2024/01/20もう十分生きました、もういいんです。
お世話になります。
以前こちらで、夫に腎臓を移植し、その後亡くしてしまった話を聞いていただきました。
夫が亡くなって、もうすぐ一年になります。
その間、自分がこれから生きていく意味をずっと考えていました。
私は夫と少しでも一緒にいられるようにとの思いで、腎臓を一つ夫に贈りました。
しかし、移植手術から夫は一度もまともに歩くこともできず、さまざまな病気を併発し、入退院を繰り返し、難病にまで罹り、最期はコロナに罹患し、それを起因として突然逝ってしまいました。
夫の延命を願い、私から提案した移植手術は、結果的に夫に更なる苦しみを与えることとなりました。
今は夫の死に対する責任と後悔の念に囚われ、押しつぶされそうになっています。
正直に言えば、生きている意味を見出せないのです。
私には趣味がいくつかあり、今後もそれを続けていける環境にありますが、もうそんな事もどうでもいいと思うほど、生きていくのが嫌になっています。
もちろん自分から死を選ぶ事はしないと思いますが、このままただだらだらと生きていて何の意味があるのだろうと、思うのです。
そんな話を、友人や知り合いにすると、皆、私の思いに寄り添ってはくれず、ただ「考え方が極端」だの「まだ若いじゃないか」だの、私にとってどうでもいいような事を言い、話題を変えようとします。
誰も、そんなネガティブな話など聞きたくはないでしょう。
それは仕方ない事だと分かってはいても、もう誰も私の気持ちに寄り添ってくれないのだと思うと、どこにも自分の居場所はないと思ってしまうのです。
もう十分生きました。
この世の苦しい事、辛い事、悲しい事、少しの楽しい事、たくさん経験させてもらいました。
自分には無理だと思っていた結婚もできました。
子供はできませんでしたが、かけがえのない人と一緒に30年も暮らす事ができました。
もういいのです。
今年で60歳になりますが、60年も生きて来れて、もう十分です。
最近は、寝る、食べる、お風呂に入るといった、当たり前の事が面倒で、外に出る用がなければ、かなりめちゃくちゃな生活をしています。
ただ、飼い猫がいます。
この子を残していく事だけは、どうしてもできません。
たった一つ残された希望は、ここで、どなたかに私の思いを受け止めていただけたら、寄り添い支えてくださる方がいらっしゃればという事だけです。
有り難し 28
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