趣味で呼吸に集中し、雑念を観察する瞑想をしています。最近、完全に雑念のない静寂の状態を5分ほどまで維持できるようになりました。(最初は5秒も無理でした)ふと疑問に思ったのですが、瞑想の状態を24時間365日常に維持し続けることは可能なのでしょうか?仮に可能でしたら、コツなど教えていただけますでしょうか?
自分は、過去に親を謗った五逆罪と仏教を謗った謗法罪を犯しました。 ですがその後阿弥陀仏の救いを知り、一時期は救われました。 ですが大乗仏教は、お釈迦様の入滅後にできた物と知りました。 なのでもし阿弥陀仏様の救いがなければ自分の業によって地獄に落ちます。 家族だって落ちてしまうかもしれません。 それがどうしても嫌なのです。 テーラワーダ仏教では五逆罪や謗法罪を作った場合、善行によって罪を軽減できるだけで地獄に行くのは回避できないと教えがあるようです。(間違っていたらすみません) ですがそもそもお釈迦様は死後の事は何も言わなかったや、言ったが細かく言ったわけではないなど、どれか正解か分からず混乱してます。 せっかく阿弥陀仏の救いに出会えたのに素直に信じない自分は本当に愚かだと思います。 ですがもし救いがなかった場合が怖いのです。将来地獄に落ちるのなら今幸せになっても意味がないと、自分では思っています。 どうかこの苦しみを取り除いていただけないでしょうか 将来地獄に落ちるかもしれないという恐怖や不安を。 もしお釈迦様がこのような者に対して説いているお言葉があれば教えていただきたいです。 何度も同じような質問すみません。
悟りとは何でしょうか。物事に執着せず感情の起伏が平坦で、何が起きても受け流し、いつ死んでも問題ないような状態が悟りなのであれば、うつは悟りなのでしょうか。正直、うつの状態はつらいだけなので、こんなのが悟りなら悟らない方がずっと幸せだと思います。
自分は今の生活に満足してます。 ですがもう一度人生を送りたいかというと正直微妙な感じです。 人生辛い事もあるし楽な事ばかりもしてられない寧ろ楽な方ばかりに行っても結局そのつけが回ってくるし結局大変なのが人生です。 ですが極楽浄土に至っては私の想像だと永久に幸せな時が流れてるイメージがあり何としても極楽浄土に行きたい願望があります。 自分が死んだら阿弥陀如来様に救われて極楽浄土に行きたいです。 そうすれば生物の苦しみを味わう事なく永久の幸せを手に入れられます。 ですが果たして自分は極楽浄土に行けるのか不安です。 本願誇りと言って全員が救われる訳ではない事を知りました。 それで自分も本願誇りではないかと思い始めました。 飛んでる虫は平気で殺します。 例えば蚊、ゴキブリなど、、。 自分は命は皆平等だと言う事を知ってます。 例に出した虫も好きでその姿で産まれてきてる訳じゃないのに、必死に生きてる命を気持ち悪いから、害があるからという理由で殺してしまいます。 その背景の一つに阿弥陀如来様に救って貰えるから大丈夫という過信をしてました。 殺してしまった虫達はもう戻って来ない。 それに加えて本願に全てを委ねてるとしてたならば自分は救われないでしょうか? 救われない私はどうすれば良いでしょうか? 地獄に堕ちる、苦しい世界に堕ちる事に観念して毎日怯えて贖罪の日々を過ごすしかないでしょうか?
先日、仏教についての本を読んで疑問に思ってもやもやしたので質問させていただきました 空である世の中で、お坊さんは空をどのように認識して、認識してその結果、何をしようとしているのですか?どうして今の行動をしているのですか? 僕は全ては認識であり、認識や表現(言葉など)を利用して認識しているみたいな解釈しました 拙い文章ですみません、よろしくお願いします
以前質問して阿弥陀様はどんな人を救ってくれると聞いて安心していましたが、他の宗派があると知るうちに 「本当に阿弥陀様はいるのだろうか。」 と不安になってしまいました。 浄土宗、浄土真宗以外の宗派で「念仏をすれば阿弥陀様に救われる」と説いてはいないのでもしかしたら阿弥陀様はいないんじゃないか、と思いました。 それでも阿弥陀如来様を信仰?している宗派もあるので阿弥陀様はいるとしても、じゃあなぜ「念仏すれば救われるので念仏しましょう」と説かないのだろう? 阿弥陀如来様はいるが、念仏しても救わないのだろうか?と思いました。 宗派によって教えが違うので 阿弥陀様は存在しているのかと不安です。 阿弥陀様を信じようと思っても、 「でももしいないのなら自分は地獄行きだ…」と不安になり信じれないのです。 後半わかりづらいのでまとめます。 1宗派によって教えが違うのはなぜでしょう? 2今度こそ阿弥陀様におまかせしていいでしょうか。必ず極楽浄土へ行き成仏できるでしょうか。 回答お願いいたします。
ご神仏はおられますか? 一般人に聞くのではなく 仏道に入られて仏教を勉強された お坊さんの率直なお答えを聞きたいです。信じるか信じられないかはあなた次第です…みたいなことを よく言われるのですが… 私の気持ではなく お坊さん自身のお考えを 聞きたいです。 よろしくお願い致します。
お世話になります。 我が家は真宗大谷派です。 私の主人が先日、満60歳で92歳の義父を残して亡くなりました。 葬儀屋さんと菩提寺に連絡いたしましたが、菩提寺は留守番になり翌朝に連絡をいたしました。 なんとか葬儀を済ませて、解らない事があり午後6時少し前にお寺さんに電話をしました。 その時に言われた事は‥ 夜は電話かけないでください。忌日法要は普通、今はやらないんです。やって欲しければ行きますが、今はやらないんですけどね!他に用件は何ですか⁈早く言ってください! ‥と一方的に言われました。 あまりにも一方的にきつい事を言われ、深く傷つき義父と2人で泣いてしまいました。 先代住職はそんな風に言わなかったのですが、今現在の真宗大谷派のお寺はこういう対応なのでしょうか? もし、全ての真宗大谷派のお寺が今回のような対応が当たり前でしたら、宗旨宗派を変えようかと真剣に考えています。 よろしくお願いします。
無量義経に書かれてある四十余年未顕真実とはどういう意味ですか?
お坊さんが修行の過程で、幻覚・幻聴・妄想が出ることがよくあると聞いたのですが、それに対策する知見をお教え願います。 個人的なことですが、私が、多少そういうものがあり、病院の薬でも残る場合は、気にしないしかないということなので、何かヒントやアドバイスを知りたいと思い、仏教にはよくある症状と言っていいかわかりませんが、よくあることと何度か読んだことがあるので、知見をお教え願いたいと、質問しました。 よろしくお願いします。
頻繁にお寺を訪れる人についてお坊さんはどう思っていますか? 心が疲れた時にお寺に行くと落ち着くので数ヶ月前から近くにある参拝者の多い大きなお寺に週2、3回ほど通っています。 無料で見学できるご祈祷などにもよく参加してるので、もしかしたらお坊さんたちやお寺の職員の方たちに顔を覚えられているかもと思い始めてから段々恥ずかしくなってきてしまいました。 実際に心が疲れて病んでいるのですが「あの子こんなに頻繁に来て相当病んでるんだな」と思われてたらと考えてしまい行きづらくなってしまいました。 お坊さんや職員の方はお寺に何度も来る人についてどう思っていますか?
はじめまして。初めて相談をさせて頂きます。 私は発達障がいではないのですが、境界知能という障がいを持っております。それ故に言葉の間違いや考えすぎてしまうことがあり、文面にその影響が出ているかもしれませんが、どうかお許しください。 以前、私はある御坊で聖天様のご法要があり、好奇心から参列しました。お坊様が私や他の方々の諸願成就や健康祈願をお祈りくださり、私も手を合わせました。その法要が終わった後、ふと「この法要に参加して手を合わせたり真言を唱えたりしたということは、聖天様をお祀りしたり一生信心しなくてはいけないのではないか?」と考えました。様々な話を聞いていたのを思いだし自分の好奇心から祀りもしない信心したことのない仏様に手を合わしてしまったことに対して酷いことをしてしまったのではないかと深く後悔しております。 私は自宅に不動尊様や大峰山から頂いたお札をお祀りしております。そんな人間が、好奇心から手を合わせたりして、後になって「酷いことをしてしまった」と騒ぎ立てているのですから、これ程酷いことはないと反省しております。現在ではけじめとして、聖天様や観音様に謝罪し、手を合わせた後、法要には参加しないことにしております。しかし、反芻思考(繰り返し考えてしまう)で「酷いことをしてしまった」と頭を悩ませてしまいます。 私は聖天様だけではなく、私たちの諸願成就を祈ってくださったお坊様にも酷いことをしてしまったと悩んでおります。私のしたことは本当に正しかったのか、自分はこれからお祀りしている仏様にどう向き合っていけばよいか お教え願えましたら幸いです ※この文章は読みやすいようにchatGPTにて 編集しております
お釈迦様は仏教という教えや考えを伝えた人で、仏教にはお釈迦様より偉い神様がいると聞いたことがあるのですが、この話は正しいのでしょうか? よろしくお願い致します。
前にも相談した者です。仏様に仕える方々に最近分かった事を一番に言います。 夫の苦しむ姿を見て 苦しむ自分がかわいそうという思いが一番で その次にこういう状況になった夫がかわいそう、という自分ファーストな私です。 夫の癌が再発しそうです。数値的にもそうですが 先生も再発をにおわせる 発言がありました。確定ではなく 人間の体の不思議というか あとはご神仏の 領域だと思っています。 夫もため息は多いですが普通にしています。私も病気の事は自分からは触れずに いつも通りにしています。病気の話はしたくないようです。できるだけ 病気を意識しない生活を送りたいようです。 ただ一年でかなり私が痩せたこと 明るい私が口数が減ったこと (人並になりました)で心配してることは察しているかと思います。 最近はずっと祈りの毎日です。 質問ですが ご神仏にお祈りするときに 以前は完治させてくださいのみだったのですが 最近はどういう状況になっても「夫婦で心が晴れ晴れして 人生を楽しめる強靭な精神力を下さいと、もし可能であれば完治しますように」 こういう風にお参りお祈りをしております。これは厚かましすぎでしょうか? あと心の持ちようですが 再発を視野に入れて 心を整えるか 一心に完治を願うか・・・ 教えてくださいませ。
読んでくださりありがとうございます。 先日祖母を亡くしました。 私は、おしゃれが好きな祖母に 最後ネイルをしました。 葬儀場でお化粧もしてもらったり、 祖母のおしゃれな服を着せてもらい、 とても綺麗でした。 手を前に組み数珠を持たせたとき、 さらに綺麗に見えました。 穏やかな顔で、本当に眠っているようでした。 通夜、葬儀、火葬をして無事にお見送りすることができました。 祖母のお骨が実家にあるのですが、 父が夜に祖母のお骨の近くを通ると、カタッと音がしたそうです。 祖母は、49日までそばに居るのでしょうか?
たまたま仏教の起こりについて簡単に知る機会があり、葬式でよく読まれている身近なお経でもある、般若心経について興味が沸きました。 そこで、このお経が何を伝えようとしているのかインターネットで調べていたのですが、サイトによって解釈が微妙に異なる様で、本来の意味を理解出来たのか自信がありません。 以下が現時点での私の解釈となりますが、間違いがあればご指摘いただけませんでしょうか? •自分自身も、他人も、世界そのものも空(実体の無いもの)である •よって、苦しみや生、死も実在しないものであり、状態が移り変わる過程でしかない •そう考えれば、思い悩む必要など無い ※現時点でディティールまでの正確な理解は求めておらず、まず、ざっくりとした意味を理解したいと考えています もし上記の解釈が概ね合っていると仮定すると、葬式で読まれる般若心経は、故人に対してではなく、遺族に対して読まれているものなのでしょうか? オリジナルの仏教では死後の世界には言及していないと認識しており、故人に対して読まれるというのは違和感があり、上記の発想に至りました。 専門書等を読んでみようかと思いましたが、その道のプロであるお坊さんに聞くのが一番正確かと思い、質問させていただきました。 勉強不足な点は多々あるかと存じますが、可能であればご教示いただけると幸いです。
はじめまして。 リスキーな話題ですが、マジメな質問ですのでご容赦ください。 仏教関係者から聞いた話なのですが、お経を読む際にこっそり「◯ンコ」などの単語をバレないギリギリの範囲で混ぜたり、わざと紛らわしい発音をするといった悪戯?や遊びが仏教界には存在すると聞きました。本当でしょうか? ネットでざっと調べた範囲では見当たらなかったのですが、個人的にはありえる話だなと感じています。 内容も単語も聞き手は理解してないケースがほとんどでしょうから、「一切興味もないくせに、雰囲気でありがたがりやがって…」といった背景から、ちょっと イタズラしてやろうとする坊さんが出てきても全く不思議ではありません。というか、私がその立場ならたぶんやります。 あるいは、本当に卑猥に聞こえてしまう単語が混ざってる場合には、表現に苦心するケースがあるのかもしれません。 念のため申し上げますが、もし事実だったとしてもお坊さんを非難したいワケではありません。むしろ問題があるのは檀家やらの聞き手の方ですので。 それに、アニメではない方の一休さんが仏像を枕にして「俺の商売道具に何をする(笑)」と言われたエピソードなども伝わっています。 「◯ンコ」の件が本当だとしても、宗派ごとの厳格さやお坊さんの感覚は十人十色です。弔い文化や宗教観の奥深さを示す、笑えるエピソードになるはずです。 ひょっとしたら、仏教界にとっては隠したい裏話なのかもしれませんが、知恵をお借りできれば嬉しいです。 よろしくお願い致します。
現在、病名は診断されていないのですが心療内科に通い、薬を処方されています。 時々急に不安が襲ってきてどうしようもなくなることがあります。 そんな時、神様などを信じている人たちは祈る対象があっていいなと思ってしまいます。 私自身、浄土真宗の幼稚園に通ったりキリスト系の高校に進学していたりと宗教は割と身近にあり、神様や仏様はほんとにいるのかなあと考えることもあります。 でも一方で、宗教というと新興宗教の勧誘とか事件を起こしたりとか人間を悪い方向に持っていってしまうのではないかと心配になります。 個人的には神様や仏様など心の拠り所がほしいなと思っています。 ちなみに母方の家系は浄土真宗だと聞きました。 こういうことをお坊さんたちはどうお考えなのでしょうか。
お邪魔いたします。投稿させて頂きます。 光明真言や大日如来の真言、不動明王のご真言を毎日朝晩と唱えていますが、 その際に、手指にて印を結んで唱えていますが、 一部YouTube動画によると、 「~修行を積んだ僧侶ではない一般の人が唱える時に、無闇に印を結ぶのは宜しくない、万能な金剛合掌にするのが良い~」 というのを見かけました。が、一方で、 「特に問題ない」 というのも見かけます。 当方は、各々情報に振り回されているだけでもあるのですが、 Q:どちらなんでしょうか・・・。考え過ぎですかね?
いつもお世話になっております。私が尊敬する科学の先生の SNSを見ていたら、 「最近、このような漫画の科学監修をお勤めしました」 とご報告されていました。 読んでみると、カルト教団の集落(「宗教村」と呼ばれている) が舞台の話でした。 宗教村では、「人は必ず死ぬから、進んで死んで星になろう」 という教義を信者に説き、毎日少なくとも一人は信者が死ぬそうです。 漫画のワンシーンが載っていました。結婚式で、新郎新婦が 導師の指導の下自殺し、観衆の信者が「おめでとう」と熱狂して いました。 かなり強烈なシーンだったので、詳細説明は割愛します。 そのご投稿は、8月初旬です。9月下旬となった今でも、私は そのシーンを思い出して胸が痛くなります。思い出して不安になり、 穏やかにお寺でお祈りができないこともあります。 先日「自分を病気と思うと甘えが出る」と祈願寺で言われた ときも、この「結婚式で星になる」シーンを思い出し、 「私を医療から遠ざけて『星にする』つもりか」 とパニックになりました。 のちに祈願寺に苦情を入れ、他の職員さんが陳謝して くださいましたが… 楽しいSNSのアカウントを見ていても、望まぬ広告で カルト教団を舞台とした漫画の広告が表示されることがあります。 苦しいです。お寺をはじめとした宗教は、世間様から このような「人殺し」「搾取」「自殺助長」などといった 印象を持たれているのか。と思ってしまいます。 しかし、こちらの先生と同じ組織のお仕事仲間さんの アカウントを拝見すると、「○○神社へ行った」「僕は、 神社にもお寺にも初詣をする」といった書き込みを なさっている方もいらっしゃり、先生ご自身も、 「御徒町付近には仏具のお店がダンジョンのように広がっていて、 そこをめぐってみるのもいい」 とおっしゃっています。 そういったご投稿を拝読して心を落ち着けていますが、不安が 拭えません。先日も似たような質問を投稿しましたが、あまり にも「宗教村」の「星になる」話が鮮明すぎたためかなかなか ご回答がつかず、新たにオブラートに包んでこのように投稿 しています。 お寺は、私たちは、世の中から怖がられているのでしょうか? 「命を軽んずる怖い人たちだ」と思われているのでしょうか? 今も、宗教村の「星になる」シーンが思い出されて辛いです。