私は小さい時に家族と友達から盗みを働きました… 自分の欲望に勝てず行った事です。でも許されない事です。自分の行いはもちろん取り返しもつかない事です。 今ではすごく後悔しています。友達とは疎遠になり謝罪も出来ません…… 過去に帰れるなら…その時に戻ってやり直したい気持ちです。でももちろんそれも出来ません。 こんな罪を犯した私は地獄に行くのだろうと思ってます。でも地獄に行くのが怖い。死も怖い。寝る時になると死が怖くて寝れなくなり、死んだら地獄行きだと思うとさらに怖くて眠れなくなります。 とうしようもない不安や恐怖に襲われてしまいます。
初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。
お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。
不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。 「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。 一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。 仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。 前置きが長くなりましたが質問内容としては、 どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。 起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。 長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。
ほんのつい2時間前、飼い猫が目の前で亡くなりました。その子は5.6年前に中庭に遊びに来ていた子でだんだん懐いてきて、流れで飼うことになった子です。ほんとに甘えん坊で、寝る時も一緒、私が自分の部屋にいる時は気づけば後ろで寝ていて、目が合えば嬉しそうに伸びをしながら頭を思いっきりぶつけてきて抱っこしてくれるのを待っているような子でした。ただやはり野良猫だったので気を抜くとすぐ脱走して、そのくせ弱いので傷だらけで帰ってきたり、去年はオムツをつけたまま1週間半脱走したせいで下半身の皮がほぼ全部めくれるほど酷い怪我を負ったりもしてました。それでも毎回必ず外に置いてる犬小屋の中で寝ながら待っていて、お風呂に入れてもずっと甘えてきて、体を乾かしてご飯を食べたらずっと一緒に寝ていました。 今日もいつも通り帰ってくるとリビングで寝ていて、構ってあげたいと思いながらもテスト勉強があったのでそのままほっといて2階の自室でご飯を食べてました。最近中庭に別の猫が来てるみたいで、ちょうど私が2階にいるときもその子が来ていたらしく下でにゃんにゃん鳴いている声が聞こえていました。暫くしてやけに声がうるさいと思ってよくよく聞いてみたら外から声がしていたのでまさかまた脱走したのではと下に降りると、案の定突っ張り棒をしていたはずの引き戸空いていて網戸が破られていました。暫くは2匹で唸っていたのですがさすがに近所迷惑だと思って止めに入るといきなり喧嘩し始めて、弱いうちの子はそのまま段差から一気にコンクリートに打ち付けられて上を向いたまま動かなくなりました。慌てて抱き起こしましたが骨が無いような感覚を感じて、瞬間的に死を感じました。すぐ布団に寝かせて泣きながら起きろと何度も呼びましたが、数分後には動かなくなりました。 さっき箱の中に入れてきましたがほんとに寝てるみたいで全く実感が湧きません。今年おばあちゃんが死んだのですがその時も母が情緒不安定だった一方で、私は他人事のようにずっと冷静でした。ずっと可愛がっていたのでふとした時に涙はでますが、それ以上の感情がわかないです。寂しいし、あの時部屋に連れてきてあげれば、仲裁に入らなかったら死ななかったんじゃないかとか、後悔はしていますが虚無感の方が強いです。大好きだった子なのに悲しくならない自分が気味悪くすら感じます。これはなんなのでしょうか
殺してくれと思う 死にたいとも思う もういいよ 苦しみの原因わ分かってても直せない もう誰とも関わりなくない はやくころせ
お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
私はとても愛情深く、感情豊かな性格です。 私には愛する家族とペットの犬がいます。 愛すれば愛するほど、いつかくる死別への恐怖心も出てきて泣いてしまうほど悲しくなります。 私が子供のときも良く両親が死ぬ夢などを見て泣いたりしていました。 今朝も、ペットの犬が死んだ夢を見て悲しみで泣いて起きました。夢から覚めても悲しかった。 自分が死ぬことに対しての恐怖心ではなく、愛する相手を失ってしまったら、、、失いたくないという恐怖心です。 例えば、愛する旦那の優しい目をみていると、失いたくない感情がこみあげ泣けてきます。 ペットの犬は老犬で数か月前に里親になり引き取った犬です。老犬であることから死別もわりと遠くはない事を覚悟して、(いつかくる死別の時の悲しみを軽減するため)心から愛さないようにしていましたが、私は愛情深い性格のため、無理でした。どんどん可愛がってしまって愛着が湧いています。 過去に訪ねた旅行先で出会った自然動物たちやきれいな海も、その地を離れる際に私は泣いていました。儚いものを見させてもらったという感覚になり、いつかは皆無くなってしまうんだなーと思ったら泣いてしまった。 いつかくるけどいつくるか分からない死別・喪失への恐怖心と悲しみが、相手を愛するほど込み上げてしまうのです。相手を愛せる瞬間だけに集中したい。涙するのはなんだかおかしいと自分で感じています。なにか心の持ちようや考え方を改善できるアドバイスいただけませんか? よろしくお願いします。
死にたくないです。 最近こう思ったのではなく、いつからこう考え始めたか分からないほど昔から定期的に脳裏に浮かびます。やはり死についてですから暗い話になるのであまり考えたくないのですが... 死ぬ際の痛みや感覚に怯えているのではなく、死んだ後の世界が分からないのが嫌なのです。今起きている国際問題や予測されているあらゆる現象がどうなっているのか、死んだらその後の未来が分からず、この目で確かめることができないのが本当に悔しくてたまりません。しかもこの思考が些細な疑問から始まってしまいます。例えば、2222/02/22に立ち会えないということでも悔しくて負の感情に陥ります。どのように祝われるのか、意外と気にせず過ごしているのだろうか...と考えていくうちに、「でもこの時には死んでるんだ」と気づき猛烈に死にたくないと思います。涙を流し眠れなくなる程にです。 考えることをやめることはできません。なのでこの気持ちをどうにか落とし所をつける他無いと思うのですが、逃れられない死にどのように向き合えばいいのでしょうか?
遺書を初めて書きました。 内容は、もちろん 「不倫父のせいで死にます」と書いたんです。 遺書を見つけてもらえるように、 置く場所と示す方法も決めました。 遺書と共に、不倫父の不倫の証拠が入っている スマホとUSBメモリもあります。 不倫を知ってからずっと毎日泣き続けて 「誰か助けて」なんて願っても誰も助けては くれなかった。 精神面だけでなく、 体調も日々悪化して、父に言っても逆上してさらに酷い状態になって。どんどんどんどんダメな方へ。 なんかもう疲れました。 なのでこの世からおさらば したいと思います。 ハスノハ様、今まで悩みを聞いてくれてありがとうございました。 最期に、話を聞いてくれてありがとう。 さようなら
死んだら楽になりますか?
タイトルの通りです。 気分が落ち込んできて死にたくなってきたので、恐縮ながら書き込みに来ました。 内容もタイトル通りですが、様々な面から世間・社会的一般からみてまともでないので死んだ方が良いのではと思うのです。 楽しく過ごす友人らに何ら非はないのですが、私だけ忙しくて、楽しいなかに居られるないと密かに嫉妬することも醜い。 適応障害になり、躁鬱病になり、社会の枠から外れたのだって、私が半端で頑張ってやり遂げなかったからだと思うのです。 親には何一つ顔向けも出来ない程脛を齧りっぱなしで、それを病だからと我儘を垂れ流していることも醜い。 国で暮らす以上、同じ国に住む人が作った社会で生きるしかないのに、あれもこれも人並み以下で満足に務め上げられん自分のようなクズがどうしてのうのうと生きているんでしょうね。 明日も明後日も仕事があります。 仕事が止まれば会社に迷惑が掛かりますから、そうならないように取り敢えずやりくりしているだけです。 本当は手元にある薬を飲みほして死んだ方が、誰も彼も汚く醜い存在を認識する必要がなくなるのではと思うのです。 私という存在も肉体が死ねば死んだ心もようやく地獄に逝くんでしょうし。 まとまりがない文章で申し訳ないです。 死ぬ前に可哀想と言われてみたいだけなのかもしれないですね。 このような醜い畜生でも死んだらよくないのですか。
以前から「死にたい」と考えていましたが、年々その頻度が多くなっています。以前は「死にたい」と思っても「でも数カ月後はいいことがあるかも、1年後は変わっているだろう」と気持ちを切り替えていましたが、年を重ねるごとに「どうせこのままなんだ」と未来に期待することができなくなってきています。 今まで告白されたことがありません。 私から告白しても全て振られました。 両親のことは好きではありません。 女友達はいますが、年々一緒にいると辛くなり、今は最低限の付き合いしかしていません。 女友達といると「この子は彼氏がいる、旦那さんがいる、今はフリーでも過去に付き合っていた人がいる」と思うと、「愛してくれる人がいるなんて羨ましい。私は時々会うくらいには丁度いいけれど、彼女にしたい結婚したいと思ってもらえるほどではないんだろうな」と負の感情が出てきてしまうからです。 男友達とは食事や遊びに行くこともありますが(身体の関係はありません)、どんどん彼女ができたり結婚したりで会いづらくなってしまいました。 会いづらいことも寂しいですが、「一緒にいて楽しそうだったのに、私を選んでくれなかったな」という寂しさもあります。 仕事は頑張っています。認められているし、求められています。私の居場所になっています。でも、それは頑張っているからであり、ちょっと無理している私を愛してくださっているので結構疲れます。 友達として愛されている感覚、仕事仲間として愛されている感覚はありますが、「彼女として、奥さんとして」「永遠を見据えて」愛される経験がないことが悲しいです。 自分がそうした領域に入れない、欠陥品のように感じます。 やりたいこともなく(仕事も本当はやりたくない)、愛されることもなく、ただ仕事を頑張る人として生きていくことが辛いです。 だれかに自然体の私を愛してもらいたいです。「ありのままでいい」「そのままでいいよ」という言葉を耳にしますが、友達止まりになってしまうのは、このままの私だと受け入れてもらえないからだと思います。 でも自分を変えようと頑張ることももう疲れました。早く永遠の眠りにつきたいです。痛いのも怖いのも苦しいのも嫌なので、自殺未遂は起こしたことありません。なのでなんとか生きてます。安らかに死にたいです。
死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。
こんにちは。 女子高校生です。 私は、幼稚園児の頃から、死ぬのが怖くて怖くてたまりませんでした。 自分が死んだ後も、世界は回り続けるし、宇宙は、人間からすれば永遠ともとれる間存在し続ける、でも自分はもう意識がなくて、何も認識できない、ということが、本当に本当に怖いです。 最近、その恐怖が強くなった上、死の恐怖に頻繁に襲われるようになりました。 ふとした瞬間に死について考えてしまい、怯えてしまいます。 今まではそんなことなかったのに、過呼吸みたいになったり、頭から血の気が引いていくのを感じたり、気持ち悪くなったり、鼓動が早くなったりと、最近は恐怖に身体的な苦痛も伴ってきました。 死は、私にとって、これまでの人生の中で唯一のどうしようもない、打ち消せない恐怖です。 なので、この感情の対処法が分からず、パニックになってしまいます。 宗教的に考えて、自分をなだめようとすることもよくあります。 しかし、輪廻転生は、転生した自分は今の記憶は無い、という恐怖が付き纏い、天国や地獄も、それが永遠にしろ終わりがあるにしろとても怖いです。 お坊さまのみなさんは、死への恐怖心とどう付き合われていらっしゃいますか。 御回答どうぞよろしくお願いいたします。
一昨年の9月に亡くなった母に会いたくてたまらないです。年々哀しみが増し、最近毎日泣いています。母よりも年上の女性が杖をついて歩いている姿をみかけては、どうしてお母さんはこんなに早く死ななきゃいけなかったの?と悔しくてたまらなくなります。辛くて辛くてたまりません… 時間が解決してくれると思っていましたが、ますます母に会いたいし、話がしたくてたまりません。43歳まで生きられたし、もう死んでも良いとさえ思います。とにかく母が恋しくてたまらないです。 辛いです…母に会えない辛さに耐えられません。母の死を乗り越えられそうにない時はどうしたら良いのでしょうか?
以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
僕には戦死した曾祖父がいます もちろん会ったことも話したこともありませし、僕のことも知りません 僕が一方的に会いたいと思っていても会うことはできるのですか?
元彼が亡くなるまで入院しましたが、最後まで看取りました。亡くなる前の一ヶ月の間、段々穏やかになり、空気が変わり透明感があるように見えました。それから、看護士さんが、夜中に起きて昼間はウトウトしていると言われました。そして、亡くなる日の夕方、私に有難う有難うと何度も伝えてくれました。その後から、誰も居ない天井等を見ながら、誰か迎えに来ているような仕草を彼がしていました。そして、まもなく亡くなりました。お迎えや、亡くなる時や、亡くなった後に魂になったあと、亡くなる前の記憶はあるのですか?お迎えも本当にあるのですか?私は霊感があります。長々すみません。いつも有難うございます。
ご無沙汰しております。 私には今年で9歳になったうさぎがいます。人間でいうと86歳くらいで、元気でマイペースな男の子です。 ケージから出すと嬉しそうに足元を走り回り、作業をしているとそばで横になって様子を見ていて、毎日元気をもらっています。 しかしうさぎの寿命は一般的に6~8歳と言われており、最近食欲が落ちてきたり、おしりを汚さないでトイレを済ませることが難しくなってきました。 少しでも力になれればと、ご飯を工夫したりおやつを替えてみたり、また介護の仕方についても調べています。 こんなにも長く一緒にいるペットは初めてで、家族以上に生活の一部とも思える子をいつか亡くしてしまう日が、いつも怖くて堪りません。家のドアを開けたら訃報を聞かされるのではないかと、ドアをもつ手が震えることもしょっちゅうです。 遊ぶ度にたくさん写真を撮って話しかけて頭を撫でて、この子と過ごす毎日をできるだけ記憶や記録に残そうとして、無意識のうちに別れの準備をしている自分に腹が立ってしまいます。 このところネットで訃報を聞くことが多く、余計に不安になってしまいました。 この子が生きている今の時間を、どのように大切にしていけばいいのでしょうか。 長くなってしまいましたが、ご教授お願いします。