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検索結果: 3084件
2023/02/07

あの世について無記と言う姿勢は正しい?

あの世や霊魂の存在を考えないという姿勢は本当に正しいのでしょうか? 中学時代の世界史の教師が言っていたことですが 昔のインドはコーサラ国とマガダ国いう強国が存在し お釈迦様はコーサラ国に支配される属国の王子った 若い頃のお釈迦様は 文武両道で抜きんでた才能があり 父親の王も頼もしく思っていたが お釈迦様は心に悩みを抱えて引きこもるようになり、やがて城も妻子も捨てて修行の道を進むようになった やがて、お釈迦様の一族や家来の中に次々と同じ道に進むものが現れたため父親は非常に悲しんだ と話していました ウィキペディアの記述によると 【釈迦族は釈迦の晩年の時期、隣国コーサラ国の毘瑠璃王の大軍に攻められ皆殺しにされたという】 とあります。 お釈迦様の存命時に一族が戦乱で滅んだということですよね? お釈迦様は大国に従属する小領主の家に生まれ 日本の毛利元就や徳川家康のように名将とし躍進する才能・可能性があったにもかかわらず、その道を捨ててしまっために一族が滅んでしまった といったところでしょうか (毛利家は大内・尼子 徳川家は・今川・織田という強い勢力に囲まれていた) お釈迦様自体は死後の世界については「無記」として語らないという立場だったようですが、 私がお釈迦様の立場なら 死後の世界を考えることはそれ自体が 生き地獄で気が狂いそう(苦しんで自殺するかもしれない)になると思います。 死後の世界が存在したら自分の祖父母 両親などが 自分の一族が皆殺しになったことをあの世で悲しんでいることが明らかで 自分もその責任を感じるはずですから・・・ 歴史上では心残りな思いで亡くなるケースは多く 平清盛 武田信玄 豊臣秀吉などは 子供の将来を心配して亡くなったことも そしてその一族(弟や子供など)の末路が悲惨だったのも知られており 死後の世界があれば、彼らはあの世でも苦しみ続けているはず 話をお釈迦様の話に戻しますが お釈迦様の死後の世界についての「無記」という姿勢は自分の身の上に起こったことが原因でバイアスがかかっている可能性はないのでしょうか? 私にはお釈迦様は日本の建礼門院、信松尼、天秀尼などと同じ立場に思えるのですが 人間は生きていくうえで本当に「無記」と言う姿勢でよいと思いますか?

有り難し有り難し 25
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姑の言葉

私には実家にほぼ寝たきりの86歳の母がおり同居の独身の兄が身の回りの全ての介護をしております。週に1、2度は実家へ行き兄の手伝いなどしに行っております。 私は車で40分程の場所で夫と13歳の娘と暮らしており 仕事もしています 夫の母(私の義母)81歳は普段は本人の希望でまだ別居してますが週末になると我が家に泊まりに来ます。義父も他界し一人なのでいつでも義母とは同居出来るように2世帯住居にしてあり 早く引っ越してきたらとも言ってます。 義母が我家に滞在中に実家の母の所へ介護の手伝いへ行き帰ると「お母さん元気だった?」と聞くので「元気でしたよ」というと「大変ね〜施設に入れたらいいのに」と続きます。義母は実家の母の話しになるとお兄さんも大変なのになんで施設に入れないのか と毎回同じ事を私に言います。 兄は面倒見れる家族がいるのだし 母も長年暮らした家に居たいだろうということで 自宅介護を選び 9年そうしてきました 義母にも兄の本心も説明して 兄が俺が面倒見れる間は家で暮らさせるといってるのだからそれで大丈夫なんです。と何度も言っても 私が実家に手伝いに行き帰ると 大変ね〜施設に入れたらと言います。毎回同じ 大変だから施設に入れろ と言われるのが本当に嫌です。 私が手伝いに行くのも ほんの4時間程度で 義母の病院の送り迎えも我が家にいる間の食事の世話も全てやり、私の夫、娘にも一切迷惑を掛けずに実家の母の世話をしています。 先日もまた言われたので うちの実家は施設には入れたくないし、大変だと思えば大変だけど親だからそう思う前にやってあげたい気持ちが強いと。母の世話をしていると逆に癒される程だと。それぞれの考え方があるら、施設に入れなくてはならない家庭もあれば自ら入りたい人もいるでしょうが、うちの実家はそうじゃないから。と言いましたが全くその気持ちが理解できない様子です。これだけ言ってもまた言われると思います。 ちなみに 義母にはご自分も介護が必要となった時は施設に入りたいか?と聞いたことがあります。その答えは あんな所は絶対やだ のたれ死んでも家にいると言いました 自分は家で介護しろ それ以外は施設に放り込めという考え方なのでしょうか。 本当にもう2度と施設に入れろと言われたくないのですが どうすれば良いですか?

有り難し有り難し 9
回答数回答 1
2021/11/04

どう解釈したら楽になれるでしょうか?

あまり熱心でも無いカトリックの家です。 数年前にヒルティと言う偉人の著書、幸福論を読んで感銘を受けました。只その中に、書物や人との出会いは神の導き、と言う言葉があり、私の知らない宗教の神秘があるのかと信じてしまいました。導きは、タイミングとか、困難が取り除かれるとか、不思議な事が起こる、と書かれていました。 当時出会った女性が、その人!だと、内心はタイプでは無かったですが、自分の内心にも気付かず結婚。でもすぐに苦しくなり、一年で離婚、彼女は嘆き悲しみました。愛してくれていたので。彼女の気持ちが分かるから私も非常に辛かったです。以来4年半経ちますが、離婚した事が神に逆らった様な気がして苦しんでいます。 人との出会いが神の導きでは無いと頭では今は思っていますが、内心がまだそうは思ってないみたいです。神が何故こんな事をしたんだろうと悩んでいます。神は優しい筈なのに、彼女もあんなに号泣して、私も苦しんで。神に救いを求めようと思いますが、発端が神の導き、なので、それも出来ず、、逆に神に腹が立ちそうな、疑念が出来てしまいました。どう解釈したら、楽になるのかなぁ、、偉人のヒルティや古代からのキリスト教の中に間違った教えが含まれてる、と言う事だとは思うのですが、本では繰り返し信仰の重要性を書いていたので、、良い事も沢山書いていましたが、洗脳されてしまいました涙 彼女との結婚、離婚に何か意味があったのでしょうか。彼女が今はどうしてるか知りませんが、2年間はラインが来ていました。辛そうでした。彼女と結婚、離婚して何か良い事があったとは思えなくて。彼女の犠牲を代償に何も欲しくなかったし。神様ひどい、と思ってしまいます。何か意味があったのかなぁ。何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 17
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