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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

家族の死

最近、家族の死について考えてしまいます。特に祖父母のことについてです。 私の親は共働きなので、保育園と小学生のときはよく祖父母の家に預けられていました。保育園のお迎えはおばあちゃんがしてくれました。買い物はいつも一緒に行きました。風邪を引いたらおじいちゃんが病院に連れて行ってくれました。旅行も数えられないほど行きました。 このときの祖父母とは親よりも一緒に過ごす時間が多かったかもしれません。そのためか今でも祖父母のことが大好きです。 この間、久しぶりに旅行に行ったとき、祖父母よりも背が高くなっていました。耳も遠くなっていました。2人とも80近いので当たり前なのでしょう。でもやっぱり時の流れを感じると切なくなってしまいました。 最近は「いつ死ぬかわからない」とか「もう先は長くないから」などと言っています。でもそんなこと言ってほしくありません。ずっとずっと元気でいてほしいんです。永遠なんて無いとは知っています。でも大好きな祖父母が死んでしまったらと考えると涙が止まらないんです。 恩返しもまだしていません。何をすればいいのかもわかりません。 この恐怖がどうしたら落ち着くのかもわかりません。 どうか教えてください。

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かけがえのない母の死、「死」について

長年病と闘い、手術を繰り返しながらも頑張って生きてきた母が昨年4月に亡くなりました。  やはり長年病に苦しみ寝たきりだった父の介護を私と二人で必死にやって日中は一人で一生懸命やってくれました。私が帰るとたくさん話しかけられたのに言葉を発することのできない父に話しかけることに必死で母とは少ししか話せませんでした。  父が亡くなり母をこれから楽しませてあげようと思っていた矢先に毎週手術の繰り返しになり、退院後は一人で怪我したため朝母を送って残業後の夜までデイサービスを受けることになりました。  毎日忙しく人見知りするのにと申し訳なく思っていましたが、施設の人達は母をとても可愛がってくれて母も嬉しそうな顔をしていたのが唯一の希望でしたが、私の迎えも楽しみにして嬉しそうな顔をしていたのが可哀想で胸が痛かったです。  そんな母が入院して病院にも泊まれず、私が帰る時の淋しそうな顔は忘れられません。  母は病院や施設を転々とした後に最後の病院は、最期は介護施設と同等の病院だからと医療措置を取ってもらえず転院も断られ、胃ろうや点滴を止められて餓死するような状態で亡くなりました。  私は母が可哀想で可哀想で何であの病院に預けたのかと、普通の施設や病院であれば父のように最期まで医療措置を取ってもらえたのにと悔やまれてしようがありませんでした。    そして今回自分が手術を受け、自分や配偶者、両親の死について考えてしまいました。  生前母は、家に一人で言語障害の父と残されて娘は父の介護であまり話してくれず、自分は手術の繰り返しで殺してくれと叫んだ程の苦しみ、退院後は人見知りが激しいのに施設に預けれられ朝と晩しか娘といれない、入院後は娘と少ししか会えず自分の死が近くなり病院は措置してくれず自分の死に娘は間に合わず看取ってもらえなかったなど、どんなに淋しくて心細かったかと思うと母が可哀想で可哀想で胸が張り裂けそうです。  自分の術後の痛みや再発の不安、母への申し訳なさでパニック障害と不安症になってしまいました。  父母の死を経て「死」について納得していたつもりですが、この年齢なのに今回混乱してしまい分からなくなってしまいました。  今後どのような気持ちで日々過ごしていったらいいか、「死」についてどのように捉えて行けばよいのか、どうかご教示をお願いいたします。

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人間関係の築き方がわからなくなってしまいました。

初めまして。長文ですがお許しください。 1年前ぐらいから同居する祖母の認知症が悪化し、介護と家事全般をしなければならなくなりました。 父はほぼ家事などはしません。(3人暮らし) 介護のストレスと、元々折り合いが悪い父へのストレスで一番弱い祖母に当たってしまう時があります。 その度に強い嫌悪感と、もう楽になりたいという気持ちでやりきれなくなります。 どんなに頑張っても、祖母は、結婚して出て行った私の姉や、娘である私の叔母を恋しく思うようで、たまに訪問してくれると子供のように泣いて喜びます。 「よかったね」と思う気持ちと、私は必要ないんだなという気持ちで更に落ち込みます。怖い私より優しい2人の方が好きに決まっているのはわかっているのですが。。。 そしていつからか心を無にしようとしている自分に気がつきました。 日々こなし、同じ毎日を何も考えないように必死に繰り返すだけになってしまいました。 そうなるにつれて、他人への興味もなくなっていくように感じてきました。 人に心を開いたり、人のことをもっと知りたいと言う意欲が無くなっているのを感じます。 元々、幼少時代に母の育児放棄が原因で両親が離婚した事が心に引っかかっていて、母にすら愛されなかった自分が誰かに愛されるわけがないのだと心のどこかで思っているのが原因にもあるように思います。 私は自分の殻にこもり、もうずっと自分の事も人の事も好きになれないのです。 この苦しみはいつ楽になるのでしょうか。生きている理由がわかりません

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これ以上お母さんを奪わないで

15歳の時、実母がガンで亡くなりました。 その後ご縁があり、19歳の時に父が再婚し 優しく素敵な女性が継母になりました。 24歳で私は結婚。 姑もまたとってもいい人で… なのに 長男を妊娠した時に 姑に乳ガンが見つかりました。 しかし初期だった事と、初孫誕生を励みにして姑は乗り越えました。 長男が産まれたら姑も継母も孫を溺愛! 血のつながりなんて関係ないなぁ… その後二男も妊娠し、本当に幸せでした。 なのに 二男を出産してすぐ 次は継母に卵巣ガンが見つかりました。 継母もまた孫の存在を糧に頑張りました。 しかしながら、2年の闘病の末 一昨年、天国に行ってしまいました。 また、母を失いました。 15年の間に2度も妻をガンで失い 落胆する父の後ろ姿。 こんなむごい事が何故…と 毎日考えて生きていました。 でも…まだまだ終わりません。 2015年、継母の1周忌を迎える前に 次はまた姑にガンが見つかりました。 1年経った現在 ステージは悪い数字です。 私は今年32歳。本厄の年です。 15歳の時に亡くなった実母は 父の前厄でガンが見つかり、後厄で亡くなりました。 去年姑にガンが見つかったと聞いたのは 前厄に突入してすぐの1月でした。 私の人生ってなんだろうと思いました。 友人の親は皆元気じゃないですか。 周り見渡せば、元気なおばあちゃんが沢山いらっしゃるじゃないですか。 何で、私の母ばかりこんな目にあうのでしょうか。 姑まで連れて行かないで。 もっともっと一緒に過ごさせてください。 私に何か取り憑いているんですか? ここまできたら、もう私の存在が悪な気がしてなりません。 これは、何の試練なんでしょうか。 私のこの人生、どう納得、消化すればいいのですか。

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