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問答一覧

絵を描いても、救われない。

以前にも、お話を聞いて頂き、描けなかった絵が、描けるようになりました。 下手なりに、頑張っています。 pixivや、Instagramに、イラストをアップしています。 ですが、あんまり見てもらえません。 閲覧数、いいね!、評価、少ないです。 まあ、私程度の絵では、見てもらえなくて、当然ですが…。 ですが、描いても、反応、結果がでないと、不安感に襲われます。 結局、描いても、ムダなんじゃないかって…。 もっと上手くなりたいので、絵の本をたくさん買って、勉強しています。 一朝一夕に、上手くなるわけではないので、まだまだです。 絵が、再び描けるようになれば、鬱も良くなると思ってましたが、あんまり変わりません。 描いてる最中は、嫌なことを忘れられても、描き上がったものは、下手なイラストです。 評価はもちろん、閲覧すらしてもらえません。 描いても、空しくなります。 描いてない時は、階段から落ちて、頭打って死なないかな、とか考えてしまいます。 昔は、絵を描いて雑誌に投稿したら、だいたい載せてもらい、ファンコールなども頂きました。 鬱による、空白の10年があるので、下手になったのでしょうか? (昔も、そんなに上手いわけではないですが…) どういう心持ちで、生きていけば良いか、わからなくなりました。 このまま、下手な絵を描いて、生きていけるのでしょうか? いつかは、上手くなるかも、と、頑張っているのですが…。 毎日、空しく、早く死なないかな、と、考えてしまいます。 絵を描いても、救われません。 描けなかった頃は、描ければ鬱も良くなると思ってたのに…。 わたしが、欲張りなんでしょうね。 もっともっと、と思ってしまいます。 病院に通ってますが、鬱は良くなりません。 毎日、苦しいです…。 精神科で処方されてる、頓服薬を、いつもたくさん飲んでしまいます。

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女に生まれることは生物的にも社会的にも損でしかない。

私28歳、夫30歳です。 結婚当時夫は優しい人のように見えました。 妊娠後子宮外妊娠が発覚。 私自身も危険な状態でした。 夫はそれを知りながら病院に顔を出すこともなく浮気相手を妊娠させる等、裏切り行為が絶えませんでした。 退院後に後遺症やストレスで起き上がるのもやっとの私と無理やり性交しようとし喧嘩になり、「お前が子宮の外で妊娠なんかするから悪い」「男は本能的にセックスしないとダメ、お前が入院しなけりゃ揉めることもない。ストレスを発散するために浮気するのも仕方ない、男はそういう生き物だと知らないお前が世間知らずなだけ」と言い返されました。 私はショックで気を失い起きたら夜中で床に倒れたままで夫は寝室で寝ていました。 朝になっても眩暈があり横になっていた私に「生めない女は生物として失格」と更に暴言を吐かれ・・。 その後妊娠中の浮気相手から養育費を出せと電話がかかってきたり、夫の友人から「男の浮気は身体だけの関係で悪くない」と言われ開いた口が塞がりません。 私は今男という生き物が信じられません。 確かに本を読んだりすると男性には本能的にそのようになってしまう傾向があると書かれています。 だとしたら改善することは無いという事ですよね? ただでさえ妊娠出産育児などで身体的負担が大きく行動等の制限もかかるのに、命がけで子どもを生んでる最中に男は浮気、そして本能だから仕方ないと言い訳する。 社会に出ても男と同じ成果を上げても出世は出来ない。 ところがこれを言うと「女は努力してないからだ」「女は男に劣ってるから」と言い返される。 私の以前勤めていた会社は結婚もせず何十年もひたすら会社の為につくしてきた女性が何人かいましたが、彼女らは役職すらつけてもらえていませんでした。 役職付きの男性と同じかそれ以上の仕事をしているのに。 仕事に必要な資格も男は会社が費用を全額負担しますが女は全額自己負担でした。 これじゃ女が損するばかりじゃないですか。 妊娠出産を生命の神秘と美化する風潮がありますが、そもそも女は妊娠したくてしているわけではなく、女に生まれた時点で自分の子供がほしければ命がけで自分で生むしかないのです。 男は種をばら撒けば自分は苦しまずに子孫を残せる。 不公平過ぎます。 私は男が憎いし女に生まれてきたことが嫌でたまりません。 女は損しかありません。 死んでしまいたいです。

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友達ってなんでしょうか。

音楽やスポーツの趣味が基本的に、合わない友人がいます。が、友人ですので、誘われたら断らず付き合います。私が面と向かって断るのが苦手、という所もあるのですが。 そのかわりこちらの要望も聞いてもらうつもりでした。しかし、友人は、私の要望を拒否してきました。その時は、スポーツの話題で、ルールがわからないから、という理由でした。私はルールがわからなかったのですが、友人のスポーツ観戦に付き合いました、それも2回。友人もそんなにわからないので、雰囲気を楽しんで!と言われました。 後から行きたくなかった、というと何故断らなかったのか、と言われました。怒るのが嫌だから、と答えると、怒ってるのは自分でしょ、と言われてしまい絶句しました。友人に対してイラっとした事はあります、でも不満などは言った事はありません。 旅行先の宿泊予約や現地移動、食事場所まで全て丸投げされます。食事は一緒にするから、寝るときは1人が良いので、部屋を別々にして欲しい、洗面所なども気兼ねなく使えるよ、と提案したのですが、受け入れてもらえませんでした。 私にあげる予定だった誕生日プレゼントを自分も欲しくなってしまい、買おうとするときに、お金の関係で1つしか買えないから、まだ渡せない、と言われ半年後に渡された事もあります。友人にとっては、私の誕生日などは何の意味も持ってないんでしょうね。もらえるだけありがたいですが、私は友人の誕生日を過ぎないように守り、渡しました。 遊びのお誘いも友人からは、一度もありません。私が毎回誘っています。友人いわく、誘って自分が断られたら嫌だから、と言ってました。 以上の事が積もり積もって、不満爆発寸前です。私は私なりに気を使ってきたのに。友人に都合よく使われてる、結局、友人の思い通りになってます。 以前、これは本音だったんじゃないかな、って思う事がありました。私の事を、便利だよね〜って言ったんです。目がテンになりました。使う言葉を間違えた、と言ってましたが、色々あった事を考えると、やっぱり便利だと思ってるんだろうな、と思います。 一緒に遊んでいて楽しい時もあります。ですがそれ以上に、もう一緒に旅行などはしたくない。話し合いにもならないので、不満も言えませんし、対等でないな、と感じてます。 この先どうするかは考えてません。とりあえず、連絡するのは控えようと思っています。

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自死とは

自殺がいけないの分かっています。家族の心を殺してしまう程に悲しませてしまいます。仕事でも私が居なくなってしまうと物理的に経営していくことは無理な状態になってしまいます。 何も良いことはありません。 自死遺族の方のブログなどを読んでいると、何故大切な人を残し逝ってしまうのか涙が出てきます。自殺とは怖いものです。 それを分かっているのに、私は今消えてしまいたい衝動に刈られることが度々あります。 体と精神的な状態をネットで調べる限り、私は鬱病なんでしょう。 個人輸入で薬を買って色々な症状は改善してはいます。 私は父母の経営する小さな会社で働いています。数人の社員とアルバイト色々見てきましたが、その中に鬱病経験の人を数人見てきました。言葉は悪いですが使い物になりません。 私の父母もノイローゼな人は困るねという考え方で私もその様に思います。 もし私が本当に鬱病で何も出来ない状態になってしまったとしたら、最早死んでしまっていると同じなのではないでしょうか? 何も出来ない状態では家族、仕事に迷惑なだけです。 それでは死んでしまっても同じことなのではないのかと思うことがあります。 決して自分から死にたいと思っている訳ではありません。しかし、自分自身の必要性がなくなった場合は生きていく意味とは何なんでしょうか?

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生老病死

 数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。  ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。  そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。  般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。  生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。  「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。  即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。  従って仏教の救いは死後にあることになります。  しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。  それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。  そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑)  前略  その時、世尊はかように仰せられた。  比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。  まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。  後略

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