空虚で思いやりのない自分を変えたいです。
25歳にもなり、空虚で思いやりのない自分に戸惑っています。どうかアドバイスをお願いいたします。
物心ついた頃から父が鬱状態にあり、本来明るく楽しい性格という母は情緒不安定になっていました。
明るく思いやりを持って接してくれてたかと思うと、些細なことで機嫌を崩し、物置に閉じ込めたり扉に追いつめて殴ったりしてきました。
なぜそんなことをするのか聞いたところ、「口答えするな」「私も親にそうされた」のような理由にならない答えが返ってきました。
それでも同時に大きな愛情を感じていたので、私は母を愛していました。
家族の均衡を保つ為に、おどけたり母の望む良い成績を取ったりと全力を尽くしていました。
辛いことを忘れるようにしていたら楽しいことも忘れるようになり、辛いという感覚を消すようにしていたら楽しいという感動や物事への期待がなくなりました。
小学高学年の頃父が自殺し、残った家族で母の実家に戻った後、母は3年ほどひとしきり暴れ(この時期が1番キツかったです)、ある日突然憑き物が落ちたように本来の明るく快活な母に戻りました。
物心ついた頃から私の人生の中心にあった問題がぽっかりとなくなったことで、酷い虚無感に襲われるようになりました。
辛い記憶がぶり返し、落ち着いてきた母に幼少の頃された事が辛かったと言ったところ、母は私を「狂っている」と罵り、幼少の私にしたことを「お前の妄想だ」と言いました。
私は無かったことにはさせまいと家の中で母を罵るようになり、それから就職して1人暮らしするまで、無駄だと知りながらずっと母に「辛かった」という事を認めさせる事ばかり考えていました。
その後1人暮らしを始め、いろんな人と交流したいと思うようになりましたが、上手くいきません。
いつもどこか寒々しく、他人事のような気持ちです。物事に熱中することもできず、人を常に疑いの目で見てしまいます。
人への思いやりももはや無く、何をするにも適当です。
今でも昔身につけた、物事を忘れる癖が抜けてくれません。
今ではあの長い、虚無感と向き合ってばかりいた年月を他のことに使っていれば良かったという後悔の念で一杯です。
25歳にもなって何も無い自分が恥ずかしいです。
今からでも自分を持ち、人を信じつつ思いやりの心を持つ方法はありますでしょうか?
どうかよろしくお願いいたします。
有り難し 7
回答 1