法然上人の直弟子の流れの宗派として現在、浄土宗(浄土宗も鎮西、証空の流れと捉える事ができると思います。)と真宗系があります。 しかし、浄土宗では、善導大師の著作も法然上人のお言葉もよく拝読し、両大師を仏壇でお祀りしておりますが、真宗系(全派までは分からないですが)では、親鸞聖人の著作を拝読し、親鸞聖人、蓮如聖人をお祀りしております。 そこで疑問なのですが、真宗系は善導大師、法然上人をお祀りしたり、お言葉を勤行でお読みすることはないのでしょうか? 同じ法然上人の流れなのに、真宗系は親鸞聖人の教えというイメージが強い様に思います。 派ごとに少しずつ違うかもしれませんが、ご教示いただけますと幸いです。
今、金曜ロードショーでゲド戦記を見てるんですが、その中で出てくる『テルーの唄』は心がテーマなのかなと思いました。 そこでふと思ったのですが、心といえば仏教、主に禅宗系が特に扱っている概念だなぁと思いました。そこで、この歌を仏教的に解釈するとどうなるのかなと思いまして、皆様の智慧をお借りしたいと思い、質問しました。 禅宗の方に限らず、様々な宗派の方々からの沢山のご見解をお願いしたい次第です。よろしくお願いいたします。
天台宗の方々にご質問があります。 よく、巷では「朝題目、夕念仏」と言いますが、天台宗でも実際に「南無妙法蓮華経」と唱えているのでしょうか? 念仏を唱えているのは見たことあるのですが、お題目を唱えているところを見たことがなかったので、疑問に思いました。 恐れ入りますが、天台宗の方々でお答えいただければ幸いです。
浄土宗です。 1,釈迦と阿弥陀如来はどのような関係なのでしょうか? 2、寺の本堂や家庭の仏壇に釈迦(釈迦如来)の像が無いのはなぜでしょう? 浄土宗出版の「毎日のおつとめ(日常勤行式?)」の四奉請には「・・・奉請 釈迦如来入場 散華楽 奉請 弥陀如来入場 散華楽・・・」とあります。 よろしくお願いいたします。
やはり悩んでしまいます。 僕は昔に多くの過ちを犯しています。 前の質問やプロフィールなどにも書いてありますが、不正行為、盗み、淫乱なイタズラ等犯してしまっています。 今は、反省しなるべく誠実に生きようと良い行いや、自分なりに償おうとしています。でも、過去にやったことは消えません。毎日地獄に行くのか不安です。 過去に罪を犯したらやはり地獄に落ちてしまうのでしょうか?
こんにちは。いつもありがたいお話をしていただきありがとうございます。 お聞きしたいのですが、時々自分の心を見つめても何が原因なのかよくわからない時があります。そういう時はどうすればいいのでしょうか。 今執着しているな、これは慢心だな、などとラベリングすることで心が軽くなることもあれば、心を見つめてもよく見えずずっと何かに囚われている感覚がすることもあります。 うまく言葉にできず分かりにくくなってしまい申し訳ありません。 しかしそういう時はそういうものだと受け入れるしかないのでしょうか。
当方無宗教です。無勉強をお許しください。 悩みがある時に参拝させて頂く神社が、 霧島六社権現の一つである神社です。 心が穏やかになり 手を合わせるときには 感謝の気持ちをお伝えしています。 神社には、霧島六社権現を整備された 天台宗の性空上人さまの像があり 見守って頂いているような 気持ちになります。 煩悩ばかり、過去の過ちもありますが こんな私でも 信仰心をもって 天台宗について 知識を深めたいと思っています。 何から始めるべきなのでしょうか?
三界から想受滅を経て解脱する際に、五蘊の中の色薀は無色界で消え、想薀・受薀は想受滅で消えますが、残りの行薀と識薀はどうなるのでしょうか? また今後新たに解脱する人が現れることはあるのでしょうか?
不空大可畏明王観世音菩薩様までは知っているのですが、調べても一部のみで詳しい内容が出てきません。仏教から名を消された方なのでしょうか? 陰陽道と関わりあると聞いていますが本当のことはよくわかりません。
仏道を真に体現している方にお会いしてみたいのですが、どうすればお会い出来るでしょうか? 座禅会などには行っているのですが、これはと思うほどの方には出会えていません。 僕の観る目がないのかもしれません。そもそも、何をもって正師かどうか判断すれば良いのかもわからないです。 アドバイスいただけたら、ありがたいです。 よろしくお願いいたします。
最近になり、死について深く考え始め、このままだと自分は無間地獄に落ちる身だと気づきました。それからというもの、生きるのが辛くなってしまい、座るのが辛くなってしまったり、ご飯を戻してしまったり、過去のトラウマの幻聴がずっと聞こえてきて泣くのをやめれなかったり、体調が悪くて学校に遅れて行く事が増えてしまいました。このままじゃ行けないとは本当に分かっています。死後が怖いからって今生きるのを諦めていけないのもわかっています。でも、浄土真宗に出会い、阿弥陀如来様の事を知れました。でもやはり疑蓋が外れません。どうしても疑ってしまうのです。阿弥陀如来様の救いはすぐ側にあるはずなのに、完全に信じることが出来ません。余計にがんじがらめになってしまいました。今ここで死んだら無間地獄に行くんだと思うと余計に焦ってしまう自分がいます。もう自分には無理なのかもしれないと思ってしまいます。もし皆様から疑蓋についてや浄土真宗の心構えなどあれば教えていただけると幸いです。
地蔵菩薩さまのお姿を紙に判子で押し水に流す印仏作法(地蔵流し)の記事を見つけたのですが、他の仏様(例え聖観音様等)で行っても良いのでしょうか? また、印仏作法を学べる書籍やお寺があればご教授下さい。 宜しくお願い致します。
僧侶の方に質問です。僧侶の方の多くは家がお寺でそのまま継いだという人が多いと思いますが、ぶっちゃけ家がお寺じゃ無かったら僧侶になってましたか?目指してましたか?僕が小学校の頃家がお寺の友達いましたが家がお寺じゃ無かったら僧侶にすらなってなかったと言ってました
現世利益を求めることは卑しい事でしょうか 特に浄土真宗では
おはようございます。お坊様に質問があります。 観音様とお地蔵様の写仏を行う時に、食材の感謝として、願意に鳥獣魚介類昆虫類万霊供養と書いているのですが、問題はないでしょうか? 又、農家さん・漁師さん・猟師さんの安全も祈るために願意に彼らの守護祈願も書きたいのですが、失礼はないでしょうか? お時間がある時に、お答え頂けると幸いです。
いつもお世話になっています、以前永代供養について質問させていただきましたが、いまだに永代供養を行なっていません。親の遺骨です。実は家は真言宗らしいのですが、死んだ親は無神論者で全ての宗教の神を信じていませんでした。それは死ぬ時まで変わりませんでした。それで永代供養をお願いしようと考えているのですが、本人は死後の事は何も言っていないのでどうすれば良いのか、悩んでいます。宗派が違うお寺さんに頼んでも故人には影響ないのでしょうか?それともやはり真言宗にした方が良いのでしょうか?また他の宗派に頼むとなると、その宗派の檀家に入るということになるのでしょうか?やり直しがきかない事なので詳しい回答をお願いいたします。
最近、仏教に興味が湧き、手始めに仏教関連で気になった言葉などを調べています。宗派などの考え方の差異にはまだ触れられてません。 仏教関連の言葉を調べている中で度々目にする「涅槃」と「浄土」、どちらも煩悩から解き放たれた悟りの先のように捉えているのですが、その2つにもそれぞれ種類があって意味が違うという話を耳にしてなんだかわからなくなってきました。涅槃と浄土が意味合い的に少し違うことは何となく理解しているのですが...。 涅槃と浄土にはどういった違いがあるのでしょうか?また、浄土に行くことと解脱するのことはイコールで結ばれないのでしょうか?
変わったご相談で申し訳ございません。 昔の禅僧がお書きになった言葉を一緒に読み解いていただけませんか。 古岳宗亘(1565-1548)という禅僧の語録集『生苕稾』を読んでいたところ、ふと心をひかれて気になった文章がありました。 それは、幼くして亡くなった子供の供養を依頼されて肖像に賛を書いた文章だと思うのですが、いかんせん漢文に疎くてどんな言葉が残されているのか、なかなかわかりません。 亡くなった子供を雪山童子になぞらえているのだろうとは思いますが、特に後半の意が掴めません。 大聖国師はどのようなことを説いておられるのか、なぜかこの肖像文がとても気になっております。 何卒お力をお借りできませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。 以下原文と書き下し、解釈案です。 小児肖像 熊岡息男 你於二月十三而脱胎、 先雪山童子涅槃者日云二、 你於四月十六而帰寂、 後雪山童子降誕者日云八、 日異月同互換出没、 産此寧馨、老妪何物、 手中雀児、是死是活、 無限丹青肯難描出、 你(なんじ)は二月十三において脱胎し、 先雪山童子涅槃は日二なると云ふ。 你は四月十六において帰寂し、 後雪山童子降誕は日八なると云ふ。 日異なれども月同じくして互換に出没す。 産は此(かく)の寧馨なり。老妪は何物なるか(?)。 手中の雀児、是死せるか是活くるか。 限り無き丹青、肯へて描き出し難し。 あなたは二月十三日にこの世に生まれ、 雪山童子の涅槃は四月二日であるという。 あなたは四月十六日にこの世を去り、 雪山童子の降誕は二月八日であるという。 日付は異なるが月は同じく、生まれた月と亡くなった月が互いに取りかわるようにして、あなたも雪山童子も生まれて亡くなった。 産まれるということはこのようなものである。 老いた女性は何物であるか(?)。 手の中の雀の子は、これは死んでいるのか生きているのか。 限りない絵の具を以ってしても、あなたを描きだすのは難しい。