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「生き方・心構え」を含む問答(Q&A)一覧

内定辞退の後悔

いつもお世話になっております。学生時代にした内定辞退の後悔から抜け出せません。私の就活は比較的うまく行き、大手メーカー貿易事務と中堅銀行に、決まりました。大手メーカーは待遇も申し分なく、仕事内容もとても興味が持てました。しかし、何万人と従業員がいて優秀な人たちがたくさんいるなかで、やっていける自信がなく、自分が働いている姿が想像しやすい銀行を選びました。その当時はベストと思った選択でしたが、現在知り合いのまったくいない地方に配属になり、理不尽なことでおこられ、仕事は退屈で、尊敬できるひともいません。生きていてつまらないです。業務だけでなく飲み会や土日の接待、ずっと自分を殺して生きています。自分の思想に反する署名を書かされたり、その地方の価値観をおしつけてきたり、うんざりです。(一般企業に勤めたことのない親は断ればいいと言いますが、そんなことをしたら居場所がなくなると思います)そんなとき、あのとき、あの一流メーカーで、あの仕事をしていたらと想像し、我にかえって悲しい気持ちになります。 社会人経験がない大学生が一生懸命考えたところで、ベストな選択ができる可能性は低かったのだと思います。家族や親戚のほとんどはフリーターや農家や医療職だったので、就活時頼れる大人はいませんでした。友達も一般企業志望の子がいなかったので、相談もできず、孤独な戦いでした。先輩やOB訪問など、自分なりに頑張ったのに、なんで最後の最後の決断で間違えてしまったのだろうと思ってしまいます。転職活動や資格の勉強も頑張っていますが、ふと後悔し、たちどまってしまいます。 どうしたら、前に進めるのでしょうか。

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ねぇねぇなんで人のこと見るの?狙ってるの?ぐ犯者なの?

 いつもお世話になっております。 私は、人の視線が怖いです。男女問わず、怖いです。  私はお寺が好きなので、よくお寺の話をし、その中で 「寺に変な人きた!やだー!場所考えてちょうだいよー!」 とよく騒ぎ、「お寺、しばらく距離取ったらどう?」などと 誤解されてしまう事も多いのですが、  お寺に限定せず、飲食店、駅、電車、一般道、病院… あらゆる公共施設において、人の視線にピリついています。  きょうなど、地下鉄で窓ガラス越しに視線を感じたため 後ろを振り向くと、著しく清潔感が欠如した男性がじっと こちらを凝視していました。  逆ギレされるなどしたら堂々と事件にできるので、 私も見つめ返しました。  男性は気づいて視線をそらすも、まだチラチラ見てきました。  あとは、道ですれ違う時に知らない高齢女性にじっと 見つめられたりもしました。この時は「変質者!」と叫んで、 走って逃げました。    視線にも悪意的なものだけでなく、様々種類がある、 という人もいます。例えば、 「お化粧上手だなぁ」 「あのアクセサリ、どこで買ったのかな」 「どっかで会ったことあるような…」 「姿勢いいなぁ」 「あれは、男か?女か?」など…  現に、私は今時の女性にしては珍しい、と言われるほどの ベリーショート、  体つきも、女性にしては筋肉がある方…と言われます。 実際、去年は5回ほど男性と誤認されました。  いや、そもそも他人様を見ることなんて普通しないでしょ。 礼儀知らずってやつでしょ。  私はやりません。やる奴の心理が理解できません。  狙ってるの?泥棒なの?人買いなの?そこんとこどうなの?

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冤罪から「基本的人権の尊重」を取り戻す

先日『私は犯人ではありません』を書いてから、冷静に今自分が置かれている状況を考えていました。 もしかしたら、私には「基本的人権の尊重」が無いのではないだろうか? では、自分の「基本的人権」を取り戻すにはどうしたらいいのだろうか? ここhasunohaのお坊さまに教えられた通り「自立する」しかないのではないだろうか? では、今すぐに自立出来ない事情がある場合は、まず具体的に何から始めるべきなのだろうか? 思い切って自由に外に出てみる? 怒られても自由に散歩してみる? うーん… 「私がここにいること」を、具体的にどうやって示していけば良いのでしょうか? 萎縮してしまいがちな自分の心を、どうやって強くしていけば良いでしょうか? 「基本的人権」を手に入れる方法を、一緒に考えていただけないでしょうか? 宜しくお願い致します。 『日本国憲法』第三章 第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

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鍛える、耐える、我慢する、だけが修行じゃないんでは…

 いつもお世話になっております。  診察やカウンセリングに通いつつ、早く起きてアパートを 毎朝清掃して、その足で祈願寺(片道約1時間半)の写経道場へ…  祈願寺では写経の後、待ち時間で数学や物理の勉強、 その後護摩行でお経を上げて帰宅後は筋トレ… というルーティーンを送っていたら…  それはそれは見事に体壊しました。 「鍛えなきゃ!」「強くならなきゃ!」という気持ちだけで 毎日やっていたら、知らぬうちにソッチ側に疲れが溜まっていた のかえらい事になりました。  そこで湧いた疑問が、いわゆる「鍛える」「忍耐する」 それだけが修行や訓練とは言えないのでは。という事です。  自分自身の器物の大きさや、今の状態に気づくのも 大事なんではないか?と。  私が今まで遭遇してきたトラブルの数々も、 「あれ?おかしいんじゃないか」と野生の勘やいわゆる霊感・ 第六感のように感づく前触れや兆候のたぐいはありました。  それらの勘を、「我慢しなきゃ!」「頑張らなきゃ!」 「この程度で大げさな…!」と思い続けたり、 「まぁ、こういう人もいるんだ。悪い人じゃないかもしれない。 突っぱねたら失礼だ」とあえて目を瞑った結果、 最悪の事態に発展するのがお決まりでした。  そこんとこ、どうなんでしょうか?

有り難し有り難し 34
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