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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

2022/11/20

今すぐ安らかに死にたい

以前から「死にたい」と考えていましたが、年々その頻度が多くなっています。以前は「死にたい」と思っても「でも数カ月後はいいことがあるかも、1年後は変わっているだろう」と気持ちを切り替えていましたが、年を重ねるごとに「どうせこのままなんだ」と未来に期待することができなくなってきています。 今まで告白されたことがありません。 私から告白しても全て振られました。 両親のことは好きではありません。 女友達はいますが、年々一緒にいると辛くなり、今は最低限の付き合いしかしていません。 女友達といると「この子は彼氏がいる、旦那さんがいる、今はフリーでも過去に付き合っていた人がいる」と思うと、「愛してくれる人がいるなんて羨ましい。私は時々会うくらいには丁度いいけれど、彼女にしたい結婚したいと思ってもらえるほどではないんだろうな」と負の感情が出てきてしまうからです。 男友達とは食事や遊びに行くこともありますが(身体の関係はありません)、どんどん彼女ができたり結婚したりで会いづらくなってしまいました。 会いづらいことも寂しいですが、「一緒にいて楽しそうだったのに、私を選んでくれなかったな」という寂しさもあります。 仕事は頑張っています。認められているし、求められています。私の居場所になっています。でも、それは頑張っているからであり、ちょっと無理している私を愛してくださっているので結構疲れます。 友達として愛されている感覚、仕事仲間として愛されている感覚はありますが、「彼女として、奥さんとして」「永遠を見据えて」愛される経験がないことが悲しいです。 自分がそうした領域に入れない、欠陥品のように感じます。 やりたいこともなく(仕事も本当はやりたくない)、愛されることもなく、ただ仕事を頑張る人として生きていくことが辛いです。 だれかに自然体の私を愛してもらいたいです。「ありのままでいい」「そのままでいいよ」という言葉を耳にしますが、友達止まりになってしまうのは、このままの私だと受け入れてもらえないからだと思います。 でも自分を変えようと頑張ることももう疲れました。早く永遠の眠りにつきたいです。痛いのも怖いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂は起こしたことありません。なのでなんとか生きてます。安らかに死にたいです。

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2022/11/03

死、別れ、時が流れていくことが怖い

死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。

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2022/11/02

死の恐怖にどう対処すれば良いですか

こんにちは。 女子高校生です。 私は、幼稚園児の頃から、死ぬのが怖くて怖くてたまりませんでした。 自分が死んだ後も、世界は回り続けるし、宇宙は、人間からすれば永遠ともとれる間存在し続ける、でも自分はもう意識がなくて、何も認識できない、ということが、本当に本当に怖いです。 最近、その恐怖が強くなった上、死の恐怖に頻繁に襲われるようになりました。 ふとした瞬間に死について考えてしまい、怯えてしまいます。 今まではそんなことなかったのに、過呼吸みたいになったり、頭から血の気が引いていくのを感じたり、気持ち悪くなったり、鼓動が早くなったりと、最近は恐怖に身体的な苦痛も伴ってきました。 死は、私にとって、これまでの人生の中で唯一のどうしようもない、打ち消せない恐怖です。 なので、この感情の対処法が分からず、パニックになってしまいます。 宗教的に考えて、自分をなだめようとすることもよくあります。 しかし、輪廻転生は、転生した自分は今の記憶は無い、という恐怖が付き纏い、天国や地獄も、それが永遠にしろ終わりがあるにしろとても怖いです。 お坊さまのみなさんは、死への恐怖心とどう付き合われていらっしゃいますか。 御回答どうぞよろしくお願いいたします。

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2022/09/15

考えない事は先送り? 受容するには?

以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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2022/08/30

高齢ペットの寿命の向き合い方が知りたい

ご無沙汰しております。 私には今年で9歳になったうさぎがいます。人間でいうと86歳くらいで、元気でマイペースな男の子です。 ケージから出すと嬉しそうに足元を走り回り、作業をしているとそばで横になって様子を見ていて、毎日元気をもらっています。 しかしうさぎの寿命は一般的に6~8歳と言われており、最近食欲が落ちてきたり、おしりを汚さないでトイレを済ませることが難しくなってきました。 少しでも力になれればと、ご飯を工夫したりおやつを替えてみたり、また介護の仕方についても調べています。 こんなにも長く一緒にいるペットは初めてで、家族以上に生活の一部とも思える子をいつか亡くしてしまう日が、いつも怖くて堪りません。家のドアを開けたら訃報を聞かされるのではないかと、ドアをもつ手が震えることもしょっちゅうです。 遊ぶ度にたくさん写真を撮って話しかけて頭を撫でて、この子と過ごす毎日をできるだけ記憶や記録に残そうとして、無意識のうちに別れの準備をしている自分に腹が立ってしまいます。 このところネットで訃報を聞くことが多く、余計に不安になってしまいました。 この子が生きている今の時間を、どのように大切にしていけばいいのでしょうか。 長くなってしまいましたが、ご教授お願いします。

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2022/08/20

いつか死ぬ自分が存在することが辛い

以前よりお世話になっております。 私は常に死が怖く、近頃は恐怖感と絶望感が以前より一層強いです。恐怖に襲われると自分を殴ったり、突発的に大声をだすなど、パニックになります。 そこで、どうにか恐怖を減らしたいと思い、仏教を中心に勉強しているのですが、勉強中は強く死を意識してしまって恐怖でおかしくなります。 私は死=自分や(今私が五感で感じている自分自身の感覚)世界の消滅と強く感じており(この認識を変えようと勉強していると、パニックが起こり‥.の繰り返しです)、いつか消滅するのに今は存在するという状況が、本当に全く理解できないことが引き金になりパニックになります。 存在とは空であり、縁起によって仮に成り立っている、と以前ご教示頂きました。理屈はわかるのです。他にもたくさん仏教について、今までご教示頂いています。 それでも、世界がある、そして自分がいる、自分も世界もいつか消えるという恐怖感には、私の今まで蓄えた知識では到底太刀打ちできないんです。 死の恐怖は、生物の本能として当然だと理解しています。でも、本当につらいんです。恐怖を消してしまいたい。毎日動悸と自分のうめき声で目が覚めて、「生きている!じゃあいつか死ぬんだ!死にたくない!」と絶望するのが、本当につらいです。 生まれなきゃこんなに辛い思いはしなかったはずだと、思わずにはいられません。最後は絶対死ぬのに、生まれるなんて残酷です。 私、どうしたらいいですか。 毎日、自分が世界に存在していることを認識するたびつらいんです。恐怖を減らす為に勉強してるのに、恐怖感は増幅するばかり。 起きていても、眠るのも、目が見えるのも、全部怖いです。それらは全部消滅するものだから。消滅ではなく変化だとしても、「何に変化するのか」わからないことも怖いです。来世があって、虫になったら、今日見た蝉のように踏み潰されるのが怖いです。私はいつか消滅する存在だなんて、理解しようとすればするほど、残酷すぎて怖くて、つらいです。 この、「絶対にわからないことへの恐怖」へ、どうやって立ち向かったらいいですか。もう、本当に、本当に、怖くてたまらないんです。 乱文で感情的で、本当にすみません。以前からご回答にお時間を割いていただいているのに、成長できていなくてすみません。 お時間ある時で構いません。どうか、助けてください。本当にすみません。

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2022/08/06

死ぬことが怖い。

はじめまして、始めて投稿させていただきます。私は幼い頃から死ぬことに対して過剰なまでに恐怖を感じてしまうたちでした。 母親が死んだらどうしよう、弟が死んだらどうしよう。そんな事を母に伝えては不安で泣きだし暫く落ち込むような子供だったそうです。 大きくなってそれは少し収まってきたのですが、ここ数年理不尽に殺されると言うことにまた一段と恐怖を感じてしまいます。 具体的に言うと凄惨な事件、戦争などです。 現在大切な家族がいて美味しいご飯を食べれてお風呂や洗濯で清潔を保てて、布団で眠る。コロナ禍で友達とはなかなか会えませんが連絡を取るツールはあるし、片思いですが好きな人もいます。 仕事はお給料が安いし大変ですが自分でお金を稼いで微々たるものですが毎月貯金も出来、過剰な贅沢は出来ませんがたまに好きなものも買える。 お金持ちではありませんが幸せだと実感しています、感謝もしています。 たまにですが祖母の写真に手を合わせたり、気分を害してしまうかもしれませんが神様に祈ったりもしています。 でもその生活がある日不条理に突然無くなったら?通り魔に襲われてしまったら、戦争や侵略で酷い目にあって殺されてしまうのでは。 自分も含む私の大切な人たちが恐ろしい思い、痛い思いをして死んでしまうようなことがあったら? そんなことばかり考えて毎日不安と恐怖で眠れなくなり、震えてしまい、嘔吐してしまいます。 人間はいつか死ぬとわかっているのですが、それでも他者の手による理不尽な死というものが怖くて仕方ありません。 特に最近の社会情勢を見ていると不安でどうにかなってしまっています。 何かアドバイスを頂けたら嬉しいです。

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2022/08/01

八聖道によって死の恐怖を消せますか?

以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

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2022/07/18

地獄に落ちるのかという不安

お伺いしたい事が3つあります。 私は、人にすぐに苛立ちを覚えたり(多分それが態度に出ていることがある)、食欲や怠けたい欲が強かったり、罪や煩悩が多いのではと思います。 また、学生の頃に人に酷く接してしまったり、振り返っては後悔する事が多々あります。 「〜ことをした、地獄に落ちるのではと不安」という相談に対し、こちらのサイトでは「それらを反省し、仏様やご先祖様に懺悔し、罪を重ねないように生きていきましょう」という回答を目にしました。 これを読み、そうだよな気をつけようと思っても、また直ぐに後悔したり、地獄行きに値する生き方なのではと不安になるような事をしてしまいます。 怠け者だと罪悪感を抱いても、面倒臭かったり、頑張る気力が湧かなかったりが、勝ってしまうのです。 人にドン引きされない程度に、ほどほどで生きようとしてしまいます。 上記に基づき、お伺いしたい事は以下になります。 ① 死後の世界に地獄と天国があるとして、天国に行けるのはどれくらいの割合なのでしょうか。(人間の大半が地獄に落ちるなら、諦めも必要かと思いまして。) ②反省を実行に移せない私は、地獄行きになってしまうのでしょうか。 ③こんな私でも、天国に行くために出来ることはあるのでしょうか。

有り難し有り難し 37
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2022/07/07

自分の死に起因する母の死について

はじめてご相談させて頂きます。</br> 以前、父が遺伝性、且つ予後不良の神経難病を発症し、 現在は死を待つだけの状態となってしまいました。 そのため、私と妹は遺伝子の検査を実施したのですが、 私に父と同じ遺伝子が存在することがわかりました。</br> 父と同じ病気になる可能性があるとわかった私は、 母に「私が死んでもちゃんと生きてくれ」と話したのですが、 母は、妹と二人の孫がいるにもかかわらず、「それはできない」、 「私が死ねば自分も死ぬ」と泣きながら答えていました。</br> 私は、本人が最期に幸せだと思えればよい人生であると考えております。 父が病気となり亡くなることは、とても悲しくありますが、 父は最期まで幸せであったと信じられるため、耐えられなくはありません。 母に関しても同じで、病気、事故で亡くなってしまった場合、 その時点では幸せであったと信じることができると思います。</br> しかし、私が死んだ後、自死を選んでしまうのであれば、 母の最期は不幸なものではないかと考えてしまいます。</br> 子供に先立たれれば、自分も一緒に死のうと考える親は多いのかと思います。 ですが、実際に実行するかは別であり、時間や周囲の存在が少しでも心の傷を 癒してくれるのでしょう。 それでも、そう思えるのにも関わらず、病気になっていないにも関わらず、 自分が死んだ後、母が前を向いて生きてくれることを信じることができず、 母が後を追ってしまうのではないかとずっと考えてしまい、とても怖いです。 </br> そんな起こってもいないことを心配するような私に、 アドバイスを頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 3
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2022/06/19

死の恐怖への対処法

いつもお世話になっております。 死への恐怖が強く、以前よりご相談させて頂いております。 私は、本当に死ぬのが怖いです。 なぜなら、死んだ後どうなるか分からないからです。 仏教の中には、死後について細かく書かれている本や考えもあるとご教示頂き、いくつか拝読致しました。しかし、大変申し訳ないのですが、信じることができませんでした。 死んだ後帰ってきた人は居ません。ということは、少なくとも私の今生きている世界では、死んだあと私の意識がどうなるかについて明確な根拠と理論を持って説明できる人は、いらっしゃらないのではないかと考えてしまい、信じられませんでした。 次に発想を変えて、恐怖心を消すことを考えました。死ぬことは変えられなくても、死の恐怖さえどうにかなればいいと思い、怖くなったらお念仏を唱えるように致しました。仏様にすべておまかせするという考えです。しかし、これは一時凌ぎで、恐怖が何度もぶり返すようになってしまいました。死が「自分ごと」だと認識すると怖いのです。お念仏を唱えている間は、死が「他人事」のように感じられて、死が遠くにあるような感じになり、一時的に怖くなくなります。きっと、私のお念仏のやり方に、何か間違いがあるのだと思います。 私は今、なぜか、ここに生きてしまっています。生きているから、いつか死ななければなりません。 どうしようもなく恐ろしいです。 いつかくる死に怯えて、気が狂う程の恐怖に、毎晩叫んで、ジタバタしてしまいます。もう、本当に、生きているのがつらいのです。矛盾していますが、この恐怖が本当に本当に耐え難く、こんなに恐ろしいなら死んでしまいたいと思う毎日です。 今回の質問が、仏教に対して失礼でしたら、本当に申し訳ありません。私は仏教が好きです。出会えて良かったと思っています。また、今までご回答頂いたお坊様方、本当に感謝しております。ご回答頂いたのに、前進できない愚かな私で申し訳ありません。 支離滅裂な文章ですみません。ここまで読んで頂き、ありがとうございます。 私はこれから、どうしたらいいでしょうか。 毎日「この世界に生きている」と実感するたびに、「いつか死ぬ」と恐怖で発狂するこの状況を解決する方法を、どうか教えてください。ここから私は、次に、何をしたらいいのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2022/06/15

安楽死と怖い気持ちがあります

大事な人や家族の動物が、病気になったり苦しそうだったりすると、とても辛いです。 辛そうなのを見たくないから離れるという話を聞いて、なんてひどいことをと思います。 ただ、やっぱり辛いから怖いし、みんないつかは死ぬのだから、それならどうすれば楽に死ねるかを考えてしまいます。 たとえば、処置するのに麻酔をかけないといけなくて、麻酔にリスクがあってそれきりになるかもしれないと言われた時、麻酔をかけてそのままいけるなら苦しくないからその方が良いのではないかと思ってしまいました。 精一杯生きるべき、というのはわかるんです。 でも充分頑張ったと思うし、一緒にいたいと思うのは私のエゴも多いと思います。 うまくまとめられなくてごめんなさい。 どうして、大切な存在が弱ったり去ることを思うと怖くてつらくて離れたくなったり、そこから早く解放されたいと思う気持ちとずっといたいと思う気持ちと、ひどくて矛盾した気持ちになるのでしょうか。 また、極端な言い方になってしまいますが、楽に眠るように殺してあげる人は、相手のためになら良いことをしてあげていると思ってしまうのはおかしいでしょうか。 生きる中でさまざまな経験をするし、中には良いことや楽しいこともたくさんあります。 辛い経験をすることで幸せをより鮮やかに感じられることもあると思います。 でも、もし本人がもう終わりたい、楽になりたいと望む場合、それを叶えてあげるのは悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 10
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2022/06/02

早く死んで救われたい

母は浄土真宗門徒で議員の娘、父は士族の跡取りで公務員でしたが私の年齢と誕生日を知らないまま13年前に父は死亡、別居ではありません 5歳の時に母から三田線に突き落とされ、その後も一緒に死ぬ?父からも早く死んでくれと言われ続けました。父の死後裁判とその過程で夜中に伯母から首を絞められても警察は来なかった 中学生から母親にあなたは三十歳過ぎたら二人の男子を産むと毎日言われて今43歳で独身です。 小学校から高校卒業までいじめ、高校で性犯罪被害、大学生の時に出かけた先で知らない人に監禁された。 いとこは全員医療従事者で結婚して幸せに暮しているそうです、彼らは障害者を招きたくなかったので私は結婚式に招かれなかった。 武蔵野女子を卒業後にカトリック学校に進学、宗教的な環境でしたが私自身は神道が根付いているのでキリスト教も仏教も学問でした。武蔵野で覚えているのは現世利益や占いは宗教として正しくない、これはとても納得できます。 大学卒業後の障害と病気のために外出は難しく死ぬ事が救いと思い毎日が過ぎていきます、誰かに痛い思いをさせた事はありませんが選ばれなかった人生に意味はなく、70すぎて生きるのは罪という考えを一族全員が持ち曽祖父も祖父も父も65になる前に死んだので死に方は尊敬しています。 私の名前は改名をしたもので他人がつけたものではありません、私は他人から贈り物をされた事がありません家は相続ですが獲得するまでに裁判をし時間とお金を多く支払い伯母から首を絞められ髪を切られて得た物です。誕生日を祝われた事がありません、何も得ず何も残せませんでした、事件と事故でご遺体を六回見ましたが何も感じません。親が子供に言う暴言は全部聞き、詐欺以外の犯罪は大体遭いました。 母の姉は拝み屋ですが私は目的のために祈ることが嫌いです占いやまじないは信じません、十分耐えたのでそろそろ死んで救われたいです。 周りが安全で幸せに暮らすのが理解できません私をいじめた人が結婚し子供を産んで幸せに暮らしているのを見るとあの時彼らの目を抉れば私は虐められなかったと思い、力で押さえつけられた時の解決策は相手よりも強い力だと知りました、忍耐は解決策ではありません。ここで先生と言われる方は小さい頃から大事にされて職業の選択肢に宗教家があったのですが同じ日本でこれだけ違うなら生きる意味がわかりません。

有り難し有り難し 5
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