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「老病死」を含む問答(Q&A)一覧

「今が反抗期ね!」と言われます。

私には、成長過程で「反抗期」がなく、所謂「いい子」そのものでした。 それが、今、母親から「今があんたの反抗期ね!」と言われます。 何故なら、今、私は精神的な病気を患っていて、母親の言う通りに出来ないからです。 昔は、母親の「自慢の娘」でした。 でも今は、「あんた誰の子?」「絶対、私の子じゃない」と言われています。 母親には、感謝しています。 でも、何だか心の中がスースーしています。 少しでも早く治りたい!と思い、精神科に掛かるだけでなく、カウンセリングも始めました。 私の病気からして、「治るまで年単位」と言われている通り、今、カウンセリングを開始して2~3年になりますが、まだまだ治るには程遠い状態です。 経済的負担を軽減する為に、障害者手帳も取得して、障害年金も受給することにしました。 何とかしようと、ひたすらもがいています。 出来るだけ前向きに、ポジティブに考えようとしています。 夢(復職や自立等)も諦めていません。 でも、「病気」→「自分の思い通りにならない」→「反抗期」と言われると、さらに憂鬱になり、「鬱病」も悪化しそうです。 それでも、精一杯頑張って生きています。 また明日はカウンセリングの日。 前向きに、前向きに、ポジティブに、ポジティブに… まるで念仏を唱えるように、いつも自分に言い聞かせています。 母親の言う「反抗期」とやらを、私はどう捉えて「頑張りの素」に変えたら良いのでしょうか? 正直、結構キツイ言葉です。 もういい大人ですし、親孝行する側、支える側に立ててないといけないのに、今はそれが出来ません。お恥ずかしい話です。 まずは自立すること!そう言われるのかな…等と考えつつも… 何かアドバイスいただけないでしょうか。 厳しいお言葉でも構いません、お坊さまのお考えをお聞かせ願えればと思います。

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納得のいく死

先日、最愛の母を癌で亡くしました。 癌だと判明してからたった二ヵ月足らずで逝ってしまいました。 本人には事実を告げられないまま… 本人も治ると…必ず治す!というつもりで頑張っていました。 人は誰しも自分の『死期』は分かりません。 自死の方は別かも知れませんが、皆さん『納得のいく死』 が出来るわけも無いし、そもそも死にゆく事に本人も家族も 『納得』や『覚悟』なんてそう簡単には出来ません。 殆どの人が『無念』な思いで逝くのではないでしょうか? やり残した事、言いそびれた事、気になっている事… 色んな思いを抱え、それらが『後悔』や『恐怖』となって 本当に『辛く』『悲しく』時には『怒り』となって たった一人で心細く無念に旅立っていくのではないでしょうか? そんな『無念』な思いで旅立った魂は、本当に 心安らかに『成仏』が出来るのでしょうか? 残された家族が一番心を痛める事… それは どんなに辛かっただろう どんなに無念だっただろう どんなに怖かっただろう… 話が出来たら、どれだけ辛かったか聞きたい… 今、どう思っているのか聞きたい… でもそれが出来ないから苦しいのです…。 教えてください。 自分が『死んでしまう』とは思ってもいないのに 治そうと、治ると思って頑張っていたのに 何の心構えも準備も出来ていないまま 人生を終わりにしなくてはいけなくなった時 人はどんな事を思うのでしょうか? 四十九日までは、魂はこの世に居ると聞きますが どんな気持ちで、どこでどのように 過ごしているのでしょうか? そんな事ばかり考えて、辛くてたまりません…。

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病気に対する心構え

大病を患っているのに、明るく生きている方がおられます。苦痛があるはずなのに、それを感じさせない方がいます。 私もそのように生きたいと願いますが、とても難しいです。 昨年末ハスノハに出会ってありがたいお言葉をいただき、他の方の回答も読ませていただきました。 そして、今この時を大切に生きる,できないことを嘆くのではなく 出来るものを数える。そんな風に過ごしていこうと決めていた のですが、、 この夏は持病の発作が多く、あっという間に弱くて情けない状態に戻ってしまいました。慌てて怯えてオロオロしています。発作は苦しくて辛いです。明日もまた発作が起こるのではないか、そしてこの次は死んでしまうのではないかと、不安のかたまりなっています。 その不安の裏には、きっと生への執着があるのだと思います。まだやり残したことがたくさんあるし、孫にも会いたい… うまくお伝え出来ませんが、心が乱れて苦しいです。 そのままで良いのだとお坊さま方は言ってくださるかもしれませんが、 あまりに情けなくて、もう少し強くなりたいと願っています。 良い意味で開き直るくらいの、病気に対する心構え・覚悟を持つには どうすればよいでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。

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医学の知識を役立てたい!

病院に勤めていても、病気になります。 私には、行き付け(掛かり付け)の病院があります。 立地もいい、院内もキレイ、医療機器は最新、そして何より、スタッフの対応が抜群にいい! 勿論、非常に技術的にも優れています。 一度行ったらヤミツキになり、自分の行き付けの病院にしました。 比較してはならない、そういうお声がお坊さまの方々から聞こえてきそうですが… でも、一番はスタッフの方々との「信頼関係」があることですから… とりあえず、今日はそちらに精密検査に行って来ました。 結果は、悪くはないけど、良くもない。 半年後の年明けに、再検査しましょう!とのこと。 思わず「長っ!」と言ってしまいそうになりました。 半年先にならないと、ちゃんとした治療にならない、ということなので仕方ないのですが、私はいつも「次の瞬間に死んでも後悔しないように生きる」と思っているので、半年先の精密検査なんて… 忘れちゃいそうです。 メモしても、メモも無くしてしまいそう。 カレンダーに書こうにも、まだ来年のカレンダーなんて無いし… 仕方なく、いつ壊れるかも分からない、このヤワなスマホに、メモっておきました。 そういう意味での「えーっ!」な検査結果でした。 医学知識なんて、持っていても無意味に感じることは多々あります。 せっかく身に付けたものを「宝の持ち腐れ」にしたくないので、医療関係で何かお困りのことがありましら、出来る限り、協力させていただきます。 いつもお世話になっているお礼も含め、縁あって繋がった皆様の為に、少しでも力になれればと思います。 突如「半年先の予定」が出来ました。 とりあえず、まだ生きています故… ちなみに、何か病気になられた時、「何故私が…?」と思った時には、こう思うと少し心穏やかになりますよ! 「あなたがその病気になったのは、あなたにはその病気と闘えるだけの勇気と精神力があるからなのですよ!」と。 病気になるのも、一種の「縁」なのです。 私も今、障害者ですが頑張って生きていますよ!

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【緊急】今、身体が悲鳴をあげている方へ

【悲鳴をあげているけれど】様へ 『病院に行っても薬を処方されるだけで終わります。病院の何科に行けばいいのか分からない症状です。毎日息も絶え絶えで食欲も暑さも相まってまるでありません』 とても心配です。 hasunohaは、いつも私自身と向き合う為に、他の方々の質問や答えを読ませていただいております。 医学的なアドバイスをさせて下さい。 体の、また心も含め、どこが悲鳴をあげているか分からない時は、『総合診療科』がある病院に行くと良いですよ! ネットで直ぐに見つけられます! 大学病院とかになると、紹介状が必要になったり、せっかく行っても待ち時間が長く、逆に疲れが増してしまうので、中程度規模の病院がオススメです。 あと、体力がない場合は、熱中症でなくても『ポカリスエット』を飲むと良いですよ! 例えば、摂食障害の外来を受診すると、点滴を受けるか、それともポカリスエットを飲むと先生と約束するかで、帰してもらえます。 一番近くのスーパーかコンビニに行けば、ポカリスエットは誰でも直ぐに買えますので、気軽に試せると思います! もちろん、お坊さまがおっしゃっていたように『スイカ』も良いです! 少しお節介かな?と思いましたが、病気の方がいらっしゃると、つい声をかける癖がありますので…お身体を大切に!

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母の死を受け入れられません

私の生き甲斐であった母が、先月急に亡くなりました。 今までひと月に一度のペースで大きな病院にもう十数年もかかっておりましたし、普段の通院でも特に問題ないとの事でしたので、いつも自分の事(痛い苦しい辛い)を殆ど口にしない母が珍しく異変をうったえる事もあったのですが、年齢的なものもあるのだろうと思っておりました。後で考えてみると昨年秋頃から『しんどい』という言葉も増えてきていたように思います。でもその時も、主治医に『この数値でしんどいはずはない。大丈夫!気のせいや。』と言われ、その言葉を信じ特に検査をする事もなく日常過ごせておりましたし、4月のお誕生日には家族で旅行も行きました。 GWが明けて念の為にと受診したところ、末期の癌でもう手の施しようがなく余命二ヵ月と告げられました。 その二ヵ月を満たずして母は亡くなりました。あっという間でした。 母の病院関係や健康管理、身体の事に関しては本当に今まで心配で心配で異常なほど気を配ってきたのに…こんなに大切にしていた人の、これほどまでに最愛の人の、見る見る弱っていく姿を、病に侵されて苦しみ息絶えていく姿を、手を打つ術もなくただただ見ている事しか出来なかった日々は、この脳裏から消える事はなく日に日に罪悪感と喪失感に押しつぶされそうになり、このまま後を追えたらと思っています。 普段偉そうに『母さんの健康は私が守る!』と母の思いは二の次で自分の思うように引っ張て来た…結果がこれかと…。どうして母の信号に気付く事が出来なかったのか…。私を信じ、私に遠慮をしてなかなか自分の意見を言う事もなく身を任せてくれていた母に、最期まで事実を伝える事も出来ず頑張らせてしまった…。最低な親不孝者だと思います。昔からあまり贅沢をしてこなかった母を喜ばせたい一心で生てきました。これから親孝行が出来ると思っていました。 家族での旅行や外出をする度に『いつか罰があたる。』と言っていた母の心意も気になります。母の意思と反して私が勝手に母に色々してきた事が、その私の『欲』が『罰』となって、何かを悟っていた母が連れて行かれたのでしょうか…。そのように思えて仕方ありません。 母は今どう思っているのでしょうか…。 これほどまでの地獄はありません。母と同じくして、私自身も死んだも同然です。 『死』とは何でしょうか…。どうかご教示ください。

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父の病

父(66)の肺に影がみつかり、癌の可能性が高いとのことで今日生検をしてきました。 結果待ちなのでまだ癌と決まった訳ではありませんが、正直癌だろなと思ってます。 10年前母を事故で亡くしてから、家族は愚痴っぽくなり喧嘩ばかりで、大切な家族だった筈なのに一緒に居るのが苦痛に感じるほどでした。 大好きな妻を亡くして生きていけないと言ってた父だし、死んだら死んだでこれ以上寂しい思いしなくて済むならそれで良いのかもしれないとか、凄く残酷な事まで考えてしまいます。 とても悲しいです。 祖母は高齢で、寡になった息子(父)が心配で辛そうです。 私の弟がまだ独り身で実家に居るので、今後闘病の父をメインで支えて行く事になると思いますが彼を支える人は居ません。 私は少し離れた所に住んでおり、子供たちもまだ小さいです。 私はどんな風に家族に接すればいいのでしょうか。 実家が病と不幸に呑まれていきそうで怖いです。 無理するなとか、平常心でいろとか、 あーしろこーしろと、つい言ってしまいます。 でも外に居る私がそんな事言うのも違う気がします。 少しでも皆の気持ちが前を向けるように、支えになれるようには、私はどのような心持ちで居れば良いのでしょうか。 よろしくお願い致します。

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PURIFICATION

15年程前に遡ります。私は、ある医療ミスを発見しましたが、圧力に負け、揉み消されるがままに、私も口を閉ざしてしまいました。ご遺族に真実を伝えたい、そう思い、上層部がゴチャゴチャしている間に、集められる限り全ての被害者の医療情報をかき集め、内部告発を覚悟に、準備を着々と進めていきましたが、外部の、信頼できる医療関係者に、事実を公表すべきかどうか相談したところ、「あなたがこの世界に二度と戻れなくなる」→「事実を伏せるべき」との結論を、結果的に飲み込む形になりました。もし、その後ご遺族の方が、「何かおかしい」と真実を求めてきたならば、私は事実を公表しよう…。そう思っていましたが、案の定、告発されるようなことはなく、ごく限られた職員のみが、その医療ミス=死亡事故を「知っている」「黙認している」状態で「なかったこと」になってしまいました。私は、口を閉ざしたと共に、心も閉ざしてしまいました。その事件が、今の私の病気の始まりになります。「浄化されたい」その思いから、毎日、下剤を110~160錠…。当時は、cleanse the intestines → cleanse my soul(腸内を浄化する→私の心・精神を浄化する)しか考えられないような日々。摂食障害、うつ、脅迫性障害など、次々と病気が私を襲いました。今は、完全に下剤も絶ち、精神面も随分落ち着いてきましたが、悶々とした気持ちは消えることはありません。亡くなられた方やそのご遺族に対して、無言を貫いたことを謝りたい…しかし、今更…というのもあります。生と死の狭間に立ち続け、生と死の重さを感じ続けながら、生きていくしかありません。学生の頃から、「死」と直接向き合うような様々な活動を、1人で積極的に行ってきましたが、社会人になり、たった1か月程で、私は地に落ちました。落下してしまいました。今でも学生の頃の「信念」は変わらないのに、死を見逃す…まさに衝突、逆行しています。真の『浄化』とは?今の私に何が出来るでしょうか?ご意見賜りたく存じます。

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ペットの死と主人の対応でつらいです

2匹のみどりがめをを飼って14年。 そのうちの1匹が、5月の初めから餌を食べなくなりました。 今までにも何度か経験があり、また産卵かなと思っていると 下旬に庭先で穴を掘っていたので、産んだのだと思っていました。 でも、産卵後は戻る食欲が今回は戻らず、なんだか元気もありません。 片方の目が腫れてるようでもあり、 いつもとは違う…と心配になった私は、主人に 「動物病院に連れて行こうかな?」と相談したのですが 「カメで病院?家で様子を見たら?」と言われました。 犬や猫ではないし、そう言われたらそうするしかないと思い 数日・・・。口をあけて、肩で息をするようになり、 じっとしたまま、ほとんど動かなくなったので 主人には言わずに、カメを見てくれる病院を探し、 やっと見つけて連れて行きました。 肺炎と結膜炎で、かなり弱っているとのことで 栄養剤や抗生物質をもらい 「14年も飼っているペットがきつそうにしていたら 何とかしてやりたいと思いますよね」と、やさしく言っていただき、 もっと早く連れて行ってあげればよかったと、強く後悔しました。 4~5日したら、薬を飲ませるとき嫌がるようになり、 少し元気が出てきたかなと喜んだのもつかの間、 その後、目をつぶったままになり もう一度病院で見てもらう予定だった日の朝、 眠ったまま 亡くなってしまいました・・・。 それを知った主人は 「また、新しいのを買えば?」と言ったのです。 さみしくないように代わりに…と思ったのかもしれないけど 死んで数時間しかたっていないのに そういうことを言う神経が分からなくて・・・。 名前を呼ぶと 近づいてくるかわいい子でした。 私が動く方向に、水槽の中を移動し、 ちょっととろくて、自分でえさをとれないと 私の方をじーっと見上げて待ってるような子でした。 残っているカメを かわいがってあげないと・・・と思うのですが あの子じゃない・・・と否定してる自分がいます。 「くるしいねえ。もう、がんばらなくていいよ。 今までありがとうね」と言った翌日に死んでしまったことも 私を苦しめています・・・。 長くなってすみません。 関連してる「ペットの死」という回答・・・ いくつも読ませていただきましたが、まだ 涙が止まりません。 喪失感・・どうしたら・・・・

有り難し有り難し 32
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検体になる

私は、私自身が脳死状態になった時、臓器移植希望で、使える臓器は必要な方にお譲りしたいと考えております。しかし、両親が(私の)臓器移植に反対なので、今はまだ免許証の裏などの記入欄は空白にしている状況です。仮に年の順に行けば、ですが、両親が亡くなった後は、私の意思のみで臓器移植可能だと思うので、年齢的な部分をクリアするなら、是非とも私の臓器を使っていただければと思っております。他にも、いろいろ考えております。身内が肝臓を悪くすれば、生体肝移植をしたい。腎臓は2つあるので、差し上げても構わない。骨髄移植のドナーになるのも良い。最近では、今で1年と9か月、髪を切らずにいるので、このまま伸ばし続けてヘアドネーションするのも良いアイデアではないかと思っています。私自身、病気を患っていて、毎日、大量の薬を飲んでいるので、どこまで世の皆様の助けになれるか分かりませんが、病気なら最後の手段は、医学生の解剖学の検体になることぐらいしか思い付かないなぁ…と考えております。一番身近な献血は、今の状態では無理なので、回復次第、貢献出来ればと思っております。病院の輸血部という部署にい、たくさんの血液製剤を扱うクセに、自らが献血が出来ない、というのは非常に情けなさを感じてしまうところです。「生」に執着がなく、「死」をとても身近に感じている、私。将来、「最終的には検体に」という考えは、仏教ではどのように捉えられるのでしょうか?お教えいただきたく存じます。

有り難し有り難し 18
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死について漠然とした不安があります

 またまた質問よろしくお願いします。 死について漠然とした不安があります。 最初は小学生のころでした。特に何かあったわけではありません。 ただふっとした時に「死にたくない~」と思い泣いていたのを記憶しています。 ヲタクなので、漫画やらアニメやらドラマやらメディアでは死について想像したり見たりします。 ですが、身近な親戚や、友人知人の死に直面したことはありません。 同級生がひとり自殺されたという話は聞いたのですが、同級生との関わりが縁遠くなってしまっているので、実感がありません。 両親の祖父母は健在ですし、自分の家で生活できています。 東北在住なのですが、近くにいる親しい人が震災で被害にあったということもありませんでした。 自身もですが、親戚、家族、友人知人が大病を患い入院しているということもありませんでした。それ自体はとても幸運なことだとは理解しています。 外にいて空の高さや雲の重なりなんかを見て地球や宇宙を感じるとき。 妊婦さんを見かけたりした時。自分が生きてたり生命があるという事を感じます。 今でもふとした時にとてつもなく死に恐怖を感じます。 これからさきどうなるんだろう?まだ20代なのですが、30代に差し掛かるし、求職中で独身です。 死より将来に漠然とした不安を感じているのかもしれません。 これから先も地球や日本は続いていくけど、私は死んだらどうなるんだろう?死んだら終わりだし真っ暗で何も感じられないんだろうと考えると怖くて怖くて堪りません。自分の人生がいつか終わるのが不安で恐怖に感じています。 別の質問で書きましたが、危ない運転をしてしまったことがあります。 それでも生きているけど、いつ死ぬかわからないよね。 と感じたことがあります。そして身近な人の死に耐えられるかわかりません。 自分でも身近な人でも死が怖くて堪りません。 死の恐怖とはどのように向き合っていったらいいのでしょうか? 20代後半でこんなことを考えているのは可笑しいでしょうか?ご教授よろしくお願いします。

有り難し有り難し 13
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これでいいのでしょうか?

以前から煩悩について教えていただき、ネットで仏教の教えを少しだけかじり取り、何となくこういうことかなと思い、投稿させていただきます。 以前から義父母がデイに行きたくないと言っていました。 私や主人は「なんで行かないのか」と責めていました。 そして、ショートステイ明けは必ずデイを休むといい、義母がデイに電話を入れていました。それに対しても「勝手に電話して」と思っていました。 ふと、そんなに嫌で行きたくないのなら行かなくていいかと思い立ちました。日中は義姉の娘(以下 孫)が家に入り浸り、私が手を出さなくても大丈夫な状態です。 リハビリができないとか、何かあったら孫だけでは対処できない等の不安は多少なりともありますが、完璧な介護はできないし、なるようにしかならないと思いました。 そして、ショートステイ明けのデイがお休みになるようにショートステイの日程を組むことにしました。 そう決めたら、気が楽になりました。 デイに行く行かないの不毛な争いが一つ減りました。 これでしばらくは穏やかに過ごせそうです。 また荒れたらお邪魔させていただきます。 いろいろ教えていただきありがとうございました。

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