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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

二十代なのに寝たきりです。

こんにちは。 二十代の女です。 私は、病気で寝たきりの生活をしています。 生まれつき寝たきりではなく、数年前からです。 私の患っている病気は、珍しく前例があまりないので医者が手探りで治療や手術をしてくれています。(私の体で症例発表されたこともあります。精神疾患ではなく、身体的な病気です。) 全身麻酔の大掛かりの手術を行ったのですが、治りませんでした。 私には夢があります。 医者になることです。 ただ、もう二十代です。 時間がありません。 毎日毎日、病気の辛さと焦りで泣いたり、ヒステリックを起こしてしまいます。 そして、そのストレスを両親へ当ててしまいます。 この前、お父さんが私が欲しいと言っていた物をせっかく買ってきてくれたのに、ヒステリックで壊してしまいました。 本当に申し訳なくて、なんてことをしてしまったんだという思いで涙が出て止まりません。 もう、どうしたら良いかわかりません。 両親への申し訳なさで何度も首を吊ろうとしましたが、できませんでした。 命にかかわる病気ではないため、希望をもってしまうのです。 もしかしたらり治るかもしれない、治ったら医学部へ行けるかもしれない、今まで迷惑と心配とストレスばかり与えてしまった両親へ親孝行できるかもしれないと。 その希望を見ることが辛いです。 希望と現実のギャップがとても辛いです。 このギャップを見ることに疲れてしまいました。 毎日夜になると、トリカブトや首吊り、新しいなにか楽に死ねる方法はないかと調べてしまいます。 自分でも、死にたいのか生きたいのかわかりません。 なにを質問したいのか、なにを答えて欲しいのかわかりません。 どうしたらいいかわかりません。 私は、両親を悲しませたり、ストレスを溜めさせたりしなくありません。 両親には、私のことで心配したりしないで幸せになってほしいです。 たぶん、これが私の一番の願いです。 こんな意味のわからない文でごめんなさい。

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父の死と死後の世界について

最愛の父が他界してから、死後の世界について考えています。 父は愛妻家かつ子煩悩で、死の3日前まで母と私に「大好きだよ」と言っていました。 大食漢で行動的な人でしたが、病のせいで食事も運動もままならない中、愚痴ひとつ言わずいつも笑っているような人でした。 死後の世界があるのなら、痛みからも苦しみからも解放されて、好きなものをたくさん食べて、好きなことをたくさんしているのだと思えます。 死後の世界がないのなら、大好きだった父は何処にもいないのなら、二度と会えないのなら、私も死にたいと考えています。 大学一年生の頃、仏教の講義が必修科目でした。 18歳だった私は宗教や死後の世界は生きてる人間のためにあるもので、死んだら無になると考えていました。 今になって死後の世界があって欲しいと強く思うのですが、長年否定していたものを肯定するのは都合の良い話に思え、抵抗があります。 祖父が亡くなった時は季節外れの蝶が部屋に舞い込んできたり、替えたばかりの蛍光灯が明滅したりと不思議な出来事があり、もしかしたら…と思える時もありました。 ですが「ずっと側にいるよ」と言った父の存在を感じることはなく、消えて何も無くなったように思えてしまい、胸が苦しくなります。 長文かつ乱文で申し訳ありません。 どのような心持ちで過ごせばいいのか、ご教示願います。

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祖母の死

長文になりますがご了承ください。 先月、母方の祖母を亡くしました。 死因は入院先の病院で食事をとっていた際に喉を詰まらせてそのまま心臓が止まってしまったそうです。 入院は今回が初めてではなく過去に何度か熱が出て高齢のため念のため入院という事はありました。 しかし今回は治療も終わっており退院日も決定していて退院日前日の入院先での食事中の出来事だったようです。 100歳を超えていて自分で食事をすることはできなかったので看護師の方に食べさせてもらっていたんだと思います。 自分で食事をしていて喉を詰まらせてしまったのであれば百歩譲ってしょうがなかったのかなって思えるのですが、看護師が食べさせて喉を詰まらせたということが本当に納得できません。 祖母の食事を担当してくれていた方が注意してくれていれば喉に詰まらせる事はなかったのではないかとつい思ってしまいます。 帰省した際に父と2人きりで話す時間があり、父も死因に納得いっていない様子だったのですが、母は病院を責められないと言っていたそうで本人がそう言っている以上、母の気持ちを尊重しようということになりました。 小さいときからとても可愛がってもらっており、一人暮らしのため県外に住んでしまったのと最近だとコロナの影響もありなかなか会いに行けていなかったのですが、必ず祖母の誕生日には親戚一同、施設に集まってお祝いするのが恒例になっていました。 来年の誕生日会をするのをすごく楽しみにしていたので本当に悲しいです。 母は普段から辛い事や悲しい事はあまり表に出さない性格で、私も似ている部分はあるのでそんな私でも悲しみに耐えられず葬儀も涙が止まらなかったのに亡くなった連絡をくれたときも、霊安室に一緒に行ってくれたときも、葬儀中も母の涙を見ることがなく気丈に振る舞っている姿を見て胸が苦しくなり今も思い出すと涙が出てきます。 ずっと泣いてばかりではいけないしいつかは受け入れなくてはいけない事はわかっているのですが、死因に納得いっていないことが余計に引きずってしまいます。 身近な人の死を経験するのは今回が初めてではないですが、立ち直れる気がしません。 夜になると祖母のことを思い出しては泣いての繰り返しです。 どうしたらいいのかもうわかりません。 ご教示いただけますと幸いです。宜しくお願い致します。

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ペットロスから抜け出せません。

14年を共に過ごした愛犬が1ヶ月半の闘病ののち天国へ渡りました。 あれから4ヶ月になろうとしていますが、未だ、悲しみと寂しさが消えません。 毎日泣いています。号泣してしまいます。 愛犬がいないことに絶望しています。 必要な外出以外は自宅に引きこもっています。外出しても泣いてしまう恐れから公共の場に出るのが怖いです。 自宅を出てからの景色に触れるのも、愛犬と過ごした日々が蘇り辛いです。 亡くなった当時より更に寂しさが増しています。 愛犬を看取れたことは良かった、今はもう苦しくない天国に居ること、大往生出来たこと、頭の中では理解しても感情が全く追いついて行きません。 うつ病になっていると思います。今日も体がだるく寝てばかりいました。 朝起きた時の絶望感、夜眠る時も隣に居ないことの絶望感、もう使ってもらえることのないあの子のあらゆる物や場所、人生で最大級の寂しさ、絶望感と共にかろうじて生きています。 私が引きこもりとうつ病から抜け出せる日は一体来るのでしょうか。 心療内科にも行きましたが薬が合わず、かえって症状が悪化したのでやめました。 この悲しみと寂しさを感じなくなる日は来るのでしょうか。 どうぞ、宜しくお願い致します。

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息子が自死、私はどう生きたらいいのか?

息子が自死しました。 持って生まれた資質もあり、幼い頃から苦悩多い子で、精一杯寄り添って育ててきました。 コロナの自粛頃からいよいよ精神を病み、必死で相談や受診などをしていましたが、亡くなる前日に、生きるのがつらい、自分が嫌いと泣きました。 死ぬなと言えばきっとこの子は明日も泣きながら生きてくれる、でも、それは親のエゴなのではないか…と。こんなに生きるのがつらいと泣く子に、死にたいなら死ぬ道を選んでもいいと、許してしまいました。 それでも、私は泣きながら、貴方に生きて欲しい、死んで欲しくないと伝えました。次の日には約束もしていたのですが、明け方早くに自死してしまいました。 息子と対面した時、よく頑張って生きたね、と、闘病して力尽きたような思いでいっぱいになりました。 でも、やはり、死という取り返しのつかないことを許してしまった自分がおそろしいのです。 生きるのがつらい、死にたいとは、生きていたいからこその苦しみであったのではないか。 私は、息子と一緒に苦しみながら生きる道を探すことをしなかった、最低最悪の母親です。 私が殺めてしまったも同然です。 私の償いの道はあるのですか? 生きることは許されるのですか?

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8月末に母が亡くなりました

8月末に母が亡くなりました。 実家のマンションのリフォームの関係で悩んでおり、私も色々と協力したり、 お金の面でも工面すると話していました。 母は判断力も低下しており、寝不足気味の様でした。 私も話を聞いていて憔悴してしまっていました。 母に安定剤をもらいに病院に行こうと、話していた矢先、 母は「病気とかじゃないんだよ」と言っておりましたが、 父が自宅にいるときに黙って外出し、私も仕事をしていた時に母は川へ行った様で入水し、溺水で亡くなっていました。 あくる日、帰宅していないので、警察に捜索願を出していた所、散策をしていた方に中洲で亡き母を発見されたようです。 生前は一緒に出かけたり、ご飯を食べに行ったりと大変仲が良く、趣味も近く友達の様な存在で、もう一生会えないと思うと寂しくて悲しいです。 解剖の結果、死因は溺水で不慮の外因死ということでしたが、 今も気持ちの整理がつきません。 どうか安らかに眠ってほしいです。 母に寄り添ってあげられなかった罪悪感が拭えません。 この先気持ちを整えていくには何が出来るでしょうか? 母の事、大好きでしたので、母に会えない私の一生なんて、短くて構わないと思ってしまいます。

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亡き母に会えるのは

相談になっていませんが、お邪魔してしまいました。 夏に母が亡くなり、つらい毎日です。 父も主人も、前に亡くなり、母と私いつも一緒でした。外から帰ると、こんな事があったよ。と、時間が経つのも忘れて話し込み、高齢でしたが、自分の事は自分でし、本を読んだり、 たまに息子(孫)も、連れて旅行に行きましたが、母も私も出不精なので、休みの日は、家でお喋りしていました。 息子達は、一人暮らしや、仕事で遅くなったりで、母がいなくなって、一人ぼっちになり、毎日つらくてたまりません。 よく、死別の悲しみには段階があると、書いてありますが、今、寂しさと、つらさに加えて、他の人へ対して、「どうして、こうしてくれないんだろう!」とか、「こうしてほしい!」とか、「こう言えばよかった!」と、普段の気にしいの恨み辛み事まで出たり、 集まりで、何人かの人達と会う時も、母の事をなぐさめては、くれるんですが、帰った後、精神的にしんどくなり、動悸を打ち、喪失感が大きくなり悲しくなります。(慰めてもらえなかったら、それは、それで、どうして誰も何も言ってくれないの?と思ってしまうと思いますが) この精神的にしんどいのと、寂しいのと、恋しいのは、もうちょっとしたら、母が帰ってくるんだったら、我慢もできますが、いつまでも、このままだと思うと、あと何年我慢したら母に、会えるのかなあと考えてしまいます。 仕事は、週1〜2回行って、その間だけ気が紛れています。 今は、食事を作るのも、買ってきたお惣菜を食べるのも、家の事も、ほとんどできていません。 仏壇の前の母の遺影の前で、書き物をしたり、布団を持ってきて寝たり、少しの食事を取り、ずっとこの部屋にいます。 息子が、思いもしない優しい言葉を言ってくれただけでも、感動して泣いてしまう始末です。 少しずつ、前に進んで行けたらいいのですが。

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母に会いたい

はじめまして 語源力がないですがよろしくお願いします。 今年7月に母が亡くなりました 癌でした。 僕は地元離れた2、3時間の距離に住んでました 癌ってことを知ってからは 会いに行く頻度を増やそう 食べたい物や行きたい所に連れてってあげようと思いましたが自分の事優先にしてしまいあまり親孝行もしてあげれませんでした。 それでも母を連れてプチ遠出したり買い物したりご飯食べたりしたら すごくニコニコしてて楽しそうにしてくれてすごく嬉しかったです 後からばぁちゃんが言ってたのですが すごく嬉しそうにどこどこ連れてってもらったんだよ〜とか話してたよと聞きました。 その事を聞くとこんな事になるならもっと親孝行できたのにと後悔しかありません 最後は病院で一緒にいる事ができたのは良かったです。 亡くなるちょっと前の日に帰省するからね美味しいもの食べに行こうと言ってたのにお盆が近いからその時に帰る事にするねと言うと母は僕の事を心配してくれてお金もかかるからゆっくり家で休んでお盆においでと言ってくれました それなのに僕は家で休まず友達と遊んでました その時には母の状態もあまり良くはなかったです あの時行ってれば家にいる母に会えて 美味しい物食べに連れてけたのに 後悔しかない自分が情けなさすぎて 母には謝る事がいっぱいです 罪悪感でいっぱいです 最後は薬の影響で多分意識朦朧としてて きちんと感謝の気持ちや謝る事が出来ませんでした なので話す事もいっぱいあるので 母に会いたいです 母がどう思ってるのか この先どうして行けばいいか知りたい そしてちゃんと謝りたいです

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愛猫に苦しい最期を迎えさせてしまいました

懺悔もかねて相談させてください。よろしくお願いします。 昨日、愛猫を看取りました。まだ7歳の若い子ですが、末期がんで治療ができず、緩和ケアの末に自宅で亡くなりました。 子猫の時からいろんな病気と闘ってきた子で、短い人生の中で何度も入院し、注射や点滴は数え切れないほど経験してきました。 亡くなる前、獣医さんからは安楽死を数回提案されましたが、 「短い一生だけど、1日でも長く生きてほしい」 「最期までがんばって生きようとしてるこの子の気持ちを尊重したい」 「天命を全うして自然なタイミングで旅立ってほしい」 「注射が大嫌いな子だから、せめて最期は注射で終わらせたくない」 そんな思いから、安楽死を選びませんでした。 でも、実際は「この子の人生を自分の選択で終わらせる大きな責任から逃れたい、安楽死を選んだことを後悔して引きずるのがこわい」というずるい本音もありました。 しかしその結果、あの子は苦しい最期を迎えることになってしまいました。亡くなる前の1日はずっと呼吸が辛そうで、発作→少し落ち着く→発作を繰り返し、最後はこれまでに聞いたことがないような声で何度も叫んで、のた打ち回って亡くなりました。最後の最後まで必死に生きようと闘ってもがいて、まさに命のエネルギーをすべて燃やし尽くして息を引き取りました。 今にして思えば、人生で何度も病気で辛い思いをしてきた子だから、最期くらい苦しませず安らかに終わらせてあげればよかった。そうしたらあんなにこわくて辛くて、自分の身に何が起こっているかわからない混乱のまま逝かせることにはならなかった。 ですが、私のずるい責任逃れで安楽死を選んであげなかったことを謝りたくても後悔したくても、それはそれで必死に闘ったあの子の最期を否定してしまうような気がして、気持ちの持って行き場がわかりません。 私はどうしたらいいのでしょうか?また、命のすべてを燃やし尽くして苦しい亡くなり方をしても、あの子の魂はきちんと成仏して天国で安らかに楽しく過ごせているでしょうか? あわせて、私たちは海外に住んでおり、お仏壇を用意できません。遺灰と遺影に手を合わせてごはんとお水を供えていますが、あの子が天国で楽しく過ごせるように何かしてあげられることはありますか? 長くなってしまい申し訳ありません。ご回答いただけましたらうれしいです。何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 14
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