余りにも壮絶で 今も 妻である私の頭から離れません 何度も恐ろしい 残酷な場面を思い出し 怖くて眠れません 結婚生活の中には しわせな事もいっぱいあったのに この最期の 悲しくかわいそうな姿に 今までの楽しい事も 全て奪われ消えてしまいそうです 病態のひとつであることは わかっています 精一杯ご尽力頂き 私も精一杯寄り添ってきたつもりです ですが 吐血をしながらも なにか言いたそうだったのに 言葉にもならず 私は聞きとることができませんでした 最期 主人が言いたかったことは なんだったのか 最期を看取ったのは 私だけだったのに 主人が言い残したかったことを 聞いてあげれなかったことが残念で 悔しくてなりません たくさんの方々に ご尽力頂き 大変大変感謝もしています 身体も限界で 充分がんばったとは思いますが もっともっと 生きたかったんだと思いますし 最期は 静かに迎えてほしかったです 壮絶な最期になってしまって 主人は成仏できるのでしょうか 大切な人を失うことを どのように捉えたらいいのか 妻である私は どのような心でいれば 主人は成仏できるのでしょうか どうかアドバイスをよろしくお願いいたします
半年前、私をとても可愛がってくれていた大好きな祖父が亡くなりました。 80歳を超えていましたが現役バリバリで仕事をし、街の発展に尽力した人で、街の誰からも尊敬され、愛される、自慢の祖父でした。 私が小さいときには、公園に連れて行ってくれたり、一緒に昼寝をしたり。成人してからは、家に遊びに行く度に、様々な御説教をしてくれたり、小さい頃からの約束だった「祖父母と3人での海外旅行」をしたこともありました。 祖父は2年前に肺がんを患っていることがわかり、抗がん剤治療をしながらも、相変わらず街の為・人の為にと普段通りに生活をしていました。 私は今、仕事の都合で地元を離れて暮らしており、なかなか祖父母に会いに行く時間を作れずにいましたが、神社などで健康のお守りを頂いては祖父に送ったり、手紙を書いては電話で返事をくれる位に喜んでくれていました。 最後に会ったのは亡くなる3ヶ月程前で、その時の祖父は自転車に乗って威勢良く「仕事に行ってくる‼︎また遊びにおいで‼︎」という元気な姿でした。 ある日、母から「祖父が入院した」という知らせがありました。それまでに何度か検査入院などもしていたので、その時も検査入院か2〜3日で退院できる程度だと思っていました。 それから2週間後、「祖父が亡くなった」と連絡がありました。その時、大きな仕事を抱えていた私には、容態が悪い事を伏せてくれていたようです。連絡を受けて、とにかく必死でその日のうちに祖父の元に向かいました。 地元に着いた時には、もう祖父は棺の中で安らかな顔をしていました。祖父の葬儀でそこまで泣いている孫は見たことがないと言われる位に泣いて泣いて、泣きました。あの元気だった祖父の死が、半年以上経ってもまだ受け入れられません。 パパっ子だった私の母も、必死に前を向こうとしてはいますが、小さなきっかけで悲しく涙を流すのです。そんな母を見ると、私もとても辛く、地元には祖父の面影がありすぎるし、元気な姿しか想像出来ないのにどうして会えないんだろう…と苦しいです。 大好きだった祖父の死を受け止めるにはどうしたらいいでしょうか。 また、ありがたい事にとても仲の良い家族で、いつかは別れの日が来るのだと思うと辛くて悲しくて、その現実と向き合う事も出来ません。 前向きに明るく生きていくには、どのような心持ちで居ればいいでしょうか。
またお坊さんに相談します。 たびたびすみませんがご回答いただくとありがたいです。 祖母はルビー小体型認知症で波があり96歳です。 編み物を戦前夫が亡くなったので人の編み物をして生計をたてていました。 母をそれで、育てていました。 だから今でも座布団はきれいに編めます。 編み物を休みながらこの年の祖母にさせてやりたい孫です。 祖母の性格上休まないでするので、足が弱るし便秘が重くなるしと いう影響があるので母としては休ませながらさせたいのですが この前母が祖母にひどく怒ってしょんぼりしていて私もなぐさめたの ですが私が休憩させてするからというと「お前が介護せい」と言われて しまいました。 明日もデーがあるのに下着を一杯だして私が全部引き出しにしまい 下着を買いに行くこともお金もないといいます。 次の日になると祖母はコロッと忘れて優しく穏やかになります。 車椅子があっても押して母が買い物につれていくことがないです。 車を運転しても足がよわっているからと買い物に連れていって あげることがないです。 祖母は買い物に行きたがっているのに。 だから私が買ってあげることがありますが病気をたくさんしていて 糖尿の野菜代や間食代などにいるのでそんなに買ってあげることができません。 家族で協力して介護するのが普通なのに病気の孫が介護するって 私にも介護ができる限度があります。 寝かせないわけにはいかないので、私が明日デーがあるといって寝かしました。出た下着も全部片付けて、デーの用意をしました。 母も家事があって大変なのはわかるけど、姑の介護してるのではないので 介護や祖母の物を買ってあげてほしいと私は思います。 祖母はどっかやるから服も下着も買ってやらないと母は言います。 黙って我慢してる祖母がかわいそうです。 父は私には嫌味や暴言はきますが、祖母にはすごくやさしいです。 デーの送りだけはしています。 ご回答よろしくお願いします。
昨年秋に父が末期がんを宣告されました。 それに伴い、母も精神的に不安定になり、抗不安薬を飲みながら生活しています。 私は普段仕事で実家を離れており、週末は戻るのですが、穏やかな性格の父はともかく、看病疲れとストレスでイライラした母に対して腫れ物のように接してしまいます。 昔から私は母のことが怖く、機嫌のいい時は仲が良いのですが、怒られると怖くてたまらず、落ち着くまで距離を置いてしまいます。 母は私が家の手伝いをしないことが不満なようで、私も出来るだけ母の助けになりたいと思うのですが、一声かけてもし機嫌を損ねてしまったらと思うと気が気でなく、母がいない所でお皿を洗うことくらいしかできません。情けないです。 何と声をかけても、母の逆鱗に触れてしまうのではないかと思うと、怖くて父の病気の状況も聞けず、いつ父が死んでしまうのかと不安です。 また、少しでも話を聞いてあげたいと思うのですが、母は口を開けば家事と仕事と私たちへの恨み言を延々と話し、私が実家に帰ること自体母の邪魔になっているのではないかと思うと、無力感に襲われ、涙が出てきます。 一番辛いのは、病気の父と、その一番近くで看病をしている母だと頭では分かっているのですが、傷つくのが嫌で、距離を置いてしまう自分がとても情けないです。 父は抗がん剤を投与しており、調子がいい時は普段通りなのですが、副作用の吐き気や鼻血、倦怠感がある時は辛そうで、仕事も出来ず、ずっと家でぼんやりとテレビを見ている様子が可哀想です。 私に出来ることを考えては見るのですが(DVDや本を与えてみるとか、趣味探しを勧めるとか)、どれも効果がなさそうに思えて、やる前に諦めてしまいます。 出来れば父が元気なうちに、家族で温泉旅行に連れて行ってあげたいと思うのですが、母に反対されたらとか、余計に父の病気が悪化したらとか、いろいろと考えてしまって実行できずにいます。 今この文章を書いていても、自分の臆病さが情けないのですが、父や母ともっと明るく会話できるようになるには、どんな心構えが必要でしょうか。 父や母の助けになるにはどうしたらいいでしょうか? アドバイスをいただきたいです。よろしくお願いします。
昨年12月上旬より祖父89歳、糖尿病の血糖コントロール、認知症の祖母がイレウスによるオペで入院しました。祖母85歳は1週間後には退院しデイサービスを利用しながら自宅療養をしています。祖父は入院時の誤嚥性肺炎により発熱し食事が入らず、安定剤により夜間せん妄となり今も個室対応で入院してます。 昨日、主治医よりカンファレンスがあり母と私たち孫夫婦3人でお話を伺いました。胃瘻を勧められましたが、本人が昔から胃瘻などの延命は拒否と言っており母も私もお断りをしました。結果、好きな物を食べさせてあげて肺炎が悪くなればそれに対して治療実施、亡くなった場合は老衰です、とのお話になりました。 現在は3食の病院食を食べられるだけ介助にて摂取しています。せん妄はあり病室に誰かがいるなどの発言や、夜間なども声を上げることもあるようですが昼間は意識もしっかりしていて冗談も言える状態です。しかし、そんな状態ということもあり昨日決めたことが本当に正しかったのか心に引っかかっています。私の両親と私たち孫夫婦で祖父母の介護をしていますが、私は介護の資格はありますが母は介護力は少ないです。祖父母は二人暮らしですがデイに行きながら母と私で通いながら生活を支えて来ました。ですが、こんな退院後の二人暮らしは無理だろうと、最近になり施設を探して祖父が退院と同時に祖母とグループホームに入所予定です。祖母は認知症で鍋を焦がすこともあり一年前にグループホーム入所を決めましたが土壇場理になり姥捨山に捨てるのかと大騒ぎをして家を出て行ったりと結局諦めました。今回はやはり姥捨山に捨てると母と喧嘩ですが母も腹をくくって、入所を決めたと言っています。母は退院した後の行き先が見えて来たことで最近は明るいですが、母本人の気持ちの浮き沈みが激しく、一つ問題が出てくると私に不安の電話が長々とあり、今の私の気持は絶対言えません。言えば母の気持ちも揺らぎ母の不安定にも繋がります。私には祖父母の事でこれ以上母の不安を大きくするとこはできません。 祖父は死を待つような判断でいいのか、私はどのような心持ちで居たらいいのでしょうか。私が祖父の命を切ってしまったようで辛くて仕方ありません。祖父の胃瘻拒否をいいことに、私は祖父の死を待ち、祖母だけの介護で楽になり母も安定する事で私も楽になるからそれを期待している酷い人間なのかもしれません。最低です。
苦しく苦しくどうしようもない思考回路に陥ってしまいました。どうぞお言葉をください。 愛猫を飼っていました。 夜、外にいつも出かけていました。 昨日の夜、外からドン!という音が聞こえました。もしかしたら愛猫が車に?とよぎりました。部屋から一階に移動し部屋に愛猫がいるかみましたがおらず、さらに不安になりました。 でも、道路に横たわる愛猫を想像し、夜でもし何かあってもどうしてもやれない不安で外に確認しにいきませんでした。きっと明日はいてくれると。 しかし、今日の朝、愛猫はひかれて死んでいました。 わたしが昨日みにいっていれば、亡くなったけれど夜中寒い中、道路で1人にはしなかった。もしかしたら何か出来ていたのではと、後悔と愛猫に申し訳ない気持ちしかなく。 愛猫が苦しみ、鳴いていたのではないか、私は弱い人間だともう苦しくてなりません。 想像しては怖くなります。 わたしはどうすべきでしょうか。
ももと言います。 乳がんをする前は7年線維筋痛症という痛みの病気とむきあって そのときだけ、先祖供養をして、高野山で得度をさせてもらい 霊感も授かりました。 2年半前に乳癌全摘と今は糖尿と心の病気は軽いうつと不安障害とパニック障害です。橋本病と緑内障をかかえながら、 波のある認知症のある祖母の世話と介護を家族で一緒にしていま今96歳で足が弱ってのでよく転倒しますけど幸いおおきな骨折もなくすごしています。デーにも楽しく行っていますが、用意ができないときは私が用意します。 ボケが強くならないようにいつも話しかけたり昔のうたをうたったりしています。今は編み物が好きなので編み物してるみたいです。 ボケが強くないときは穏やかで優しい 祖母です。私に励まして味方になってくれるのは祖母だけです。 乳がんの傷の痛みをさすってくれることもある優しい祖母です。 父がよく怒ることでパニック障害やうつや不安障害になること。他に病気を多数もっているし病気になって20年 暴言や私に嫌味いうか怒ってばかりです。死にたくなるときがよくありました。いろんなことろへ相談して心を楽にしています。 残念ながら父には心の病気は15年してもわかってもらえません。 たくさん病気をもっているのできついことはすみませんが書かないでください。病気を治して治らない病気もあるけど一生つきあっていきたいです。 病気をしたから人に役立つことをしたいと思っております。