2022/07/29生きている人への「回向」と、私の仏教観
いつもお世話になっております。このほど、私の尊敬している
学者の先生が、てんかんをお持ちだということがわかりました。
先生は、お仕事で危険な薬品をお使いになります。万が一の事が、
非常に心配です。
そこで、休日に酷暑の中スーツを着て、たくさんお寺や神社を回り、
先生をお守りくださいと神様や仏様にお願いをしました。営業さんの
ようです。
ちなみに、私は本来、願い事が嫌いです。願掛けや縁起物、
お守り等に依存するのは本来の仏様の教えからは逸れる
(親鸞上人の「正像末和讃」に、とても共感しました)、仏様の
教えは、「ヒト」をバックアップし、パフォーマンスを引き上げて
くれるもの、「お見守り」だと考えているからです。
巷で妄信されているような、「拝んでいれば大丈夫」ではないと
考えています。
大学入試に例えると、受けるのは自分、周りの方は、叱咤激励、
応援してくれるだけ。それが受験生さんの大きな支えとなりますが、
「私が代わりに受けてあげる!」まではいきませんよね。
なので、自分が試験を受けたり、自分の障害の寛解について
などの願掛けはしたことがありません。お守りも、持っていません。
護摩札はありますが、それは、「本尊」として拝んでいます。
ちなみに願意は、「御礼」です。
回向というと対象は死者、というイメージでしたが、法話で
「自分以外の生きている人を守り給えと祈ることも、回向に入る」
と伺った気がします。これには、なるほどと思いました。
しかし、若干「願い」にも入る気がするので、願った後は、
現実的な事をしようと思いました。例えば、
・先生は動画配信をなさっているので、動画を拝見する
・ご自身のホームページでアフィリエイトもなさっているので、
ページのリンクからサイトにアクセスし、その商品を購入する
・てんかんについて勉強し、応急処置など、理解を深め、いざと
いうときに行動できるよう備えておく
仏教は「神秘主義」ではなく、「現実重視」と思って、「相手を苦から
遠ざけ、楽を得る一助となる事をする」「自分のためには、正しく事物
を見極め、邪見に惑わされぬよう努力する」これが、私の仏教観だと
思っています。
長くなりましたが、私の回向、仏教観について、先生方のご高見
を賜りたく存じます。
有り難し 9
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