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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

2023/07/18

寺の長男は後を継いで当然なのでしょうか?

兼業の寺院の長男です。 姉が一人いますが私が跡継ぎとして育てられました。 子供の頃に跡を継ぐかは将来考えると親に言ったら叱られたのが衝撃で、以来、自分が必ず寺を継ぐものと思って生きてきました。 祖父も父親も僧侶として素晴らしいと思った事もなく、僧侶資格を取る為の過程で出会った講師の方達の話もポジショントークばかりの様に感じて僧侶に良い印象はありませんでしたが、経典や宗祖の残した言葉は興味深い部分もありましたし、継ぐ事で世話になった親の肩の荷を下ろしてあげられて、檀家さんの役に立つなら継ぐのも悪くないと納得していました。 しかし私が結婚してから、私達夫婦は寺と仕事を両立する為に両親とは異なる生活の仕方を計画している事を話すと、両親は話し合うまでもなく「寺をやる気がないのか」「そんなに寺を軽視していたのか」等と不快感を示しました。私達は詳しく説明して、話も聞かず頭ごなしに否定するのはおかしいと両親に抗議すると「お前達の考えを知らなかっただけ。自分達の態度は悪くない」と、話し合いもせず不快感をぶつけた自分達の失礼な態度を認めません。 両親は私が成人しても寺について何の話し合いもしませんでしたが、両親は私達が両親の気持ちを察して両親の思い通りに暮らすものと勝手に信じていたようです。 挙句の果てに私が跡取りである事や両親の寺のやり方は「祖父が決めた事であって自分達に責任はない」とさえ言いだしました。 もちろん私の人生選択に責任を負うのは私自身ですが、間違いなく私に影響を及ぼしてきた親なのに、恥ずかしげもなくそんな事がよく言えるなと思います。 姉は姉で結婚して家を出る時も、寺の事など気にもかけなかったくせに、両親の肩を持ち、後継ぎなら両親のやり方を踏襲するのが当たり前だと私達を責めます。 私が「貴方が私の立場なら今の時代でも両親のやり方を黙って引き継ぐ事を受け入れるのか?」と聞くと姉は「自分が跡取り?意味が分からない」という様子で、姉にとって跡取りとは私以外であるはずがなく、姉が私の代わりになる事を想像するどころか、私が継ぐ事をありがたいと思った事さえなかったようです。 私は寺や家族の事を思って選択の幅を狭めてまで生きてきたのに、家族にその人生を軽く見られてなお継ぎたいとは思わなくなり跡取りは辞退したのですが、寺族の跡取りへの思いというのは一般的にこの程度なのでしょうか。

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自傷は許されないことなのでしょうか。

私は小学6年生の元日、初めてアームカットをしました。 頭の中に砂嵐が流れ視界が黒ずんでいるような感覚で、まともに考えられず傷つけてしまいました。 傷つける寸前、初めに「死にたい」と思い、次に「死にたいわけじゃない」「傷付ければ今までの償いになる」と言い訳をしました。1度目は滑らせただけでしたが、その時点で「こんなことをしても償いになるはずがない、むしろ罪を重ねているのではないか」と思い始めました。しかし、「中途半端は嫌、どうせなら血が出るまで」「切れば報われる」「今までの辛さはこんなものだったのか」と自分に言い聞かせ何度も切りつけました。途中「傷が残れば皆に私が今まで耐えていたことを認めてもらえる」と考えが浮かび少し嬉しくなり、そんな自分が怖くなりました。血を見て焦りました。もう後戻りはできないと感じました。 耐えきれず、すぐに母に私の行いを告白しました。懺悔のつもりでした。母は母自身を責めていました。そして私を叱ってくれました。その日私はもう二度としないと母と約束しました。 しかし、中学1年生になり、また傷つけてしまいました。1度目の傷が薄くなっていくことに不安を覚え「自分は今まで耐え、頑張ったのに認められない。それに姉にばかり注目がいく、切ればまた私を見てもらえる」と思ったからです。姉は何も悪くありません。私が勝手に姉を僻んでしまったのです。皆口を開けば一言目は姉で、私のことは話にすら出ないこともあり寂しかったのです。 その日から恐らく百何十回と切り、ほとんどが消えない傷として残りました。 ある日、ネット検索をしている時に"仏様の体に傷をつける"ことが大罪になると記載されているのを見ました。 私は「人は死後仏様になると聞いたことがある。なら生きている今、自分の体を傷つけることも大罪なのではないか」と考え、焦り、不安、恐怖、後悔が押し寄せました。 そして、自傷に対する仏教的なお話を伺いたくここへ書き込むことにしました。 初めて切った日が元日なことにも罪悪感を覚えています。元日を選んだ理由はなく、偶然その日に我慢が切れてしまったのです。 今年の元日からアムカはしていません。しかし、心療内科の薬を過剰摂取してしまいました。 心配されずとも、私の辛さを家族や先生に理解して欲しかった。 こんな私は死後、地獄に落ちるのでしょうか。許されないことをしてしまったのでしょうか。

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仏教は反権力主義?ご信徒様との付き合い方

 いつもお世話になっております。  毎週、近所のお寺の法座に上がってお勤めをしているのですが、 数年前に通うようになった2人の奥様が気に掛かるのと、それに付随 した10年来の疑問があります。  法座が終わるとお堂の外に出て皆さんで世間話をするのですが、 お寺の境内でするにはあまりにも不適切な内容の話で奥様が 盛り上がります。 「皇族の@@殿下は頭が悪い」 「@@(大企業)の社長、旅行に行ったきり帰ってこなければいいのに」 「政治家の@@は裏でこういう事をしているそうよ。嫌ね」 というような、大企業、皇室、政治家などといったいわゆる「力ある 人」の醜聞や誹謗中傷です。  私も一時期、聞かなければ失礼かと思ってそれにお付き合いして しまっており、別の参詣者様が後ろで 「信じらんない…」 と呟いていたのを聞き、同類視されたと思い、あまりのショックで 帰宅して嘔吐しました。  お寺に全く行かない私の知人も、 「お寺に行かない私でも、そんな話はお寺でする話じゃないってわかる」 と言っていました。  1人の奥様は栄養士の資格を持っているので、役に立つ事を教えて くれます。それはありがたいので聞きます。しかしそういった悪い ゴシップが始まると、私は一緒くたにされたくないので 「お先に失礼いたします。お疲れ様でした」 と言って早々に離脱するようにしました。  先述のように、普通はお寺で人の悪口や醜聞など語るべきではないと 思っています。  権力に歯向かうのが功徳になるとでも思っているのでしょうか。 昔通っていて今決別した寺院も、住職が 「@@主義は仏法に通じる」 と公言し、寺報で政策を優しさの中に激しさを包含する言葉で批判する などしていました。まるで過激派の機関誌です。  私は当時体調がよくなく、でも家に籠っているのは嫌なので日参を していたら寺の職員全員から執拗な嫌がらせを受けました。  別のお寺でも、境内で防犯キャンペーンをしていた警察の人に 大声で暴言を吐き、言い終わった後にお坊さんを捕まえ、警察の人が 聞こえるように警察の人を指さして喚き散らしていた人を見たことが あります。  せっかく気持ち良くなりたくてお寺に来ているのに…これも修行 でしょうか。私の対応は適切ですか?また、仏法は反権力主義 なのですか?  ご教授よろしくお願いいたします。

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祖父が亡くなりました。

先日、祖父が亡くなりました。 その際にお世話になったお寺のお坊さんは 祖父が亡くなった日に枕お経を頼んだところ17時頃なのに、営業時間外と断られてしまいました。 その他にも葬儀中でお経を唱えてくれている時に数珠の紐が切れて、床に玉が転がりました。 縁起が悪いと思ってしまいました。 葬儀が終わった後、なにか数珠の紐が切れたことに対して言ってくるかなと思いきやそのままスルーでした。 調べた所によると縁起が悪いのではなく悪縁が切れた、数珠に守ってもらったなど良い意味もあるそうですね。 普通、誰もが不振に思うことならお坊さんがフォローの言葉など言うべきだと思います。 あと、腕時計を外しながらお経を唱えていました。 他にも葬儀が終わった後、喪主である私の父に「お礼を言ってください。」と言い、 父が「ありがとうございました」と言うと 「立って言ってください」と言われました。 葬儀にきてくれた親戚や祖父の知り合いなどがいる前で…… 恥をかかせたいのかな?と思ってしまいました。 確かにお礼を言わない父も父ですが、 違う言い方があったのではないかと思ってしまいます。 今回お世話になったお坊さんに対して とても不快な思いになってしまいました。 いくらお坊さんでも失礼ではないでしょうか? どこのお坊さんもそんな感じなんでしょうか? 今後関わりたくないのですが、どうすればいいですか?

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出家すべきか?

お世話になっておリます。 在家の人間が出家してお坊さんになることについて相談させてください。 私は現在、32歳の会社員として働いています。 昔から人よりいろいろな面で劣っていると思うことが多く、孤独感を感じたり、生きる意味がわからないなどがあり、出家するという事に強い興味がありました。(もちろん、出家したからといってすべての辛さから開放されるとは思っていません。お寺も組織ですし、人間関係の辛さ、修行の辛さもあるだろうとは認識しています。) 日々生きていく中で、どうしても何か大きな目的を求め続けてしまうのです。これは何の意味があるんだろう?いずれ死んでしまうのに、確実で変わらないことなんて無いのに、と考えてしまい、心に大きな穴が空いていてそこから生気みたいなものが抜けている感じです。 仏教や禅を本などでは学んでいますが、やはり体験にまさるものは無いのでは、と考えています。出家して修行したい、そうすべきなのでは?と考えることが最近増えています。 皆様の出家に至った経緯や、その時の心境、出家するということについて、ご意見をいただけますと幸いです。 何卒よろしくお願いいたします。 以上

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庫裏の修繕費用に関する不正の発覚

庫裏の修繕費用を檀家で全額負担して、修繕する事が決まったのですが、その金額が本来かかる修繕費用よりも約倍額の200万円程誤魔化し多く請求させている事が発覚いたしました。 どうして発覚したかと言うと、お寺のお手伝いをさせて頂いている時に、庫裏の修繕見積書が乱雑に置かれていて、正規の金額がたまたま目に入ってしまいました。 またお寺の修繕を依頼された知り合いの業者さんが住職さんに、大幅に誤魔化した金額の見積書の作成をしてくれとお願いされ、断ったと相談されました。 業者さんの話と見積書の内容が合致し、尚且つ一般的な建築業者さんなら明らかにおかしいと気付く金額でもあります。 また、不審に思った檀家さんが住職に見積書の提示を求めると言う話も聞きました。 とても小さな町なので、この問題がすぐに広まり大問題になる事が予想されますが、とても良くしただいている住職さんなのでショックでどうしたら良いのか分かりません。 檀家の少ないお寺なので、何か深い事情があったのかなとも思いますし、嘘であって欲しいとも思います。 また住職さんの言葉に何度も助けていただきましたが、それが嘘だったのかとも思ってしまいます。 誰にも相談する事が出来ず、苦しいです。 どうかアドバイスをお願い致します。

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仏様とご先祖様の関係性等をお聞かせ下さい

私の相談をお読み頂きありがとうございます。 前回、仏壇の参り方もご教授頂き本当にありがとうございます。 その後も変わらず、お世話?お参り?させて頂いていると思っております。 今は色々簡素化されて来ており、私の周りにも、「自分が亡き後は我が子の負担になりたくないから法事等も不要だ」と申す者もおりますが、私自身は代々引き継いでもらえればと思う部分もあります。きっとご先祖様はそんな姿を見て下さっていると信じております。 またまた無知な私の質問ではありますが、仏様とご先祖様の関係性が分からなくなってきました。ご先祖様は仏様とは違うのでしょうか? 先ほども仏壇のお世話は私自身は代々引き継いで欲しいとお申しましたが、純粋なお供養の気持ちだけかと言われれば、正直なところ、お恥ずかしい限りですが見返りを求めている部分があるのかもしれません。私は適齢期を過ぎてもまだ独身であります。私がこのまま独り身で亡き後、甥なり姪なりが、どこかで私を思い出してくれれば…だから今は私のやっていることを見て、「あー、叔母さんあんなことしていたなぁ」と頭の隅にでも置いてもらいたいと思っていたします。 そして… 仏様は私たちの願いを叶えて下さるわけではなく(冷酷とかそのような意味ではないです。)温かいお心で私たちを見守って下さっているのだと今現在私は考えております。では、ご先祖様は? ご先祖様も私たちの傍で見守って下さる存在なのだとは思いますが… 悲劇のヒロインを演じたいわけではありませんし、もっともっと大変な方々がいらっしゃる事も承知ですし、こんなこと序の口だとは思いますが、家庭内で上手く行っていないことが長きに渡ったり、ずっと頑張っている婚活が全戦惨敗中で、自分の力不足を棚に上げて気持ちのはけ口をご先祖様に向けているだけなのかもしれません。 ご先祖様はご先祖様のお役目だったり修業があるのだとは思いますが、私たち子孫が温厚な日々を送れる手助けなり道しるべなりを頂戴したいと思うことは私のエゴであり愚かな事なのでしょうか? もちろん、日々私たちがこうしていられるのはご先祖様あってのことですし、軽んじているわけではなく、感謝はしており、だからこそ毎日仏壇のお世話も続けられています。

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