はじめまして。 思ってることがいっぱいで、つたない文章ですみません。 ジストニアの症状で、改善するために1か月前に脳の手術を受けました。 1か月経っても経過が芳しくなく、手術を受けたことに後悔しています。 今、思っていることは ・手術をしたのに全然回復してこずに、生活に支障が出ている。 ・アルバイトに行って、余計にストレスを感じる。 ・他の人のブログやDMして同じ手術をした人ももっと早く元通りになっている。 ・リハビリで ・リハビリでできないことが多くて嫌になる。 ・親の反対を押し切って手術をした。誰も同意の上で手術をしたわけでない。 ・手術をするまで症状に不便を感じていなかった。ちょっとよくなったらいいのにな、という軽い感じで脳の元には戻らない手術をしてしまった。 ・薬をやめるための口実として体を売った。 ・人と会いたくない。学校をずっとサボっている。 とういことなどなどです。 手術をしてくださった先生は、「絶対によくなるから」という言葉しかありません。一時的に症状が悪くなることがあるけど、2週間くらいしたらよくなっていくからと言われています。 パソコンを打つのも、携帯を触るのも支障がおり、何をするにも億劫に感じています。 こんなはずじゃなかったのにと、後悔して泣いてばかりで…どうしたらいいのでしょうか。
死の間際に感じているであろう苦痛が怖くて仕方ないです。 最近、ときどき「死ぬ間際の苦痛」がどうしようもなく恐ろしくなってしまうことがあります。 多くはフィクション作品やドキュメンタリーを鑑賞している際に感じています。「死」や「病」に関する描写が出てくると、ふと「死ぬ間際にはどのような感覚なのだろう」と想像してしまうのです。 例えば病であれば、病床で満足に動くこともできず逃げられないまま病による苦痛を味わい続ける日々を想像し、気分が悪くなってしまいます。 フランス革命の話題であれば、「ギロチンにかけられた場合でも間髪入れずに死ぬのではなく、一瞬は生きているだろうから、その際に激痛を感じているのだろうな」などと考えてしまいます。 それ以外にも、例を挙げれば枚挙に暇がありません。 調べてみれば、やはり「苦しまない死」を享受できる可能性はそれほど高くないとのこと。 私はこの、「人生の終わり間際に大きな苦痛が予約されている」という状況そのものに耐えがたい恐怖を感じてしまいます。 思えば、私は「予定された苦痛」というものが非常に苦手です。 以前、微熱と悪寒があり「もしかしてインフルエンザかも」と思った瞬間に、来たる高熱での苦痛への恐怖で血の気が失せて吐きそうになったこともありました(ただの体調不良でした)。 コロナウイルスのワクチンを接種した際も、注射そのものではなく、ほぼ確実に発生するという副反応へかなりの恐怖を覚えていました。 死の苦痛も、私の中では同じです。 死ぬことそのものにはそこまでの恐怖を感じてはいません。 ですが、そこに至る過程である「苦痛」の存在が、私は恐ろしくてなりません。 夜遅くや、朝起きたとき、ふと浮かぶその恐怖に押しつぶされそうになってしまいます。 こうした「来ることが確約されている痛み」への恐怖を和らげるためには、いったいどのような心構えでいればいいのでしょうか?
大好きな祖母が余命宣告を受けました。 しかも、残された時間はかなりわずかでした。 確かに最近は体調が悪く、入院していましたがまさかこんなことになるとは全く思ってもいませんでした。 残された時間を悔いなく過ごそう!など前向きな気持ちには全くなれず、悲しくて寂しくて、号泣してばかりいます。 そして大きな罪悪感を抱えています。 それは、祖母の希望を叶えてあげられなかったことです。 祖母はいつも私に、「私が元気なうちに結婚してね」と言っていました。 なのに、その約束を果たせそうにありません。 確かに付き合っている相手はいますが、そう簡単に結婚をする勇気はありません。 いつも優しくしてくれた祖母に最後くらい恩返しをしたい、なのにできなかった。 それが悔しく悲しく辛く、祖母に会う勇気すらありません。時間は限られているのに。 どうしたらこの気持ちを抑え、笑顔で祖母に接することできるのでしょうか。 祖母に今まで感謝を伝え、果たせなかった約束の代わりに最高の祖母孝行をするには何が良いのでしょうか。 私には思い付かず、皆様のお力をお借りできませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。
夫を約3週間前に癌で亡くしました。 闘病期間は約7ヶ月。弱っていく夫を見るのがつらくてたくさん泣きましたが、最期は自宅で看取りました。 ただ、生まれたばかりの子供をしっかり育てると夫と約束したこともあり、子が一人前になるまで頑張ろうと決めました。 今は眠りは浅くとも寝られているし、ご飯も食べられます。<br> ですが、周囲から睡眠とご飯の心配をされる度に、私はおかしいのかと考えてしまいます。 年単位で立ち直れない方もいるのに、まだ日の浅い私がそれなりに日常生活を送っているのは薄情なのでしょうか。<br> また夫が夢に出てきたりするのですが、強い思い入れがある人は故人が夢に出てこないと書いてあるサイトを見てしまいショックを受けました。 夫との思い出を振り返ると泣いてしまいますが、それすらも悲劇のヒロインぶって泣いているだけなのでは?と自分の気持ちにすら疑心暗鬼になってしまいます。<br> 配偶者を亡くしても毎日塞ぎ込まないでいられるのはおかしいのでしょうか?
家族の詳しいいきさつはプロフィールにまとめましたので、そちらも見ていただけたらと思います。 二年前に母、数日前に弟が他界しました。弟は体調に異変があり、病院に行ったときには自力で動くのはすでに難しい状態だったそうです。私は弟が病院に行く数日前に実家に行きましたが、普段から弟とコミュニケーションが上手く取れないこともあり、弟と会うことがありませんでした。自分は家族の問題から目を背けていたとつくづく感じています。弟は肝臓と腎臓に大きな腫瘍があり、死因はがんでした。陰陽五行では、怒りは肝臓、不安は腎臓に蓄積されるという話を読み、弟の葬儀では何もわからずごめんと心のなかで謝っていました。弔問に来られた方から、なくなった母が弟を迎えに来たのだろうという話を聞き、母と弟に対して申し訳なく思う自分がいます。家族の問題に目を向けることができなかった自分はこれからどのように生きていけばいいのか、どのような心持ちでいたらいいのかご教示いただけたらと思います。
私には4つ下の可愛い妹がいます。 その妹が先日、急性白血病と診断され、本人と一緒に医師の説明を聞いてきました。 幸い、かなり早期の発見で、今は症状がまったくない状態です。 しかし、1週間もすれば歩くことも困難になり、病状は急激に悪くなっていくでしょうと説明がありました。 抗がん剤や、輸血、骨髄移植についての話も聞きました。 私からあげられるものならば、何だってあげたいし、妹が助かるなら何でもしたいです。 しかし骨髄の型が合うかどうかも、1か月ほど先でないとわかりませんし、 もし移植できても、合併症を起こせば致命的、死亡率も高いです。 白血病の中でもめずらしい型で、再発率が高いなど予後が良くないとのことであったり、 実家も私たち夫婦も決して裕福とは言えないので、これからかかる莫大な治療費のことであったりと心配です。 これまでずっと健康で、体力も気力も人より上の、エネルギーの固まりのような妹が、弱っていくのを想像すると、悲しくなります。 不安なことで頭がいっぱいです。 こんな中でも、まだ良かったなと思えることは、 早期の発見で、早い段階で治療に取りかかれること。 夫は、妹のことをよく知っており、私のことも支えてくれ、快く協力してくれること。 先月引っ越してきた地が、たまたま妹が入院することになった病院の近くであること。 です。 悪い中でも良かったことを考えるようにしようと思うのですが、何をしていても、これからが不安になり、泣いてしまいます。本人の方がつらいはずなのに。 たいへん明るく、愛想よく活動的な太陽のような子ですが、今回はさすがに参った様子でした。 姉として、支えになってやりたいと思っています。が、私がこんなことでは助けてやれません。 こんなときの上手な気持ちの持ち方、妹への言葉のかけ方、これからの行動など、お坊さんの意見をぜひ聞かせてくださると、嬉しいです。よろしくお願いします。 長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。妹の病気が治りますように。
2019年に母を亡くしました。 4年8ヶ月 ガンと必死に闘い、亡くなりました。 病気が見つかったときには既に末期で、もって半年から2年と言われましたが頑張って生きてくれました。 今更ですが、私にもっと稼ぎがあれば更に色んな治療が出来たんじゃないかとか、体が動けるうちにもっと色んな場所に連れて行ってあげたかったなという思いがあります。 もう亡くなってしまっているけれども、母にしてあげられることはありますか?
時々、「死ぬしかない」と強く思ってしまいます。 自殺をしたら天国へ行くことはできませんか。また、自殺者は成仏しない、死後も自殺を繰り返すというのは本当ですか。
1年ほど前に祖父が亡くなりました。コロナ禍で面会も限られた人しか出来ず、孫である私はほとんど面会できないうちに亡くなってしまいました。私の両親が家に連れて帰ってきてやっと会えました。私は看護学生で寮に住んでいるので祖父の様子をすぐに確認できる状況にはなく、亡くなったことも電話で知らされました。その時から後悔や罪悪感に飲み込まれて押しつぶされそうな気持ちが続いています。 亡くなってから1年が経ち、徐々にに消化できるかと思いなんとか頑張ってきました。しかし知識がつくにつれ「あの時こうしてれば」「祖父はすごく苦しかったのではないか」「もっと祖父の気持ちを尊重した最期があったのではないか」などの後悔が頭の中でいっぱいになるようになりました。特に、ターミナルケアの授業を受けたり紙上事例で祖父と同じような状況の患者さんが出てきたりするととても苦しいです。授業では私が出来なかったことを突きつけられてる様な気持ちになり、すごく責められているように感じてしまいます。看護について学習する度に罪悪感や後悔の気持ちを感じて苦しくなり、そのこと以外何も考えられなくなります。 病棟実習も、病棟や看護に対して漠然とした恐怖を感じてしまい行けなくなってしまいました。看護について考える度に思い出して苦しくなるなら、もう看護師になるのを辞めたいとも思い始めました。学校の先生からは、学校を続けるなら実習の補習は行う事はできると説明されています。両親とも話をしていますが、上手く言葉にできなくてこの気持ちを理解してもらうのが難しいです。こんなことで苦しくなって実習も行けなくなる私は甘えているのでしょうか。ずっと引きずっている私がおかしいのでしょうか。頭の中が整理できず、何も考えられません。どうやって気持ちの整理をつけて、どの道を選べばいいのか分かりません。
私には生まれた時から父親と母親が居ませんでした。その代わりに、母親の祖父母が育ててくれました。 私が成人してからは祖父母が大阪、私が茨城に住んでおり、時折私が会いに行っていました。 ですが去年、祖母が亡くなりました。そして昨日、祖父も亡くなってしまいました。 祖母が亡くなる時は周りに叔母やいとこ、祖父がついており私も亡くなる直前に電話することが出来ましたが、祖父は昨日の朝方、突然、自分でも死ぬ事が分からなかったのではというくらい急に亡くなりました。 突然すぎて悲しみとそばにいられなかった後悔が大きく、でもいまそれを受け入れようとすると死んでしまいたくなるくらい辛くて寂しいです。 私の親友や友達が心配してメッセージを送ってくれましたが、こんなに辛くて悲しくて重い気持ちを話すのも申し訳なくどうしたらいいのか分かりません。 きっと時間が解決してくれると言うのは分かります、祖母の時はそうでした。 でも今回は祖父もいなくなり私の家族が居なくなったという事実が辛くてどうにかなってしまいそうなくらいつらいです。 また、周りの人には親がいて祖父母がいて、そんなみんなからの励ましですら辛いものとして受け取ってしまいます。そんな自分が嫌です。 ぐちゃぐちゃの気持ちで書いていてよく分からない文章でごめんなさい。誰かに聞いて欲しくて、助けて欲しいです。ごめんなさい。
毎日娘の事を考えていると、こんなに愛おしい可愛い娘なのに私が支えれなかった。守れなかったと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。 私と言い合い、ケンカになった後自死してしまい後悔ばかりです。 娘の後を追いたい、残された子供達の事を考えると追えない。 毎日この繰り返しです。 笑う事、ご飯を食べる事など全部が亡くなった娘に申し訳なく思います。 娘に逢いたい。 逢って謝りたい。 前回もご相談させていただき、ありがたいお返事をいただいたのですが、辛い気持ちが襲ってきてしまい、頼ってしまい、すみません。
去年亡くなった愛犬と仲良しだった愛猫が後を追うように病気で亡くなりました。 愛猫は愛犬に会えたでしょうか? 今はもう苦しんでいないでしょうか? そんなことは誰にも分からないことは 理解しているのですが、 心配でしょうがなく、 とても苦しいのです。 この苦しみはどうしたら 和らげることができますか? また、私は学生時代から 自殺願望があり、一時期自殺未遂で 入院したりしていましたが、 現在は立ち直り、一点を除けば まあ普通に楽しく生活しています。 私は飼っている動物たちを みんな看取ったら 死のうと思っています。 そのことについて自分的には 悲しいことだとは 思っていないのですが、 周りの人には理解されません。 もっとも愛する両親を遺して逝くのは あまりに酷い仕打ちだとは思いますが、 両親が天寿を全うするまで この世に留まるのは 私にとってとても苦痛です。 その理由が先ほど述べた 「ある一点」なのですが、 自分の死は怖くないけれど、 愛する人たちの死が本当に恐ろしく 毎日怯えてしまうのです。 例えば家族が出かける前に 「気をつけてね」と言わないと 事故に遭うんじゃないかと 帰ってくるまで不安で ソワソワしてしまいます。 まるで自分で自分に 呪いをかけているようで、 解き方がわかりません。 精神薬や精神科医では 解けませんでした。 そういうことの繰り返しに 疲れてしまいました。 なので、愛するペットたちをみんな 看取ったらもう終わりにしたいのです。 自分の死に時を自分で決めることはそんなに悪いことなのでしょうか。
2日前に、ゲーム関係でネット上だけで遊んでいた友人が癌で亡くなったと、別のゲーム友達から聞かされました。 私は20代後半で、亡くなった友人は私の10個上でした。 この歳で友人との死別を経験するとは思ってもいなくて混乱し、ゲームをして楽しかった日々やTwitterなどで会話していた事を思い出してとても悲しく、胸が張り裂けそうです。 ネット上だけでの関係だったので、主人にはこの件を話しましたが、親には話せていません。本当はこんなことがあって苦しいと言いたいです。それを堪えて親の前では元気に振る舞っているのが今はとても辛いです。 この事があってから、夜、睡眠薬を飲んでいてもなかなか寝付く事ができなくなりました。眠れないのは私の持病にとって悪影響なのできちんと眠りたいです。 でも、寝ようとすると動悸がしてなかなか眠れません。 実際会ったことのない人なんだからと割り切れられればいいのですが、こんなの亡くなった友人が可哀想ですし、忘れたくない大切な友人だったからこそ割り切れません…。 友人との死別はどうやって乗り越えていけばよいのでしょうか。今でも涙が止まりません。 混乱していて、支離滅裂な文章だったらごめんなさい。
こんにちは。 私は双極性障害という心の病気で通院、療養しています。自殺企図もあったりして、情緒が不安定な日々が続いています。 最近困っていることがあります。 それは音です。 第一に、近所にできた宿泊施設から人の叫び声がよく聞こえるようになったこと。その声を聞くたびに胸が締め付けられるような感じがして苦しいです。 第二に、高齢の祖母がいるのですが、何か少しでも動作をすると(手を洗うことでも)よっこらしょ、よっこらしょと繰り返します。その声が非常に大きく、家は二階建てで祖母は一階にいるのですが、二階の自室まで声が聞こえてくるほどです。 もちろん、施設の人も祖母もわざと音を出しているのではないと分かっています。 ただ分かっていても持病で神経が過敏になってしまうし、余計に音に対して敏感になってしまいます。担当医にこのことを話したら、「気にしないようにしてくださいね」と言われました。もちろん気にしないことができたら良いのですが、気になります。むしろ気にしないように気にしないようにすると、余計に気になってしまいます。 また他の方の問答にあった「音はただの波長なのだからイライラする必要はない。ただの音だと思え」という言葉を意識して「これはただの音だ、これはただの音だ」と唱えてみましたが、うまくいかず。うるさい、イライラする気持ちが増えるばかりです。 なんだかまとまりのない文章になってしまってすみません。何か少しでも状況を改善する方法等あれば教えて頂きたいです。
大好きな母が半年ほどの闘病の末、あっという間に亡くなってしまい、もうすぐ5ヶ月になります。 セカンドオピニオンや、もっと出来ることがあったのではと悔やむことばかりです。 また、死が近いことを母、本人に気づかれたくなく、入院に付き添った際も普通に別れてしまい、感謝の言葉もつたえられず、その後はコロナで面会できずで、やっと面会を許された時には意識がなく話せませんでした。 人生100年時代に、なぜうちのお母さんは70代で亡くなってしまったんだろう。 良い行いをし、お寺にも通い、仏様を信じていた母が、最期は痛くて辛くて可哀想だったと、何度も思い出し涙が出ます。 母が、天国で喜んでくれるにはどうすべきでしょうか、お導きください。
やっと一緒になると決まった矢先、彼の病気が見付かり本当にあっという間に涅槃へと旅立ってしまいました。 (涅槃へ旅立つという表現でしか彼の状況を表現出来ず申し訳ありません。 他のもっと単的な言葉で表現をする事がまだ自分には叶いません。) そしてあっという間に1年が過ぎ、今も私は彼が旅立った日から何もかもが色褪せ、全てが止まっています。 ただただ息をしているという感覚です。 彼を追いかけようと思いましたが実際、自分で命を絶つのは怖い。 けれど会えなくて寂しく切ない。 何より恋しい。 けれど追えない。のループです。 質問がまとまらず申し訳ありません。 彼に次に会えるのはいつでしょうか。 来世でも出会えますか。 嘘でも会えるとおっしゃって頂けるだけで慰めになります。 ちなみにではございますが 「新しい出会いもあるでしょう」 や 「新たな人生を切り開き」 などは自分勝手ながら、お答え頂きますと非常に悲しみが増すばかりでございます。 彼が旅立った日から、それ以前から私は彼のものでしかありえませんし、残りの人生も彼のものですので。 生意気に申し訳ありません。
私は、人生のすべてを失いました。 すべてを失い、何も残らなくなりました。 仕事も、プライベートも、自分が望むことを欲してやってきました。それは、周りよりも自分が優れている、自分は自分が望む生活をしている、その欲のためにやってきました。自分以外は全て敵、自分はそれを上回なければならない、それだけを思ってやってきました。 しかし、仕事もプライベートも、そのせいで最期に失敗という形で突き付けられました。自分よりも、優れた生活をしている人間ばかりになってしまった。自分よりも、充実した人生を送っている人間ばかりになってしまった。そう思い知ったのです。 自分は、仕事もプライベートも何もかも失くなった、無残な人間の残骸です。最早、この世で生きたいと思えなくなりました。何もかも失い、立ち直る気力すらも失せ、絶望という真っ暗闇に置き去りにされた自分です。 自分は、今まで失敗だらけの人生でした。過去に失敗をして、現在で失敗した。自分の全てが無くなったことで、これ以上生きる意味はないのです。 願わくば、自分に死ぬための力と覚悟を授けてください。お願いします。
先日の質問へのご回答、ありがとうございました。 以降、毎日祖母に手を合わせ、そのときの気持ちを声に出して伝えたり、 南無大師遍照金剛と唱えたりしております。 ただ、ひとつ疑問に感じたのですが、 手を合わせる場所、お経を唱える場所は、祭壇(後飾り)の前でなくてもよいのでしょうか。 祖母の自宅に祭壇(後飾り)が設けられていて、 私の自宅からはやや距離があり、仕事と子育てがある中、毎日お参りするのは難しいです。 (そうやって理由をつけて 生前の祖母にあまり会いに行かなかったんだろうと 自分を責めてしまいます) いまは、自宅で家事の合間に台所で、仕事が終わった後に車の中で、寝る前に布団に入って、などのタイミングで 手を合わせて話しかけたり、お経を唱えたりしていますが、 こんなやり方で祖母に伝わっているでしょうか。 四十九日までは近くにいてくれると言いますが、 四十九日よりあとも、今のようなお祈りの仕方でよいでしょうか。 大好きだということ、祖母にあちらでも幸せになってもらいたいと思っていること、 祖母に必ず伝わってほしいのです。 ーー 追伸 先日の質問へ回答いただきまして本当にありがとうございました。 その後、非常に少しずつではありますが、落ち着いてきております。 初七日の後、祖母が夢に出てきて、にこにこと橋を渡っていました。 そのときはまだ悲しかったのですが、 ここ数日は、無事あちらに向かっているのだと、少し安心した気持ちです。 こちらでいただいたお言葉を胸に、僅かずつではありますが、 祖母を送り出す、供養する気持ちが芽生えてきており、感謝しております。 ありがとうございます。
母が肺を悪くして70手前で没しました。 5月中旬からの入院でしたが、5月下旬に肺炎を起こしてからは言葉も話せず、 どんどん悪くなって筆談も出来ずという最期でした。 今でも悪夢を見ているかのように感じます。 私はマトモな職場でなかった前職を辞めて以来、「母の夢でもあるのだから」と今度こそマトモな職場への就職を目指してきました。 コロナ禍と自分の実力不足で上手くいっていませんでしたが。 しかし、母の死後、「母は私の夢を応援していただけ」 「マトモな職場への就職はあくまで私自身の夢だった」という話を聞きました。 ある意味では私のワガママを許していただけとも解釈できるのではないかと思います。 母のことを理解できていなかったこと、そのことがショックでした。 母の実家は旧地主ですが、上に建物を立ててテナントに貸しています。 以前から手伝っていた父からは「自分もあと5年ぐらいしかできないかもしれない」「今度、テナント入居者も変わる 最初から見れるのは貴重な機会 入居の最初から接して学んで将来的に継いでは」 「私は小さかったから分からなかっただろうが、家族の意向で(母の実家に)養子入りしたことを考慮しろ」と言われています。 しかし、自分自身の力を今度こそマトモな職場で試してみたい。 前の前の職場もマトモでなかったが、マトモな職場ならどうできるのか試してみたいという願望もあります。 前々職場でも前職場でも「成果は上げているのに解釈を強引に捻じ曲げられて『アイツはいい加減な仕事をしているに違いない』と言われる」 「天引きされてる雇用保険に未加入だったことが後から判明する」 「『久々の求人だから間違えた』という言い分で、求人票と違う大幅に不利な条件を押し通そうとされる」という無茶苦茶な経験をしただけに余計にそう感じています。 母の真意を分かってやれていなかった罰としても父に従うべきなのでしょうか。 もはや母に意見を聞くことも出来ず、どうすれば良いのか分からなくなってしまいました。
母は家族のため、15歳で田舎から上京し、親戚の家で下宿しながら、美容師の資格を取り、姉を出産するまで働いていました。 私が小学校中学年の時に、安定職に就き定年退職するまで働いてくれました。働いている間にも同僚からのイジメにもあいましたが、私たち子どものためと我慢して辞めずに働いてくれました。 退職後はアルバイトしながら、姉の子を可愛がり楽しい日々でしたが、2年ほど前に母が悪性リンパ腫を発病しました。 寛解を迎えては再発を繰り返し、先日、母の余命を主治医から聞かされました。毎回の治療も辛かったのに弱音も吐かずに今回も頑張ってくれています。亡くなってしまったら、一番の理解者がいなくなる、話せなくなる、携帯でのやり取りもできなくなる、触れなくなる、顔が見れなくなる、もし自分が子どもを授かり生まれたとしても抱っこしてもらえない、可愛がってもらえないなどと考えると涙が止まりません。母のいない生活が考えられないし、考えたくないです。 輪廻転生、諸行無常、愛別離苦など納得はできるのですが、肉体がなくなるということがとても辛いです。