他力が足りない
過去、現在含め、周囲に足腰の弱った人が二人います。
一人はトイレに駆け込む前に排泄物を漏らし、もう一人は玄関で倒れて咄嗟に助けを呼んで助かりました。その時、二人とも同じことを言いました。
「なんで、こんな風になってしまったんだろう…」と。
二人はきっと、この時まで「自分のことは努力次第で、ある程度管理できる」と思っていたんだと思います。だけど、出来ない(出来なくなってきた)と強烈に感じて、ショックを受けたんだろうと思います。
健康は人がコントロール出来ないと実感し易い、最たるものだと思いますが、二人は咄嗟には納得出来なくて「何故?どうして?」と怒りと不満と絶望を感じたようでした。
その時、何となく閃くものがありました。
人間も含め、すべてのものは環境によって生かされていて、自らコントロール出来るものは実は何一つないのではないか、と。もちろん、生きるために嫌でも努力は必要ですが、それ以前に環境が整わなければ望み通りになることはない。それが当たり前の事実なのかな、と。
前置きが長くなってしまいましたが、その時、頭に閃いた文字が「他力」でした。私は宗教には不案内ですが、その言葉はぼんやりと知っていました。この生かされているという事実を「他力」というのでしょうか。でも、私はそれを有難いとは思いません。事実に有難いも有り難くないも、善悪も、良し悪しもないように思えます。
他力とは、有難いとは何でしょうか。
有り難し 53
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