2024/03/29六波羅蜜の忍辱と因果応報について
お世話になっております。六波羅蜜の忍辱と因果応報について、合わせてお聞きしたいことがあります。六波羅蜜の忍辱の修行は、人それぞれの解釈というか、正解があると思います。僕は忍辱は、自分の考えかたや、捉えかたを、変えることだとは思います。ですから、僕に自因自果、というか悪因悪果の報いが現象化してきた時に、「それ」をどう捉えるかということを、意識して変えようとするのですがうまくいかないです。どうしても瞬間的な怒りが湧いてきて、そのまま精神を持っていかれたりするからです。さらに言えば、悪果が理不尽なことであればあるほど、何か月も思い出すたびに相手やその出来事を恨んだりしてしまいます。これは、僕自身が因果応報を心の底から信じられないよう所為な、己の無知の所為なのかもしれないです。ということは、因果応報を心の底から信じられるように、自分の解釈を変えられたら怒りや恨みが抑えられるのかもしれません。このように、自分の信念を変えることが忍辱なんでしょうか。

有り難し 20

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