2023/09/26自分の色々あった半生から人を蔑んでしまう
人は誰しも見た目じゃわからない事情を抱えていて、泣いてないから・悲しい顔をしていないから悲しくないってわけじゃない
そして、私がどんな人生を生き抜いてきて、そして今もまさしくステージⅣがん治療を何年も続けていたとしても「苦労しています」という顔でないことでそれが全く想像されないことに驚きます。
こんなに人って普通の人生なんだなと。
自分は見た目では分かりませんがステージⅣのがん治療をここ数年ずっと続けています。でもこれが一番つらいことかといえばそうでもなく、
幼少時から虐待のサバイバーで、性被害や機能不全家庭で、誰にも言えない事情がある10代でした。自殺を試みるほど辛かったです。
それから流産や、病気によって自分の命か子供を作ることかを選択しなければならず子供を諦め、家族は他界。
30代にしては紆余曲折で、友人からは「見た目からは想像できないほど人生過酷なほう」と言われます。
しかし私の年齢や見た目から、健康で何不自由ない人生という前提で話をされることが多いです。
そこで誠実に向き合いたい相手だったら自分の事情をお伝えしますが、あまりに軽くみられたり馬鹿にしたような人には、事情は伝えず「この人ほんと愚かだな」と心の中で蔑んでしまいます。
自身の経験から、お子さんや家庭の話、また健康や身体についての話は、相手に自分から聞いたりはしないようになりました(無意識に意識しているようです)
しかし、なんの疑いもなく無邪気に「お子さん何歳?」「ご両親との楽しい思い出は?」「若くて健康だといいね」など【一般の価値観】を投げかけられたり
「(表現の場で)○○さんのほうが悲しみが表現できてるよ」など言われたり
【私がどんな人生を送ってきたか・じゃあなにが悲しみといえるのか】
まるで、世間と自分とがズレているように思うことが本当に多いのです。
更に「この人は本当に順風満帆な人生だったんだな。苦労してないから分からないんだな」と蔑んでしまうのです。
これはつまり、相手が私にしてることと同じなんじゃないかと。
苦労が人を謙虚にするはずだと思っていたけど、私といえばかえって「何にもわかってないなこの人」と蔑んでしまうのです。本当はもっと謙虚になりたいです。
けど限りある時間、全ての人に自分を理解してもらうのは難しい。ある程度はこんな自分を受け入れていくしかないのでしょうか?
有り難し 8
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