hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「仏教」を含む問答(Q&A)一覧

三縁の慈悲

おはようございます。先日、慈悲について教えていただいた者です。あの時初めて聞いた仏教の慈悲の種類 - 衆生縁、法縁、無所縁の慈悲について、ずっと考えていました。これでちゃんと理解できたか(勘違いしていないか)、よかったらお暇な時に教えてください。あれこれ訊いてごめんなさい。 衆生縁の慈悲 - 自分の身の回りの人への慈悲、友達への思いやりとかでしょうか。 法縁の慈悲 - わからないです…ご説明お願いします。できれば今回3つの慈悲を一緒に理解したいんです。 無所縁(無縁?)の慈悲 - 対象がないと言われているところがわかりにくいのだけど、縁がないということは全然知らない人に対する慈悲、相手を選ばなくて無償で無限という意味でしょうか。これが仏様の慈悲かなと思います。 ハスノハで初めて仏教を知ったのは先月、仏教は神に奇跡を祈ったりするものではなくて苦しみを減らす考え方を学ぶものなのかな、と何となくわかってきました。少し前まで私は大きな大仏の神様がいて仏教徒の人達はその神様に祈っていると思っていましたが、この世に生きているうちに法則に気づいた人(お釈迦さま)が説いた教えが仏教だったのですね。それなら菩薩とか如来と呼ばれている神様達は何だろうとか、もっと知りたい欲求が出て来て煩悩が増えてしまった気もするけれど、仏教を知ることができてよかったと思います。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

本を読んでみて

法話集を求めて 近くの書店へ行ったときに、 読んでみたいなぁと思う本がありましたので 購入してさっそく読んだのですが、 書かれている内容は、 なるほどなぁ、ありがたいなぁ、 これからはこういう風に 生きていきたいなぁと前向きになれたり、 仏教についても理解が深まったり、 素敵な本だったのですが、 亡くなった人は仏様になったのだから 食べ物に好き嫌いはありません 故人の好物をそなえるのは 供養とは真逆の行為です、 仏様になったということを 信じていないことになります。 とか 仏様になった故人に、 手紙を書いても声は届かないし読めない 故人との思い出を綴ることは良いが 手紙を書くのはすすめない、 と言う内容のことが書いてありました。 他の内容はとても素敵なのに 自分がしている行動と違うからか、 どうしてもこの2つが気になります。 著者の方の考え方を否定しているわけではありません。 仏教の中で、このように考えるのか、 それとも著者の方が、このように考えておられるのかがわからず、混乱しています。 日本語がおかしいですかね、すみません。 わたしの理解力が足りないのかもしれません、 失礼なことを申し上げているかもしれません。 ですが、このモヤモヤをはっきりさせたいです。何かお言葉をいただけたら、と思います。 未熟ですみません。

有り難し有り難し 27
回答数回答 2

仏教における勉学

ご閲覧頂きありがとうございます。 仏教から見た「学問を勉強すること」についてお聞きさせて頂きたいと思います。 中村さんのブッタのことばを読んでいるのですが、賢者を説明するのに「貪りを離れ~」「妄執も存せず~」といったような文が並ぶのですが、その中に「学識あり」というものがありました。 誰だったか忘れてしまったのですが、「生きているうちに全てを学ぶことはできないし、今まで学んできたことだって(歴史など)事実かわからないんだから、そんな不確かなものに縛られるくらいなら勉強なんてやめて、今ある物事の姿から真理を見いだし自分のあり方を決める能力をつけろ」といったような内容の言葉を聞いたことがあり、またその人が確か有名な宗教家?だったので私は「宗教は学問に肯定的でない」、という偏見をもっておりました。 ブッタのことばで「学識あること」を良い意味で書かれているのを見て、「では、仏教での勉学はどのようにとらえられているのだろう?」と気になったために今回は質問させて頂きます。 仏教では勉強はするべきことなのかどうか、またするべきなら何故なのか、など仏教から見た勉強についてを教えて頂きたいです。宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3
2024/01/22

悪人は地獄で必ず裁かれますか?

いつもお世話になっています。地獄は本当にあり、悪人は必ずそこで裁かれますか?前回質問させていただいた事と絡んでいますが、仮に義父としますが、かなり鬼畜な男で死ぬまで反省、謝罪、改心しませんでした。病気で死にましたがあまり苦しまずに死にました。また、健在な時も現世の裁きもすり抜け、バチもあたる事もありませんでした。事故に3回ほどあいましたが、なんとケガ無しでした。悪魔の強運というか、悪魔が味方についているのか?母も不思議がってました。しかし、あれだけ迷惑、悪行をして、反省しなかったのだから地獄に落ちて裁かれなくてはいけません。悪人は地獄で必ず裁かれますよね?お答えお願いいたします。なお、冥福を祈ってあげなさい というお答えは絶対しないでください。文章上、義父としましたが義父ではありません。血もつながっていないし、戸籍でも全く関係ありません。赤の他人です。この辺の経緯は話すとかなり長くなるので仮に義父としました。だから遺骨も墓もどうなっているのかわかりません。ちなみにこの男、親類、縁者他全て絶縁されてます。悪行をするからです。くどいようですが冥福、供養は絶対する気がないので言わないでください。お答えお願いいたします。追伸、どんな男か詳しく知りたい方は前回の私の質問を見てください。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3
2023/02/19

私が死なせた子は罪を気付かせる役目で?

いつもありがとうございます。 今回も私のせいで、苦しめた挙げ句に死なせてしまった愛犬関連の質問をさせてください。 約一年前に愛犬が亡くなりました。 何度も質問させていただいているとおり、確実に私のせいです。 ここには書いておりませんが、あの子の犬生は私のせいでつらく悲しい寂しいものでした。 あの子を死なせたくせにそのことにも気づかずのうのうと暮らしていた愚かすぎる私が、ある日突然その罪に気づきました。 自分が死なせたこと、苦しめたこと、あの子を振り回してつらく寂しい生き方をさせ続けたこと…。 そして、愛犬のこと以外にも本当に多くの罪を犯してきました。 それらのことはわかっていながら、たいして気にもしていませんでした。 本当に最低すぎる私ですが、罪を気にすることもなくのうのうと、むしろ幸せだとか思い込んで生きていたのです。 愛犬への罪に気付いてから激しい後悔と自責の念に襲われ、自傷や薬とアルコール乱用に苦しむ日々でした。 hasunohaに出会い、縋り、有難いお言葉をたくさん拝見し、仏教を知り、今までの罪を深く反省し過ごしています。 全く悟りなどとは程遠い私ですが、それでもせめて虫なども殺生しないよう、食べ物にも感謝し、間違った行いをせぬよう心掛けています。 毎日懺悔文を唱え一日の反省をしています。 こんなことで罪が消えるとは毛頭思っていませんが…。 前置きが長くなりましたが、愛犬への罪に気づかなかったら、今までの他の膨大な罪を反省することはなかったでしょう。 そしてこれからも罪を重ね続けていたと思います。 仏教の本を読んでいて愛別離苦に苦しむ人の話で「仏様が姿を変えて現世に来てくれ、気づかせてくれたのだ」というものがありました。 あの子が仏様だったと思うわけではありませんし、あの子の生まれてきた意味が私ごときのためにあるとは思えません。 それでも…あの子は愚かすぎる私に、罪に気づかせる役目を背負ってしまったのでしょうか? 苦しむばかりの生き方をさせてしまって、懺悔しかありません。

有り難し有り難し 26
回答数回答 2
2022/01/26

厄年について仏教はどう考えますか?

以前の2回の相談では大変お世話になりました。あれから絵については難しいことはせず、3分間スケッチを続け、仕事も復帰して数ヶ月になります。お答えくださった お坊様方、ありがとうございました。 さて今回は厄年について質問があります。 付き合っている彼が今年大厄を迎えるので心配になり、神社かお寺に厄祓いに行こうと提案したところ、生来面倒くさがりで宗教を信じない彼は、迷信のためにわざわざお詣りに行くのは嫌だと拒否され、その日はケンカになってしまいました。私が本気で心配したのには、母から大厄の歳には必ず悪いことが起きる、特に身内に不幸があるという言い伝えのようなものをずっと聞かされてきたからです。実際父も大厄には遠方に転勤になり、祖父が亡くなりましたし、私も大厄には最愛のペットを亡くし、その後の厄年には(歳がバレますね(笑) 体調を崩し休職しました。 彼が厄祓いを拒否していることを当の母にポロリと話したところ、母は今度は家によって慣習が違うかもと言い出しました。 遠縁のおばさんの一家では、厄年の歳には神社に寄進し、友人親類には贈り物をし、周りの人にはとにかく親切にする、つまり施しをして厄を祓う習慣があるそうです。 少し調べた限りでは厄年に対する考えや行いは地域によって様々あるようです。厄というものはどちらかというと神道の分野ですが、仏教では厄というものをどのように見做しているのでしょうか?そして私は厄年にどう恐れずに向き合っていけば良いのでしょうか?仏教からの見解をどうかお聞かせください。

有り難し有り難し 26
回答数回答 3

正直者は馬鹿を見る

私は歳上で住職である夫を尊敬し信頼していました。私は夫に言われるように専業主婦になり、子育てをしていました。しかし、生活の中で夫へ違和感を感じていたこともありました。 その違和感は夫から身体的、精神的、経済的な暴力でした。当時私はその違和感がDVだと気づけませんでした。(後にカウンセリングで判明) 夫の考えはお金と権力で、夫にとって不都合なもの、人は容赦なく切り捨てていました。私も子どもを産み、要なしになり捨てられたのだと思います。 夫は自分の思い通りにならなかったことに腹を立て、未就学児の子どもを私に無断で連れ去り、子どもに母親である私の悪口を吹き込んでいます。 裁判所を通して話し合いもしているのですが、夫の主張は嘘ばかり、DVについても否定し続けており、自分に都合の悪いことは全て私の責任にと責任転嫁もしており誠心誠意を尽くしません。 子の連れ去りは日本中で横行しており、海外からの批判も多く、子どもへの虐待、相手親にへのDVとしても周知され出しています。 私は人道すら外れた人間が僧籍を持ち、平然と信者に説法を唱え、お布施をもらい、そのお金で酒や高級車、趣味にお金を注ぎ込んでいることに怒りを覚えます。 また、子の連れ去りは拉致誘拐にもかかわらず、日本は黙認し続けていること。子どもたちの心身の成長を阻害してしまっていることに胸が痛くてたまりません。 人を欺く者が平気で楽しく過ごし、正直に生きてきた者が踏み潰される世の中にうんざりです。

有り難し有り難し 26
回答数回答 1