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「死について」を含む問答(Q&A)一覧

2023/08/27

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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2023/07/25

もう10年間もがき苦しんでいます

明日首吊りをしようと思っております。 今まで何度も未遂したことありますし、今年の春には初めて精神病棟に入院しました。経緯につきましては私のプロフィールに詳しく書いたつもり(字数制限でかなり要約しましたが)なので、読んで頂けると幸いです。ここまで追い込まれてしまったのは、一言で言えば、運が無かっただけなんだと思います。 この日本という国は他の国々と比べても自殺者数は多く、とても生きづらい社会であるはずです。私がこの国に生まれてしまったのは結果として、運が悪かったからだと言えます。 そして、男性であり精神病を患っていることも運が悪かったからでしょう。この国では男性の自殺者数はおよそ女性のそれの2倍だそうです。女性の方が楽に生きられるというようなことは決してないと重々承知しておりますが、自殺者数の観点からだと、男性として生まれたことはハンデだと思っております。 このように自分の運の無さにいつも絶望しております。プロフィールにも書きましたが、現在は25歳の通信制の大学生です。もともと通っていた大学は一度は聞いたことあるような有名な国立大学でしたし、高校も進学校で、他の人よりとても努力はしてきました。けれど、高校生の頃に精神病にかかり、全て水の泡です。 この世界は本当に不公平で、私にとって地獄そのものです。このやり場の無い怒りもどうしようもなく、ただただ苦しいです。首吊りもとても怖いです。ただこのまま生きるのも絶対嫌です。 もっと幸せになってみたかったです。まともに恋人もできたことないので、遊園地にデートしに行くっていう夢も叶わない、本当に惨めな人間です。 最後の方は愚痴ばかりになってしまい申し訳ないです。今回記載した内容全体も相談というよりかは、私の気持ちや考えを誰かに聞いてもらいたかっただけかもしれません。 ここまで読んでいただき感謝致します。 そして、この世界とはお別れいたします。 優人

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2023/07/20

両親が死んでしまうと考えてしまいます

心が疲弊してしまい涙が止まりません。助けて下さい。 私は都内の専門学校に通っている学生です。 実家は関東の田舎にあり、数ヶ月に1度程度で帰省しています。 私は今少し精神的に参ってしまい上手く学校に通えず、家で出来る課題を常に頑張っています。それと心のケアとして、テーマパークなどに遊びに行ったりして少しずつ精神は落ち着いてきたように思っています。 しかし自分が楽になった!と思ったくらいに急に来るのです。「もし今実家が倒壊して両親や祖母がいなくなってしまったらどうしよう」という気持ちが。 こんな事を考えてしまってはどんどん負の感情で埋まってしまうのは理解しているつもりですし、全然関係ない好きな曲を聴いて紛らわしたりしてきますが、やはり1度脳裏に浮かんでしまうと考えたくない事がずっとずっと巡ってしまい、動悸が止まらなくなってしまいます。 私は親に幸せにずっと生きていて欲しいと願っています。 身体がどんどん悪くなっていく親を見てその痛みを代わってあげたいとも思います。 それなのに脳を過ぎるのは「親が死んだら」「親がいなくなってしまったら」等のマイナスな事ばかり…… 私は疲れてしまいました。親の幸せの為、自死を選びたくはありませんが、この話を知人にはする事が出来ず1人で抱えています。 私はどうしたらこのぐちゃぐちゃとした気持ちと離れられるのでしょうか? 考えが上手くまとまらず拙い文になってしまいましたが、読んでくださった方なりの考えをお聞かせいただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

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2023/07/09

死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

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2023/07/07

親の二の舞(続・安楽死所望)

前回と似た内容で、申し訳ありません。 親の二の舞を演じるのが明白なのに、生きていく意味があるのでしょうか? 生まれてから今日に至るまでの現実体験を踏まえれば、DNA(遺伝子)の問題であるのは、間違いありません。 具体例を1つ。 「歯茎が、お父ちゃんと同じやなぁ・・・」 初診時に、現在も通院しているかかりつけの歯科医から、言われたセリフです。父も診てもらっていたので、事実なのでしょう。 今、上の前歯がぐらついて、いつ抜けるかわからない状態です。私の歯と歯茎の状態は、その歯科医の「予想した通り」の経過をたどっています。 その他、親の二の舞の具体例には、枚挙にいとまがありません。 ところで、2019年の参議院議員選挙(比例代表)で、政治団体「安楽死を考える日本の会(安楽会)」が、候補者を立てていました。 結果は、得票数26万9,051票(得票率0.54%)で、議席獲得はなりませんでした。昨年(2022年)の同選挙では、安楽会は候補者を立てていませんでした。 日本では、安楽死の問題を議論する雰囲気は、「微塵もない」ようです。 生き方を熱く語る著名人・有識者は、星の数ほどいますが、「死に方」を論じる著名人・有識者は、私の知る限りでは「皆無」ですね。人は、いつか必ず死ぬというのに・・・。 前回の質問文中にも書きましたが、読売新聞社あてに出した投書は、ことごとく「無視」されました。 とっくの昔に、心は折れてます。 体が思うように動きません。 体のあちこちが痛みます。 もともと弱かった心臓も、さらに悪化しています。 身も心もボロボロです。 お金もありません。 何かあった時に、助けてくれる人もいません。 死んでも、白骨化するまで、誰にも発見されないでしょう。 父の七回忌までは、まだ生きている意味もありますが、それが済めば、本当に終わりです。これらを踏まえれば、やはり「安楽死所望」です。 今後の予測がついているのに、それでも、生き続けなければならないのでしょうか?

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2023/06/14

愛犬の死を受け入れられません。

愛犬2匹を死なせてしまい、もうすぐ1ヶ月が経とうとしています。 毎日何かするたびに話しかけ、朝晩とご飯とお水、そしてお線香をあげ、日に数回おやつをあげ… その度に涙が溢れます。 わたしのせいでなくしてしまった命。 大きな病気もなく、健康で年若かかったのに、一番大切で愛しているのに、自らのせいで失ってしまった事実が、どうしようもなく苦しいです。 誰かと話している時や、仕事をしている時は社会人ですから、何事もないように振る舞っていますが、 何をしていても愛犬の亡骸や、普段の可愛い顔が頭に浮かびます。 趣味の映画鑑賞や読書をしていても、「でももうあの子はいない…」という思いで何も楽しく感じません。 考えても仕方ないとわかっていても、 あの子達をと過ごした日々はもうないんだ あの子達と過ごした年月より、いない年月の方が長くなってしまうんだ…と考えてしまいます。 一緒に過ごした日々があまりに幸せで、夢か幻のように感じます。 もう思い出でしかないことがどうしようもなく悲しいです。 亡くなってしまっても、ずっと縁は続いていくのだと、以前の質問でお言葉をいただき、大変救われる思いでしたが それでもやはり、すぎていく日々が寂しく悲しく、虚しいです。 あの子達は苦しみから解放され、楽しく暮らしているのだ、恨みもなく、ただわたしの幸せを願ってくれているとお言葉をいただいても、失った悲しみの方に目が向いてしまいます。 昔1歳で愛犬を事故で失ったことのある姉から、何をしていても悲しいし、何年経っても忘れない、そういうものよ。と言われました。 まだ日もそんなに経っていないので、この悲しさや寂しさは仕方ないとわかっています。 しかし、いつまでも同じことで泣き続けていることを何度も聞いてもらっている友人にはさすがに話しにくくなってきたのもあり、内に溜めているばかりなのも苦しいです。 要点の見えない相談で申し訳ありませんが、誰かに聞いてほしい、何かお言葉をかけてほしいと思い投稿させていただきます。

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2023/06/08

死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

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2023/05/20

自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

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2023/04/19

祖母は幸せなのか

こんにちは。 今回は母方の祖母(母方の祖母。私が小2のときに、90歳で死去。パーキンソン病と認知症で自宅介護だった)について、相談というか質問になります。 前回ご相談させていただいた通り、今は両親から消息を断ち、生活しています。 平和な日々ですが、生前の祖母の姿がずっと心に引っかかっています。 祖母は、私が物心ついたころから、パーキンソンを患っており、身体が震えたり、また幻覚幻聴が聞こえていたようでした。 そんな中でも、私が両親に虐待されていたりすると必死に止めてくれたり、話してくれたり優しい祖母でした。 ただ、私の母(祖母からみたら娘)は、そんな祖母に毎日殴るなど暴力をふるい、家の外まで響き渡る声で毎日毎日、本当に、朝晩問わず怒鳴りつけてました。 私も幼いながらハッキリ覚えていて、恐怖でした。なんで施設に預けず、わざわざ自宅においておき、暴力を振るうのか、幼稚園児の私ですら本当に理解ができず、その光景はトラウマです。 祖父は、私が生まれた頃にはアルコール依存症でのなんらかの心疾患?で他界していて、会ったことはありません。 ただ、昔母から聞いた話によると、祖父も祖母にずっとDVしていたようです。 今思い返しても、あんまりじゃないですか。。夫には暴力を振るわれ、お金もアルコールに溶かされ、年老いてから自分の娘にも毎日暴力を振るわれ、怒鳴られ。。 祖母にもし悪い部分があったとしても、そんなことをするのは許されなかったはずと、悲しくなってしまいます。 私は祖母が生前好きで、祖母が亡くなる日には何故か小学校で発熱し帰ってきたり、お盆になると夢にでてきたり、色々なことがありました。 両親は大嫌いだったけど、祖母の骨があるお墓にいき手をあわせることが、心までポカポカして、大好きでした。 今は身を隠してるのでしばらく手を合わせにお墓にいくこともできませんが…。 私がいま、気になることは、祖母はそんなに辛い状況の中亡くなり、ちゃんと今は幸せなのか、です。 ちなみに祖母が何宗だったか等わかりません…ただ、某新興宗教のお経?みたいなものを毎朝唱えていた姿は知っています。。 ずっと心の中でのひっかかりで、質問させていただきました。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2023/04/18

私の「定命」は・・・(安楽死所望)

私は、あと何年、苦しまねばならないのでしょうか? 「老いも病も受け入れよう」(瀬戸内寂聴・著、新潮社) 7年前に、この本を読んでいるのですが、受け入れられない自分に、折り合いをつけられません。 私は、寝たきりの状態や認知症になってまで、生きていたくありません。私は、その可能性が高く、安楽死が認められていない今の日本では、長生きしても苦しむだけです。 前回の質問で、文中に「親の二の舞を演じる可能性が高い」と書きましたが、本当にそうなりつつあります。昨年、特殊詐欺の被害に遭ってから、その傾向に拍車がかかったと感じます。 私は、これまでに、何度か「殺されかかったこと」があります。とりわけここ数年、その時に殺されていれば・・・と、夜中にうなされることが、増えました。 登録名・しげさん様(名指しでゴメンなさい)のつぶやきに、「安楽死希望」という主旨のものが、あったと記憶しています。私の考え方と、かなり近いです。ただ、今の日本では、安楽死は認められていないので、親の介護が終了して「お役御免」となっても、私はまだ「生きて」いますが・・・。 質問やつぶやきを読むと、「死にたい」「なぜ生まれたのか」などと、嘆く方も多いですが、もっともな話です。回答僧の皆様の考え方にも、一理ありますが・・・。 読売新聞社に、「安楽死を容認する法案を、早急に成立させるよう、国会議員に働きかけを・・・」という投書も、出しています。ことごとく「無視」されましたが・・・。 回答僧の皆様は、問答を読む限りでは、ほとんどの方が、安楽死に「反対」のようですね。 私は、独り身なので、長生きする必要性は、ないでしょう。兄とは、ほぼ絶縁状態です。兄は、「死ね」と、私を罵倒しましたから・・・。 本音を言えば、国会で「安楽死容認法案」が成立したならば、その権利を行使したいです。そうすれば、死の予定日から逆算して、慈善団体にいくら寄付可能か(残りの生活費の計算)などの、数字・金額を弾き出せますし・・・。 字数制限の関係で、文章をかなりはしょってしまったので、要点が曖昧になったかもしれません。 私が、受容できない自分を受容することは、永久に不可能なのでしょうか? 「一切皆苦」と言いますが、安楽死が認められていない今の日本の現状では、死ぬまで七転八倒するしか、選択肢はないのでしょうか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1
2023/03/25

実際に死とどう向き合っていますか?

以前より、死の恐怖について相談をさせていただいており、大変お世話になっております。 たくさんの方から頂いたご回答はどれも暖かく、そして勉強になっております。ありがとうございます。 問答の中で、自分の弱い点や、認知や考え方の歪みがわかり、この方法で恐怖を緩和していこうという方向性は見えつつあるのですが、恐怖緩和に対するどの方法を行うにしろ、習得や納得(体でわかるまでやる、なども含め)には多くの時間を要します。死は人生の命題ですので、一年やそこらで恐怖が激減し、納得することはできないと考えます。 私は方向性としては、禅などの「体で納得」を目指したいと考えていますが、これこそ一朝一夕で身につくものではないですし、仕事等による時間の制約もあり、納得に至るには長年の修行が必要だと感じています。 そんな風に時間をかけてゆっくりと学びを深めてはおりますが、もちろんその間にも死への強い恐怖感は消えません。特に、楽しいことがあった日の帰り道や夜には、必ず「この思い出も自分の存在もいつか消える」という思いで気が狂いそうになり、パニック症状が出ます。 それを、娯楽へ走ったり、禅と宗派は異なりますがお念仏に頼ったり、お墓やお寺に行ったりと、一時凌ぎでやり過ごしているのが現状です。このように、最近は「いつか死ぬ」ということがいつも恐怖で気掛かりで、楽しい・嬉しいなどのポジティブな場面が心から楽しめないような感覚になっています。 前置きが長くなりましたが、 お坊さん方の中に、今に至るまでに修行をなされている間に私のように気持ちが揺れたり、恐怖でパニックになったりしたご経験をなされている方がいらっしゃいましたら、「ご自分が一旦、その問題(私で言うところの死の恐怖)への納得感を得られるまで」に、どのような心持ちや行動で過ごされていたのかをお聞きしたいです。 また、現在も私は死の恐怖緩和についての対処を学んでいる最中ですので、もし同じ問題に悩み、納得した方法や考え方があれば、併せて教えて頂けると嬉しいです。 お時間ある時で構いません。様々なご回答を聞きたいです。お手数をおかけ致しますが、ご回答頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 13
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