母娘
こんばんは。
私が小学3年生の頃に母から言われた言葉があります。それは『誰がお前を幸せにさせるか。私と同じめに合わせてやる』です。
母は所謂、私の父のところに嫁いでから嫁姑問題等で苦労をしたようです。乳飲み子だった兄と不幸な思いをしたそうです。だけど数年後に私ができ、姑に私は可愛がられたように母には思えたそうです。それが母にとっては面白くなかったそうで、母は私の頭を掃除機で吸い取ろうとしたり、私と食べるご飯はマズくなる、と言うようになりました。実は姑である祖母からはタバコを口の中に強引に入れられたりしていたので幼い私は四面楚歌でした。そのうち私の心が悲鳴をあげだし、不登校になりました。今、思えば小学校低学年で鬱病だったように思います。眠れない日が月単位になり、体がしんどくて両親に助けを求めましたが、学校に行ってないから眠れないんだ、自業自得だと言われた日が昨日の事のようです。
私が中学生の時に母が癌になり、おとなになってからは父が癌で他界し、母が鬱病になりました。二人の看病をひとりでしてきました。仕事を辞め看病を。正直に申しまして両親の看病を何でひとりでしなきゃならないのかと思いました。兄は普段通りの生活をして、何で私だけがと。その後、看病が終わり再就職をしました。ですが残業が多い職種だったため、母の生活ルーティンである、ゴールデンタイムに録画してある連ドラを見せる事ができなくなりました。そしたら、母は私の会社へ上司に怒鳴りの電話をし、退社せざるを得なくならました。母は満足気です。アパートを借りようとしても私の荷物チェックをするので、喚き散らかし手のつけようがなく、結局はアパートでの一人暮らしを断念せざるを得ません。
今は『私は認知症〜』そう言っています。
勝手がいい時だけ認知症です。
いつか殺してしまうんじゃないかと思うと怖いです。死にたいです。限界です。
死にたい
有り難し 12
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