先日、中学生から好きだった人に降られました。彼女に振り向いて欲しくて勉強に仕事にオシャレに精一杯努力して自分を磨いてきました。ですが、結局は駄目で何だかもう空しくて、生きる目的を失ってしまった感じです。 人生を振り替えってみれば、楽しいことも苦しいことも一杯あって、好きな人もいて、結構いい人生だったなと思います。 誰かを恨んでるとかそういうのではないのです。山の頂上に着いたような、満足したような、不思議な気持ちです。 これで死ぬのは変でしょうか。お坊さんの意見が聞いてみたいです。
私は1ヶ月以内に自殺を予定しています。 きっと皆様、様々な方の死と向き合ってきた方々ですから自殺など良くないと、してはならないとお思いになるかと思います。 それなのに、どれだけ説得されても、どのような言葉をかけていただいても私は死を選んでしまうと思います。 そこで、世の中で悪とされている自殺をした人の来世はどうなるのか教えていただきたいです。 魂は彷徨い続けるといいますが、来世はないのでしょうか?仮にあったとして、自殺した人の来世は最悪なものになるのでしょうか? 私はこの世の誰も恨んでいません。感謝ばかりです。関わってくださってきた人、環境に感謝しかありません。それでも悪霊になってしまうのでしょうか? お葬式をしてもらえるかわからないのですが、お葬式をしてもらえずとも、誰に私の死体が見つからなくても成仏はできるのでしょうか? これらを教えていただけたら幸いです。 稚拙な文で申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
こんにちは。 今回は母方の祖母(母方の祖母。私が小2のときに、90歳で死去。パーキンソン病と認知症で自宅介護だった)について、相談というか質問になります。 前回ご相談させていただいた通り、今は両親から消息を断ち、生活しています。 平和な日々ですが、生前の祖母の姿がずっと心に引っかかっています。 祖母は、私が物心ついたころから、パーキンソンを患っており、身体が震えたり、また幻覚幻聴が聞こえていたようでした。 そんな中でも、私が両親に虐待されていたりすると必死に止めてくれたり、話してくれたり優しい祖母でした。 ただ、私の母(祖母からみたら娘)は、そんな祖母に毎日殴るなど暴力をふるい、家の外まで響き渡る声で毎日毎日、本当に、朝晩問わず怒鳴りつけてました。 私も幼いながらハッキリ覚えていて、恐怖でした。なんで施設に預けず、わざわざ自宅においておき、暴力を振るうのか、幼稚園児の私ですら本当に理解ができず、その光景はトラウマです。 祖父は、私が生まれた頃にはアルコール依存症でのなんらかの心疾患?で他界していて、会ったことはありません。 ただ、昔母から聞いた話によると、祖父も祖母にずっとDVしていたようです。 今思い返しても、あんまりじゃないですか。。夫には暴力を振るわれ、お金もアルコールに溶かされ、年老いてから自分の娘にも毎日暴力を振るわれ、怒鳴られ。。 祖母にもし悪い部分があったとしても、そんなことをするのは許されなかったはずと、悲しくなってしまいます。 私は祖母が生前好きで、祖母が亡くなる日には何故か小学校で発熱し帰ってきたり、お盆になると夢にでてきたり、色々なことがありました。 両親は大嫌いだったけど、祖母の骨があるお墓にいき手をあわせることが、心までポカポカして、大好きでした。 今は身を隠してるのでしばらく手を合わせにお墓にいくこともできませんが…。 私がいま、気になることは、祖母はそんなに辛い状況の中亡くなり、ちゃんと今は幸せなのか、です。 ちなみに祖母が何宗だったか等わかりません…ただ、某新興宗教のお経?みたいなものを毎朝唱えていた姿は知っています。。 ずっと心の中でのひっかかりで、質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。
強い恨みや心残りがあるまま亡くなった場合、自然死、自死、関係なく地縛霊などになってしまいますか? それとも成仏できるのでしょうか。
私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?
初めて相談します。 かなり前の出来事ですがそのときのことをずっと引きずっています。 飼っていた犬が半年ほど具合が悪く、苦しみました。様々な検査をしても原因が分からず、いろいろな薬を試したり効くか分からない注射をしたり…工夫をしたりしてみました。それでも症状は治まらず、日々悪化していきました。あの子の目は(もう、辛いです、もう無理です)と訴えているのが分かりました。 獣医さんにもその状況を説明しました。 いろいろなことを試すより苦しみから解放してあげたくてどうしたらいいのかを。 答えは「まだ頑張れる」でした。 私には、もうあの子をこれ以上苦しめることは考えられませんでした。何度も何度も考え、考え抜いて、もう頑張らなくていいよ、今までありがとうと伝え、タオルで首を締めました。 一瞬でした。 涙が溢れました。楽になったね、と身体をキレイに拭いてあげてその晩は一緒に眠りました。これであの子は苦しむことはありません。私が殺したのです。 でも、私がやったことは虐待なのでしょうか?ただ罪は消えません。ずっと背負って生きていきます。
自宅にて療養中の母が、数日のうちに旅立ってしまうかもしれないと医師に言われました。私自身にも精神疾患があり、ここ数年は母を支えに生きてきました。そんな母を失くすことの恐怖と、これから母のいない人生が始まる不安から自殺を考えています。 自殺はいけないことだと、もっと生きたいのに生きられない人がいるのだと言いますがそんなにいけないことでしょうか。 自殺で死んでしまうとあの世で母に会えませんか?あの世で一緒には暮らせないのでしょうか? このまま独りで孤独に寿命を待ち続けるのは気が遠くなるほど辛いです。 自殺でもあの世で一緒に楽しく暮らせると思いたいです。 ご意見をいただけますと幸いです。
以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
以前、死と地獄が怖いって事を質問させて頂きました。 私は悪い事をたくさんしてきました。 もちろん反省はしています。後悔もしています。でも、悪い事をたくさんしたので地獄に行くのではと怖いです。 その回答として念仏を唱えると良いと言われました。 それから忘れる時もありますが念仏を唱える事をしています。 ただ疑問に思った事があります。 もちろん反省の気持ちを込めて念仏を唱えてはいます。 もう二度としないという誓いと申し訳ないという反省の気持ちを込めてはいます。 でも、地獄に行きたくないのも本音です。 地獄に行きたくないというやましい気持ちがある中で、反省や誓いを込めて念仏を唱えることは偽善になりますか?
1ヵ月、遅くとも2ヵ月後までには死ぬことにしました。 それまでに身辺整理と、行ってみたかった場所へ最後に行こうと思っています。 テレビやオカルトコンテンツなどで、自殺はタブー、地獄へ落ちる。と何となく聞いた事があります。 私が私を殺してしまったら、死後は地獄へ行くことになるんでしょうか。生きてる間も、死んだ後も、私はずっと苦しいままなんでしょうか。
よく殺人犯は極悪人扱いされますが、本当にそうなのでしょうか。 他人に「死ね」と言うだけでなんの謝罪も責任も裁きもない口だけの人間よりも、自分の人生を犠牲にしてまで他人を殺め、すべての苦しみから解放してあげるなんて、よっぽど優しい人物といえるのではないですか。
私は小さい時に家族と友達から盗みを働きました… 自分の欲望に勝てず行った事です。でも許されない事です。自分の行いはもちろん取り返しもつかない事です。 今ではすごく後悔しています。友達とは疎遠になり謝罪も出来ません…… 過去に帰れるなら…その時に戻ってやり直したい気持ちです。でももちろんそれも出来ません。 こんな罪を犯した私は地獄に行くのだろうと思ってます。でも地獄に行くのが怖い。死も怖い。寝る時になると死が怖くて寝れなくなり、死んだら地獄行きだと思うとさらに怖くて眠れなくなります。 とうしようもない不安や恐怖に襲われてしまいます。
初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。
お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。
不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。 「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。 一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。 仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。 前置きが長くなりましたが質問内容としては、 どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。 起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。 長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。
ほんのつい2時間前、飼い猫が目の前で亡くなりました。その子は5.6年前に中庭に遊びに来ていた子でだんだん懐いてきて、流れで飼うことになった子です。ほんとに甘えん坊で、寝る時も一緒、私が自分の部屋にいる時は気づけば後ろで寝ていて、目が合えば嬉しそうに伸びをしながら頭を思いっきりぶつけてきて抱っこしてくれるのを待っているような子でした。ただやはり野良猫だったので気を抜くとすぐ脱走して、そのくせ弱いので傷だらけで帰ってきたり、去年はオムツをつけたまま1週間半脱走したせいで下半身の皮がほぼ全部めくれるほど酷い怪我を負ったりもしてました。それでも毎回必ず外に置いてる犬小屋の中で寝ながら待っていて、お風呂に入れてもずっと甘えてきて、体を乾かしてご飯を食べたらずっと一緒に寝ていました。 今日もいつも通り帰ってくるとリビングで寝ていて、構ってあげたいと思いながらもテスト勉強があったのでそのままほっといて2階の自室でご飯を食べてました。最近中庭に別の猫が来てるみたいで、ちょうど私が2階にいるときもその子が来ていたらしく下でにゃんにゃん鳴いている声が聞こえていました。暫くしてやけに声がうるさいと思ってよくよく聞いてみたら外から声がしていたのでまさかまた脱走したのではと下に降りると、案の定突っ張り棒をしていたはずの引き戸空いていて網戸が破られていました。暫くは2匹で唸っていたのですがさすがに近所迷惑だと思って止めに入るといきなり喧嘩し始めて、弱いうちの子はそのまま段差から一気にコンクリートに打ち付けられて上を向いたまま動かなくなりました。慌てて抱き起こしましたが骨が無いような感覚を感じて、瞬間的に死を感じました。すぐ布団に寝かせて泣きながら起きろと何度も呼びましたが、数分後には動かなくなりました。 さっき箱の中に入れてきましたがほんとに寝てるみたいで全く実感が湧きません。今年おばあちゃんが死んだのですがその時も母が情緒不安定だった一方で、私は他人事のようにずっと冷静でした。ずっと可愛がっていたのでふとした時に涙はでますが、それ以上の感情がわかないです。寂しいし、あの時部屋に連れてきてあげれば、仲裁に入らなかったら死ななかったんじゃないかとか、後悔はしていますが虚無感の方が強いです。大好きだった子なのに悲しくならない自分が気味悪くすら感じます。これはなんなのでしょうか
殺してくれと思う 死にたいとも思う もういいよ 苦しみの原因わ分かってても直せない もう誰とも関わりなくない はやくころせ
お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
私はとても愛情深く、感情豊かな性格です。 私には愛する家族とペットの犬がいます。 愛すれば愛するほど、いつかくる死別への恐怖心も出てきて泣いてしまうほど悲しくなります。 私が子供のときも良く両親が死ぬ夢などを見て泣いたりしていました。 今朝も、ペットの犬が死んだ夢を見て悲しみで泣いて起きました。夢から覚めても悲しかった。 自分が死ぬことに対しての恐怖心ではなく、愛する相手を失ってしまったら、、、失いたくないという恐怖心です。 例えば、愛する旦那の優しい目をみていると、失いたくない感情がこみあげ泣けてきます。 ペットの犬は老犬で数か月前に里親になり引き取った犬です。老犬であることから死別もわりと遠くはない事を覚悟して、(いつかくる死別の時の悲しみを軽減するため)心から愛さないようにしていましたが、私は愛情深い性格のため、無理でした。どんどん可愛がってしまって愛着が湧いています。 過去に訪ねた旅行先で出会った自然動物たちやきれいな海も、その地を離れる際に私は泣いていました。儚いものを見させてもらったという感覚になり、いつかは皆無くなってしまうんだなーと思ったら泣いてしまった。 いつかくるけどいつくるか分からない死別・喪失への恐怖心と悲しみが、相手を愛するほど込み上げてしまうのです。相手を愛せる瞬間だけに集中したい。涙するのはなんだかおかしいと自分で感じています。なにか心の持ちようや考え方を改善できるアドバイスいただけませんか? よろしくお願いします。
死にたくないです。 最近こう思ったのではなく、いつからこう考え始めたか分からないほど昔から定期的に脳裏に浮かびます。やはり死についてですから暗い話になるのであまり考えたくないのですが... 死ぬ際の痛みや感覚に怯えているのではなく、死んだ後の世界が分からないのが嫌なのです。今起きている国際問題や予測されているあらゆる現象がどうなっているのか、死んだらその後の未来が分からず、この目で確かめることができないのが本当に悔しくてたまりません。しかもこの思考が些細な疑問から始まってしまいます。例えば、2222/02/22に立ち会えないということでも悔しくて負の感情に陥ります。どのように祝われるのか、意外と気にせず過ごしているのだろうか...と考えていくうちに、「でもこの時には死んでるんだ」と気づき猛烈に死にたくないと思います。涙を流し眠れなくなる程にです。 考えることをやめることはできません。なのでこの気持ちをどうにか落とし所をつける他無いと思うのですが、逃れられない死にどのように向き合えばいいのでしょうか?