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hasunoha 問答検索結果 : 「 食欲 」
検索結果: 710件

極楽浄土に往生し、成仏した後は?

死後の世界については生まれ変わるとか、天国に行くとか地獄に落ちるとか、さまざまな考え方がありますが、私は死んだ後の世界は死ぬまで分からないので、その時に考えようと思っていました。 ですが、今年に入って長年共に過ごしてきた愛猫を亡くし、その子に天国から見守っていてほしい、自分が逝った時は天国で待っていて欲しい、迎えに来て欲しいと思うようになりました。とても自分勝手な理由ではありますが、天国(亡くなった生き物が行く世界)が存在していて欲しいと今は思っています。 数日前に縁あってこちらのサイトに辿り着き、死後についてのさまざまな質問・回答を興味深く読ませていただきました。 私なりの解釈ですが、仏教で言う天国とは極楽浄土のことだと認識しております。 極楽浄土へ行きたいと願い、念仏を唱える事で、阿弥陀様が極楽浄土へ往生させてくださる。そこで成仏するための修行を行う。 成仏するとは、「煩悩を手放して真理を悟り、仏になる事」という認識でよいでしょうか。 それでは、仏になった後は?という疑問が生まれました。 極楽浄土から、娑婆世界を生きる自分の家族や親しい者を見守るのでしょうか。それとも先に成仏した親しい者たちと、共に極楽浄土で穏やかに過ごすのでしょうか。自分より後に極楽浄土へ来た者たちが成仏するお手伝いをするのでしょうか。 極楽浄土で永遠に過ごすのではなく、娑婆世界を生きる者を救うため、気付きを与えるために、姿を変えてまた娑婆世界に生まれるのでしょうか。 私は極楽浄土で穏やかに愛猫と過ごしたいと願いますが、それも執着、煩悩になりますよね。この煩悩は生きている間は手放せそうにないのですが、極楽浄土で修業し成仏できたら、また愛猫との関係も変わってくるのかもしれません。 成仏したその後の事までは考えず、阿弥陀様におまかせすれば良いようにしてくださるのかもしれませんが、ふと疑問に思ったので質問させていただきました。 過去の質問から、「お釈迦様は死後の世界については、説かれなかった」という回答もありましたので、確かな答えはないと思いますが、どのような解釈をされているか、教えていただけると幸いです。

有り難し有り難し 49
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愚痴を聞き続けることがつらい

こんにちは、初めての利用です。よろしくお願いします。 お坊さんの皆様にお聞きしたいのは題名の通り、他人の愚痴を聞き続けることがつらいためどのように折り合いをつければ良いのか、またどのように振る舞えば良いのかということです。 もちろん私も多少の愚痴は言います。聞く方でも会話の中で多少出てくる程度であれば、慰めたり一緒に怒ったりすることができます。むしろ自分に心をさらけ出してくれたように感じ少し嬉しくもあります。 しかし、会話の内容があまりに愚痴や悪口、文句ばかりであると参ってしまいます。 愚痴を聞けば聞くほどに自分の心に澱みが溜まっていくような感覚です。あまりに聞かされ続けると自分が嫌な感情のゴミ箱にされているような気すらします。 そして、聞き始めた最初は同調できていても段々と受け止めきれなくなり、言っている本人を責めたくなってしまいます。実際に正論という名目で責めてしまっている気がします。 さらには責めるような事を言わせるくらいに愚痴を言いつづけた相手を恨めしくも思ってしまいます。 いま、この文章を書いていて自分の心の狭さが嫌になります。 過去に、愚痴を聞くのが嫌でとても仲の良かった友達と疎遠になってしまいました。 また仲良くしたいと思う一方で再び愚痴ばかりを聞かされるのかと思うと躊躇します。 また、最近は恋人も仕事の愚痴が増えてきました。本人もつらいだろうし聞いてあげることで少しでも気持ちが軽くなるのなら、と、聞いてあげたい気持ちはあるのですが聞いてるうちにうんざりして投げやりな返答をしてしまいます。 愚痴を聞かずに済むのであれば、正直なところ聞きたくありません。しかし生活をしていればどこかで不満を抱きそれを他人と共有したいという気持ちがわくのも良くわかります。 また、話している本人は心を預けてくれているからこそ、他人に言えない分を私に愚痴るのだとも思います。 それをぞんざいに扱うことでその心を砕いてしまう気がして申し訳ない反面、正面から受け止めるのはやはり辛いです。 他人の愚痴に対してどのように付き合えば良いのでしょうか。どう聞けば自分の心に澱みを溜めず相手の愚痴を聞けるのでしょうか。 お坊さんの皆様、どうかこの感情との付き合い方や相手への振る舞い方をどうか教えていただけませんでしょうか。

有り難し有り難し 155
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2025/04/24

生きる意味とは何ですか?

この度は相談内容を確認くださいましてありがとうございます。 32歳女性、既婚者で子どもはおらず主人と2人暮らしです。 いつからかがわからないのですが、ふと気づくと死にたいと思うようになりました。そう思うようになった明確なきっかけは特に無いように思います。 お腹が空いたな位の感覚で「死にたいな、いっそのこと誰か殺してくれないかな」と日々思っています。 そのせいかはわかりませんが、人として生まれ誰かと関わりながら生きていかねばならないことが苦しいです。 漫画やアニメの主人公のように「世界を救う」などの生きる使命や意味は無く、この社会の歯車の1つにすぎない。あったとしても親が死んだ時に葬式をあげ、役所へ手続きをする。くらいしかないだろうと考えています。 それも立派な生きる使命・意味だろうと言われてしまえばそうかもしれません。 ですが、そのためだけに生まれてきたのかと思うと、何十年という人生の中の苦しみの経験と割が合わないように思います。 また、「生きることに意味を考えてはならない」と言われたこともありました。日々を過ごす中、1つ1つの行いには誰しもが何かしらの意味があって行動していると思っていたため、私にはこの言葉がひどく酷な言葉のように感じました。 (なぜそんなことを言ったのかを聞かなかったため、私が言った人の意図を正しく汲み取れていないだけなのかもしれません。) 私の考えは生きたいと思っている人をとても不快にさせてしまう考えだろうとわかっています。ですが、私には生きる意味が分かりません。 生きる意味とは何でしょうか? もしくは、そもそも生きることに意味を見出そうとすること自体が間違っているのでしょうか?

有り難し有り難し 28
回答数回答 3
2022/11/30

仏様を拝む意味を教えてください。

仏様を拝む意味を教えてください。 例えば、仏様を一生懸命拝んで合格祈願をしても、 全く勉強しなければ合格することはないように、 お願いごとをするために、つまり私利私欲の成就のために仏様を拝んでも、 意味がないように感じます。 (なお、本人が勉強すなわち努力しないと仏様は助けてくれない、  と言う人もいましたが、仏様がそんな選り好みをするとは思えないですし、  思いたくもありません。) むしろ、私利私欲の成就ために拝むならば、 たくさん拝むことはそのまま欲望の大きさにつながり、 これまた心の安寧という意味では意味がないどころか、 欲望を強める結果にもなってしまいそうです。 これらのことは、例えばお坊さんが、信者など誰かのために拝むことも、 そういう私利私欲のために拝むことになり、同様のように思われます。 (お坊さんには私利私欲なく、すなわち信者の願いが叶ってほしいとは  思っておらず、 信者の願いを仏様に伝えているだけ、  ということも考えられますが、この場合、お坊さんがそうする意味が  よくわかりません。  お坊さんから伝わった方が、仏様は願いを叶えてくれるということは  ないように思いますし、仏様がそうであるとは思いたくないです。) ところが、お坊さんを含め、多くの方が、仏様を拝んでいます。 その際、呪文のような言葉(真言?)や、お経を唱えていたりもします。 その内心はわかりませんが、お寺の絵馬には様々なお願い事が書かれており、 また、お寺ではご祈祷・ご祈願がなされていることからすると、 何らかの欲の成就のためのように思われます。 拝んでも願いは叶わないなかで、 ①仏様を拝む意味(祈願以外の意味)は何でしょうか。 ②なぜ、ご祈祷・ご祈願がなされているのでしょうか。 ③また、お寺では、お勤めとして、朝晩、お坊さんは仏様を拝み、  お経を読んでらっしゃるようですが、これは、何のためでしょうか。  (書かれているお経の意味を理解・確認等するためであれば、   仏様の前で木魚を叩いて音読するよりも、   自室で黙読すれば足りると思われます。) なお、②につきましては、宗派により考え方に大きく差があるようでしたら、 御回答いただかなくても結構です。 どうぞよろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 64
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