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hasunoha 問答検索結果 : 「私 怖い」
検索結果: 9419件
2022/12/24

幸せな生活が一変しました。

私は11月にある神社に参拝させて頂きました。 その時山道を歩いていると、右耳に耳鳴りがして風の音みたいな声みたいな感じがして、耳を閉じました。 その話を友達に話したら、その友達の友達に霊感体質の人がいてるから聞いてもらうことにしました。 それでその子から連絡があり聞いてくれた答えを教えてもらいました。 その子が友達に会って、そうそう私の友達が○○神社に行ってと言った時点で、あー怖い怖い寒気すると言ってる時に、一応内容言ったら、その人よくない人やわと言ったらしくて、ものすごく怖くなりました。 私の友達はでも、熱もなく穏やかに過ごしてて、仕事も見つかって楽しそうにしてると言ったら、そしたら持ち帰ってないねんなと言うてたらしくて、気になるようなら毎日塩持っときといわれたらしいです。 その話を聞いて、私は幸せな生活が一変奈落の底に突き落とされました。 もう一日中辛くて怖くて苦しかったです。 でも、もう今は私は幸せだからと忘れることにしました。 その子はすごい強いらしくて、友達の家に来ても、今亡くなったお母さん来てるわって言って、スリッパ履かないからなんでかなと思ってたら、お母さん履くからと言ったり、友達にもあんた今調子悪いやろとか言うらしいです。 神社に行っても、鳥居を両手広げて入って龍神様が歓迎してくれてると言ったり、この木は龍神様が宿ってるとか言って触ったりするらしいです。 取り憑かれて熱出たり、しんどくなってる時もあるけど、自分で対応できるから大丈夫みたいです。 やはり頭からその言葉が抜けずたまに落ち込んだりしますが、なんとか元気出そうと気にしないようにしています。 日々感謝して、気をつけながら生活はしています。 でも何か先に良からぬことがあるのかなと心配しています。 信じるべきですか? 宜しくお願いします。

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人の顔色が気になって辛い。

投稿に目を止めて頂きありがとうごさいます。 人の目や顔色をうかがう癖を治したいです。 私はいま保育士として働いているのですが、周りの人の目や顔色ばかりが気になって、仕事が空回りしてしまいます。 自分で"こうしよう"と思っても、周りの同僚や先輩がどう思っているか顔色を気にして怖くなってしまい、思い通りに出来ずにグズグズしているうちに結局上手くいかなくなってしまうし、他の職員の方が2人で話していると"きっと私を悪く言っているんだ…"と怖くなってしまい、家に帰ってきても"何が悪かったんだろう…とぐるぐる考えて、涙が止まらなくなります。 私生活でも 長く付き合っている彼にも素は出せていないし、 唯一支えになってくれた父親にも本音を言えていません。 父親に関しては、本当に寛容で優しい父ですが、私生活の中では1番顔色が気になるかもしれません。 母親から虐待を受けていた私にとって唯一支えてくれていた人だから…嫌われたら見捨てられてしまうかもしれない…それが根底にあるのかもしれません… きっとみんなただの被害妄想なんだと、私自身も思います。 でも自分が人からどう思われてるか、嫌われていないか、使えないと思われていないか、常にその考えが自分の頭の中にあって、人に嫌われるのが怖くて… 自分としてこの癖がついてしまったきっかけは、幼少期の母親からの虐待に近い環境が影響しているのかな…と思っています。 母は気分の波が激しく、機嫌の良い時は過保護なくらいで、機嫌が悪い時は育児放棄に近い状態だったので、自分が生きるために子どもながらに常に母親の機嫌や顔色を常に伺っていたのを何となく覚えています。 それが自分の中で習慣になってしまったのか… でももう私も成人し、今は母親とも和解して、互いがちょうど良い距離感で付き合えるようになりました。 だから、幼少期の母親の呪縛から、自立しなければと思ってはいます。 どうしたら人の顔色を伺う癖が直せるでしょうか… 本当に毎日怖いので…アドバイスお願いします。

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退職までの後一ヶ月が辛いです

メンタルの調子を崩して休みがちになったことを理由に年度末で今の仕事の契約を切られることが決まり、仕事が終わりになる日まであと一ヶ月と少しです。 働き始めた頃から、分からないこと、困ったことはなるべく人に聞くように心がけていたのですが、職場内の情報共有ができていないのか、別々の人から矛盾したことを言われたり、間違ったことを教えられることが何度か続きました。「それは私の仕事じゃないから」「そう言われても何もする権限がないから」とまともに聞いてもらえなかったり、笑い飛ばされてちゃんとした答えが返ってこなかったこともあります。 そんなことが続いてだんだん人間不信になっていきました。それが態度に出てしまっていたのか、次第に周りからほったらかしにされて孤独を感じるようになりました。 仕事はどうやったらうまくいくか考えて工夫しながら真面目にやっていたつもりでしたが、失敗したときに数人がかりで詰られた時以外フィードバックはなく、周りにどう評価されていたのか分かりません。一生懸命やっていると思っていたのは自分だけだったのかもしれません。 今では同僚と話すのも怖くなり、本当に一人ぼっちですが誰からも気にかけられている様子はありません。職場の相談窓口にも連絡したのですが、何回か相談に乗ってもらっていたら相談員の方が急に冷淡な態度になり、メールも面談もなくなって放置されるようになりました。 分からないことはなるべく早く覚え、失敗したら反省し、組織の役に立てる人材になりたいと思っていました。そのために努力していたはずだったのに、モンスターのように疎まれて弾き出される立場になってしまったのはなぜなのだろうか、私自身が知らず知らずまいた種なのだろうか、どうすれば良かったのかと一人で悶々と考えています。 嫌われ者の役立たずになりたくて就職したわけではないのに、とても悲しいです。こんな状態であと一ヶ月過ごせるのかとても不安です。 まとまりのない文になってしまって申し訳ありません。ご回答いただけると幸いです。

有り難し有り難し 25
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人生の後悔と未来への不安

たびたびお世話になっております。 また話を聞いていただけるでしょうか。 さまざまなストレスのせいか、ついに心がポッキリ折れ、不安障害との診断を受けて、1ヶ月ほど休職していました。 ところが、ゆっくり考える時間ができたのが逆効果だったのか、これまでの人生への後悔と、未来への不安が溢れ出して、絶え間なく苛まれるようになってしまったのです。 ●結婚しなかったこと 人との関係を築くのが下手で、夫や子どもを幸せにできる自信がなく、結婚願望はないと思っていました。 プロポーズを断ってしまったことがあります。 でも、今思えば、挑戦する勇気がなかっただけでは? ずっと共に歩けるパートナーがいるというのは、いいだろうな… との思いが消えません。 両親に孫を見せられず申し訳ないです。 ●早いうちに転職しなかったこと 斜陽産業で、10年後に今の会社があるかどうか心配です。 また、ブラックな業界のせいか、私より年上の女性をめったに見かけません。 これから転職も考えないでもないですが、年齢的に厳しく、そして今の精神状態ではまともな判断が下せずにいます。 ●老後への不安 病気もあり、地元に帰ることも考えています。 でも、年齢やキャリア、田舎であることなどから、パートしか無理だと思われ、収入や年金が心配です。 また、車必須の地域ですが、ペーパードライバーで不安障害もあり、運転ができないかもしれません。 そして何より、両親が亡くなった後の孤独を考えると不安でたまりません。 ●手術への不安 子宮筋腫を治療するべきなのですが、精神的に不安定なうちはやめましょう、と延期になっています。 手術のデメリットについて考え込んでしまい、決心がつきません。 思えば子どもの頃から、神経質で心配症、気が小さく、戦わねばならない場面が苦手で逃げてきてしまった気がします。 不安障害になる前から、何をするにもまず「怖い」という思いが先に立ってしまうタイプでした。 過ぎたことはもうどうしようもないと分かってはいます。 それでも、ああすればよかった、もっと勇気があれば、これからどうすれば… そんなことばかりが一日中ぐるぐると脳内で渦巻いて、疲れ果てました。 こんな歳になってこんなことになり、両親に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 私はいったいどうしたらここから抜け出せるのでしょうか。

有り難し有り難し 23
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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

有り難し有り難し 38
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ありがとうございます

(編集部より。特定の回答僧を指名した質問はできませんので、タイトルを変更しました。) 暖かいお言葉ありがとうございました。人間嬉しくても泣くのですね。忘れていました。 でも御坊様、生きているのが怖いのです。生きていて良いのか?死んで初めて役に立つのではと自然に思ってしまうのです。夜かろうじてベッドに入る時、朝目覚めません様にと願い、朝目覚めるとガッカリの繰り返しです。自ら命を絶つ事は罪なのでしょうか?私が死ねば主人は法律的にも私を憎み叩き潰す事しか考えていない実の二親と妹から解放されるのです、間違いなく。二親と妹は厄介払いが出来たと間違いなく喜びますが、主人は解放されます。仏様が私の命を絶ってくださるか(恐れ多い言葉です、お許し下さい)アクシデントで死ぬか、自ら命を絶ってしまうにせよ、私にもしもの事があったら主人には死後離婚してもらいたいのです。夫にせよ妻にせよ、相手の家と縁が切れる法律です。御存知の様に私の二親と妹は主人にどんな難癖をつけてくるか分かっていますから。その上3人とも怖ろしい程の守銭奴です。どんな形で私は死ぬのか今は分かりませんが私の死後、主人が3人に苦しめられたりするのはたまりません。

有り難し有り難し 8
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