私は持病の症状とは別に、この世の者ではないものが見えたり聞こえたりする事があります。 ご先祖様や亡くなった家族は助言をくださり、時には叱ってくださり、とてもありがたいです。 ですが、苦しんでいる霊にも会ってしまいます。 戦で亡くなった落ち武者は、「利用された、苦しい、辛い」と言っていました。沖縄戦で亡くなった霊は、軍服を着たまま首から上が無く、断末魔のような叫び呻き声を上げていました。 死んだ後もあの世へ行けず苦しむ程にこの世の試練は苦しく残酷なのは何故ですか? 仏教では輪廻転成があると聞いたのですが、人が他人を殺すこと、人が動物植物を殺すことが許された世界に、私たちは何故何度も生まれてくるのでしょうか? 輪廻転成はいつまで続くのですか? 転成しなくて良いまでに、学び成長した後は私たちはどうなるのでしょうか? たくさん質問をしてしまって、申し訳ございません。 生きる意味のヒントが頂けたらと思い質問させていただきました。 宜しくお願い致します。
場違いかと思いますが、ダメ元で山梨県都留市鹿留にある曹洞宗長泉院さまについてお尋ねします。 お寺建立の由来・歴史についてどなたか分かる方がいらっしゃいましたらご回答お願いします。 本来、当ご住職に聞けばよいのですが、以前、火事に遭い、資料が焼失してしまったの事です。 また、お寺の寺紋に四割菱(武田菱)がありますが、かつての戦国大名、武田氏と何かご関係があるのでしょうか。また、甲府市にある長泉寺さんとは、何かご関係があるのでしょうか。 お忙しいところすみませんがよろしくお願いします。
近年、量子力学等の学問での研究に目覚しい進歩が見られます。 量子力学や精神系分野で輪廻転生の研究の話題が盛り上がっています。 量子力学では遂に死後の世界について【量子もつれ】と呼ばれる現象で論文を発表したり輪廻転生の研究をしていらっしゃる学者さんもいますし少し前ですが精神系分野では著名なアメリカのジム・タッカー博士は輪廻転生をしたと思われる2500人の子供達に関して発表しました。 この子供達の実例を見る限り明らかに例えばAという死んだ人物とは関係ないBの少年又は少女がAの生前の記憶を持って生まれてきている事があるようです。 それでも脳の錯覚だとして懐疑的な学者さんが多い中、現在進行形でこの分野の研究は着実に前へと前進しています。 ちなみに、私は死後の世界も輪廻転生も存在すると考えています。 そこで、今回は輪廻転生についてお聞きしたいです。 お坊さんは輪廻転生とはどのようなものだとお考えなのでしょうか? 輪廻転生の仏教的解釈やお坊さん個人のお考えをお聞かせください。
私は昔から 人に嫌われることを 恐れてしまい 誰にでも優しく どんな相手でも笑顔でを 徹底してきて 八方美人になってきました その為、ほんとうに 好きな人には その気持ちが伝えられず、 苦手な人でも突き放したり できないため 正直きつい思いをすることも たまにあります このままだと 広く好かれる存在には なれたとしても ほんとに大事な人に 大事に思ってもらえないのでは ないかと怖くなります 八方美人は治すべき なんでしょうか⁇ 嫌われる勇気を もつべきなんでしょうか⁇
いつも、楽しく、ありがたく読ませていただいております。 タイトルの内容について、ご意見を頂戴したく。 妻の話なのですが、現在精神的な病にかかっております。 いわゆる、躁鬱病という病です。 病が原因…と言えば、それまでなのですが、何とか妻の思うコトを理解したいと思い、相談させていただきました。 妻は、口癖のように「疲れた」「辛い」「死にたい」と言っています。 そんな言葉に対して、私は色々な言葉をかけています。 しかし妻は「死にたいと思ったことがない人には理解できない。理解できない人には何も言われたくない。」と言ってきます。 この言葉… 正直、私には反論ができません。 "死にたい"と思う気持ちは知れても、全く理解ができないのです。 私は、死ぬほど辛いなら逃げればいい。生きていればいいコトがあるかも!?と思っているタイプです。 ここからが質問です。 妻に限らず、人が死にたいと思うということは、どういうことなのでしょうか? また、妻にはどのような言葉をかければ良いと思いますか? 皆様のご意見をお聞かせいただければと思います。 ぜひ、よろしくお願いいたします。
初めて質問させていただきます。ゆきといいます。 私は5年前から内臓系の病気で病気療養中です。 本来なら大学に入学できる年齢のはずですが、実際の私は学校にいく体力なんて全く無く、そもそも中学にすら最後まで行っていません。 時々顔を合わせる同年代が羨ましく、嫉妬してしまいます。 また、私には姉が居て、姉は、今の私の年齢で、一人暮らしをして大学に行っていました。勉強だけじゃなく、身の回りのことまで自分でやっていたんです。なのに、私は、ちょっと家事を手伝えば体が辛くなってしまいます。 何も努力できなくて、周りが成長していくのを指を加えて見ているだけの現状に苛立ちます。焦らなくていいんだとわかっていても、悔しいのです。 何か言葉をかけていただけると嬉しいです。 また、私は、もしかしたら仏教に入信したほうが幸せになれるのかも、と思っています。私が読むといい本などあれば、教えていただければ嬉しいです。
御無沙汰しております。 以前に相談させていただきましたが、 沢山の暖かなご回答も生かす事が出来ず 9月15日、職場を去る事になりました。 と、いうか、半ば 追い出される形で辞めます。職場から解雇される形ではありませんが 、社内失業のような状態で仕事をさせてもらえず、干されてしまいました。 悪口、陰口が絶えず飛びかい、挨拶はしてくれるものの、まともに相手にされませんでした。精神的に追い込まれてしまいました。 1人でも頑張りたかったけれど、孤独に耐えられませんでした。 なす術が無くなってしまいました。 もう間も無く 全てを失います。 全ては自業自得、自分で蒔いた種、 …残念でなりません。
以前にも、お話を聞いて頂き、描けなかった絵が、描けるようになりました。 下手なりに、頑張っています。 pixivや、Instagramに、イラストをアップしています。 ですが、あんまり見てもらえません。 閲覧数、いいね!、評価、少ないです。 まあ、私程度の絵では、見てもらえなくて、当然ですが…。 ですが、描いても、反応、結果がでないと、不安感に襲われます。 結局、描いても、ムダなんじゃないかって…。 もっと上手くなりたいので、絵の本をたくさん買って、勉強しています。 一朝一夕に、上手くなるわけではないので、まだまだです。 絵が、再び描けるようになれば、鬱も良くなると思ってましたが、あんまり変わりません。 描いてる最中は、嫌なことを忘れられても、描き上がったものは、下手なイラストです。 評価はもちろん、閲覧すらしてもらえません。 描いても、空しくなります。 描いてない時は、階段から落ちて、頭打って死なないかな、とか考えてしまいます。 昔は、絵を描いて雑誌に投稿したら、だいたい載せてもらい、ファンコールなども頂きました。 鬱による、空白の10年があるので、下手になったのでしょうか? (昔も、そんなに上手いわけではないですが…) どういう心持ちで、生きていけば良いか、わからなくなりました。 このまま、下手な絵を描いて、生きていけるのでしょうか? いつかは、上手くなるかも、と、頑張っているのですが…。 毎日、空しく、早く死なないかな、と、考えてしまいます。 絵を描いても、救われません。 描けなかった頃は、描ければ鬱も良くなると思ってたのに…。 わたしが、欲張りなんでしょうね。 もっともっと、と思ってしまいます。 病院に通ってますが、鬱は良くなりません。 毎日、苦しいです…。 精神科で処方されてる、頓服薬を、いつもたくさん飲んでしまいます。
私28歳、夫30歳です。 結婚当時夫は優しい人のように見えました。 妊娠後子宮外妊娠が発覚。 私自身も危険な状態でした。 夫はそれを知りながら病院に顔を出すこともなく浮気相手を妊娠させる等、裏切り行為が絶えませんでした。 退院後に後遺症やストレスで起き上がるのもやっとの私と無理やり性交しようとし喧嘩になり、「お前が子宮の外で妊娠なんかするから悪い」「男は本能的にセックスしないとダメ、お前が入院しなけりゃ揉めることもない。ストレスを発散するために浮気するのも仕方ない、男はそういう生き物だと知らないお前が世間知らずなだけ」と言い返されました。 私はショックで気を失い起きたら夜中で床に倒れたままで夫は寝室で寝ていました。 朝になっても眩暈があり横になっていた私に「生めない女は生物として失格」と更に暴言を吐かれ・・。 その後妊娠中の浮気相手から養育費を出せと電話がかかってきたり、夫の友人から「男の浮気は身体だけの関係で悪くない」と言われ開いた口が塞がりません。 私は今男という生き物が信じられません。 確かに本を読んだりすると男性には本能的にそのようになってしまう傾向があると書かれています。 だとしたら改善することは無いという事ですよね? ただでさえ妊娠出産育児などで身体的負担が大きく行動等の制限もかかるのに、命がけで子どもを生んでる最中に男は浮気、そして本能だから仕方ないと言い訳する。 社会に出ても男と同じ成果を上げても出世は出来ない。 ところがこれを言うと「女は努力してないからだ」「女は男に劣ってるから」と言い返される。 私の以前勤めていた会社は結婚もせず何十年もひたすら会社の為につくしてきた女性が何人かいましたが、彼女らは役職すらつけてもらえていませんでした。 役職付きの男性と同じかそれ以上の仕事をしているのに。 仕事に必要な資格も男は会社が費用を全額負担しますが女は全額自己負担でした。 これじゃ女が損するばかりじゃないですか。 妊娠出産を生命の神秘と美化する風潮がありますが、そもそも女は妊娠したくてしているわけではなく、女に生まれた時点で自分の子供がほしければ命がけで自分で生むしかないのです。 男は種をばら撒けば自分は苦しまずに子孫を残せる。 不公平過ぎます。 私は男が憎いし女に生まれてきたことが嫌でたまりません。 女は損しかありません。 死んでしまいたいです。
私は学生の頃からいけばなをしていて、今年の4月から花屋に就職して、常にお花に囲まれた生活をしています💐なかでも私の好きな花は『蓮』です!蓮の開花は2日目が綺麗と言われていますが私は開花前のたまごみたいな蕾が可愛くて好きになりました。 仏教でも蓮は大切な存在ですが仏教に出てくる花以外で好きな花とかあれば教えてください🌸 洋花でも構いません!
音楽やスポーツの趣味が基本的に、合わない友人がいます。が、友人ですので、誘われたら断らず付き合います。私が面と向かって断るのが苦手、という所もあるのですが。 そのかわりこちらの要望も聞いてもらうつもりでした。しかし、友人は、私の要望を拒否してきました。その時は、スポーツの話題で、ルールがわからないから、という理由でした。私はルールがわからなかったのですが、友人のスポーツ観戦に付き合いました、それも2回。友人もそんなにわからないので、雰囲気を楽しんで!と言われました。 後から行きたくなかった、というと何故断らなかったのか、と言われました。怒るのが嫌だから、と答えると、怒ってるのは自分でしょ、と言われてしまい絶句しました。友人に対してイラっとした事はあります、でも不満などは言った事はありません。 旅行先の宿泊予約や現地移動、食事場所まで全て丸投げされます。食事は一緒にするから、寝るときは1人が良いので、部屋を別々にして欲しい、洗面所なども気兼ねなく使えるよ、と提案したのですが、受け入れてもらえませんでした。 私にあげる予定だった誕生日プレゼントを自分も欲しくなってしまい、買おうとするときに、お金の関係で1つしか買えないから、まだ渡せない、と言われ半年後に渡された事もあります。友人にとっては、私の誕生日などは何の意味も持ってないんでしょうね。もらえるだけありがたいですが、私は友人の誕生日を過ぎないように守り、渡しました。 遊びのお誘いも友人からは、一度もありません。私が毎回誘っています。友人いわく、誘って自分が断られたら嫌だから、と言ってました。 以上の事が積もり積もって、不満爆発寸前です。私は私なりに気を使ってきたのに。友人に都合よく使われてる、結局、友人の思い通りになってます。 以前、これは本音だったんじゃないかな、って思う事がありました。私の事を、便利だよね〜って言ったんです。目がテンになりました。使う言葉を間違えた、と言ってましたが、色々あった事を考えると、やっぱり便利だと思ってるんだろうな、と思います。 一緒に遊んでいて楽しい時もあります。ですがそれ以上に、もう一緒に旅行などはしたくない。話し合いにもならないので、不満も言えませんし、対等でないな、と感じてます。 この先どうするかは考えてません。とりあえず、連絡するのは控えようと思っています。
集団での付き合いが苦手な割に、多数の人と仲良くすることに憧れのある寂しがり屋です。 私は一対一でなら楽しく相手とお話しできるのですが、三人ぐらいからの多人数相手だとどう会話を回せばよいか分からなくなり、口数が減り、「影の薄い人」になりがちです。 また、多人数だと全体的にだらだらとしてしまい、自分のやりたいことの時間が減ってしまいます。 さらに、常に付き合い続けていないと話題についていけません。 それらが私の性格に合いません。 それなのに、楽しそうにグループで喋り合っている友達が羨ましく見えます。 一人だと自由だし、自分磨きもできるし、自分の考えがしっかりとしてくるのですが、孤独です。 どちらもほどよく取り入れて生きていく心掛けは何でしょうか。 自立することも、人の輪を大切にすることもどちらも大事だと思っています。 お知恵をお授け頂けますと幸いです。
度々質問お願いします。 今月父親が亡くなりました。家族葬でやりましたが予想以上にお金がかかってしまいました。もう少しで四十九日になります。寺にお墓があります。先祖のお墓がありますのでお布施代などかなりかかります。 母親は、私が死んだら何もしないでいいから!と密葬を望んでおります。今後どのようにしていけばいいのか?とても悩みます。 ご回答の方を宜しくお願いします。
今春、父方の郷里である四国中央市に墓参に行く計画を立てております。墓参の機会に、父方の家系について菩提寺である真言宗大覚寺派興願寺にて家系に関する調査(資料の閲覧など)をお願いしようと思っています。その際、お寺さんにお納めする費用の目安についてお教えください。そのあたりの知識に乏しく、どの程度の予算を立てれば良いか分かりません。宜しくお願い申し上げます。
自殺がいけないの分かっています。家族の心を殺してしまう程に悲しませてしまいます。仕事でも私が居なくなってしまうと物理的に経営していくことは無理な状態になってしまいます。 何も良いことはありません。 自死遺族の方のブログなどを読んでいると、何故大切な人を残し逝ってしまうのか涙が出てきます。自殺とは怖いものです。 それを分かっているのに、私は今消えてしまいたい衝動に刈られることが度々あります。 体と精神的な状態をネットで調べる限り、私は鬱病なんでしょう。 個人輸入で薬を買って色々な症状は改善してはいます。 私は父母の経営する小さな会社で働いています。数人の社員とアルバイト色々見てきましたが、その中に鬱病経験の人を数人見てきました。言葉は悪いですが使い物になりません。 私の父母もノイローゼな人は困るねという考え方で私もその様に思います。 もし私が本当に鬱病で何も出来ない状態になってしまったとしたら、最早死んでしまっていると同じなのではないでしょうか? 何も出来ない状態では家族、仕事に迷惑なだけです。 それでは死んでしまっても同じことなのではないのかと思うことがあります。 決して自分から死にたいと思っている訳ではありません。しかし、自分自身の必要性がなくなった場合は生きていく意味とは何なんでしょうか?
自分は今、アルバイトで倉庫の仕事をしています。 ですが、毎日人生このままでいいのかなと感じています。 何かやりたいことを見つけようと思ってもやりたいことがうかびません。 動画を見るのがすきだから動画編集を勉強したりプログラミングを勉強してみたんですが苦痛で続きませんでした。 色々自己啓発本なども呼んでみたりもしましたがやりたい事がみつからずダラダラ過ごしてしまいます。今のままでは後悔してしまいそうで怖く何か好きな事を見つけて自分の人生を充実させたいと思っていますが見つからずもうどうしたらいいかわかりません。 どうしたらやりたい事は見つかるでしょうか? もしよろしければアドバイスよろしくお願い致します。
私の父親は、私を管理、支配したいらしく 一人暮らしの家を勝手に解約したり、 会社に喚き散らしクビになったりまいました。 また、父親がイライラしていると何時間も怒鳴られます。 私の体重から部屋のテイスト、就職先まで口、手を出してきます。何をしても連れ戻される事を考えると何も考えられず苦しいです。
社会人15ねん。 どの仕事に就いても精神的苦痛に悩まされます。 営業、コールセンターなど何度か転職しましたが、精神的苦痛になりやめたり辛くなったりしかりませんでした。 生活のため、安月給でも精神的苦痛なら生きられないから死んだ方がましかなと思いました。 正直生きてくのが、つらいです。
近々、お墓の移動のために魂抜きがあります。 もともと娘が1歳になる来月に 帰省する予定でしたが…。 魂抜きをしたあとに、お世話になった お坊さんを自宅に招き 食事を出す予定です。 そこで、魂抜きを行ったあとに 一升餅を背負ってお祝いする事などは 失礼になりますか? 魂抜きの前日にお祝いを行うことも 検討したのですが 連日親戚を呼ぶことも負担になりますし また、魂抜きの日程で来られる方もいるので そうなると 呼ばれなかった。ということなども 出てくると思い、どうしたらいいのか 義母と悩んでおりました。 魂抜き自体が慶事という意見もありましたが 本当のところはどうなのか ご意見いただけたらと思います。 宗派は、浄土真宗です。 どうぞよろしくお願い致します。
数年前、願誉浄史ご住職様から「阿含経典」を勧められましたが、驚いたことに此処にすべて仏教の真髄が集約されていました。 ご住職様には、深甚な感謝と共に厚く御礼申し上げます。 そこには、仏教の目的である「輪廻転生からの解脱」が唯一仏教の教えに尽きることが書かれていました。 般若心経に「照見五蘊皆空度一切苦厄」とありますが、「一切苦厄」の主体が生老病死の事でありましょう。 生老病死は仏教の専売であると思っていましたが、阿含経には仏教に関係なく「自然の摂理」で釈尊以前から定まったものであると述べられています。 「自然の摂理」に対しては、釈尊も手の施しようがなく只管死を待つほかありません。 即ち、生きている総ての生物には生老病死はつきもので、仏教の救いは何もないという事です。 従って仏教の救いは死後にあることになります。 しかし死ねば生老病死は消えますから何も問題はありませんので、仏教の救いは必要ない筈ですが、再び誕生することを釈尊は悟りで明らかにしました(過去世)。 それが輪廻転生です。そこから解脱することが仏教の救いであり、仏教の存在価値です。 そのことを阿含経は下記のように述べています。 城邑(南伝 相応部経典 12.65. 城邑) 前略 その時、世尊はかように仰せられた。 比丘たちよ、わたしは、まだ正覚をえなかった修行者であったころ、このように考えた。(この世間はまったく苦の中に陥っている。生まれては老い衰え、死してはまた再生する。しかもわたしどもは、この老いと死の苦しみを出離するすべを知らない。 まったく、どうしたならばこの老いと死の苦しみを出離することを知ることができようか)と。 後略