理趣経を読んで感じた事。こんな解釈で良いでしょうか?
理趣経(正確には、理趣経本文を含む解説書)を初めて読んだのは
20代の頃で、その時は何が何だかチンプンカンプンでした。
でも今になって読み返し、頭の中で反芻しているうちに、
理趣経がこんな事を語りかけているように思えて来ました。
以下、長文になりますがご了承願います↓
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自然界には大小様々な生き物がひしめいているだろう。
与えられた命の中で無心に食を求め、子を作り、必死に生きている。
そんな生き物たちの本能が汚れてると思うか?いや、皆清浄なのだ。
そして人間も生き物だから、人間の欲望や業だって本来は清浄なんだ。
自然がありのままで美しいように、人の欲も本来ありのままで美しいんだ。
大いに食べて楽しむのも結構、性の快楽に耽るのも結構。
自分の本性を曲げる事はない。遺伝子に刻まれた生命の原理だから。
与えられた日々を存分に生き、愛し、大いに楽しみなさい。
でも決して忘れないでね。
最高の快楽は、あなた自身がまぎれもなく、この大自然・大宇宙の
一部として存在し、共に生きている事実を実感する事。
そして他者も皆、かけがえのない生命を生きている。
だから皆が楽しんで暮らせるよう、欲の力を否定せず、
むしろ利用して世間を整えるんだ。まあうまくやってくれよ。
悟りは本来深遠で説明しつくせないものだが、
私(理趣経)がナビとなって道案内しよう。
まずは車の免許を取りなさい。仕事や家庭の都合で
無理なら運転できる人に乗せてもらいなさい。
大丈夫、私(理趣経)を信じていれば、まさか地獄には墜ちないさ。
あ、でもナビの操作だけはくれぐれも間違えないようにな。
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・・・こんな解釈で合ってるでしょうか?
やはり理趣経については、これ以上は独学よりも、
お寺の勉強会にでも参加した方が良いでしょうかね?
有り難し 32
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