はじめまして、宜しくお願い致します。 3月14日に急死してしまった 彼についてご相談させて下さい。 彼には前妻さんとの子供達がいますが、息子さんに、家族が増えまだ若い一家に心配もあり、おとうちゃん(婚約者)と私、息子さん一家で 一軒家を借りて共に歩んでいこうと話を進めてまいりました。 当日の朝も一緒に家を見に行って… そんな矢先に突然彼は亡くなって しまいました…。 まだ49日もすんでいませんが、彼が亡くなってしまった現実に受け止められないでいます。 生前は、温厚で器がでかく 離れて暮らしていた子供さん達にも 彼なりに愛情をそそいでいた 矢先の事でした…。 彼は若くして初孫が出来たことに大変喜んでいましたし、息子さんと一緒に生活をする事にも照れながら喜んでいました。 14日の日、おとうちゃんが胃の辺りからみぞおちが痛いと訴えて病院に行きました。 ですが数時間放置された後…急変し そのまま亡くなってしまいました…。 その日、なぜ助けてあげれなかったのか、 もっと真剣に彼の訴えを受け止めて 別の病気ではなかったのか? 疑うこともせず優しくしてあげれなかった 自分に後悔してもしきれない自責の念につぶされています。 私が彼のこれからの未來を奪ったんだと… 1ヶ月後に孫の顔が見れた抱けたはずだった 彼の幸せを… 皆に祝福されながら生まれるはずだった 孫ちゃんが彼の生まれかわりだね…と 言われながらこの世に生まれてしまったこと… 全ての事が私があの時、助けてあげれなかったからだと…彼は苦しんで今も訴えているんじゃないかと…。 悲しくて絶望の中、頭で理解してる つもりなのに現実を受け入れられず、 泣くことも我慢してしまいます…。 心が…気持ちが…わからない。 頭では居ないとわかってのに 待ってしまう…いつかいつもの笑顔で 帰ってきてくれると… 最後の言葉、あの時の苦しんでる光景が 頭から離れず…フラッシュバックしてきます。 彼は今、亡くなった事を理解しているのでしょうか…。 私の性格をわかっている彼が…心配して悲しんでいるかも…。 もしくは苦しかったことを理解して くれなかった私に怒っているのかも…。 まだ彼は私に姿を見せてくれなくそう 思ってしまいます。 まとまりがなく何を相談したいのか… わかりにくい文面で申し訳ありません。
はじめまして。 今から20年ほど前、主人が自死しました。 結婚生活10年の時でした。 3人の子供に恵まれ、楽では無いけれど平凡に暮らして居ました。 自死1年前、資金も無いまま、周りの反対を押し切り脱サラし自営を始めました。 毎日の生活に加え借金も増え、夫婦間の喧嘩も増え 夫も帰らない日が増えた頃、突然 夫の自死を知らされました。 訳も分からず事実を受け入れられず途方にくれていると、夫の回りから私への誹謗中傷が始まり地獄でした。 私は貧乏でも良い楽しい家庭を築きたかった。 自身の両親が喧嘩も多く厳しい家庭で育ったせいか、早く家を出たかったので、当時付き合っていた主人と流れから結婚して、今思えば お子さま同士が結婚したようなものです。 主人が無くなった後も私の両親は世間体を気にし、心の支えにはなりませんでした。 そこから私の3人の子供だけの生活が始まり、生活の中でも「◯◯さんの旦那さん自殺したんだって」と噂も耳に入るようになり、子供には絶対 隠し遠そうと思っていたので、いつしかひっそり暮らすようになりました。 遺族年金も無く、主人が残してくれた生命保険も、主人の借金や、それに加え両親の借金まで見ることになり、肝心の子供に何もしてあげられないまま、必死に仕事をしました。 最初は心配もしてくれた友達も、月日の流れと共に疎遠になり、気がつけば20年… 子供も何とか成人し、必死に仕事をしてきた私も、いつしか心が空っぽになり、生きる張り合いを無くし、仕事をしていても怪我や病気が増え、 今も病気で、休職中です。 病死で亡くなった人と違い、正直、主人に対して置いていかれた 捨てられたと言う思いしかありません。 何も知らない回りからは、これからは自分の人生をと言われますが、いつまで経っても自死した夫の事が頭から離れません。 再婚の話もありましたが、とても夫が自死したと伝えられず、このまま私は 子供達に隠し通し あの世まで持っていこうと思っています。 長々と書いてしまいましたが、今の私は生きている張り合いも無く心が弱っています。 これから老後も待っています。 数十年の頑張りの糸がプツンと切れてしまいました。 両親も亡くなり、友達とも疎遠になり、独りぼっちの思いが今になって、フツフツ溢れています。 助けてください。 私に今できる事はなんですか? 長文お許しください。
つい1週間前に、1歳10ヶ月だった息子を亡くしました。母親である私の誕生日に、あまりにも短い生涯を終えてしまいました。 スクスクと元気に育ち、誰から見ても健康優良児だった息子。何の前触れもなく亡くなり、原因不詳の突然死と診断されました。 命日の前夜、いつものように平和にスヤスヤと眠りについた息子は、 翌朝には冷たくかたまり、帰らぬ人となっていました。 息子が亡くなった日は、私の30歳の誕生日でした。一体なぜこんなタイミングで… 愛する我が子がこんなにも急に亡くなってしまい、 残された私たち家族は絶望と悲しみに押しつぶされそうです。まさに、生き地獄です… 私自身、息子と極楽浄土でまた会いたいと願っていますが、 本当にそんな世界があるのだろうか? 人間は亡くなると"無"になって、骨しか残らないのではないか? …など、悲しい考えが頭をよぎってしまい、気持ちを切り替えることができません。 できるものなら、息子に心配をかけないためにも前向きに生きていきたいですが、 この空虚感、絶望感とどのように向き合っていけばよいのでしょうか。 どうか、アドバイスをいただきたくお願いします。
私が二十年前に拾ってきた猫を、母が子育てを終えた後も子供のように大切にしていっしょに暮らしてきました。 老衰で失明し、昨日から脱水症状、目の陥没があるそうです。老衰なのでいたし方ないことは私も母も承知しているものの、猫の死を恐れて泣く母に、どういう風に猫をみとり見送るように伝えたらいいでしょうか。 いままでもペットが多く死を乗り越えてきましたが、子育て後で老後心の支えとなっていることもあり、大変に恐れているようです。
精神科で双極性障害(躁鬱病)と診断されて20年になります。感情に波があるので、勤めては辞め、勤めては辞めの繰り返しで、まともに仕事が出来ません。 最近は病状が悪化し、離れて暮らす娘にも会えない状態です。 何も出来ません。 この先、どうしたら良いでしょうか?
4年前、私が中学生の時におじいさんが亡くなりました。 亡くなった時はもちろん悲しかったのですが、入院もしていて弱っていることは分かっていたので、私も家族もおじいさんが亡くなることに心の準備は出来ていたと思います。 しかし、お通夜の時にお隣の家の方が亡くなったという話を聞きました。 亡くなったのはその家の一番上の息子さんで、まだ20代で就職したばかりの、私も小さい頃にたくさん遊んでもらった人でした。 お隣のお母さんはすごく悲しんでふさぎこんでしまうほどでした。 私のおばあさんは「おじいちゃんが寂しいから連れてってしまったのかもしれないね」と言っていました。 私は偶然だろうという気持ちがありつつも、近い日にお隣の、しかもとても若い人が亡くなってしまったことに偶然ではない何かがあるように思えて仕方ありません。 おじいさんのお墓参りをする度にお隣のお兄さんのことを思い出してしまい、悲しさや残念な気持ちや申し訳なさなどで少し心が苦しくなります。 もちろん私が責任を感じるようなことはなにもないのですが、お兄さんのお葬式に行った際、たくさんの友人や先生など若者で溢れかえっていたことを思い出すとどうにも言えない気持ちになります。 私はおじいさんと隣のお兄さんの2人の死をどのように受け取ればよいのでしょうか
はじめまして。 今まで誰にも話せなかったことを、ここでなら話しても大丈夫なんじゃないかと思い、相談させていただきます。 私の長女は4歳の時に白血病を煩いましたが治療のかいあって、今では元気に生活しています。 私も日々の生活に追われ、普通に過ごしているのですが、心の片隅ではいつも長女をはじめ、子どもたちの身体がとても気になり不安で不安で仕方なく、いつも張り裂けそうな思いを抱えて生きています。 こういった思いや弱音を人に話すと楽になるかもとは思うのですが、人に話すと何か良くないことが起こる気がして誰にも長女の病のことや、不安な気持ちなど話すことはありません。 とにかく怖いんです。 この気持ちを一生抱えていかなくてはならないのかと思うと、とても辛いです。 どうしたら、どう思えば少しでも楽に生きていくことが出来るでしょうか? 教えて下さい。お願いします。
二年前、子供を出産しました。そのときの、自分の意思とは関係なく来る痛み(陣痛)と、子供の自ら産まれてこようとする生命力を感じてから、死についても考えるようになりました。 “生”と“死”。どんなに思っても、どんなに願っても容赦なく迫ってくる物… 震災が近くで起きました。だからかもしれません。死が怖いです。何か信仰したら楽になれるのではないかと思いこのサイトに登録しました。 毎日ため息が出るような憂鬱さや、寂しさも感じます。どうしたら楽になれるでしょうか?
母がくも膜下出血のため急逝しました。 本当に急なことで、最近一緒に買い物をしたばかりでした。倒れた当日の朝、「行ってくるね」と言ったら「気をつけてね」と返事があり、それきりになってしまいました。 新学期になって、受験に向かって頑張っていかないといけないのに励ましてくれる母がいないと不安だし、母が買った食材を使ってお弁当を作っていると涙が出てきます。 励ましてくれる友人に対しても、この子達にはお母さんがいるのに何で私は、と感じたり、話の中でお母さんの話題が出ると、表では笑っているけど心の中では醜く嫉妬してしまいます。 母の料理に料理を教わることはもう出来ないし、成人式の着物を一緒に選んだり孫も見せたりも出来ない。家族の中で悩みを聞いてくれる人もいない。頭では母がもういないことを理解できるけれど、いつか帰ってくるような気がしてなりません。 私は現実を受け入れて、母の死を乗り越えられるでしょうか…。
実家の両親は2人暮らしですが、何分高齢なため、 そろそろ自立が難しくなってきました。 2人とも要支援の認定は受けていますが、誰か他人の世話になるのは嫌で、何とか二人ですべてをしています。 今はどちらかというと母の方が具合が悪くて父が何かと世話をしているようなところが見受けられますが、 母が父に対して、少しでも自分の思うように行かないと罵詈雑言を浴びせかけたり、たまに暴力をふるったりするのが気になります。 そして母は、今膝が悪く手術しようか迷っているのですが、 以前片方の手術をした時に、思っていたほどうまく行かなかったので、 どうせまた失敗するのでは?と悲嘆に暮れて、 何かあると、夜中にでも起きて、死んでしまいたいと喚くそうです。 因みに母はだいぶ太っているので、そのせいで、足がしびれたり痛くなってる部分もあると思うのですが、 何度医者に通って注射しても良くならないことで逆切れしています。 思うように歩けないので、もう生きていても何の楽しみもない、 早く死んでしまいたい、そればかり母は言います。 私は近くに住んでいますが、こちらの老いた義父母と同居しているので、 仕事もパートですがしているので、 そんなに毎日は実家にも顔を出せないし、手伝いもできません。 2人で、何とか仲良く暮らさせてあげたい思いでいっぱいなんですが、 母が、どうすれば、少しでも前向きに生きようという気持ちになれるか、 また、父と仲良く暮らしていくにはどうしたら良いか・・・ 私は娘として、どう接していけば良いのか・・・ アドバイス頂ければ幸いです。
先日、同僚が自ら命を絶ってしまいました。ご家族は「職場の方々には言わないでください」との事だったらしいのですが、SNSに最後意味深なメッセージが残っていた事から、上司から皆へ報告がありました。 そういった経緯のためお通夜や告別式に参列する事は出来なかったのですが、個人的にお寺へ行ってその人のために出来ることはありますか? 一緒に飲みに行ったり相談に乗ってもらった人なのでまだ信じられません…。
丁度一年ほど前に、最愛の彼女をガンで亡くしました。 その事で落ち込んでしまい、なにも手につかず、ただ死にたいと思う日々が続いています。 精神科などにも行っても、納得の行く前向きな考え方がまったくできません。キリスト教や仏教の教えを聞いてもまったく納得できません。 彼女は僕が知りうる人の中でももっとも出来た人でした。 余命を宣告されても、自分よりも僕や自分の親のことを案じ、手術で子宮卵巣を摘出されて、術後の激しい痛みの中でも、子供を産める女性を羨ましく思う自分を律するほどでした。 なぜ彼女が死ななくてはならなかったのでしょうか、なぜ僕は彼女を失わなくてはならなかったのでしょうか。 「彼女は今天国で幸せにしている」と人は言います。 果たしてそうなのでしょうか? そう信じるほかないのは他でもない僕自身ですが、その保証はどこにあるのでしょうか? 「彼女はあなたに優しくされて幸せだったの」と人は言いますが、はたしてそうでしょうか? 僕のことを愛してくれていたからこそ、僕と家庭を築き子供を育てることこそが本当の幸せだったのではないでしょうか? 僕にはわかりますが、彼女は幸せではなかった。 できることが減っていく毎日の中で、死を感じてゆく日々に絶望し、毎日を当たり前に過ごす他人が恨めしく、またそう思う自分と戦っていました。 人は等しく罪人であると、僕も心からそう思いますが、それでもやはり彼女は若くして死ぬにはあまりにも惜しい人でした。 彼女があのように苦しむ謂れはあまりにもあり得ません。 彼女と僕のこの無念は、あまりにも大きすぎます。 僕はただ、また彼女に会いたいだけです。 どうして会えなのでしょうか、なぜもう一緒にいられないのでしょうか。 相談する身でありながら、何を聞きたいのかもよくわからない状態の自分をお許しください。 ただ、なにか、お言葉を戴ければと思います。
私は母の死を乗り越えられるのでしょうか? 辛くて逃げ出したいです。 昨年の2月に母の末期癌が分かり、ずっと母の介護をしてきました。 先月、緩和ケアに入院し、今日、先生からは余命は週単位だと言われました。 癌が分かってから、私は仕事を辞めて、心身共に母を中心に生活してきました。 今も、週に何度かは病室に泊まり、ほぼ一日中、病室で過ごしています。 それだけに、母が逝ってしまった後の喪失感を考えると、怖くて怖くて仕方ありません。 周りの人からは、「ずっと付き添っていられるのは幸せなことよ。お母さんとの時間を大切にしてね」と言われますが、どんどん弱っていく母の側にいるだけで、私の心が潰れてしまいそうになって、これでは、母との大切な時間を無駄にしてしまいそうです。 母の側にいるのが辛い理由として、残された時間が少ないことを母本人に隠しているということもあるのです。 なので、母は「頑張って食べないと元気になれないもんね」など、元気になると信じて頑張ろうとしているのです。 その一方で、どんどん弱っていく身体に、何となく気が付いている感じで、たまに悲しそうな目をします。 そんな姿を見るのが辛く、できることなら逃げ出して、知らない間に逝ってくれないかなぁと思ったりしてしまいます。 母にとっては、どうしてあげることが良いのでしょうか? 私は、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?
中耳炎になったとき、病院は何科に行けばよいのですか?
今は私自身が1人暮らしのため少し離れていますが、20年以上ずっと一緒に同居していた祖母が間もなくこの世を去るときが近づいています。 癌の末期ですが、本人は知らずあと2、3日と医者から言われましたがもぅその日にちは過ぎています。大好きだったおじいちゃんが、そろそろ呼びに来たと思っていますが、分かっていても落ち着かず仕事にも集中できません。 何もしてやることが出来ず待つだけです。その毎日の気持ちの持って行き方に悩んでいます。
テレビで此方のサイトを知り話を聞いていただけるかと思い書き込みをさせていただきます。 一人息子(20代前半)が自死の道を選んで約一年が過ぎましたが悲しみから立ち直れず毎日泣き暮らしています。 彼が一歳になる前に離婚し親子2人で頑張って暮らしていました。 元々精神的に不安定な子でしたが昨年一月頃住居を訪ね(大学進学し、そのまま離れて暮らしていました。)帰ろうとするとひどく嫌がり半泣き状態になりました。 私も仕事があり帰らない訳にはいかなかったのでその時は小まめに連絡を取り(週に2~3回 電話・メール・手紙等)様子を見ていました。 4月に訪ねた時は落ち着いていたようなので安心して帰ったのですが、私が帰って10日後に電話で話し、また行く約束をし「待ってるから。体に気をつけてね。」と言ってくれたのにその後に命を絶った様です。 私は話をしたことで安心してしまい一週間後に手紙を出し(手紙は返事をくれないことが多かったので気にも留めていませんでした。)、その1週間後に警察から連絡が来るまで何も知りませんでした。 一人でどんなに寂しかったろに・・・。 遺書もなく、何故一人で逝く事を選んだのか解かってやれない事も辛いです。 最後に会った時に「お母さんもこっちで暮らせばいいのに。」と言われたのに「色々有るから来れないよ。」と答えた自分が許せません。 どうして一緒にいてやらなかったのか・・・。 何をしていても子供のことを思い出し涙が出てしまいます。 時に物凄い後悔の念と虚無感、恐怖感等を感じてしまいパニックの様になる時もあります。 あの子の所に行きたいのですが本当に優しい子だったので今、私が行ったらきっと悲しむと思い、その想いだけで踏みとどまっている次第です。 元々反対されていた結婚でしたので身内は冷たく、死因の事もあり話す事も嫌がられるので相談できる相手もいません。 ただ一人で泣くだけです。 もうすぐ命日が来ますがその日が越えられるか自信はありません。 どうすれば心がしっかり持てるのか教えてください。 お願いします。
友達のように仲の良かった母が 先日癌で亡くなりました。 最後は苦しみながらではなく、 昏睡状態のまま亡くなりました。 癌が発見されて約二年半でしたが。母のしたいのと、食べたいもの、会いたい人にあって 濃厚な二年半を過ごしました。 癌が発見されてから、いつかこの日がくるとは分かっていても、親友のような母だったので、 毎日連絡取っていたのが、取れなくなり、喋りたくても喋れない。。 とても寂しいです、分かっていても寂しくて 歩いていても、母と娘2人が歩いてる人を見ると羨ましくて仕方ありません。 人は亡くなると四十九日までどうなってるのでしょうか? 天国に行っても、悪い人から追い払うとか聞いたのですが、天国にも悪い人なんているのでしょうか?三途の河は存在するのでしょうか? 母が心配でなりません。。 夢で会えると思っていましたが、まだ夢でも会えていません。たくさん話したい事があるのに、 話せなくて…。 昏睡状態のまま亡くなった母は、 自分の命が長くない事に気付いていたのでしょうか。そんなことばかり気になってしまう日々を過ごしています。 長々と申し訳ありません。 少しでもこの疑問が解決出来ればいいなと思い、投稿しました。
大好きな母が亡くなってから四十九日も終わり、2ヶ月少し経ちましたが、まだ声が聞こえてきそうで母の死を受け入れられていません。 新年度がスタートして、不安もたくさんある中 ほぼ毎晩のように夢に母が出てきます。 そして夢のようでは母の私の手を握り、勇気づけてくれています。母も私を見守ってくれているのでしょうか。 母が紡いできた人の縁。有難いのことに四十九日を過ぎても、母の友だちがお参りに来てくださったり写真やお手紙をいただいたり本当に皆さまから愛されていたのだと嬉しく思っています。 いつまでも泣いていてもと わかっていますが 突然、会話や楽しかった思い出、熱心にアドバイスをしてくれていた母を思い出し涙ぐんでしまいます。 仕事をしながら、休みの日には気分転換できる楽しい予定も入れて前向きに進んでいきたいのですが。来月は母の日もあるので、きれいな花でも飾ってみたいと思います。 どうかアドバイスお願いいたします。
長男が17歳で、遠い空へと旅立ってしまいました。自死でした。 あまりにも突然で、今だに受け入れられなくて… やりきれなくて、気持ちをはきだすところもなく、ネットで、自死という言葉を知りました。 何のために生きているのか、 生きていていいのか、、、 生きていることがつらくてつらくて、、、 次男にまた身内がいなくなる悲しい思いをさせたくないという気持ちだけで、毎日をすごしています。 口げんかをし、でも、そのあと、なんとか話をして、笑顔で出かけていった長男。 その5日後、戻ってくることはなく、旅立ってしまいました。 できることなら、口げんかをしてしまったあの日に戻りたい。 けんかしないで、もっと冷静に話をしていたら… おちこんでいた長男の気持ちに全く気づかす、 私がおいこんでしまったんだ… 夢だったら、どんなにいいかと願い、 毎朝目覚めるために現実とむきあい、 私がお母さんでごめんなさい、、、 と… 長男が自死したことは、わずかな身内しか知りません。 あまりにも突然で、気持ちが不安定で、 事実を受け入れられず… でも、実際は、周りにいろいろうわさされることに耐えられない… そんな、私の弱さなのかもしれません。 生きていることが、こんなに苦しい… 残された家族で過ごす時間。 そこに長男はいません。 でも、日常過ごす中、 少しずつ笑うときがあってもいいのですか? 何か食べたとき、おいしいと思ってもいいのですか? 自死した長男は、今でも苦しんでいますか? こんな私を長男は、いつか許してくれるでしょうか?
昨年2月、癌との闘いを頑張っていた母が逝ってしました。 母を愛していたので……哀しく、もっと何かを…何かを…の後悔ばかりを考える日々を過ごしていたところ その約半年後の8月、兄が自らの意思で逝ってしまいました。 母の死は余命宣告を受けていましたので、その時の覚悟は少しは出来ていましたが 兄の死は想像すらしておらず、まして自らの意志で…強い意志で逝ってしまうなんて本当に考えてもいなかったのです。 現在も哀しみと向き合う事が出来ず、後悔ばかりです。 兄の死を知る3~4日程前、首から背中にかけ、急な激痛におそわれ その痛みは兄の死を知ると共に治まりました。 今想えば、母が知らせていたのだと想えてならないのです。 何故、私はその身体の異変を変だと想わなかったのか… 何故、二人きりの兄妹なのに電話をかけ『何か変わったことはない?』 と、兄を気遣わなかったのか… 兄が心の病と闘っていたことも知っていたのに 何故私は兄へ連絡を取らなかったのか… 兄も私を愛していたし、私も兄を愛していたし なのに、何故…何故 私は兄の逝く道をとめられなかったのか… どんな想いでいたのか…何を見ていたのか…何を感じていたのか… どんな気持ちで一人逝ってしまったのか… 考えれば考えるほど胸が張り裂けそうで… 穏やかに笑みさえ浮かべて眠る兄の顔に 兄の意志なのだから 兄の意志を尊重しよう 穏やかに過ごせるところを探して逝ったのだから 兄の意志だから…と、 何度も何度も自分に言い聞かせてはいるのですが あの時、私が気づいてあげていられていれば 何かが変わったのかもしれなかったのに… でも、気づかなかった事が兄の為にはよかったのか… 想いが右往左往して混乱しています。 私が想いすぎると兄は母のもとへいけませんか? 母には逢えたのでしょうか… きちんと三途の川を渡らせてもらえたのでしょうか… この世で苦しみ哀しんだのだから あちらでは苦しみませんよね? 私は 兄の母の傍へいきたいです 何故私をおいて逝ってしまったのか… 私を連れて行ってほしいのです 文章が定まらず申し訳ございません。 お坊様…愛する母の死、愛する兄の死 その哀しみと向き合うことが出来ません… 受け入れる事が出来ません。 私に出来る事があったはずなのに… 何も出来なかった己が辛いです。