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hasunoha 問答検索結果 : 「旦那 できない 悲しい」
検索結果: 827件

亡くなった主人に会いたくてたまらない

二度目の投稿です、以前、主人が亡くなって26日目ですというタイトルで相談させていただきお二人のお坊さんから、目には見えなくても、あなたが想うとき必ずご主人は優しい眼差しであなたを見守ってくれています四十九日が過ぎても、ずっとそばにいてくれますよと回答いただき涙が溢れ心から嬉しくありがたく思いました、でもまた私の心は揺れています、毎日、時間ごとに分刻みに揺れ動きます、大変失礼な言い方だとわかっているのですが、お坊さんだって生きている人間なのにどうして亡くなった人がそばにいるとわかるのでしょうか?大切な人を亡くしてしまったらそのようにおもわなければ生きていけないから、そういう考え方をするんでしょうか?わからないんです、いくらそばにいてくれると思っても私には見えないし声も聞こえない何も感じない主人と出会って30年以上、今年の6月は結婚28年目でした、今思えば不思議なことに去年の結婚記念日には私が初めて手作りのケーキを作り、その前の年は主人が初めて、いつもありがとうと書いたケーキを買ってきてくれました そして娘がお腹にいる時の日記を読み返していたらなんの記念日でもないのに3月13日パパがママにピンクの花を買ってきてくれましたと書いてあり3月13日は主人の命日です、それと私はブラックなコーヒーが大好きだったのに主人がいなくなってからそれが突然飲めなくなり主人の好きだった甘い缶コーヒーを毎日飲んでいます、出会ってからずっと会えない日もあったけど声を聞かない日はなかったので亡くなってからずっと声が聞こえない手を握れないのがたまらない毎日作っていたお弁当はキッチンに置いたままです、失礼な質問かもしれませんがどうか教えて下さい。

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妻が分からないんです

今年の初めに子供が生まれました。 私はとある会社の代表を務めており、小さい会社ながら仲間たちとともに利益を上げてきました。 妻もその仲間たちのうちの一人でした。 一生懸命に働き笑顔を絶やさないその姿を好きになり結婚、一年後に妻の妊娠が発覚しました。 私も妻もとても幸せでした。 妻は会社の事をとても心配していましたが、俺が2人分頑張るからと言い安心させました。 数日前会社の仲間たちと一緒に私たちの家で食事会をしていたときのことでした。 暫くは楽しそうだった妻の表情がどんどん曇り、気分がよくないからと寝室に籠り結局お開きになるまで戻ってきませんでした。 大丈夫かと尋ねると妻は子どもを抱いたまま泣いていました。 具合が悪いようではなさそうなので理由を聞いてみると、「もう私は仲間じゃないんだね」と言われました。 私も仲間たちも含めそのような扱いはしていません。 しかし妻は「誰も私を名前(社員時代のあだ名)で呼ばなくなった。『お母さんは大変だね』とか『お母さんは子供生まれて幸せでしょ、そのまま2人目とかいいよね』って言う。私は仕事に復帰してまた皆と一緒に働きたかったのに、もう会社に私の居場所はないんだなと実感した。」と言いました。 確かに思い返せば社員時代のあだ名で誰も呼ばなくなったし、私も仲間たちもいつのまにか妻は家庭に入ったんだからもういないんだと勝手に考えていました。 そういえば妻は復帰したいと何度か言っていた気がします。 でも私は3人目まで欲しいし仲間たちにもそう伝えているし、正直家庭に入ったほうが女性は幸せなんじゃないでしょうか? 男は外で稼ぎ女は家庭で子供を育てて簡単な家事をこなす。 これでいいじゃないですか。 私は妻の出産に付き添い、大変感動しました。 これが女性の仕事なんだと実感したんです。 肉体的にも精神的にも男が外で働くほうが理にかなっています。 妻は優秀な社員でしたが、女なんだしいつかは家庭に入るだろうと考え役職はつけていませんでしたし。 妻はあれ以来ずっと泣いていて、もう家庭内別居状態なんです。 なんで妻がそこまで社会復帰にこだわるのか理解できません。 仕事なんて男に任せておけばいいのに。 妻と仲直りし、完全に家庭に入ってもらうにはどうすればいいですか?

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亡くなった人のその後の居場所はどこですか?

やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、 側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。 だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。 もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。 それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。 私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。 夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。 主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。 1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。 どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。 抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。 周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。

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お坊さんが怖い

先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。

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