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「生き方・心構え」を含む問答(Q&A)一覧

退職願いを撤回してしまったのですが…

30歳の男性、現在会社員をしております。誠にお恥ずかしい悩みなのですが、聞いて頂きたく思います。 業務内容についていけず、休みの日まで仕事のことが頭から離れず憂鬱な気持ちがずっと続いており、先日退職を申し出て、先輩にはかなり叱られましたが何とか認めて頂きました。 ところが、私はその数週間後「今辞めてその後はどうするの?」という不安に負けてしまいました。悩んだ末、上司と支店長に「もう一度頑張らせて下さい」と退職願取り消しをお願いし、残ることを認めて頂きました。 ですが、それを先輩にお話したところ、無理もないのですが、すごく怖い顔をして言われました。 「固い決意で辞めるって言ったから認めたのに、また言を翻すとか理解できない」「30のくせにあまりにも精神的に未熟」「仕草のそこかしこで偉そうな態度が多い」と言われました 反論することもできず、ただ小さい声で「はい、わかっています、申し訳ありません」と返すことしかできませんでした。 その先輩はまだ納得したわけでなく、続きはまた話す、本当にやっていけるかはまだ様子を見たい、と仰っていました。 正直「変わった」と認めてもらえる自信がありません。情けないことですが、変わってないと判断されればまた怒られる、その恐怖で頭がいっぱいになってしまいます。 その先輩の叱り方というのが、「お前は~だ!」というのではなく、「君のそういう所、俺は甚だ疑問なんだけど、その辺自分でどう思ってるの?」と問い、私が答えると「身勝手だね」「厳しいようだけど、甘えてるだけ、としか言えない」と返される、そういう感じです。 「どう思う?」と突きつけた上で、お前は甘ったれてる、と切り捨てられる、そんな事が毎回続き、今では先輩の傍に寄ることすら恐ろしくてできません。 情けないことに、今では退職撤回などしなければよかった、という後悔でいっぱいです。休みの日も気が休まらず、胃がキリキリと痛み、食欲も無くしてしまいました。しかし、骨を折ってくれた支店長や上司にこんなことはとても言えません。退職撤回だけでも我侭なのに、それをまた翻すなど、身勝手の域を通り越していますよね…。 ですが、このまま働き続けても、ガタガタ震えるだけで新しいことなど覚えられそうにありません。どうすればきちんと「先輩に認めてもらう!」と頑張れるようになるのでしょうか。

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こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?

いつもお世話になっております。 ゆうりです。 お坊さんの、一言というのは、何故こうも、身に染みるのか。 お坊さんは、話上手です。(この言い方は怒られてしまうでしょうか?すみません。) 気になりました。 タイトルは、以前の質問で頂いた、今、大切にしている言葉です。 私は、将来研究者になるにしても、農業高校の先生になるにしても、(ノンプロで噺家、漫才師、芸人になるにしても)喋るという行為は、不可欠で欠かせません。 特に先生というのは、人間をつくる(あえてひらがなです。)職業であり、また農業を通じて命を慈しむ力を育んでもらわないとなりません。 さらに、私が噺家もを目指すの理由というのも、弱い奴に立ち上がってほしいからです。社会の皺寄せは弱者に来ます。そういう人に、立ち上がってほしいからです。 さて、「こちらの心が無くて、あちらの心が動くでしょうか?」 この「心」という部分があるから、「周りの友達」ではなく「hasunoha」に救いを求めるのだと最近思いました。私もその一人です。 その熱い「心」はお坊さんの場合は、「修行」によって培われているのは言うまでもありません。 (私の場合は、理由が異端なだけに、「信念の強さ」で解決出来てしまうかもしれませんが・・・) しかし、私たち質問者は、どのようにそれを鍛錬すればよいのでしょうか? その「心」どうしたら磨かれるでしょうか? 自分磨きというものは「自分が自分をするのみ。」「自分が自分の行を行うのみ」 精神的な強さを得るためには、「自分が自分を学んでいくこと。」 そう、以前にお言葉を仰ぎました。 これの継続によって得られるものなのでしょうか? また、これだとまだ何か、足りないでしょうか? お手数をおかけしますが、お手おすきの時間がありましたら、回答の方を宜しくお願いします。

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会社で馴染めないうえ、仕事が出来なくて悩んでいます

社会人になってから3社目、転職してきて半年ですが、仕事が出来ない上に、みんなに嫌われているように感じてます。相談出来る相手もいません。会社で居場所がなくて、本当に辛いです。 今の職場は、世に言うホワイト企業で、働いている人はみんな優秀で、環境はとても恵まれています。着いていけないのは私の実力不足と、コミュニケーション能力の欠如が原因だと感じてます。 嫌われた原因は、私が仕事出来ないのに出しゃばって仕切ろうとしたことがあったことが原因だと思ってます。 そのときは本当に私は口だけの人間でした。 上司にマネジメント能力を求められていて、意味を履き違えたんだと思います。今はバイトさんにさえ、指示を出されるような状況です。 仕事については、私なりに努力しているつもりなのですが、空回りなのか、努力が足りないのか、本当に何も結果がでません。結果を出そうと思えない…というか、本当に何も出来ないんです。何を求められているのかが、理解できないです。 私自身は半年前よりは私なりの成長を感じてはいるのですが、そんなの微々たるもの過ぎて、周りからみたら本当にお粗末なものだと感じてます。 今、チーム全体で取り組んでいる仕事があるのですが、私が使えない人間なので、みんな余計に呆れているような気がします。なので、今はよりツラい思いでいっぱいです。 努力で補えばいいのですが、机に向かっても全く頭が回らず、逃げ出したい!ということばかり考えてしまいます。 会社を辞めることを検討するべきか、でも、この歳で逃げてばかりいるのもよくないですし…、でも、このままいても私は何も身動きがとれなくなってしまうような気もしています。 お恥ずかしいかつまとまりのない相談ですが、何かアドバイスをいただければと幸いです。

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私が○○さんの為にしている努力(自分磨き)の方向性。

こんばんは。いつもお世話になっております。 ゆーりです。いつもいつも、質問ばかりで、お礼の返信が出来なくて申し訳ありません。時間を作り必ず、お礼申し上げます。 さて、本日は、自分磨きの方向性について質問させて頂きます。 2ヶ月半くらい前でしょうか? 私は、ここで強くなるにはどうしたらよいか?を質問させて頂きました。ぜひご一読ください。 私は、今、○○さんに思いを伝えるために自分磨きをしています。 持論ですが、自分磨き(自己啓発)というと、ネットなどによく書いてありますように、外見をお金を掛けて変える様な内容をよく目にします。 人は見た目が9割とは、よく言いますがそれでは私は○○さんには届かないのでしょうか? 私には、本当のかっこよさ、強さというものは、内面から滲み出てくる人徳ではないかと思われてなりません。 私は内面を磨きは、辛い道を選ぶ。つまり今できる努力、すべき努力を逃げずにするということだと思います。 私は、今、大学院に向けての受験勉強、教員採用試験の勉強、野球、TOEICの勉強、と四足の草鞋を履いております。 これを乗り越えれば、自分は間違いなく一皮むけると思います。 私は、大学では追試だらけ、野球は(大学から始めたということを差し引いても)下手くそです。 ですから、大学院・教採合格、野球でレギュラー奪取出来たとしたら、間違いなく一生自分を誇れると思います。 また、これらのおかげで、今の自分は、色々な勉強をし、読み物を読み、野球といった努力のおかげで色々な人や物と出会い、内面も、ものすごく成長している気がします。 しかし、これは紛れもなく自分の為でありこの気持ちは相手に届くのでしょうか? もちろん、自分の為にしている努力ですから、相手に届かないかもしれません。自分のしている自分磨きをしてから・・・○○さんに告白するという事は物凄く遠回りです。 ですが、自分に今、出来る自分磨きというものは他に見つかりません。 漫才師になった時の為に、弱い奴を笑かしてやれるようなコントのネタを磨く、これくらいでしょうか。というのは、冗談にしても・・・ 私のしている自分磨きというもの自分磨きと呼べるのでしょうか? また自分のこれからしていくべき自分磨きというものは、いかなるべきでありましょうか? お伺いしたいと思います。お手数をおかげしますが、宜しくお願いします。

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20代後半特有の焦燥をコントロールするには

お坊さん こんばんは。またお聞きしたいことがいくつか浮かんできてしまったので、こちらに分けて書き込みます。 先日、自分がした質問(25歳、これからの生き方について等)とお坊さんからいただいた回答に改めて向き合い、状況を少し客観的に見られるようになりました。20代後半という状態に突入し、どうしようもない焦燥感を持っています。職場にうまく馴染めなかった、大学院が思っていたような場所ではなかった、趣味も人付き合いも嫌気が差してすぐに放り出してしまう。何事も身にならない自分に対して、同世代である友人は毎日働いて社会経験を積み、結婚して家庭を築き、学会に出て研究業績をあげています。 自分だけ時間が止まっているようです。止まっている場合ではない、早く自分の道を選ばなければいけないと思って、資格や他の教育機関の受験、意経験分野の仕事の面接などに挑戦しましたが、ことごとく結果につながりませんでした。おそらく、行動の原点が「今の大学院へ行かないための理由づくり」という消極的な姿勢も関係してしまっていると思います。 この歳になると、今までと同じ道を進むなら、それなりのアウトプットが求められることを覚悟しなければいけない、と感じます。また、違う道へ運良く進めても、また同じ道へ戻りたいと思ったり、さらに違う道へ進もうというのは、もう許されないとも感じます。息苦しいです。どんどん選択肢が狭まっていくことに耐えられず、選ぶことが怖くなっています。他の20代後半のみなさんは、気がおかしくなってしまいそうな焦燥を、どのようにコントロールしているのでしょうか。お坊さんは、仏様を信じることで、このような状態から離れているのでしょうか。

有り難し有り難し 27
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個性を磨く。

お久振りです。いつもお世話になっております。ユーリです。 今回は、個性を磨くということについて質問いたします。 教育現場では、良く「個性を磨く」といった文言が使われ、「生きる力」と共に、二大教育用語になりつつあると、私は考えております。 さて、個性というと、広義にはその人の特性・性質ですが、それを磨くというと、どういった意味なのでしょうか? 私個人の見解を述べますと、やはり、短所のない人間はいないわけで、また、自分と同じ人間もまたいないわけであります。 自分を追及し(今頑張っています。)、自分をより深めることで、自分にしか出せない味を出す。それによって、噛めば噛むほど味が出てくる。噛めば噛む程、噛んだ傍から味が出るような。そんな人間を目指すのが、「個性を伸ばす」だと感じてならないわけであります。 私は、部活の野球はベンチ外。勉強は、論外の外。顔は、圏外の外。 喋らせたら、うるさいとよく言われ…。そんな人間です。 ですが、人に誇れるものというととくにありませんが、この喋りというのは、自分の中で好きな部分ではあります。 アホなこと言って、「自分ってあほやなー」と、振り替えってにやにやしてしまう。そんな自分が大好きです。 元々、芸人になりたい私ですから、そう感じるのかもしれません。 「よく喋る・デブ・ちび・くそメガネ・頭悪い・送りバントが得意」これが私の個性です。 ですが、「よくしゃべるなー・・・」と周りに言われるということから、それを不快に思う人もいるかもしれないわけです。 自分は誇らしく思っても、そんな一面を磨いてどうするのかと思うわけです。 「個性」には、対個人、対社会にプラスのもの、マイナスなものがあるわけで。 マイナスなものだとしても、それを伸ばせ、ってことなんでしょうか?

有り難し有り難し 21
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自殺してはいけない理由

お世話になります。 今すぐに死にたい、ということではないのですが、 私は、かねてから「自殺してはいけない理由」が分かりません。 遺族や他人に迷惑をかけるから、というのは理解できます。 しかし、生きているほうが周りに迷惑をかけてしまう者もあると思うのです。 私は同性愛者で、家族や伴侶はおらず、 将来、いわゆる無縁死や孤独死を迎えるのは、 ほぼ間違いないと考えています。 交通事故に遭うなどすれば別ですが、 そうそう都合よく、ぽっくりとは死ねないでしょうから、 体力が衰え、あるいは何かしら病を患うようになった頃からは、 例えば地域の民生委員や、市の高齢福祉課などに、 多少なりとお世話になってしまうでしょう。 そのような方々の手を煩わせ、 また、一般の方々が収めた税金を費やすべき価値が、 私の死にあろうはずが無いのです。 さらに、私は低所得者で、蓄えもございません。 つまり、死を迎える年齢の頃には、 金は無いわ身寄りは無いわ、 ただただ扱いづらいだけの年寄りになるのは、目に見えています。 これで認知症を患おうものなら、さらに厄介な存在となるでしょう。 だから、まだ体や頭が動くうちに、 無価値な自分自身に、落とし前をつけたいと考えてきました。 こちらの相談サイトで、 自殺を肯定するアドバイスなど頂けないのだろうと思います。 では、こんなクズでも生きていかねばならない理由を、 私に教えて頂けますでしょうか。 宜しくお願いします。

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虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。 今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。 私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。 やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。 今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。 でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。 それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。 そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。 自分はどうして自分なのだろう。 どうしてここにいるのだろう。 なんのために生きているのだろう。 こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。 なにもかもを投げ出してしまいたくなります。 終いには、それを考えることも放棄してしまいます。 そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。 お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。 とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。 虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 414
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