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問答一覧

生きる意味、生きる気力とは

私は生きることを前向きに捉えることができません。 ご飯を食べることも、外へ出ることも、布団から起き上がることさえ 「面倒くさい、嫌だ」という嫌悪感というより、ただただ「無意味、やる意味がない」と感じてしまいます。 幼い頃から父親に罵詈雑言、暴力を受け育ってきました。 私はいい子ではなかったので、仕方がないと諦めて生きてきました。 「私が悪い」と思っていながらも、父のことをとても憎んでいました。 いつか必ず復讐する、刺し違えてでも屈服させてやると思いながら生きてきました。 毎日罵声を浴び、暴力を受け、生まれた意味もわからず 小学校に上がった頃から死ぬことばかり考えて来ました。 生きる気力はありませんでしたが、高校まではなんとかやっていけていました。 夜間の高校に通って、昼間はバイトをみっちり入れていました。 父はアル中でとても働けるような状態ではなかったので、 学生として勉学に励むこと、父のしていない仕事をすることで自分に価値を見出そうとしていました。 父よりまともな人間であると、自分に言い聞かせたかったのかもしれません。 しかし父は肝臓を悪くしてあっけなく死んでしまいました。 私が今まで頑張ってきたことはなんだったのだろう? 父に復讐することができなかった悲しみで世の中のすべてが灰色に見えました。 それからというもの、働くことも何かを学ぶこともやめ 家族との会話もなく、起きて、寝て、たまにご飯を食べ、また寝る。 そんな生活を続けてしまっています。 なぜこんなことになってしまったのだろうと考え続けていますが、 「もともと私がそういう人間だった」「父に対する感情が引き金になった」 このどちらかなのではないかと思っています。 前者の場合、同年代の人のように仕事に力を入れ毎日を楽しく過ごし、希望をもって生きるにはどうしたら良いのでしょう。 後者の場合、父はすでに死んでいます。私が諦めて別の方を向くしかないことはわかっていますが、うまく行きません。 他人に誇れるものはなくても、それなりの仕事につき、それなりの希望を持って生きるために 私には何が必要なのでしょうか。

有り難し有り難し 30
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お寺の手伝いとうについて。

地元の曹洞宗のお寺であった出来事で疑問に思ったので質問させて貰いました。 お盆や彼岸に御参りに行くのは、御先祖様が居たら勿論当たり前の事。 檀家を持っているので、勿論、檀家の方も御参りに行きます、が そこの手伝いとうにいつも変な対応をされてしまうので、疑問に思った次第です。 その対応と言うと 他の檀家さんの花瓶が倒れてしまったら水浸しになりますよね? 手伝いとうは、無視して檀家さんに上がっているお水を回収しているだけ。 その床を拭くために、手伝いとうさんに「布巾を貸してください」と伝えた所 「白い布巾は止めて、汚れ落ちなくなるから止めて」と強く言われてしまいました。 なので色のある布巾で、他の参拝客様と床を拭き、花瓶を直す有り様。 これにはもう吃驚した、の一言しかなく。 もうひとつは 他の檀家さんの所に見たことがない、供え物のお菓子があり、そこの仏様に「ちょっとだけ見せてくださいね?」と言ってから見せて貰っていた所 手伝いとうに「こらこら、駄目!そんな事したら駄目!盗ったら駄目でしょ、罰当たる!」 と言われてしまい、見せて貰っているだけですよ、と伝えても 「あんたたち檀家何処?駄目でしょ!」 と説教の嵐。 泥棒扱いされているみたいで、気分が悪くなってしまい、私は仏様に確り謝ってそのお供え物を返してその場を後にしてしまいました。 昔はそういうので怒られなかったし、寧ろ御下がりと言うので、仏様に確り断ってから、と教わっていたのですが、違うのでしょうか。 そして今年の秋彼岸に、本堂に入り先ず水子さんに挨拶しに線香をあげていた所に、手伝いとうが来て 「あんたたち、○○さんの所の檀家でしょ!そこの!あんたのお母さん知ってるよ」 私にとってはお婆ちゃんなのですがそう言われて、黙って聞いていたのです。 「あんたのお母さんに水あげていけ!!」 とまた強く言われてしまい、命令されて水をあげるのもまた可笑しな話だと思いつつ母が水を取りに行っている間に 「監視カメラあるからね!」と私は言われて、また泥棒扱いされている気分になって、辛くなりました。 お寺の手伝いとうは、こういう対応でも良いのでしょうか? こういう対応の事は住職様にお伝えした方が良いのでしょうか? お答えくださると嬉しいです。 乱文申し訳ありません。

有り難し有り難し 11
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仕事に行きたくありません

職場で一緒に仕事をする60代の女性にストレスを抱えています。 仕事の基本的なルールは皆と一緒ですが、その中でも自分で作業のしやすいやり方というものはあるはず。そこを女性はよく観察しているのでしょう。こうしたら?ああしたら?と、口を挟んできます。そして人を観察する余裕があるにも関わらず、忙しいからその仕事やっておいて!と、使えるものなら上司でも何でも使います。 女性は、せっかちで時にいい加減な性格で上司などへ確認の必要な時間のかかる仕事も結果を急かしてきます。面倒なものは早く終わらせたいようです。仕事をしているのは私です。関わりがないのに急かされるのがとても迷惑です。 自分の失敗を私のせいにされたこともありました。不都合が起こると私に当たってくる気がします。 私は、そんな欲しくもないマイナス要素を吸収してしまうのか、仕事で失敗したり、心の底まで落ち込んで数週間ストレスで眠れない日々もありました。 そうかと思えば、今度は女性が仕事を失敗したり…まるで罰が当たったかのように。そんな不幸の行ったり来たりの繰り返しを女性と私の間で毎日、毎週、数ヵ月続いてきました。 女性の波長に引き込まれないように…と気をつけていても押し付けられるというか、ずけずけと私の中に入って置いていくというか…。私は嫌味の捨て場ではありません。もう、甚だうんざりです。断ち切りたいです。 仕事仲間なので無視をするという訳にはいきません。ストレスを抱えず、女性のマイナス要素の影響を受け取らない方法はないでしょうか。

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第二子を妊娠しましたが、旦那からは中絶をすすめられます

お忙しい中私の質問を読んでいただき、ありがとうございます。 この度、第二子を授かる事ができました。 しかし旦那からは中絶をすすめられています。 旦那が中絶をすすめる理由としては、第一子がまだ幼い事、私の精神的面で2人の子育てをしていくのは難しいのではないかと言う2点です。 私が第一子を出産した後、慣れない育児に戸惑い、数え切れない程何度も泣いてしまいました。 旦那は育児にとても協力的で私も沢山助けられましたが、それでも泣いてばかりいる私を見て第二子も育てるのは厳しいのではないかと判断したようです。 私自身は第二子を産みたいです。 せっかく私達のところに来てくれた命を、自分達の手によって空に帰すような事はしたくないです。 将来的には第一子の為にも兄弟をのこしてあげたいと夫婦で考えていたのに、【今は第一子の事でいっぱいだから】と中絶したくないのです。 今お腹の中にいる子はあきらめたのに、もし次に子どもができた場合は産んであげるというのは自分自身が納得できません。 子どもを育てるには綺麗事だけでは済まされないということは、第一子で学びました。 しかし第一子の笑顔や泣き顔、成長を日々見ているととても幸せな気持ちになり、母親としてこの子を守りたいと思います。 お腹にいる子も産まれてくれば同じように笑って泣いて成長していくんだと思うと、とても中絶する気にはなれませんし、この命を守りたいと思います。 幼い子どもを2人育てるのは大変ですが、それでも一生懸命育てていきたいと思うのです。 この様に旦那に私の気持ちを伝えるのですが、旦那はあまり良い顔や返事をしてくれません。 私の気持ちが旦那に伝わらないのをみると、私の考えは間違っているのでしょうか? お坊さんもお忙しいのに、質問してしまい申し訳ありません。

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死について

このタイトルの質問は多くたくさんは拝見するのですが、少し私は考えが違うかもしれませんので、投稿させていただきます。長文御容赦ください。 私は死について考え出したのは小学6年生の時でした。 そのときは、死んでしまうともうこの世には帰ってこれないし、今楽しいと思うことはもう二度とできない。といったものでした。 そして、考え方は年々変化しました。 今は以下のことを考え、夜になると吐き気をもよおすこともあります。 ・死んだらどんな姿になるのか ・姿が変わっても親や妻、夫に会えるのか、また後から来る人にも会えるのか ・生まれ変わるというが、今実際前世何かだったという記憶も多分ありません… ・あの世でも老化ということがあるのか?あればどのくらい前の人まで会えるのか?なければ老けない姿でどうやって会いたい人を探すのか? ・なんといっても向こうでも働くのか?食べるのか?ずっと活動するのか? といったことがこれでも一部ですが、考えてしまいます… 誰も死に逢ったことはないし、わからないものです。 ですが、かといってこういうふうな捉え方をするなと言われてもできそうにはありません… ありがたきお言葉をお待ちしております……

有り難し有り難し 34
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