真宗高田派のお坊さんお願いします。 自殺したら死後はどうなるのですか?
とても親しくしているお坊さんがいます。 すごく大好きで、信頼しているんですが、SNS等で、私以外の女性と仲良くしてるのを見ると、やきもちしてしまいます。 遠距離で、中々一緒にいられないのもあって、寂しくて辛いのもあります。 お坊さんが、忙しいから仕方ないとは、思いつつ、もっとかまってほしいです。 わがままして迷惑にならないように、気を付けてるけど、かまって攻撃するのは、迷惑ですか? 本人に聞けないので、ここで聞いちゃいます。
「いいね!」を「有り難し」にしてみたり、FacebookやTwitterへの誘導を「この問答を娑婆にも伝える」にしてみたり。 言い方は悪いですが、イメプレ臭がします。 質問の大半についても、「何もお坊さんに訊く必要はないのでは…」と思います。 お坊さんが答えても良いでしょうが、質問者と近い経験をしている人の方が、もっとためになる回答ができるのでは?と思えるものばかり。 大した回答でもないのに、質問者の大半が、「お坊さん」という仕事に対する過剰な期待と幻想にごまかされて、必要以上に有り難がっていることが多い気がします。 とくに熱血系の回答を見ていると、何だかなー…って気分になります。 こういうサイトこそ、人々を宗教の本質から離れさせていくのではないでしょうか? 利得が絡んでいそうなので、回答はないかもしれませんが、僧侶のみなさまの本心をお聞きしてみたかったので、質問させていただきます。
今年に入り、婚活のイベントで素敵な男性と知り合う機会がありました。 一度目の食事で、彼からお坊さんだということが伝えられました。 私自身が彼に惹かれていたこともあり、それ以降何度かデートを重ねて、つい先日お付き合いを申し込まれました。 (私30歳、彼32歳) 告白される直前までは、お坊さんとお付き合いすることに対して大きな不安がありました。 今はその不安がないとは言い切れませんが、気持ちを伝えてくれた彼を支えたいと 思っています。 そこで、今後次のステップ(結婚)に進む前に、なにか準備が出来ることがあるなら挑戦したいと考えています。 彼とお付き合いする前から、着物のレッスンに行こうと考えていたのですが、それ以外でなにかできた方が良い、助かる、などあれば教えていただきたいです。 ちなみに彼は、曹洞宗とのことでした。
こんにちは。最近受験で落ちて少しだけ休憩しようと思って、小説を読み始めました。中国の作家が書いた、天龍八部という本を読んで、中の住職さんたちはいつもちえのある言葉を言っているのを読みました。そして心がすっきりして、受験で落ちて悩んだ気持ちも少し穏やかになりました。 最近 人間関係でのイライラがスーッと解消する方法という お坊さんが書いた本も読みました。本当に、すごかったです。 そして前にもここのサイトを通じてお坊さんたちに質問して、なるほど!と思わせてくれた答えをいくつかくれました。本当に有り難いと思いました。 本とハスノハをきっかけに、仏教に興味を持ち始めましたが、何かオススメの本や映画などの、私みたいな仏教を全然知らなかった人にもわかる本はありますか。あったら教えてください。
映画を借りに、レンタル店に行きました。最初に、洋画のトムのジャック・リーチャーが100円だったのでレンタルしました。さすがのトムは、死にかかりながらも最後は勝つ、そして、年上好きなのでしょうか、女性も強そうでアクションバンバンでした。そしてもう1つは、禅 ZENです。邦画は面白くないので迷いました。お坊さんのパッケイジで景色がきれいな所に、立つ一人のお坊さん、レンタルするかどうか迷いました。しかし、思い切って悩んだ外れでもいいかと思い借りました。トムの映画は、早送りで見ましたが、禅の映画は、見入ってしまいました。感動してしまいました。こんな人物が昔にいたなんて、もっとお坊さんの映画を作ってほしいです。
読んでいただきありがとうございます。 去年大学現役の頃、民間で就職活動をし、失敗して今年は公務員試験を受けました。 結果はほとんど面接で落ちてしまっている状態です。まだ受けるところはありますが、自信がなく、辛いです。 色々なところでこういったことを相談すると、「就活は縁だから」「(私)さんを採用しないのもったいないよ」と慰められます。 慰めてくれるのはありがたいことですが、「縁だから」というのは引っかかります。民間でも何十社も受けて縁がなく、公務員試験でも受けられる分は受けて縁がなく…… 元々鬱になっていて通院しているせいもありますが、まるで「この世に縁がない」と言われている気分になり、いなくなった方がいいのかなと思います。 「就活ごときで…」と思われるかと思いますが、今の日本社会で生きていくには働くことが必須です。その中で働くことに縁が結べないなら、やはり社会から必要とされず、いなくなった方がいいと感じられます。(海外で働く手もあるという話や、小説家などのアート面で活躍することを提案する方もいますが、わたしにはそれはできません、金銭的にも、才能もないので) 私はなぜこの世に生まれてしまったのでしょうか?もし意味などなくても、なぜこんなに苦しいことしか起きないのでしょうか? 私は宗教学を大学で学んだこともあり、自殺の各宗教の扱いも知っています。しかし…ここまで酷い扱いを受けるとそれすら視野に入れたくなってしまいます。 ここ(現世)でやりたいことは沢山あります。死にたくありません。しかし、自分の立場、社会的身分が安定しない以上、やりたいことの何にも近づけなく、ただ自分と同世代の人がやりたいことをやって、私が欲しいものを手に入れているのを指を咥えて見ていることしかできません。 宗教学で学んだ、四苦八苦の中の求不得苦とはまさにこのことなのでしょうか それでもあまりに辛いです。 あまり相談になっていなくてすみません。これからどうキャリアを積んでいくか、それをアドバイスしていただいても大丈夫ですし、何か仏教的観点からアドバイスをしていただいても大丈夫です。 とにかくいま、孤独です。何かご返信をいただきたいです。
家族からもみんなから嫌われて、消えろ、死ね、などと言われたり、親に顔を叩かれたりの暴力を受けています。 一回、友達に言いました。 いつも笑ってる私は、本気で真顔で、死ぬ、と言いました。 すると、あっそ、死んだら?と言われました。 友達も、私が話しかけると無視したりします。 好きな人にも、何もしてないのに逃げられて辛いです。 でも、誰にも相談出来ない。。 死にたい。 消えたい。 この世からいなくなりたい。 せめて、死んで、みんなを喜ばせてあげたい。 そして、結局いつも、ひとりで泣いてしまう。 どうしたらいいですか。
最近ニュースで悪い坊主が逮捕されていますが、hasunohaのお坊さんはどう思われていますか?
最近、CMで沢山流れている『お坊さんの居ないお葬式』を御覧になられた感想をお聞かせください。 名古屋にある、ナインアンドパートナーズ株式会社が運営しているみたいです。 全国の仏教会から抗議、批判があっても当然かと思いますが、如何でしょうか?
先日は、モヤモヤに答えて下さりありがとうございました。 お忙しいのに、また質問させて頂くことをお許しください。 参拝したお寺で、買うつもりは無かったのですが眺めていたら気になった御守りがあり、購入しました。(こんな理由で購入してしまい申し訳ありません) 干支ごとに、守り本尊のお姿が刻まれていて、私は丑年で『虚空蔵菩薩』でした。 裏には、【虚空蔵菩薩御真言 オンバザラアラタンノウオンタラクソワカ】と書かれていました。 どういう意味なのかインターネットで少し調べてみたのですが、ちょっと分かりにくくて…。 分かりやすく教えて頂けないでしょうか? 唱える為に刻まれているのか何の為に刻まれているのかも分からず…気軽に唱えて良いものなのでしょうか? お坊さんが受付してくださったので、意味等聞いてみたかったのですが、ちょっと恥ずかしかったのと ちゃんと教えて頂けるか不安で聞けませんでした。 因みに余談ですが、受付に立って販売して下さったのはお坊さんで、鼻唄を歌ってノリノリでした。ちょっと和みました笑 こんなお坊さんもいらっしゃるんですね(*^_^*) 一つ一つ手彫りでは無いかもしれませんが、刻まれている菩薩様を眺めていると、身近に感じられて何だか癒されます。
最近お坊さんに相談したい悩みが出来ました。出来れば、自分の足でお寺に行って話をしたいのですが、私は大学進学を機に実家を出ています。 近所にあるお寺は実家が信仰している宗派とは違うようなんですが相談できますか?
私は15年うつを患っています。そのため、何事もやる気がなく楽しみもありません。昨年には、痙性斜頸という病気になり、毎日首の痛みと勝手に首が回旋するという状態です。仕事もしておらず、貯金も底をつきました。これ以上生きていても仕方ないなとおもいます。自殺したい衝動は毎日です。両親も既に他界しており自分が死んでも困る人も悲しむ人もいません。どうしたら楽に死ねるでしょうか?
お世話になります。 私はクラウドファンディングやアマゾンの欲しいものリストが好きで、人のためにお金を使ってしまうのですが、それは仏教の布施とどう違うのかよくわかっていません。 お布施を受け取るお坊さんのご意見をお聞きしたいです。
hasunoha見てたら「ぼうさんずラブ」を発見しました。こんな面白い企画があるとは。 hasunohaのお坊さんを直撃取材が「ぼうさんずラブ」なのね。 記念すべき第1回は丹下さん! 変顔してた! 他のお坊さんにも会えますね。楽しみです。
周囲の人達に、私は、お坊さんに洗脳されてると思われているです💦 御守をバッグ、エプロンにつけてるだけなのに・・・。 お寺に行ったり、お坊さんのお話聞くのも好きだし、知らないこと教えてもらえるのが、楽しくて仕方ないです。 大好きな存在があるから、私は幸せだけど、第三者からみたら、洗脳されてるように見えるのでしょうか?
こんばんは。 少しだけ心がしんどいなあ、というときにいつも開くhasunoha。皆様方の問答に共感しては時に涙し、頑張って前を向いている方々を見ては自分を奮起させるきっかけにさせていただいております。 今回は心の葛藤などの悩みではなく、お坊さんの敬称についての質問です。是非お教えください。 お坊さんの敬称で、「和尚様」「お坊様」というのは正しいのでしょうか。流派によって違うものですか? また葉書の宛先などは、 〇〇寺 住職 △△様 で失礼に当たらないでしょうか。 △△の後に続く特別な敬称等あれば是非お教えください。 いつもお世話になっている方ですので、出来るだけ失礼のないようにしたくこちらで質問させて頂きました。仕様もない質問で申し訳御座いませんが、お答え頂けますと幸いです。
はじめまして。 リスキーな話題ですが、マジメな質問ですのでご容赦ください。 仏教関係者から聞いた話なのですが、お経を読む際にこっそり「◯ンコ」などの単語をバレないギリギリの範囲で混ぜたり、わざと紛らわしい発音をするといった悪戯?や遊びが仏教界には存在すると聞きました。本当でしょうか? ネットでざっと調べた範囲では見当たらなかったのですが、個人的にはありえる話だなと感じています。 内容も単語も聞き手は理解してないケースがほとんどでしょうから、「一切興味もないくせに、雰囲気でありがたがりやがって…」といった背景から、ちょっと イタズラしてやろうとする坊さんが出てきても全く不思議ではありません。というか、私がその立場ならたぶんやります。 あるいは、本当に卑猥に聞こえてしまう単語が混ざってる場合には、表現に苦心するケースがあるのかもしれません。 念のため申し上げますが、もし事実だったとしてもお坊さんを非難したいワケではありません。むしろ問題があるのは檀家やらの聞き手の方ですので。 それに、アニメではない方の一休さんが仏像を枕にして「俺の商売道具に何をする(笑)」と言われたエピソードなども伝わっています。 「◯ンコ」の件が本当だとしても、宗派ごとの厳格さやお坊さんの感覚は十人十色です。弔い文化や宗教観の奥深さを示す、笑えるエピソードになるはずです。 ひょっとしたら、仏教界にとっては隠したい裏話なのかもしれませんが、知恵をお借りできれば嬉しいです。 よろしくお願い致します。
この時間帯悩みますが、おはようございます。 皆さんは、お坊さんになられる前となられた後では、性格に変化はございましたか? よろしくお願いいたします。
40後半の知り合いの曹洞宗の坊さんが赤い袈裟着てました、お寺は室町時代からあるそうです。袈裟の色は坊さんの階級と聞きました、どの位でしょうか?