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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

宗派の違う人の供養の仕方

教えていただきたいです。 大切な彼が自死を選びました。私は救うことも支えることもできませんでした。それなのに、最後に「ありがとう」と言ってくれた、心優しい彼でした。 彼は真言宗です。即身成仏で、現世において密厳浄土を目指す宗派と理解しております。 お父様の月命日には必ずお墓参りをしていた、心のきれいな彼です。 さて、ここからが質問です。 1 自死をした場合 自死を選んでも、心のきれいな彼であれば、密厳浄土に到達し、苦しみから解放されているのでしょうか。 2 逆縁の場合 彼のお母様は存命です。逆縁になってしまっても、密厳浄土に到達し、苦しみから開放されているのでしょうか。 3 供養の仕方 四十九日までは、追善供養が重要と理解しています。 家族でもなく、宗派も違う私の場合、彼を想って光明真言や般若心経を自分で唱えるようなことで、追善供養になるのでしょうか。 何をすることが、彼にとって最善なのでしょうか。 4 宗派の相違 私は真言宗ではありません。その場合、死後に会うことは叶わないのでしょうか。 5 悪人正機 私は様々な罪を犯しているため、こんな私でも彼のためになれるとしたら、高尚な真言宗ではなく、浄土真宗の教えに従い、阿弥陀仏に救いを求めることしかできないのではないかとも考えています。 真言宗の彼のために、南無阿弥陀仏と唱えることは彼のためにはならないのでしょうか。 質問ばかりで申し訳ありませんが、こんな私が彼のためにできることを教えていただきたいです。

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がんの治療をしたのに消えたくなります

長文失礼いたします。 私は以前がんの治療を行い、現在経過観察中です。   治療をしていた時は死にたくないと思っていたし、治療も前向きに考えて取り組んでいましたが、治療が無事に終わってからは生きることが辛くて死にたい思いがどうしても消えません。 こんなことを言うとせっかく治療を乗り越えたのにと色々な人から怒られますが、できることなら生きたいと思っている人たちに自分の寿命を分けて自分は消えてしまいたいです。   死にたい気持ちが消えない理由はわかっていて、治療の関係で足に障害が残ったこと、友人達は働いているのに自分はまだ働けていないこと、病気が理由で付き合っていた人からふられたことなど、周りは先に進めているのに自分はなりたくなかった病気のせいで取り残されていると感じて、未だに自分の現状を受け入れられていないからだと思っています。   また、最近は仲の良い友人が鬱になり、病気の辛さでマウントを取られるようになって、余計に死にたくなるようになりました。   せっかく治療を終えて生きているのに死にたいと考えてしまう私が生きていることが、今頑張っている人や亡くなった人に申し訳なくて、余計に死にたくなる悪循環を繰り返してしまいます。   このような考えをなくすためにはどうしたら良いでしょうか。 アドバイスをいただけたら幸いです。 よろしくお願いいたします。

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亡き父への思い

昨年2月2日の深夜に父が亡くなりました。 自宅で息を引き取り、すぐに救急車呼んで病院に運ばれましたが死亡が確認されました。死因は、心臓突然死でした。亡くなる4時間前まで普段と変わらず話していました。 亡くなる当日の日、父が車を運転していて、朝から家族揃って出掛けていました。コロナの影響でマスクを買いにスーパーやお店などを探しに行っていました。その夜にスーパーに行って買い物を済まし、みんなでご飯を食べていました。 この時、お別れする時間が迫っているとは思っていませんでした。 深夜亡くなる直前に父は寝ていて、急に息が荒くなり、その直後動かなくなりました。この時、母は寝ており僕は起きていました。声を聞いて母がすぐに起きて異変に気付き、僕もいつもと違う事に気付いて父を揺さぶったり、呼びかけても全く反応がありませんでした。もしかしたら呼吸が止まっているかと思い、すぐに母が救急車呼んで指令官の指示により僕に携帯電話を渡されてマッサージを始めました。僕も指示で、状態を伝えてながら救急隊の人に必死で誘導してその後に病院に運ばれました。 搬送先の病院でしばらく心肺蘇生を続けていました。医者の先生が40分ぐらい時間が経過しておりこのまま蘇生を続けても難しいと伝えられて死亡を確認し亡くなりました。 その後、葬儀社と親戚、近所の人に連絡をして お通夜、告別式に集まり頂いて、急な出来事にびっくりしていました。 父は持病を持っており、60歳の生涯でした。 あまりにも突然で、しばらく涙が止まりませんでした。お別れするのは辛かったです。最初は夢を見ているかなと思い、信じられませんでした。もし、夢なら早く覚めてほしいと思いました。 父が生前に教えてくれた事、楽しい時間を過ごした事は、今でも忘れません。 長文になりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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夫の病気に伴うさまざまな悩みについて

夫との今後について考えてしまいます。 共に46歳子供はおりません。 仲は良い方だと思います。 夫が昨年夏に摘出した臓器から癌が見つかり、さまざまな検査を得て体内への転移が無いとの結果です。 ただ、質の悪い癌で転移しやすいため予防の意味で5月頃まで半年間の抗がん剤治療中です。 暫定では転移が無いとはいえ、再発の可能性→夫の死ばかり考えてしまいます。 また副作用できつそうにしている姿を見て将来に希望が持てません。 また昨夏以来、夫婦生活もなく淋しく感じます。 (抗がん剤治療は1週間の薬断ち期間がありますがそのときはお酒が喜びのよう。本人にお酒を飲むと性機能が不能という思い込み有り) 子供が出来ずに苦しみ続けやっと楽になりかけ、穏やかに過ごしていた矢先のことで理不尽さを感じています。 一人っ子で兄弟もいません。 夫がいなくなり、天涯孤独になることを恐れて両親に話したところ『自分の苦しみばかりで本人のことを考えてない。マイナス思考すぎる』と一喝され、それ以来両親とは距離を置いています。 このような中で私が病気になれば良かった、逃げ出したい、死んで終わらせたい…と思ったり、何とかなると思ったり、気持ちの浮き沈みが激しい毎日です。 また考え過ぎて、好きではあるけれどいっそのこと離婚して夫と離れようかとも思う時もあります。 それは冷酷なことなのでしょうか。 気持ちが落ち着かない中で、なるべくは離婚は避けたいですが、それは癌に怯える日々とイコールと思うと気が滅入ります。 最終的に答えは自分の中にあるのだとは確信しています。 ですが、日々、少しでも楽な心の持ちようをご進言いただけましたら幸いです。 趣味の時間は一瞬忘れられますので、そのような時間を増やして乗り切ることが良いのでしょうか。 乱文・長文にて大変失礼いたしました。 お忙しい中大変恐縮ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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死にたくないのに死にたいです

死にたくないのに死にたいと思ってしまいます 助けてください 私は恵まれていると思います。家族にも学校にも問題はなく、アルバイトにはやりがいを感じています。勉強も好きですし、打ち込める趣味もあります。体調がすぐれない日が多いことは悩みですが、それが原因で死にたいと思う程ではありません。自分のことがどうしようも無く嫌いなわけでも、死んだほうがマシな人間だとも思いません。 けれど頻繁に、全てがどうでも良くなり、どうしても今すぐに消えたい、死んでしまいたいと思ってしまいます。そのような状態になるとものすごくイライラして、涙が止まらなくなり、何も手につかなくなってしまいます。最近では夜中目が冴えて眠れないことも多くなり、精神科で処方してもらったお薬を飲んで無理矢理眠っています。 死にたくなるタイミングを手帳につけたところ、生理が関係しているかもしれないと思い、婦人科や精神科に行ってお薬をもらっていますが、どうにも良くなりません。運動してみたり、食事を改善してみたり、カウンセリングを受けてみたこともありますが、死にたいという気持ちを抑えることはできませんでした。 もう死にたい思いに支配されたくありません。思いつく手は全て打ちました。もうこれ以上、どうしたら良いのかわかりません。

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過去に亡くした大切な人について

10年以上前になりますが、高校生の時に当時インターネットで知り合ってお付き合いしていた彼を事故で亡くしました。 彼とは住んでいる場所が離れていた事や、お互い高校生であった事などから一度も会うことは叶いませんでしたが、電話やメール、写真のやり取りなどを介したお付き合いが一年半ほど続いていました。 当時私は心に問題を抱えており、家族や友人とうまく関係を築けずにいたので、いつも優しく、私の事を好きだと言ってくれる彼の存在は大きな支えになっていました。 そんな中、彼の近しい人物からの連絡とニュース記事で彼の突然の死を知りました。 両親には話せず、けれど自分一人ではどうする事もできず、結局彼のお葬式やお墓参りに行くことはできませんでした。 現在は縁あった方と結婚し、幸せな毎日を過ごしていますが、彼の事はいまだに忘れる事が出来ません。 夫はとても優しく愛情深く、私を大切にしてくれています。もちろん私も夫を大切に思っています。 けれど心の中にはいつも亡くなった彼の存在があり、日常で彼の好きだった曲や好きだったものに触れる度、彼を恋しく思います。 そんな風に彼を思い出すたび、他の男性の事を想っている自分が、夫にたいして申し訳なく、罪悪感を感じます。 しかしその反面、死後の世界があるのなら、いつか天命を全うして彼に会えたら、などと考えてしまう自分もいるのです。 一度も会った事のない相手を結婚してもなお想ってしまうのは愚かな事だろうかと悩む日々です。 身近な人には相談する事が出来ず、何か助言をいただけたら嬉しく思います。 よろしくお願い致します。  

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死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

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死が近いことを知り、心が冷めるのは?

2年前から乳がんの治療をしています。そして、徐々に上がっていた腫瘍マーカーが、このたび倍の値をはじきだしました。 数ヶ月、様子をみて、おそらくまた再び抗がん剤治療が始まります。 できれば長生きしたいのですが、がんが見つかった時には全身に転移していました。幸い自覚症状は全然ないのですが、画像でうつったがんの影や、異常な数値を見ると、私は(も)、時間はもうあまりないのかもしれないと実感します。 38歳、夫を残して死ぬことは心残りですが、他に関してはなぜかすごく冷めているのです。 窮地に陥ると実感するような、生きたい!とか死にたくない!という情熱や、あたたかな感謝や、しみじみと人生をかみしめるような気持ちが、全然起きてきません。 死んだら死んだだな、もう疲れた、というのが今の気分です。 できれば、あたたかな感謝の気持ちや、なにかを目標に進めるようなエネルギーが欲しいとも思うのですが、その反面、簡単に人にわかるか、わかられてたまるか、というどうしようもないスレた気持ちが強いです。 からだと心を善きもので満たしたほうが、予後もよいと思うのですが、そうなれないことに不安と焦りがあります。 しかし、それよりもこの冷めた感じ、やけくそみたいな気持ちがわいてることが、なにより自分らしく感じてしまいます。 天命というものがあるのなら、それは心のありかたや、生活のありかた、生き方は、繋がっているのでは、と思うのですが、このような冷めた、すれた、感謝もないような心や生活のありかたは一体どうなんでしょうか? 心身を入れ換えるエネルギーがないというのが正直なところで、虐待、流産や、病気になったことで思いもよらない悪意ある言葉をなげつけられることのショックで、もうどうにでもなればいいわというのが正直な気持ちなんです。 そんなだから、腫瘍マーカーの値があがり、がんが増えているのか? いっそうエネルギーがなくなり、本当に冷めてしまっています。 病と心・生活のありかたは、どのような関係があると考えていいのでしょうか? また、こんなに冷めた気持ちでいる自分は死が近いんでしょうか?死の近い人間は心は冷めていくものなんでしょうか?あたたかみをもったほうがいいのでしょうか?

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大好きだったおじいちゃんの死を受け入れる

初めて相談させて頂きます。29歳女性あかりです。 わたしが生まれた時から家族のように可愛がり育ててくれた近所のおじいちゃんが、余命1か月の宣告を受けました。 病名を聞いた時から、もう長くないことを知っていましたが、段々弱っていくおじいちゃんを見ると胸が張り裂ける思いです。 わたしの一番の願いは、おじいちゃんが少しでも痛み苦しみ少なく楽に、残された時間を過ごしてほしい。と思うのですが、 おじいちゃんとの思い出がたくさんありすぎて、こんなに身近な人を失う経験が初めてで、悲しいとか辛いとかよく分からない、どうしようもない気持ちで押し潰されそうです。 おじいちゃんが幸せだったと思える人生だったかな?亡くなる前におじいちゃん自身の人生を満足して旅立てるかな?とか、ここ最近ずっと考えてしまいます。 今はもう直接聞くことができませんが、おじいちゃんが満足できた自分の人生を歩んでこれたなら、私のこの悲しみも少しは和らぐのですが。。 痛みを伴い苦しい病気の中でも、安楽な気持ちで最期を迎えることができますか? そして、残される側の気持ちを実感していますが、どんなふうにこの悲しみを乗り越えていけば良いのかを悩み相談させていただきました。

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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

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親の介護

こちらでも相談させていただいておりましたが、昨年、闘病していた夫が他界いたしました。最後は在宅医療、看護で、娘と二人で手を握りながら、最後の一息まで看取ることができました。これ以上望めないほど、自然に安らかに夫が逝けたことを感謝いたします。 まだまだ悲しみも癒えず、膨大な手続きに翻弄されていますが、同居の父母の面倒が限界を超えています。 超高齢の父はもう何もできず、やはり超高齢の母は認知症の進みが酷くて、せん妄、幻覚が進み、手に負えない日が多くなってきました。 二人とも、身体は自立していますが、精神的にだめです。 在宅医療の先生には、早急に施設を進められていますが、二人分の入居費の事もあり、施設の空き具合やコロナ下での問題で、なかなか進みません。 ケアマネさんにも相談しながら、デイサービスなど、なんとかできることを進めています。 しかし私自身、夫の介護と看取りで体力気力を使い果たし、もう頑張れません。手伝ってくれている社会人の娘にも申し訳ないです。 親しい友人たちも、本当に支えてくれていて感謝しかありません。 年老いた親を可哀想に思い、大事にしたい気持ちがどんどん削がれて行くのが辛いです。自分がここまで辛い時に苦しめる親を嫌になる、自分の気持ちが辛いです。今までずっと、いくら進めても介護保険を受けてくれなかったことも恨んでいます。 どのように気持ちを保ってやっていけばいいのか、どうかアドバイスをお願いいたします。 いつも本当にありがとうございます。

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最愛の次男の死

先日、次男の自死について、質問させていただきました。次男を失ってから約2週間経ち、彼の最期の姿を常に思い出す事は徐々に減りつつあります。しかしただただ寂しく、喪失感が強くなるばかりです。彼の遺書らしいものはまだ見つけられず、スマホもロック解除が出来ないため、最期に何か伝え様としていたのか全くわかりません。しかし彼のアカウントのパスワードはわかったので、彼がこの一年近く色々と悩み、苦しんでいた事を垣間見ることが出来ました。けど父親として、それに気付いてやる事が出来なかった。会話の多い家庭だと思っていたのに、苦しみや悩みを彼は伝えてくれなかった。とても優しい子だったので、家族に心配をかけたくなかったのか、自分の似てプライドの高い子だったので、知られたくなかったのか。自分も約5年前自死を決断し、実行したことがあります。その時は意識が薄れる中で、家族の姿がチラつき思い留まりました。次男は家族のことを思いやらない様な子ではありませんでした。だからこそどれだけ最期の最期まで苦しんだかと思うと、父親として本当に申し訳なくて、仕方ありません。彼の最期の決断を認めたくはないですが、ただただ今はよく頑張ったと言ってやることしかできません。本当に悔しくて、悲しくて、寂しいばかりです。自分の様ないい加減な人間に仏様や神様が試練を与えるのは理解が出来ます。しかし本当に真面目に頑張っていた次男に仏様や神様はこんな苦しい試練を与えられたのでしょう。一番悪いのは、次男を救ってやれなかった自分である事は、十分にわかっています。しかし真面目に頑張っている妻や長男、そして次男にこの様な試練を与える仏様や神様に 、なぜ試練を与えたのかと言いたくなります。ほぼ毎日仏壇に手を合わせ、ご先祖さまや仏様に家族の安寧を祈っていたのに。

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飼っていた猫が死にました

私のせいで死んだのだと思います。 三毛でちょっと太ってて変な声で鳴くかわいいやつでした。2ヶ月前から様子がおかしくなってきました。痩せて毛並みもパサパサで目やにも酷くなってきたのです。 私は今浪人生で親に養ってもらっている状態です。自由にできるお金はなく、猫を病院に連れていくには親に言うしかありません。1回言いましたがその時スルーされて、それから言うのが怖くなりました。 私は金食い虫です。受験のこともありますが、病気もあります。金がかかります。「お前に金がかかるせいでこいつを病院につれていけない」と言われるのが怖くてそれ以上言えませんでした。 だから猫の症状はどんどん酷くなって、死にました。病院に連れていこうとしたら血を吐いて死んでしまいました。 絶対に安らかな最期ではありませんでした。少し前まではふくふくとしてかわいい猫でした。それが背骨が浮き出るくらい痩せていました。苦しみ抜いて死んだと思います。 早いうちに病院に連れていけばこんなことにはなりませんでした。それが出来なかったのは、親に無意識にでも金がかかる私のことがあったからではないのでしょうか。もっと恐れず私が病院をすすめていたら死なずにすんだのではないでしょうか。そうだとしたら間接的に私が殺したも同然です。 長々と書いてしまいすみません。ご回答いただきたいのは、「猫は死んだらどこに行くのか?天国でも浄土でも安らかなところに行けるのか?」と、「猫に対して償いがしたいが何をしたらいいか分からない、方法は無いか」ということです。わかりづらい文章で申し訳ありませんが、ご回答頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 9
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